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マトラ ジェット 6 フランス 1965年
若き技術者シャルル ドイッチェ(Charles Deutsch)とルネ ボネ(Rene Bonnet)が戦前に興したDB(Deutsch-Bonnet)社はシトロエンをベースにしたレースカーを開発していました。戦後の1950年代にパナールをベースにして開発したDB パナールがルマンで活躍するなどして、DB社はスポーツカーメーカーとしての地位を築きつつありました。(実車画像→ DB パナール HBR 1955) 1962年にシャルル ドイッチェがDB社から離れ、DB社はルネ ボネ社に改名し、パナールのエンジンを搭載した車の開発を続けました。そのルネ ボネ社を軍事用ミサイルメーカーのマトラ社が買い取って、1964年に自動車部門として設立させたのがマトラ スポーツ社でした。
マトラ スポーツ社はルネ ボネ社が1963年に市販した世界初の市販ミドシップエンジン搭載車ジェットの細部を変更して、マトラ ジェットとして1965年に登場させました。ボディはFRP製で、ルノー 8用の4気筒1.1L(70HP)エンジンを搭載し最高速170km/hのジェット 5からルノー 8 ゴルディーニ用の4気筒1.3L(105HP)エンジンを搭載した最高速200km/hのジェット 6など数種類のチューンがありました。高価格で実用性が低かったので商業的には失敗作でしたが、高度な内容を持つ車でした。1967年に後継車のマトラ M530が登場しました。
ミニカーは1970年代に発売されたフランスのMINIALUXE製です。(発音が違うかもしれませんが、MINIALUXEはミニオールと呼んでします) ミニオールは1950年代から1970年代後半までプラスチック製のミニカーを製造していました。クラシックカーのTACOTSシリーズとフランス車を中心とした当時物の現代車シリーズがありました。(参照ページ→ ミニオールのクラシックカー ミニカー一覧) これは現代車シリーズの一台で、プラスチック製です。プラスチックの経年変化によるボディの変形は気になるほどではないですが、合成ゴムのタイヤに添加された可塑剤でホイールが溶ける問題が発生しています。溶けたホイールがやや見苦しいですが、実車のダイナミックなボディが良く再現されていて当時物ミニカーとしては良い出来ばえでした。これ以外のマトラ ジェットのミニカーはイクソ系のノスタルジー、ビザール(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マトラ M530 フランス 1967年
前述したマトラ ジェットの後継車としてマトラ M530 (初期型530A)が1967年に登場しました。M530はマトラ社自身が設計した車で、レース仕様で実用性の低かったジェットより一般向けの仕様となっていて廉価で仕上げていました。ミッドシップエンジン搭載のレイアウトは同じでしたが、2+2座とリアのトランクで実用性を高めていました。ドイツ フォードの前輪駆動車15M用のV型4気筒1.7L(72HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速172km/hの性能でした。
航空機メーカーがデザインしただけあってFRP製ボディは空力的でユニークなデザインで、ルーフは脱着してトランクに収納できました。本格派スポーツカーとしてはやや物足りない性能ながら、ユニークなスタイルとライバルのアルピーヌ ルノーより安価であったことで商業的に成功しました。 1970年にエンジンを78HPにパワーアップし、リアウィンドーをハッチバックに変更した530LXが追加されました。1971年にはルーフを固定式にしてヘッドライトも固定式とした廉価版530SXが追加されました。1973年に生産中止となり総生産台数は約9600台でした。後継車は1973年に登場したバゲーラでした。(実車画像→ マトラ 530SX)
ミニカーは1967年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。ディンキー(仏)らしいスケールモデル的なリアルな造形で、ユニークなボディが実にうまく再現され、とても良く出来ていました。フロントパネル/ドアが開閉するギミック付きで、この車の特徴であるリトラクタブルヘッドライト開閉とルーフ脱着もギミックで再現していました。これ以外のマトラ M530のミニカーは、ノレブの当時物(プラスチック製)、メルクリンの当時物があり、当時物以外ではビザール(レジン製)のレース仕様やフランス?のミニカー付雑誌「Voitures Fran?aises d'Autrefois」のNo.12などがあります。なおM530をベースにしたコンセプトカー マトラ M530 ビニャーレをメーベトイとポリトーイがモデル化していました。 以下はフロント(ヘッドライト開閉)/フロントパネルを開いた画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マトラ スポーツ MS630 フランス 1969年
マトラはモータースポーツを担当するマトラ スポール(スポーツ)を1964年に設立し、フォーミュラカーとプロトタイプスポーツカーのレースに参戦しました。フォーミュラカーではまずF3にMS1で参戦しすぐにF3選手権を制覇し、F2でもMS7などでヨーロッパ選手権を制覇しました。(実車画像→ マトラ MS7 1967)
1968年から自社製V型12気筒3Lエンジンを搭載するワークスのMS11とフォード コスワース DFV エンジンを搭載するセミワークスのMS10でF1に参戦しました。MS10はJ.スチュアートのドライブでオランダGPでのF1初優勝を含めて3勝し、上位陣として活躍しました。1969年はセミワークスのみの参戦でしたが、11戦で6勝する圧勝で、J.スチュアートのドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンの2冠を獲得しました。
データーベースでマトラ MSのミニカー検索
