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ドライエ 145 シャプロン フランス 1946年
1930年代後半のGPレース(現在のF1に相当)ではドイツのナチス政権が国策でバックアップするメルセデス ベンツ/アウト ウニオンのドイツ勢が圧倒的に強く、ブガッティ、ドライエ、ドラージュのフランス勢がこれに対抗していました。1937年にドライエ 135の後継車として145が登場しました。145は主にGPレース用に開発された高性能車で3本のカムシャフト、2つの点火装置、3つのキャブレターを備えたV型12気筒4.5L(240HP)エンジンを搭載していました。145のレース仕様は1938年のベルギー ポー(PAU)GPでは、メルセデス ベンツ W154を下して優勝しています。(実車画像→ ドライエ 145 GPレース仕様 1937)
1939年に第2次世界大戦が勃発し、ドライエ社は軍用車(トラック)の生産に集中しました。戦後の1946年には乗用車生産を再開し、戦前の135Mを後継する高級車235が1951年に登場しました。戦後のフランスでは高級車に高い税金が課されたことによりドライエのような高級車は売れなくなり、販売不振となたドライエは1954年にオチキス社に吸収されて消滅しました。
ミニカーは1990年に発売されたマッチボックス ディンキー製です。1946年式となっているので戦後にコーチビルダー アンリ シャプロンが架装したクーペをモデル化しているようです。ドライエのフロントグリルは剣道の面に似ているといわれますが、この車のグリルはまさにその典型的なものです。このミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキーのブランド名を冠したDINKY COLLECTION シリーズの1台でした。このシリーズはマニア向けに作られたもので、これ以外にキャディラック 62 クーペ デビルやベントレー R コンチネンタルなどがあり、いずれもレトロな作風ながら良く出来ていました。このドライエもレトロな作風で実車の雰囲気をうまく再現していて、当時のミニカーとして良く出来ていました。これ以外のドライエ 145のミニカーはミニチャンプスのクーペとレース仕様、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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