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ディムラー ソブリン イギリス 1969年
1896年に設立されたイギリス最古の自動車メーカー ディムラー モーター社は1910年にバーミンガム スモール アームズ(Birmingham Small Arms 略称BSA)社の傘下となり、軍用車の製造を始めました。第1次世界大戦中は世界初の戦車や軍用車の製造を行い、第2次世界大戦中はディムラー ディンゴ 偵察車として知られる装甲車など軍用車の製造を行いました。(実車画像→ ディムラー ディンゴ 偵察車)
第2次世界大戦後に自動車が大量生産されるようになり、手作りで高級車を製造していた自動車メーカーは存続が難しくなりました。高級車以外に軍用車も製造していたものの、ディムラーもその流れには逆らえず、親会社のBSAは1960年にデイムラーをジャガーに売却しました。ジャガーはディムラーのブランド名を存続させることとし、既存のマジェスティックなどはそのまま製造されデイムラーの工場でジャガーの製造もおこなうようになりました。1962年にはジャガー MK IIのデイムラー版としてディムラー製V型8気筒2.5Lエンジンを搭載しラジエターグリルにデイムラー伝統のフルート(縦溝)を刻んだデイムラー 2.5 V8 サルーンが登場しました。
1966年にジャガー 420のディムラー版がディムラー ソブリン 420の名前で登場しました。ソブリンはジャガーと同じ6気筒4.2Lエンジンを搭載していましたので、ジャガー 420とディムラー ソブリン 420はフロントグリルやキャビンが異なる姉妹車となりましたが、車格的にはディムラーの方が高級という格付けでした。1969年にソブリン 420の後継車としてジャガー XJシリーズのディムラー版が登場しました。XJ12と同じ12気筒エンジン搭載車はソブリンではなくダブルシックスという伝統的な名前で1972年に発表され、そのロングホイールベース版のバンデン プラ仕様も追加されました。ジャガー(ディムラーも含む)のセダンはXJシリーズにまとめられ、その後1986年と2003年のモデルチェンジでも独特のスタイルが継承されました。なお1983年からディムラー ソブリンはジャガー XJシリーズの上級グレードとなりジャガー ソブリンに名前が変更されました。
ミニカーは2003年に発売されたコーギー系列のバンガーズ製です。バンガーズはジャガー XJシリーズを20種類ほどモデル化していますが、これはそのバリエーションのディムラー版で数種類の色違いがあります。バンガーズのミニカーはヘッドライトにラインストーンを組み込んだところなど昔のコーギー風の懐かしい作風で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。また作風はレトロですが、エッチングメタル製のワイパーや室内の造形など細部は結構リアルに仕上げてあり、上部にフルート(縦溝)が刻まれたディムラーのフロントグリルもリアルに再現されています。これ以外のソブリンのミニカーはネオ(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ TR6 イギリス 1969年
トライアンフ TR2から続いていた寄り目スタイルのフロントを一新して、近代的デザインのボディとなったTR6が1969年に登場しました。デザインはドイツのカルマン社によるもので、オプション設定でスチール製ハードトップが装着できるようになりました。フロントサスペンションのスタビライザー追加など足回りが強化されて、操縦性が向上していました。エンジンはTR5と同じ燃料噴射式の6気筒2.5L(150HP)でしたが、主たる市場の北米向けは排ガス対策の関係でキャブレター仕様(105HP)でした。
1975年に後継車のTR7が登場し、TR6は1976年に生産中止となりました。TR6はそれまでのTRシリーズとしては一番多く生産されました。総生産台数は約9万2千台でその90%以上が輸出されました。
ミニカーは2003年頃に発売されたソリド製です。フロントの雰囲気や灯火類はそこそこの良い出来ばえなのですが、何故かフロントウィンドーが小さすぎて、ミニカーで一番大事なプロポーションがどうしようもなく悪いです。(キャビンを小さめにするデフォルメは良くありますが、これはやり過ぎです) バリエーションでハードトップ仕様(型番4578)もあり、そちらはプロポーションが多少ましになっていました。なおこの頃のソリドはイタリアのディテールカー(DETAIL CARS)がOEMしたミニカーを販売していて、これもディテールカーの型番351のOEMですので、出来が悪いのはソリドの型職人のせいではなさそうです。これ以外のTR6のミニカーはミニチャンプス、ノレブ、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ 2000 MK II イギリス 1969年
スタンダード社の戦後の主力モデルであったバンガードの後継車として、1963年にトライアンフ 2000/2500が登場しました。ミケロッティのデザインによる斬新なスタイルの乗用車で、モノコックボディや全輪独立サスペンションなどを採用した進歩的な設計の車でした。直列6気筒2L(90HP)/2.5L(132HP)エンジンを搭載し、4段変速(3段AT)で最高速154km/h(2L)の性能でした。1965年にコーチビルダーのカーボディーズ社が架装する5ドア エステートワゴンが追加されました。
1968年にはTR5用の燃料噴射式2.5L(150HP)エンジンを搭載した2.5PIが追加されました。1969年にミケロッティがフロントグリルを一般的なデザインに変更して、2000/2500はMK IIとなりました。MK Iの総生産台数は約12万台でした。1977年にローバー SD1に6気筒エンジンを搭載した廉価版が登場し、その車を後継車としてMK IIは生産中止となりました。MK IIの総生産台数は約20万台でした。MK IIはMK Iに比べるとフロントグリルのデザインに個性がなくなっていましたが、この方が一般受けしたようです。
