ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER 1928 USA

STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER


FRANKLIN MINT RJ58M 1/24 全長 204mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.8m エンジン 変速機: SOHC 8気筒 4.9L 115HP 3段変速
性能: 最高速 153km/h  データーベースでスタッツのミニカー検索

スタッツ ブラックホーク ボートテール アメリカ 1928年

 

 前述したようにスタッツ ベアキャットはレースで活躍し名声を確立しました。1919年に創業者のC.スタッツが会社を去り経営陣が変わり、1921年にベアキャットがモデルチェンジされましたがあまり売れませんでした。1924年にベアキャットは生産中止となり、1925年に直列(垂直型 バーティカルとも呼ぶ)8気筒4.7L(90HP)高性能エンジンを搭載した高級車バーティカル エイトが登場しました。バーティカル エイトのレース仕様車ブラックホークは1927年に国内のAAAストックカーレースで優勝するなど活躍しました。(実車画像→ スタッツ バーティカル エイト 1927)

 

 1928年にバーティカル エイトはエンジンを4.9L(115HP)にパワーアップしシャーシも改良されました。同年にホイールベースを短縮し軽量なボディを架装した高性能版のブラックホークが設定されました。ブラックホークは当時最速の高性能スポーツカーで、1928年のルマンで2位となっています。1931年には新開発したDOHC 8気筒5.3L(156HP)エンジンを搭載したDV32が登場しましたが、世界恐慌による不況で車両販売が回復せずスタッツは1937年に倒産しました。(実車画像→ スタッツ DV32 1932) その後スタッツの名前は1968年に復活し、1970年にGMのポンティアックをベースにしたブラックホークが登場しました。

 

 

 ミニカーは1989年に発売されたフランクリン ミント製です。軽快なボートテールボディを架装したブラックホークをモデル化しています。当時のフランクリン ミント製1/24ミニカーは現在のオートアートなどの大スケール精密ミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する当時としては最も精密なミニカーでした。当時の価格は18000円と高価でしたが、リアルに再現されたフロントグリル、ワイヤースポークホイール、室内など実車の雰囲気が見事に再現され価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。ドアとリアのトランクが開閉するギミック付きです。さらにボンネットを開くと8気筒エンジンが再現され、床下のサスペンションやドライブトレーンも再現され前輪はステアリングホイールと連動して操舵できます。これ以外のブラックホークのミニカーは同じボートテールボディのダンバリー ミントの1/24があります。 以下はフロント(前輪操舵動作)/リア(トランク開閉動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER 1
STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER 2

 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER 3
STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER 4

 以下は1974年に発売されたマッチボックス製のスタッツ (DV32) ベアキャット 1931 (1/44 型番Y14)の画像です。DV32の売り上げを伸ばすためにベアキャットの名前を復活させたモデルのボートテールボディをモデル化しています。DOHC 8気筒4.9L(140HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速160km/hと高性能でした。マッチボックスのYシリーズは安価ゆえに、フロントグリル横からヘッドライトが生えているといったマッチボックス流の簡素化が行われていますが、ボートテールボディがうまく再現されていて1970年代当時のミニカーとしては結構良い出来ばえでした。ただ赤いフロントグリルやメタリックカラーのカラーリングは実車には即していません。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
STUTZ BEARCAT BOATTAIL SPEEDSTER 1
STUTZ BEARCATK BOATTAIL SPEEDSTER 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
STUTZ BEARCAT BOATTAIL SPEEDSTER 3
STUTZ BEARCATK BOATTAIL SPEEDSTER 4

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PACKARD SINGLE EIGHT ROADSTER 1930 USA

PACKARD SINGLE EIGHT ROADSTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PACKARD SINGLE EIGHT ROADSTER


SIGNATURE 32115 1/32 全長 146mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.6m 全幅約1.7m エンジン 変速機: 8気筒 6.3L 106HP 4段変速
性能: 最高速160km/h  データーベースでパッカードのミニカー検索

パッカード シングル エイト ロードスター アメリカ 1930年

 

