Sorry Japanese Only
シトロエン DS 19 フランス 1957年
シトロエン 2CV同様その独特のスタイルと独創的な技術で知られるシトロエン DSシリーズは1955年に発表されました。前述したようにシトロエン 2CVは発表会で人々を唖然とさせましたが、DSはその未来的なデザインで人々を圧倒しました。当時宇宙船と称されたボディのデザインは2CVをデザインしたシトロエン社のフラミニオ ベルトーニのデザインでした。グリルのない低く尖ったフロントや後ろにいくほど低く狭まったリアの流線型の造形は当時としては最も進んだ空力設計でした。
シトロエン DSの最大の技術的特徴は油圧と窒素ガスを使ったサスペンション機構を中心としたハイドロニューマチック システム(Hydropneumatic System)でした。このシステムは従来の金属ばねの代わりにエア(窒素ガス)を使ったエアサスペンションで、ダンパー/車高調整を油圧で制御するものでした。このシステムはサスペンションだけではなく、ブレーキとパワステも油圧で制御していました。コンピューターなどなかった時代なので、すべての動作を機械的な油圧で制御していたこのシステムは画期的な物でした。(複雑なシステムでしたので初期故障もあったようですが)
1957年にはシトロエン DSの仕様を簡素化したシトロエン IDが登場しました。IDはサスペンション以外の油圧制御を外し、エンジンがディチューンされていました。シトロエン DS/IDの実車写真を見ると、屋根がボディと異なる色になっている物が多いですが、DS/IDの屋根は薄い色がついたFRP製でした。したがって屋根の色がボディと異なるのは標準仕様だったようです。(ルーフ後端の赤丸は方向指示器です) この種の進歩し過ぎたデザインの車はそのほとんどが商業的には失敗してしますが、DSは発表当日に1万台以上を受注して大成功しています。2CVの成功もそうですが、これはフランスならではのことだと思います。
シトロエンは私の好きな自動車メーカーです。(現在のシトロエンはDSやCXが健在だった頃に比べると、際立った個性がなくなりましたが、これは時代の流れで仕方ないことです) シトロエンのなかでもDSは特に好きな車ですので、ミニカーも結構たくさん持っています。このビテス初期のDSのミニカーは1992年に発売された物なので最近の物ほどリアルではないですが、個人的には好きなミニカーです。プロポーションが良く、灯火類などの細かいところも良く出来ています。室内は1本スポークのステアリングホイールとその奥にあるシフトレバー、インパネから生えているバックミラーが再現されています。(1950年代の昔の車をモデル化したミニカーが、あまりリアル過ぎるのは個人的には少し違和感を感じますので、これぐらいのリアルさが私にとってはちょうど良いのです) これ以外にもビテスはDS/IDを30種類ほどモデル化しています。DS 19の当時物ミニカーとしては、ディンキー、コーギー、ノレブ、JRD、ポリトーイ、ジクなどがありました。当時の主要なミニカーメーカーのほとんどでモデル化されていますので、DS 19の人気が高かったことが分かります。当時物以外ではノレブの1/43と1/18、ビテス、リオ、ソリド、ブッシュの1/87、イクソ、オックスフォードの1/76などたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=596
フィアット 1200 グランビュー (グラン ルーチェ) イタリア 1957年
戦前に登場したフィアット 508Cは戦後にフィアット 1100Eとなり存続していましたが、1953年に1100Eは戦後型の1100/103(ティーポ 103)にモデルチェンジしました。4気筒1.1L(36HP)エンジンはそのままでしたが、ボディは同時期の1400同様にフラッシュサーフェスのモノコックボディが採用され、全体的に丸みのついたオーソドックスなセダンスタイルとなりました。ボディサイズは旧型よりも一回り小さくなり軽量化されましたが、設計技術の進歩で室内空間は広くなりました。当初は前ドアが前開きの4ドアセダンと5ドアワゴンがありました。