ミニカーは2003年に発売されたバンガーズ製です。バンガーズはイギリスの老舗コーギーのブランドで、2000年頃から主に昔懐かしいイギリス車をモデル化しています。最近のミニカーなのですが、ラインストーン(ダイヤカットガラス)を使ったヘッドライトや塗装で表現したテールライトなど1960-1970年代のコーギー風のレトロな作風が特徴です。またエッチングパーツのワイパーやユーザーが取り付けるフェンダーミラーが添付されているなど細部にこだわった今風の部分もあります。(昔のコーギーのファンであった私にとって懐かしい感じがして好きなブランドです) この2000 MK IIもそのレトロな作風が功を奏して、実車の雰囲気がうまく感じられる良い出来ばえになっていました。なおMK IIの量産ミニカーはバンガーズの物しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DBS V8 イギリス 1969年
1967年にアストン マーチン DBSが登場しました。それまでの丸みを帯びたレトロなデザインから一気に逆スラントしたフロントグリルを持つ直線的なエッジの効いたモダンなデザインとなりました。ボディは大きく低くなり、特に車幅は1.8mを超えていました。この車用に開発していたV型8気筒エンジンの完成が遅れたため、当初はDB6から引き継いだ6気筒4L(286HP)エンジンを搭載していました。その為車体が重くなった分だけ性能が低下していました。
" 新形のV型8気筒5.4L(320HP)エンジンを搭載したDBS V8が1969年に登場し、この車は最高速261m/hで当時世界最速の4シーター市販車でした。6気筒エンジン搭載のDBSも継続して生産され、最後の70台は2灯式ヘッドライトに変更されエンジンをパワーアップした高性能版ヴァンテージ仕様でした。DBS V8は1972年まで生産され、後継車のV8にモデルチェンジしました。
デヴィッド ブラウンが率いるDBグループは経営危機から、1972年にアストン マーチンの経営権を手放した為、これ以後はDBの名前がついたモデルが無くなりました。なお1990年代のフォード モーター傘下の時代に、デヴィッド ブラウンが役員として戻ったため、1993年のDB7でDBの名前が復活しました。(DBSも2007年にDBS V12で復活しました)
ミニカーは2012年に発売されたミニチャンプス製です。プロポーションが良く、フロントグリル、室内、ホイールなどの細部がリアルで非常に良い出来ばえでした。ミニカーでも一目で幅が広いことが分かりますが、実際に測ってみると車幅42.5㎜と1/43で正確にスケールダウンされていて、デフォルメで幅が広い訳ではありませんでした。またワイヤースポークホイールやフェンダーミラーを付けている点などは時代を感じさせる仕様となっていました。ミニチャンプスは映画「女王陛下の007(1969年)」のDBS ボンドカー仕様もモデル化しています。これ以外のDBSのミニカーは、コーギーのボンドカー仕様 1/36、スパーク(レジン製)、GTスピリット(レジン製)の1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マクラーレン M8B カンナム イギリス 1969年
F1ドライバーであったB.マクラーレン(Bruce McLaren)がマクラーレン レーシング チームを1963年に設立しました。当時のB.マクラーレンはクーパーのドライバーでしたが、クーパーのF1活動に影響しないレースカーの開発/販売などを行ないました。1966年にクーパーから離れ自ら開発したマクラーレン M2BでF1に参戦しました。また1966年からカンナム(CAN-AM:カナディアン アメリカン チャレンジカップ)にもマクラーレン M1Bで参戦しました。(実車画像→ マクラーレン M2B、マクラーレン M1B)
F1ではマクラーレン M7Aが1968年のベルギーGPでF1初優勝し、このシーズンは3勝してコンストラクターとしてロータスに次ぐ2位となりました。1969年シーズンは1勝しコンストラクターの4位となりました。(実車画像→ マクラーレン M7A)
カンナムでは1967年にシボレーのV型8気筒5.9L(525HP)エンジンを搭載したマクラーレン M6Aが登場し、1967年のシリーズ チャンピオンとなりました。(実車画像→ マクラーレン M6A) 1968年にはエンジンを7L(620HP)にパワーアップした改良版のM8Aが登場し、1968年のチャンピオンとなりました。その後M8Aは1969年に大きなリアスポイラーが付いたM8B、1970年の7.6L(680HP)エンジン搭載で低いリアスポイラーの付いたM8D、1971年の8L(740HP)エンジン搭載でボディと一体化したリアスポイラーの付いたM8Fと改良されていきました。なお1970年にはM8Dのテスト走行中にB.マクラーレンが事故死する不幸な出来事がありました。
マクラーレンは1967年から1971年まで5年連続してチャンピオンとなり、この時期がマクラーレンのカンナムでの黄金期でした。当時カンナムといえばオレンジ色のマクラーレンというイメージが広く定着していました。マクラーレンは1972年末にカンナムから撤退し、以後はF1とインディ500に注力することになりました。
ミニカーは1970年に発売されたソリド製の当時物です。50年以上も前に作られたミニカーですが、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。コクピット背後にはV型8気筒エンジンの吸気パイプが再現されています。当時のミニカーは左側面が見える透明フィルム窓付き紙箱に入れて販売されていたので、左側面だけはデカールが最初から貼ってありました。残りのデカールは箱に添付されているので自分で貼るのですが、これは貼っていません。これ以外のM6/M8の当時物ミニカーとしては、ディンキー、ポリトーイ、メーベトイなどがあります。当時物以外ではミニチャンプス、GMP、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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