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三菱 ミラージュ 日本 1978年
1978年に三菱初の前輪駆動車として登場したミラージュは、販売チャンネルとしてカープラザ店が新設されるなど三菱の威信をかけた戦略車でした。当時増えつつあったハッチバック車の中でも群を抜くあか抜けたデザインに加えて、全輪独立懸架サスペンションや副変速機を設けた8段変速機など意欲的な設計がされていました。
4気筒1.2L/1.4L(82HP)エンジンを横置搭載し、最高速148km/h(1.4L)の性能でした。当初は3ドアだけでしたが、1978年にはホイールベースの長い5ドアも設定されました。1979年にAT仕様と1.6L(88HP)エンジン搭載のスポーツ仕様 1600GTが追加されました。
1982年のマイナーチェンジで、角形ヘッドライトのスラントノーズを採用し、ミラージュ IIとなりました。その際にトランクを追加して3ボックス化した4ドアセダンや高性能な1.4Lターボ仕様(105HP)が追加されました。同じ年に4ドアセダンの姉妹車であるランサー フィオーレや、シャーシを流用したトレディア/コルディアも登場しました。1983年にミラージュ 2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ 三菱 ミラージュ 1983)
ミニカーは1978年に発売されたダイヤペット製の当時物です。縮尺1/25と中途半端なサイズですが、もともと実車販促用ノベルティとして作られたものでしたので、全体的な出来ばえはかなり良いです。(ただヘッドライトが小さいのが惜しい これは横幅を広く見せる為の意図的なデフォルメかも?) サイズが大きいので、室内も良く再現されていて、リアシートのシートバックが倒れるといったことまで再現されています。後にサイドのシールを張り替えてミラージュ II ターボとしても販売されました。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きです。人気があった車でしたが、何故かこれ以外のミニカーはミニチャンプスがモデル化した輸出仕様のコルトぐらいしかありませんでした。2021年になってハイストーリー(レジン製)が前期型、後期型(ミラージュ II)をモデル化しました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/リアハッチ開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ プレリュード 日本 1978年
ホンダの高級スペシャリティカーとしてプレリュードが1978年に登場しました。ノッチバックのクーペスタイルはシビック、アコードの流れを発展させたなかなか良いデザインでした。アコード用の4気筒1.8L(90HP)を搭載し、5段変速/ホンダマチック2段自動変速で最高速154km/hの性能でした。あまり高性能ではなかったですが、前輪駆動車ながら操縦性は優れていたそうです。スピードメーターとタコメーターが同心となった集中ターゲットメーター、日本車初の電動サンルーフ、ABS、4WSなど先進的な装備を採用していました。
1979年にホンダマチック(自動変速機)が2段から3段となりました。1980年のマイナーチェンジでエンジンが触媒付のCVCC II (97HP)にパワーアップし、ガラスサンルーフ仕様が設定されました。1982年にプレリュード 2代目にモデルチェンジしました。総生産台数は約31万台で、生産台数の8割が輸出されたそうで、国内よりも海外で高く評価された車でした。
ミニカーは1979年に発売されたダイヤペット製の当時物です。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されています。またバンパーやボンネット上のダクトなど細かいところも良く仕上げてあり、当時のダイヤペットの秀作のひとつでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミックに加えて、サンルーフも開閉します。プレリュード 初代の国産ミニカーは現在(2022年)でもこれしか無いようです。(トミカもモデル化していません) 国産以外ではイギリスの老舗コーギーの当時物 1/36と最近の物ではネオ(NEO レジン製)の1/43と1/87があります。海外のミニカーメーカーでモデル化されたということは、海外でのプレリュード 初代の評価が高かったことを反映していると思います。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルーム画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ダイハツ シャレード クーペ XTE (G10) 日本 1978年
小型車ダイハツ コンソルテの後継車として、シャレードが1977年に登場しました。コンソルテはトヨタ パブリカの姉妹車でしたが、シャレードはダイハツが独自開発したダイハツ初の前輪駆動方式の小型車でした。欧州では主流となっていた小型車の前輪駆動化の流れに沿った、国産小型車としては先進的な設計でした。当初は5ドアハッチバックだけでしたが1978年に3ドア クーペが追加されました。シャレードとは仏語で「謎解き」や「ジェスチャーゲーム」の意ですが、3ドアの丸窓など仏語の名前に似合ったしゃれたデザインでした。
当時は珍しかった3気筒1L(55HP)エンジンを横置き搭載しており、3気筒エンジンはその後の軽/小型車では主流のエンジンとなっていきました。前輪駆動を採用したことと高めの車高で小型車ながらも広い車内を実現していました。軽自動車並みの価格で性能も優れていたのでシャレードは大ヒットしました。1977年の日本 カー オブ ザ イヤーを受賞しています。1980年のマイナーチェンジで角形2灯式ヘッドランプを採用しリアライトの意匠を変更しました。同時に60HPにパワーアップしたエンジン、2段自動変速機仕様を追加しました。1983年にシャレード 2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ダイハツ シャレード 1983)