 前述したようにパッカードは量産車として初めてV型12気筒6.9L(88HP)エンジンを搭載した高級車ツイン シックスを1915年に発表しました。この車は世界初の12気筒エンジンなど技術/品質の高さでライバル車を圧倒し、富豪や著名人に愛用され大成功をおさめました。顧客にはロシア皇帝のニコライ II世や有名なアメリカのギャング王 アル カポネなどがいました。ツイン シックスは1922年まで生産され、総生産台数は約3万台でした。当時のパッカードはキャディラック、ロールス ロイス、ディムラー、メルセデス ベンツなどと並ぶ高級車メーカーで、「Ask the Man Who Owns One.(その価値は持ち主に訊け)」というキャッチコピーを広告に使い、自社の高品質をアピールしていました。

 

 パッカードは航空用エンジンの生産でも有名で、第1次大戦中はV型12気筒航空機エンジンを量産していました。第1次大戦後の1924年に8気筒5.9L(84HP)エンジンを搭載するシングル エイトを発表し、この車はツイン シックスの後継車として成功し、生産台数でキャディラックを追い抜きアメリカの高級車No.1の地位をかためました。1930年代になると、世界大恐慌によって高級車が売れなくなりました。そこでパッカードは1935年に8気筒エンジン搭載の中級車120を発売、1937年には6気筒エンジン搭載の110/115を発売しました。それらの車は一時的にパッカードの業績を上げましたが、パッカードのブランドイメージを下げることにもなりました。

 

 

 ミニカーはアメリカ車のクラシックカーをモデル化していたシグネチュアー製で、2000年頃に発売されました。パッカード シングル エイト系のロードスターを少し大きめの縮尺1/32でモデル化しています。この1/32のシリーズは当時の定価が約3500円ほどの比較的安価なミニカーでしたが、マニア向けの本格的な出来ばえに仕上げてありました。このシングル エイトもパッカード独特の上部の角に段の付いたフロントグリルとその上のマスコットがきちんと再現されているなど、実車の雰囲気がうまく再現されていました。ドア/ボンネットが開閉するギミック付きでエンジンも再現されていました。(ただホイールのワイヤースポークなどの細かいところはあまりリアルではありませんでしたが) これ以外のシングル エイト系のミニカーは、マッチボックスのYシリーズ、NEO(レジン製)などがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。パッカードのマスコットは、差し出した両手で車輪を掲げている女神の姿で「Goddess of Speed(スピードの女神)」と呼ばれていますが、このマスコットは大きめに作ってあるのでかなりリアルにできていました。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PACKARD SINGLE EIGHT 1
PACKARD SINGLE EIGHT 2

 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像です。緑色のエンジン本体は実車に即した色合いで、ラジエータ/冷却ファンもうまく再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PACKARD SINGLE EIGHT 3

 以下は1969年に発売されたマッチボックスのYシリーズ(クラシックカーのシリーズ)のパッカード ビクトリア コンバーチブル 1930 (1/46 型番Y15)の画像です。上記と同じシングル エイト系のコンバーチブルのソフトトップ仕様をモデル化しています。なおビクトリアとはコンバーチブルの最上級モデルにつけられたグレード名のようです。Yシリーズは安価でしたので、フロントグリルとヘッドライトを一体化してあるなど細部の造形が簡素化されていました。またYシリーズは縮尺が不統一で、これも1/46と中途半端でした。ただ基本的なプロポーションや、パッカードの特徴である角に段の付いたフロントグリルなどの要所はきちんと押さえてあったので、実車の雰囲気はかなりうまく再現されていました。室内も値段相応ながらきちんと再現してありました。リアにトランクケースを積み、さらにその後ろに荷物棚があるといった当時の乗用車の荷物積載方法がこのミニカーでわかります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PACKARD VICTORIA 1
PACKARD VICTORIA 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PACKARD VICTORIA 3
PACKARD VICTORIA 4

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GM CADILLAC 452 V16 IMPERIAL LIMOUSINE 1930 USA

GM CADILLAC 452 V16 IMPERIAL LIMOUSINE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
GM CADILLAC 452 V16 IMPERIAL LIMOUSINE


ALTAYA VOITURES CLASSIQUES 12 1/43 全長 122㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.7m 全幅約1.86m エンジン 変速機: V型16気筒 7.4L 165HP 3段変速
性能: 最高速150km/h  データーベースでキャディラック 戦前のミニカー検索