1953年に48HPにパワーアップした高性能版の1100 TV(TV:Turismo Veloceとは英語でFast Tourerの意)が追加され、1955年に2ドアコンバーチブル(Trasformabile:トランスフォルマビレとも呼ぶ)が追加されました。1957年には1100 TVの後継車として4気筒1.2L(55HP)エンジンを搭載し、前ドアを一般的な後ろ開きに変更してルーフのデザインを少し変更した1200 グラン ルーチェ(Gran LuceとはFull Light(明るい)の意)が登場しました。1961年にグラン ルーチェは1100シリーズの上級車として1300/1500にモデルチェンジされました。1100シリーズには1962年にドアを後ろ開きに変更し、フロントの意匠を変更した1100Dが登場しました。1966年にボディ前後を小変更した最終型の1100Rが登場し、1969年まで生産されました。後継車は128でした。(実車画像→ フィアット 1100R 1966 )
ミニカーは1959年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。フランス語の車名のグランビュー(Grande Vue)はイタリア語ではGran Luceのことで、フランスに輸出された1200 グラン ルーチェをモデル化しています。60年以上昔に作られたビンテージミニカーで、私の保有するミニカーの中でも古い物です。時代を感じさせるホワイトタイヤが付き、室内はがらんどうの素朴な造形でした。ただしプロポーションは正確で、ルーフ後端を少し突きだしたグラン ルーチェのスタイルがうまく再現されていました。これ以外の戦後型1100/1200の当時物ミニカーはジク(SIKU)の1/60、ポリトーイ初期のプラスチック製 1/41、ノレブ初期のプラスチック製の1100D、メーベトイの1100Rなどがありました。(当時の主なミニカーブランドがモデル化していたので、当時の実車は人気が高かったのでしょう) 当時物以外ではブレキナの1/87、リオの1100TV、スターラインの1100/1100TV/1100Rなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=651
フィアット 500 ノルマーレ イタリア 1957年
第2次大戦で敗戦したイタリアは1950年代になっても経済はまだ完全に回復しておらず、前述したフィアット 600も発売当初は売れ行きが芳しくありませんでした。そこで600をさらに一回り小さくした廉価版として500が開発され1957年に登場しました。この500は戦前型の500と区別する為に、NUOVA(ヌォーヴァ:NEWの意) 500とも呼ばれました。モノコックボディ、リアエンジン、サスペンションなど基本設計は600と同じでしたが、エンジンは空冷2気筒479cc(15HP)となっていました。
NUOVA 500は全長3m程ながらも4人乗りで車重は約500kg、4段変速で最高速度85km/hとまずまずの性能でした。ボディはキャンバストップがエンジンカバーのすぐ上まで開く初期型と屋根の半分だけが開く後期型(1960年以降)の2タイプがあり、開口部のない全閉式の仕様はありませんでした。これは空冷2気筒エンジンの騒音が大きかったので、完全な密閉式に出来なかったとのことです。1959年にエンジン排気量を499㏄(22HP)にパワーアップしたスポーツ仕様のスポルトが追加されました。NUOVA 500は戦前型500を超える大ヒットとなり、これ以後の小型車のお手本になりました。発表後10年以上経った1970年にも年間40万台以上生産されていたのですから、その人気は推して知るべしでした。(1960年以降の後期型についてはフィアット 500Dを参照してください。)
ミニカーは2002年に発売されたブルム製です。これは初期型(500a)のノルマーレ(標準仕様)でキャンバストップを閉じたタイプをモデル化しています。ブルム製のNUOVA 500は全体的な雰囲気がうまく再現されていて、室内などの細部も良く仕上げてありとても良く出来ていました。NUOVA 500の1/43ミニカーとして質と量の両面でベストの出来ばえです。(ただかなり大量に生産しているので、出来上がりのばらつきが多少ありましたが) また色違いやバリエーションを非常にたくさん揃えているところに、NUOVA 500に対するブルムのこだわりを感じることができます。またこのように大量のミニカーを販売していることから、イタリアでのNUOVA 500の人気が高いことも分かります。 ブルム以外のNUOVA 500 初期型の当時物ミニカーはマーキュリーのビンテージ物がありました。当時物以外ではビテス、ソリド、WELLYの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=656
