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メルセデス ベンツ 220SE (W111) ドイツ 1959年
現在のメルセデス ベンツ Sクラスに相当するメルセデス ベンツ 220SE (W128)の後継車として、220SE(W111)が1959年に登場しました。ボディは一回り大きくなり縦型ヘッドライトが採用された直線的なデザインになりました。当時のアメリカ車の流行を取り入れてリアフェンダーに小さなテールフィンがついていましたので、俗に「羽ベンツ」と呼ばれました。エンジンは6気筒2.2L(95-120HP)で、220SE(120HP)はボッシュの機械式燃料噴射方式でした。当初は4ドアセダンだけで、1961年に2ドアクーペ/カブリオレが追加されました。
1961年に上級車300 (W189)の6気筒3L(160HP)エンジンを搭載した300SE (W112)が登場しました。W111と同じボディでしたが飾りのクロームモールが増え、エアサスペンション、パワーステアリング、自動変速機が標準装備されました。1962年に300SEにもクーペ/カブリオレが追加されました。1963年にはボディを100mm長くした300SE ラング(LANG:LONGの意)が富裕層向けの最上級車として追加されました。このモデルは後に正式な名前が300SELとなり、この300SELがその後のSELシリーズの初代となりました。1965年にW111/W112の後継車のW108/W109が登場したことで、W112は生産中止となり、W111はセダンのみがエンジンを2.3L(120HP)に変更した後期型となり1968年まで生産されました。W111の総生産台数は約3万台でした。
ミニカーは1996年頃に発売されたビテス製です。ビテスが倒産する数年前の一番出来の良かった頃のミニカーです。プロポーションが良く特徴的なテールフィンもうまく表現されていました。フロントグリルや灯火類、彩色された室内などの細部もリアルに再現されていてとても良く出来ていました。ちょっと変わった位置についているフェンダーミラーも実車に忠実でした。220SE(W111)のセダンの当時物ミニカーは、JRD、テクノ、ジク、ディンキー、ガマ、ノレブ(プラスチック)、ダイヤペットなどがあり、最近の物ではイクソ、ヴィーキングなどでモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)











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BMW 700 クーペ スポーツ ドイツ 1959年
BMW イセッタ 250のサイズを拡大した600の販売が芳しくなかった為、600をベースにして一般的な乗用車スタイルに変更した700が1959年に登場しました。モーターサイクス用の空冷水平対向2気筒697ccエンジン(30HP)をリアに搭載し、後輪を駆動するのは600と同じ構成でした。ただしこの車はミケロッティがデザインしたスポーティなスタイルのスチール製モノコックボディを採用していました。4/5人乗りの2ドアセダンに加えてバウアー製の2ドアクーペ/コンバーチブルがありました。
600kgの軽量ボディのため、700の最高速は120km/hでこのクラスでは高性能でした。またクーペ/コンバーチブルに設定された高性能版700 スポーツ(最高速135km/h)には40HPにチューンされたエンジンが搭載されました。1962年にはホイールベースが延長された700 LSが追加されました。700シリーズの販売は好調で1965年まで生産され、総生産台数は約19万台でした。また700は1960年のドイツ ヒルクライム選手権で優勝するなど、各種レースでも活躍しました。700の後継車はなく、その後のBMWは上級小型車(1500から始まった新シリーズ)に軸足を移しました。
ミニカーは2005年に発売されたミニチャンプス製です。高性能版の700 クーペ スポーツをモデル化しています。ミニチャンプスらしいそつのない造形で実車の雰囲気がうまく再現されていました。リアエンジン車なのでフロントグリルがないすっきりしたデザインのフロントの造形や室内もリアルに再現されていました。ミニチャンプスはセダン、クーペ、カブリオレと全タイプをモデル化していました。 700のミニカーは当時物ではガマ、ジク(SIKU)、ノレブ(プラスチック製)、当時物以外ではヘルパの1/87、オートアートの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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NSU (エヌ エス ウー) スポーツ プリンツ ドイツ 1959年
NSU (エヌ エス ウー)社のNSUとは、所在地のNeckarsulmer(ネッカーズルム)に因んだ名前で、20世紀初頭から小型車を生産していました。第2次大戦前にはバイク製造に軸足を移し、軍用の無限軌道バイクとして有名なケッテンクラートはNSU社の製品でした。(実車画像→ NSU ケッテンクラート) 戦後の1958年に自動車製造を再開し、プリンツを発表しました。プリンツは空冷2気筒583cc (20HP)エンジンをリアに搭載した全長3.2m程の4座席の小型車でした。(実車画像→ NSU プリンツ)
1959年にNSU プリンツのスポーツ仕様として追加されたのがスポーツ プリンツでした。スポーツ プリンツはスタイリッシュなボディの2+2座クーペで、デザインは1953年に公開されたコンセプトカー アルファ ロメオ B.A.T.をデザインしたフランコ スカリオーネが行いました。エンジンはプリンツと同じでしたので、性能的には最高速120km/hとプリンツ セダンと大差ありませんが、見た目はかっこ良かったのだとと思います。 (実車画像→ アルファ ロメオ B.A.T.)