1969年末にマトラは経営難からクライスラー傘下のシムカと合併し、社名をマトラ シムカに変更しました。これでフォード エンジンが使えなくなり、セミワークスだったマトラ インターナショナルはマトラから独立してティレルとなりました。またワークスは1970年にF1に復帰しますが、成績が振るわず1972年にF1から撤退しました。 ルマン制覇を目標にしたプロトタイプスポーツカーレースでは、BRM製V型8気筒2Lエンジンを搭載するMS620で1966年から参戦しました。その後1967年にMS630、1968年に自社製V型12気筒3Lエンジン搭載のMS650に発展し1969年ルマンでは4位入賞しました。1970年にMS660に発展し、1972年に登場したMS670はルマンで初優勝し、その後1974年までルマンを3連覇しました。1973年と1974年はメイクスチャンピオンにもなりましたが、1974年をもってマトラはワークス活動から撤退し、技術陣の多くはリジェに移籍しました。
ミニカーは1970年に発売されたポリトーイ製Mシリーズの当時物です。これはオークションで入手した物で、貼られていたゼッケンの一部が剥がされていました。MS630は好成績を残したわけではないので、どのレース仕様をモデル化しているのかは分かりませんが、ロングテールなのでルマン仕様でしょう。実車の平べったいイメージがやや誇張されていますが、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。フロンパネル/ドア/リアパネルが開閉するギミック付きです。Mシリーズの後期物ですので初期物ほど凝っていませんが、エンジンが立体的に再現されています。ポリトーイはMS660もモデル化していました。それ以外の当時物ではソリドのMS10 F1やMS650やMS670などがありました。最近のものでは、イクソのMS670とミニチャンプスのMS670に加えてスパークとビザールがF1やスポーツカーを非常に多くモデル化しています。以下はフロント/フロンパネルを開いた画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。エンジンは床下部分まで立体的に再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マトラ シムカ バゲーラ フランス 1973年
マトラは1969年にクライスラー傘下のシムカと提携しました。そこでマトラ M530にフォード製エンジンを使い続けることが難しくなり、後継車のバゲーラが1973年に登場しました。エンジンをミッドシップ搭載したシャーシにFRP製ボディという基本スタイルを踏襲し、デザインは当時のミッドシップスポーツカーの標準的なスタイルとなりました。エンジンはシムカ 1100用の1.3L(84HP)に変わり、4段変速で最高速度180km/hの性能でした。
一般的な2+2座の代わりに3人掛けフロントシートという変わった室内レイアウトを採用していたので、当時としては車幅が広い車でした。(左端のシートがドライバー用) 1975年に1.4L(90HP)エンジンを搭載したバゲーラ Sが追加されました。1976年にフロントグリル、前後バンパー、テールライトなどの意匠が大きく変更されII型となりました。1978年にシムカがクライスラーからプジョー傘下に変わりシムカをタルボに改名した為、車名がタルボ マトラ バゲーラとなりました。1980年に後継車のムレーナが登場し、生産中止となりました。総生産台数は約47000台でした。(実車画像→ タルボ マトラ ムレーナ 1980)
ミニカーは1973年に発売されたソリド製の当時物です。1970年代のソリドのミニカーは当時の一級品でほとんどが素晴らしい出来ばえでした。このバゲーラもプロポーションが正確で、室内などの細部の仕上げもリアルでとても良く出来ていました。ドアとハッチバックが開閉するギミック付きでさらに特徴的なリトラクタブルヘッドライトが可動し、3人掛けフロントシートも再現されています。 これ以外のバゲーラのミニカーはソリドの別ブランドのべレム製、ノレブの当時物、オートピレンの当時物、オートピレンと同じ型を使ったディンキー スペイン製の当時物、最近の物ではデルプラドの世界の名車シリーズ、ノレブの新製品、ホワイトボックス(イクソ系)などがあります。以下はフロント(ヘッドライト開閉)/リアの拡大画像とハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タルボ (シムカ) マトラ ランチョ フランス 1980年
シムカ 1100をベースにした多目的車マトラ シムカ ランチョが1977年に登場しました。見た目は4輪駆動のクロスカントリー車風ですが、中身はシムカ 1100のままでしたので、普通の前輪駆動車で4輪駆動仕様はありませんでした。ボディはマトラ得意のFRP製となっていました。1973年の第1次石油ショックの影響でマトラ社がスポーツカー専業メーカーから方向転換しようとしたモデルだったそうです。1978年にシムカがクライスラーからプジョー傘下になったことで1980年以降はシムカ ブランドが消滅し、タルボ マトラ ランチョと改名され1983年まで生産されました。
その後マトラはこの多目的車のコンセプトを発展させて、1ボックスタイプの乗用車(ミニ バン)を開発しました。マトラはこのミニ バンをルノーと協力して生産することとなり、1984年にルノー エスパスが登場しました。エスパスは新しいコンセプトの車として大ヒットし、今日のミニバンの先駆者となりました。そこでマトラはバゲーラの後継車ムレーナの生産を止めて、エスパスの生産に専念しました。その後2003年にマトラはイタリアのピニンファリーナに売却されて現在は自動車の研究開発を行っているようです。
ミニカーは1981年に発売されたソリド製の当時物です。プロポーションが良く、この一風変わった車を忠実にモデル化していて良く出来ていました。(特にフロント周りとルーフラックはリアル) テールゲートが上下2分割で開閉するギミック付きです。ソリドの別ブランドのべレムでは同じ型を使ったバリエーションがいくつかありました。これ以外の当時物は、コーギーの1/36、メーベトイ、マッチボックス、Bブラーゴの1/24などがありました。最近の物ではノレブなどがあります。以下はフロント/リアの拡大画像とテールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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