アウトビアンキ ビアンキーナ イタリア 1957年
アウトビアンキ社の前身はビアンキ社で、フィアットと同じ頃に創業したイタリアの老舗自動車メーカでした。当初は主に小型車を作っていました。1930年に8気筒3Lエンジンを搭載するティーポ S8が登場しましたが、あまり売れませんでした。乗用車の販売が不振となり、ビアンキはトラックなどの大型商用車生産に注力しました。第2次大戦後に経営不振となり、1955年に自動車部門はフィアットの資本参加でアウトビアンキ社として独立しました。アウトビアンキはフィアット傘下でプリムラ、パノラミカなどの小型車を生産していましたが、最終的にフィアットに吸収されました。
アウトビアンキが最初に生産した車は1957年に登場したビアンキーナ(小さなビアンキという意)でした。フィアット 500のエンジンとシャーシを使っていましたが、一見しただけではリアエンジンのフィアット 500をベースにしているようには見えませんでした。内外装が豪華に仕立てられフィアット 500の上級版といった位置づけでした。従って最初は高級なオープンカーだけでしたが、後にルーフを拡大した4人乗りセダンのベルリーナ、ステーションワゴンのパノラミカ、ライトバンのフルゴンチーノが追加されました。1964年に後継車のプリムラにモデルチェンジしました。
ミニカーは1998年に発売されたピンコ(PINKO)製です。ビアンキーナで最初に生産されたトランスフォーマビーレ(Trasformabile)と呼ばれるキャンバストップ方式の2座コンバーチブルをモデル化しています。ピンコはイタリアのメーカーで、主にアバルトやMG MGBなどの1950-1960年代のレーシングカーをレジン製の1/43サイズでモデル化していました。このビアンキーナもレジン製の小さなミニカーですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。エッチングメタル製のフロントのエンブレム、小さなフェンダーミラー、室内などの細部も良く仕上げてありました。これ以外のビアンキーナのミニカーはマーキュリーの当時物でトランスフォーマビーレとパノラミカ(どちらも超レア物)、ポリトーイの当時物パノラミカ、最近の物ではプロゲット K、エジソンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=679
アルファ ロメオ ジュリエッタ ベルリーナ TI イタリア 1957年
前述したアルファ ロメオ ジュリエッタ スプリントのセダン仕様のベルリーナ(750型)が1955年に登場しました。ホイールベースはジュリエッタ スプリントと同じでしたが、全長と全高を大きくして5人乗りのキャビンを作り出していました。エンジンは53HPにディチューンされ、最高速は135km/hとなっていました。1957年には65HPにパワーアップした高性能版のベルリーナ TIが追加されました。
1959年にエンジンの改良や外観の変更(フロントグリル意匠変更とテールライトのTI型への統一)が行われ、シリーズ 2(101型)となりました。1961年にもフロントグリルが意匠変更されエンジンがパワーアップ(62HP/74HP)されました。1962年に後継車のジュリアが登場しましたが、ジュリエッタ シリーズは1965年まで生産され、総生産台数は約18万台でした。このジュリエッタ シリーズの大ヒットで、アルファ ロメオはイタリア第2位のメーカーに成長していきました。
ミニカーは1995年に発売されたリオ製です。リオの兄弟会社であったブルム製の1900とよく似た作風で、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。室内などの細部もそこそこ良く再現されていました。これはTI仕様をモデル化しているのでリアに「GIULIETTA TI」のロゴが付き、テールライトの位置が通常のベルリーナとは少し異なっていました。リオはレース仕様やポリス仕様など約40種類のバリエーションを作っています。リオ以外では、ポリトーイのプラスチック製当時物、マーキュリーの当時物、当時物以外では国産名車コレクション(イクソ製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)