同時期に販売されていた同じような性格のフォルクスワーゲン カルマン ギア クーペの半額という低価格で人気があったようです。1967年の生産中止までに約2万台が販売されました。1964年にこの車をベースにして、世界初のロータリーエンジン搭載車であるNSU スパイダーが誕生しました。
ミニカーは1963年に発売されたコーギー製の当時物です。1960年代のミニカーですから、灯火類やバンパーを銀色塗装処理した素朴な造形です。素朴な造形ながらプロポーションが正確で実車の雰囲気がうまく再現され、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。なお1950年代のミニカーは室内の再現がなく内部はがらんどうでしたが、1960年代になると室内が再現されるようになりました。このコーギーのスポーツ プリンツは室内にシートとステアリングホイールを再現してあり、さらにスプリング サスペンションのギミック(車軸が板ばえで支えられていて実車のように上下動する)が付いていました。スポーツ プリンツの当時物ミニカーはこれしかないようで、当時物以外ではヘルパの1/87、ミニチャンプスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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シトロエン ID 19 モンテ カルロ フランス 1959年
優れた乗用車であったシトロエン DS/IDは大柄のボディに非力な4気筒エンジンを積んでいたので高性能とは言えず、モータースポーツには無関係の車のように思えました。しかしDS/IDはその優れた操縦性を生かしてラリーでも活躍しています。1956年からプライベータがモンテ カルロ ラリーに参戦しており、1959年にはID 19が総合優勝しています。当時のラリーはまだ市販車そのままの車が活躍できる状況だったのです。
1960年からワークスがDS 19で参戦するようになり、1961年のコルシカ ラリーや1962年の1000湖ラリーで優勝するなど活躍していました。1966年にはパワーアップしたDS 21が投入され、モンテ カルロ ラリーで優勝しています。なおこの勝利は1-3位で完走したミニ クーパーが失格になったことで、4位からの繰り上げ優勝でした。その後も動力性能よりも耐久性が重視されるサファリ ラリーなどに参戦していました。1969年にはホイールベースを短縮して軽量化したラリー専用のDS 21が開発され、この車は1969年と1970年のモロッコ ラリーで優勝しました。(実車画像→ シトロエン DS21 ラリー専用車 )
ミニカーは1992年に発売されたリオ製です。1959年モンテ カルロ ラリー優勝車をモデル化しています。実車に即したカラーリングで補助灯が付いていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。リオはこれ以外にもDS 19のミッレ ミリア、DS 21のモンテ カルロ、DS 21のサファリ、DS 21のモロッコ ラリーなど約20種類のレース仕様車をモデル化しています。リオ以外ではモンテ カルロやサファリ ラリー仕様車のDSをビテスなどがモデル化しています。なお当時物ミニカーとしてはコーギーの1965年モンテ カルロ ラリー仕様車だけしかないようで、これはかなりのレア物でした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シムカ アロンド スポーツ オセアーヌ (オーシャン) フランス 1959年
前述したシムカ 8のクーペ仕様として、シムカ 8 スポーツが1948年に登場しました。全長約4mの2シーターのクーペ/カブリオレで、デザインはピニンファリーナでした。製造はピニンファリーナから派遣された作業者が行ったそうです。当初は4気筒1.1L(32HP)エンジンを搭載していましたが、1951年からアロンドと同じ1.2L(50HP)エンジンに変わり4段変速で最高速140km/hの性能でした。1952年にシムカ アロンド 9 スポーツが登場し生産中止となりました。生産台数は約5000台でした。(実車画像→ シムカ 8 スポーツ 1948)
アロンド 9 スポーツは全長約4.26mの2シーターのクーペ(1955年にカブリオレが追加された)で先代と似たようなデザインでしたが、デザインはピニンファリーナではなくコーチビルダーのファセルとシムカの合作でした。50HPにパワーアップしたアロンドの4気筒1.2Lエンジンを搭載し、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1955年まで生産されましたが、生産台数は約1500台でした。(実車画像→ シムカ アロンド 9 スポーツ 1953)
1956年に大きなパノラマ式フロントウィンドーでデザインを一新したクーペのプラン シエル(PLEIN CIEL)とカブリオレのオセアーヌ(OCEANE)が登場しました。このボディはコーチビルダーのファセル製でした。エンジンは1.3L(57HP)に拡大され、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1959年にフロントグリルがアロンド P60とよく似た開口部の大きなデザインに変更されました。1962年まで生産され生産台数は約1.1万台、後継車はシムカ 1000 クーペでした。(実車画像→ シムカ アロンド クーペ プラン シエル 1957)
ミニカーは1959年に発売されたソリド製の当時物です。シムカ アロンド P60と同じようなフロントグリルを持つオセアーヌ 1959年式をモデル化しています。1950年代のミニカーですから素朴な作りでしたが、オセアーヌの魅力的なデザインをうまく再現していて、当時のミニカーとして良く出来ていました。なお本来は女性ドライバーのフィギュアが付いているのですが、これは欠品しています。これ以外のシムカ スポーツのミニカーはノレブ初期のプラスチック製当時物と最近の物、ディンキー(仏)の当時物、ノスタルジーなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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