GM キャディラック 452 V16 インペリアル セダン アメリカ 1930年

 

 1930年に登場したV型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 452は初年度に約3000台が生産されました。コーチビルダーのフリートウッドがリムジーンやコンバーチブルなどのボディを架装し、価格は最低でも5000ドル(現在の2000万円ぐらい)と非常に高価でした。1929年に世界大恐慌が起こりアメリカは不況の真っ只中でしたので、452のような高級車を購入できたのはごく限られた富裕層だけでした。その中には有名なシカゴのギャング 'アル カポネ'が特注した防弾仕様車もありました。その車はカポネが1931年に収監された後は、アメリカ政府に接収されたとのことです。(実車画像→ GM キャディラック 452 防弾仕様車)

 

 キャディラック 452 V16は初年度に購入できる人のほとんどが購入してしまったので、翌年はほんの300台ほどしか売れませんでした。また当時のライバルであったパッカードピアース アローフォード リンカーン コンチネンタルが次々とV型12気筒エンジン搭載車を登場させたことも影響して、452 V16の販売は低調になっていきました。452 V16は1940年まで生産されましたが、総生産台数は約4000台でした。なおその後V型16気筒エンジンを搭載したキャディラックの量産車はありません。

 

 

 ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNO.12でメーカーはイクソ(ALTAYA)です。フロントグリルとその上のマスコットなどよく出来ていますが、1/43よりやや小ぶりに仕上がっています。イクソではほぼ同じものがMUS012として発売され、それはアル カポネの車とされています。ただアル カポネの実車と見比べるとフロントの灯火類などが違っていますので、アル カポネの車と同じ車種といった程度のものです。 なおアル カポネの車はフランクリンミントの1/24でもモデル化されています。このミニカーは後部ドアガラスに開けられた丸い穴(銃眼)などが実車に忠実に再現してあり、アル カポネが愛用していた白い帽子やマシンガンまで付属しているといった凝ったものでした。(WEB掲載ページ→ GM キャディラック 452 アル カポネ仕様) 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。フロントグリル中央に付いている赤いVのエンブレムがV型16気筒搭載車の証です。またその上に付いているマスコットは女神像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

GM CADILLAC 452 V16 IMPERIAL LIMOUSINE 1
GM CADILLAC 452 V16 IMPERIAL LIMOUSINE 2

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HUDSON GREAT EIGHT 1930 USA

HUDSON GREAT EIGHT
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HUDSON GREAT EIGHT


SIGNATURE 32307 1/32 全長 148mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.7m 全幅約1.75m エンジン 変速機: 8気筒 3.5L 80HP 3段変速
性能: 最高速130km/h  データーベースでハドソンのミニカー検索

ハドソン グレート エイト アメリカ 1930年

 

 ハドソン モーター社はデトロイトの事業家が共同して1909年に設立しました。ハドソンというブランド名は出資者でデパートを経営していたジョセフ L ハドソンに因んだ名前でした。1909年に発売した一号車モデル 20(TWENTY)は4気筒3.3L(20HP)エンジンを搭載した小型のロードスター/ツーリングカーでした。この車は平均的な性能とスタイルながら低価格であったので、初年度に4000台以上が売れて大成功を収めました。この販売台数は当時の大ヒット車フォード T型と同じくらいの人気があったことを示しています。(実車画像→ ハドソン モデル 20 ロードスター 1909)

 

 ハドソン社はその後も手堅い車作りで事業を拡大し、1912年には6気筒エンジン搭載車が登場しました。1916年に登場したスーパーシックスには静粛性に優れたバランスド クランクシャフトを採用した6気筒エンジンが搭載されていました。1919年に低価格な大衆車としてエセックスが別ブランドとして登場し、さらに1932年にテラプレーン ブランドも追加されました。エセックスの追加で1929年にはハドソンの生産台数がフォード、シボレーに次ぐ第3位となりました。しかし1930年代からBIG3(フォード、GM、クライスラー)に押され業績が悪化し、1930年代にエセックス、テラプレーンが消滅しました。戦後の1954年にナッシュと合併してAMC(アメリカン モータース)となりハドソンは消滅しました。

 

 

 ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチャー製です。1930年に登場した8気筒車(3.5L)エンジンを搭載したグレート エイトの2ドアクーペをモデル化しています。シグネチャーの1/32は1920-1950年代の代表的なアメリカ車をモデル化していました。縮尺が1/32と中途半端なのですが、定価1800円ほどの安価ながら1/43より大き目のサイズを生かして結構細かいところまで仕上げてありました。このハドソン グレート エイトも実車を忠実にモデル化してあります。実車に即したカラーリングで、ボンネット/ドア/ランブルシート開閉と前輪操舵のギミックが付き、エンジンや室内などの細部も良く再現してあります。あまり際立った特長がなく端正な感じのするハドソン車の雰囲気もうまく再現されていると思います。 以下はフロント/前輪操舵の画像とリア/ランブルシート(補助席)開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

HUDSON 1
HUDSON 2

 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HUDSON 1

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PIERCE ARROW MODEL B ROADSTER 1930 USA

PIERCE ARROW MODEL B ROADSTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PIERCE ARROW MODEL B ROADSTER


SIGNATURE 32329 1/32 全長 155mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5m エンジン 変速機: 8気筒 6L 125HP 3段変速
性能: 最高速136km/h  データーベースでピアス アローのミニカー検索

ピアス アロー モデル B ロードスター アメリカ 1930年

 

 ピアス アロー社の前身は家庭用品(鳥籠が有名)を製造する会社で、1890年代から自転車/バイクの製造を始め、1901年からは自動車製造にも進出しました。最初の自動車はド ディオン ブートン製の単気筒エンジンを搭載した2シーターの小型車でした。1903年に2気筒エンジン搭載のアローを発表し、1904年には自社開発した4気筒エンジンを搭載した高級車グレートアローを発表しました。グレートアローはアメリカで開催された耐久イベントに優勝し信頼性の高さが知られるようになり、同社は高級車製造に専念することになりました。

 

 1908年にピアス アロー社と改名し、1910年以降は6気筒エンジン搭載車だけを製造するようになりました。ピアス アローは当時の最高級車としてウィリアム タフト第27代アメリカ大統領の公用車に使われるなど富裕層に愛用されました。しかし1920年代になるとモデルの旧態化で採算が悪化しました。そこで1924年に廉価版の80シリーズを発売して挽回を図りましたが、結局1928年にスチュードベーカー社に吸収合併されました。1929年にそれまでの6気筒エンジンを止めて8気筒3LエンジンとV型12気筒6.5L/7Lエンジンを搭載したモデルが登場し、スチュードベーカーのディーラー網が使えるようになったことで売上げは改善されました。その後世界恐慌の影響でスチュードベーカーの業績が悪化し、1933年にスチュードベーカーはピアス アローを売却しました。

 

 

 ミニカーはシグネチャー製で2006年に発売されました。シグネチュアーの1/32のクラシックカーのシリーズの1台で、当時の定価は約3500円ほどと比較的安価ながら、マニア向けの本格的な出来ばえに仕上げてありました。1930年に登場したタイプA/B/Cという3タイプのモデルのタイプ B ロードスターをモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。フロントグリル、灯火類、室内などの細部も結構リアルに再現されていて、特にフロントグリル上にあるマスコット(車名にちなんだ弓矢を構えた人物像)と、同社がその配置を特許化し外観上の最大の特徴としていたフロントフェンダー上に配置したヘッドライトもリアルです。またボンネットが開閉できエンジンや床下部分のドライブトレーンも再現され前輪は操舵可能になっています。ピアス アローは1930年代の有名な高級車メーカーでしたが、同社で一番よく知られているシルバー アロー以外でミニカーとしてモデル化されたのはこのシグネチャー製のタイプ Bとブルックリン(ホワイトメタル製)の1601 1936年ぐらいしかないようです。(なお最近の新興ブランドでESVAL MODELS(レジン製)が数種類をモデル化していますが) その為このミニカーはピアス アローのミニカーとして貴重な存在です。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リア(折畳み補助席の開閉動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PIERCE ARROW MODEL B 1
PIERCE ARROW MODEL B 2

 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と床下部分(前輪操舵動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PIERCE ARROW MODEL B 3
PIERCE ARROW MODEL B 4

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