ミニカーは1979年に発売されたダイアペット製の当時物です。シャレードの3ドアクーペ XTE(上級仕様)をモデル化しています。ダイヤペットの標準縮尺の1/40ではなく、1/35でできていますの少し大き目のサイズです。ダイヤペットの協力工場のなかで造形センスの良い12番工場(製造委託先)製で、実車の雰囲気がうまく再現されています。灯火類や室内など細部の仕上げも良く、当時のミニカーとしてはかなりレベルの高い出来ばえとなっています。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するフルギミック付きです。なおこのミニカーは実車の販促用ノベルティとしても使われたと思われます。これ以外のシャレード 初代のミニカーは2023年現在でも国産名車コレクション製の5ドアとその型を使った色違いのFIRST43のものしかありません。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/テールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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童夢 零 (ゼロ) 日本 1978年
レーシングカー コンストラクターとして活動していた林みのる氏がスポーツカー開発プロジェクトを1975年に立ち上げ、当時の業界を代表する一流のメンバーが参加して開発されたのが童夢 零でした。1978年のジュネーヴ モーターショーで日本初のスーパーカー 童夢 零が公開されました。日本の無名メーカーが発表した車ながらその意欲的なデザインが評判となり、販売価格が公表されていないのに購入予約があったそうです。
「世界一車高が低い車」という開発目標でデザインされたボディは、ウエッジシェイプの平面的なデザインで車高は980㎜でした。目標は達成されましたが、さすがにこの車高では室内は狭かったようです。リトラクタブルヘッドライトと前方に立ち上がるシザース式ドアなど当時のスーパーカーの定番アイテムを採用していますが、童夢 零は窓やインテークのグラフィック的な処理などオリジナル性の高いセンスの良いデザインだと思います。
モノコックのシャーシにFRP製ボディ、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン/コイルでした。エンジンは日産のL28型(6気筒2.8L 145HP)をミドシップ搭載していました。ドア後方にある黒いインテーク(左側2個/右側1個)はエンジン冷却用で、同じようなボディデザインのランボルギーニ カウンタック同様にエンジン冷却には苦労したようです。
童夢 零は市販化に向けて各種テストが行われたようですが、国内では運輸省の型式認定取得が難しく、アメリカで型式認定するべくアメリカの法規に合わせた童夢 零 P2が1979年に開発されました。(実車画像→ 童夢 零 P2) その後プロトタイプ レーシングカー童夢 零 RLによるルマン参戦が決まり、その開発の為に童夢 零の市販化は中止となったようです。ちなみにその後も国産スーパーカー(日産 MID4など)が開発されましたが、1989年のホンダ NSXが最初に市販された国産スーパーカーとなりました。
ミニカーはエブロ製で、2008年に発売されました。エブロは田宮模型の設計者が興したMMP社のブランドで、新旧の国産車を中心にモデル化しています。この童夢 零はプロポーションはもちろん細部もリアルに再現され、とても素晴らしい出来ばえです。特に高精度でスムーズに開閉するリトラクタブルヘッドライトとシザース式ドアの開閉ギミックを付けているのはさすがです。このようなギミックは高度な型設計技術が必要で、どこでも出来るものではありません。ただしドアのヒンジ部分はプラスチック製で強度がないので、開閉を行う際には注意が必要です。 以下はフロント(リトラクタブルヘッドライト開閉)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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カートランスポーター ダイヤペット 日本 1978?年
キャリアカー(又はカートランスポーター)とは車を運ぶトラックのことですが、単に荷台に車を載せられるだけではキャリアカーと呼びません。荷台に車両を積載する専用設備が備えられているものがキャリアカーで、ベルトやワイヤーで荷台に車を簡易的に固定しただけではキャリアカーと呼びません。キャリアカーの用途は新車および中古車の商品車輸送と個人の車の輸送で、主に軽自動車から2トンクラスのトラックまでが対象です。なお1台しか車を載せられないトラックでも、専用の積載用設備を備えていればキャリアカーと呼びます。(自動車ディーラのサービスカーやJAFのロードサービスカーなどが該当します)
車を積載する方法としては昇降用のテールゲートリフターを使うものや、荷台を斜めに傾けて荷台後部にスローブ(道板)を渡して荷台まで自走させるものがあります。(なお自走できない場合はウインチで引き上げます) 荷台を傾ける方法としては荷台そのものに昇降機能がある物と、トラック車体全体を油圧ジャッキで持ち上げる物があります。荷台上には輪止めが備えてあり、車輪を固定するようになっています。
ミニカーは1978年に発売されたダイヤペット製です。上下2段の荷台を持つ大型カートランスポーターをモデル化しています。トラクターはアメリカのCOE(CAB OVER ENGINE)型トラクターに似せてありますが、このように小さなフロントウィンドーを持つトラクターが見当たりませんので、このトラクターはダイヤペットの創作のようです。(トラクターの後方の箱はスリーパー(居住兼寝室)を再現しています。全長420㎜/重さ1.4㎏の大きなミニカーで、1/40サイズのミニカーが5台積載できます。トラクターが創作とはいえ、いかにも実在するカートランスポーターらしいリアルな造形で迫力があるので、あまり商用車を買わない私も思わず買ってしまいました。(当時の定価は3800円で、これは当時のダイヤペット4台分ほどで内容から考えると割安でした) トラクターとトレーラーとの連結は実車同様にトラクター後部のカプラーにトレーラー前部のキングピンをスライドさせて接続する方式となっています。連結はキングピンを押し込むだけで、分離はトラクター側の脱着レバーを押してロックを外します。ドアとキャブが開閉できるギミック付きで、キャブの下にはエンジンが再現されています。また前輪が操舵できるようにもなっています。以下はトラクターの拡大画像(前輪操舵ギミック)とキャブを開いたエンジンルーム/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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