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フォルクスワーゲン ゴルフ I ドイツ 1974年
フォルクスワーゲン新世代車の本命であるビートルの後継車ゴルフが1974年に登場しました。台形のシルエットで背が高い独特なスタイルはイタルデザインのG.ジウジアーロのデザインで、コンパクトながらも広い室内を実現していました。このゴルフという名前はスポーツのゴルフの意とメキシコ湾流(による季節風)の意もあるそうです。ちなみに先に登場した新世代車でパサートは貿易風、シロッコは季節風の名前です。
パサートと同じ4気筒エンジンを使っていましたが、縦置きから横置き搭載に変更した前輪駆動方式もコンパクトな外形寸法を可能にしていました。当初のエンジンは1.1L(50HP)と1.5L(70HP)の2つでしたが、後に1.3L(60HP)、高性能版1.6L(82HP)、経済版ディーゼル1.5L(50HP)などが追加されました。1976年に追加された高性能版GTiは、燃料噴射式1.6L(110hp)のハイパワーエンジンと硬められたサスペンションで、最高速180km/hの本格的なスポーツ仕様でした。1979年にはカルマン製のカブリオレが設定されました。バリエーションとして北米向けのラビット(RABBIT:ウサギの意)、3ボックス セダンのジェッタがありました。
ゴルフは大ヒットし1977年には生産累計100万台を達成し、1979年には年間生産台数66万台でトヨタ カローラを抜いて量産車世界一にもなりました。1984年にゴルフ 2代目にモデルチェンジし、総生産台数は約600万台でした。ゴルフはその後の他社の小型車設計に多大な影響を与えた傑作車でした。
ミニカーは1974年に発売されたシュコー製の当時物です。これも前述したシュコーの新しい1/43シリーズの1台でした。プロポーションが正確なシャープな造形で、当時物ミニカーとしてとても良く出来ていました。ボンネット/ドア/ハッチバックの開閉ギミック付きで、エンジンも当時のミニカーとしてはリアルに再現されていました。ただ当時のシュコーは塗装品質が今一つでした。ゴルフ 初代の当時物ミニカーはガマ、ソリド、マッチボックス、メーベトイ、ポリトーイの1/55と1/25、ノレブのJET CARシリーズなどがありました。当時物以外ではディテールカー、ミニチャンプス、ビテス、ノレブの新作、シュコーの新作、ブレキナの1/87などたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 50 GL ドイツ 1974年
アウディ 50はフォルクスワーゲン ポロの姉妹車で、小型車クラスの市場調査用としてポロに先行して1974年に登場しました。アウディとしては前身のアウトウニオンが併合したNSUの小型車プリンツの後継車という位置づけでもありました。NSUのデザイナーによるシンプルな3ドアハッチバックはポロと同じデザインで、違いはアウディのエンブレムぐらいでした。当初は4気筒1.1L(50HP)エンジンを搭載し、4気筒895cc(40HP)エンジンを搭載するポロより車格が上で、値段もポロより高価でした。
ポロと同じ895ccエンジンや1.3Lエンジンも後に追加されましたが、値段が安いポロのほうが2倍以上多く売れました。フォルクスワーゲン グループとしてアウディ ブランドはもっと上級な車を担うことになったため、アウディ 50は1978年に生産中止となりました。総生産台数は約18万台でした。(同時期にポロは50万台が生産されました)
ミニカーは1970年代に発売されたシュコーの当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。これはアウディ 50をモデル化していますが、実車同様にフォルクスワーゲン ポロのグリルを変えて、アウディ 50に仕立てています。フロントグリルが黒塗装されていてやや見難いですが、グリルにはアウディのエンブレムがついてます。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きで、当時のミニカーとしては良く出来ていました。これ以外の当時物としては、ポリスティルの1/25がありました。当時物以外ではミニチャンプス、ヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン CX フランス 1974年
シトロエン DSの後継車として1974年に登場したのがCXでした。名前は空気抵抗係数を示す記号CXに因んだ物で、その名の通り空力に優れた滑らかなボディにDS譲りのハイドロニューマチックシステムを継承していました。CXは一見ハッチバックに見えますが、後席背後はハッチではなく独立したトランクでした。またリアウインドーが凹面ガラスになっているのもCXの特徴で、空気抵抗を軽減する効果があったそうです。当初のエンジンは4気筒2L(102HP)/2.2L(115HP)で、DSとは異なり横置きされており、5段変速で最高速186km/h(2.2L)の性能でした。1975年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。
1975年にホイールベースを延長した上級仕様のプレステージ、ホイールベースを延長したワゴンのブレークと7人乗りのファミリアーレが追加され、1979年にはセダンにリムジンが追加されました。エンジンは1978年に2.5Lディーゼル、1983年に2.5L、1984年に2.5Lターボ(168HP)が追加されました。(全て4気筒エンジン) 1985年のマイナーチェンジで後期型となり、金属製の前後バンパーが樹脂製に代わり、フロントのデザインや内装が変更されました。1989年に後継車のXMにモデルチェンジしました。総生産台数は約110万台でした。なおシトロエンは経営不振で1974年にプジョーに吸収合併されたので、CXはシトロエン独自設計の最後のモデルでした。
ミニカーは1975年に発売されたソリド製の当時物です。ソリド最盛期のミニカーでしたのでソリドらしいシャープな造形で、CXの特徴的なフロント周りの雰囲気や滑らかなボディがうまく再現され、とても良く出来ていました。ドアが開閉するギミック付きで、室内もそこそこ良く再現されていました。ソリドはブレークもモデル化していて、別ブランドのベレムでもセダンとブレークを数種類モデル化していました。これ以外の当時物ミニカーとしては、スペイン ディンキー、そのスペイン ディンキーと同じ型を使っているオートピレン、ノレブ、マッチボックス、ガマ、ポリスティル(ポリトーイ)の1/25などがありました。当時物以外ではイクソ、ノレブの1/43と1/18、ミニチャンプス、レジン製ではネオ、マトリックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン H (アッシュ) バン フランス 1974年
商用車ながら自動車の歴史上この車を紹介しない訳にはいきません。1947年に登場した商用車 シトロエン Hはシトロエンらしい独創的なデザインで、名前のH(フランス式に発音すると'アッシュ'です)は型式名で、軽荷重用のHZと重荷重用のHY の2タイプがありました。シトロエン十八番の前輪駆動方式で、プラットフォーム型シャーシとトレーリングアーム方式リアサスペンションで、荷室の床は後輪をカバーするだけで完全に平らに出来ました。また車高も高いので、広大な荷室が確保できました。このデザインは後のキャブオーバー型商用車に多大な影響を与えました。
エンジンは当初トラクシオン アヴァン(7/11CV)用の4気筒1.6L/1.9L(58HP)が使われましたが、後に4気筒1.6L/1.9Lディーゼルエンジンも追加されました。標準的なボディーはバンとピックアップの2タイプでした。広大なスペースの荷室は様々なボディを自由に架装でき、各種貨物車をはじめ救急車、消防車、ポリス、レッカー車、ピックアップ トラック、移動販売車、マイクロバスなどたくさんのバリエーションがありました。 フランスでは「豚の鼻」の愛称で呼ばれていました。 1964年のマイナーチェンジで、2分割式のフロントウィンドーが一枚物に代わりフロントグリルのWシェブロンの意匠が変更されました。1974年に後ろ開きのドアが採用されました。1947年から1981年までの長期間生産され、総生産台数は約47万台でした。
ミニカーは1979年に発売されたトミカ ダンディの外国車シリーズです。ドアが後ろ開きになっているので、1974年以降の後期型をモデル化しています。プロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されていました。両側スライドドアとテールゲートが開閉するギミック付きです。これ以外にもパトカーや各種販促品などバリエーションがたくさんあり、カドーのブランドでも販売されました。当時物ミニカーとしては、CIJ、JRD、ディンキー(仏)などのレアな当時物や、マッチボックスのYTFシリーズ、エリゴール、ノレブ(1/43、1/18)、ソリド(1/43、1/18)、ブッシュ(1/87)などたくさんモデル化されています。また変わり種としてルパン 3世の秘密兵器仕様のH トラックをポピーがモデル化していてこれも結構面白いです。(参照ページ→ シトロエン H ルパン 3世 ギミックのページ) 以下はフロント/リアの拡大画像とテールゲートの開閉動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 131 ミラフィオーリ イタリア 1974年
1974年にフィアット 124の後継車としてフィアット 131が登場しました。サブネームのミラフィオーリとはトリノのフィアット生産工場があった地名にちなんだものでした。124は平凡な設計ながらスポーティな味付けの車でしたが、131はごくオーソドックスな乗用車に変わりました。124に装備していた4輪ディスクブレーキは後輪がドラム式に代わり、クーペやスパイダーの設定は無くなり代わりに2ドアセダンが設定されました。ボディはシンプルなセダン スタイルで、エンジンは4気筒1.3L(65HP)と1.6L(75HP)の2種類、1.6L搭載車は丸型4灯式ヘッドライト、1.3L搭載車は角形2灯式ヘッドライトとなっていました。
フィアット 131は1978年のマイナーチェンジで、大型の角形2灯式ヘッドライトを採用し内装などが高級な物に変わりました。また4ドア版にエンジンをDOHC化した高性能版のスーパーミラフィオーリが追加され、2ドア版にはフィアット 132用のDOHCエンジン(2L 115HP)を搭載したレーシング(最高速180km/h)が追加されてスポーティさも加わりました。131は大衆車として大成功し、1983年に登場した前輪駆動のレガータを後継車として生産中止となりました。総生産台数は約150万台でした。
ミニカーは1975年に発売されたメーベトイ(マテル)製の当時物です。この当時はミニカーの簡素化(コストダウン)が進められていた時期でしたので、この131もコレクションの対象として見ることは出来ますが、あまり良くない出来ばえでした。プロポーションは良いのですが、バンパーと一体化したヘッドライトのフロントグリル造形や、安っぽいホイールなどがいただけません。ただし当時の廉価版ミニカーはほとんどがこんな感じでした。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとブレーク、ポリトーイの1/25と1/43、Bブラーゴの1/24などがありました。当時物以外ではスターライン、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)