ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

BUGATTI T59 1933 FRANCE

BUGATTI T59
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T59


BRUMM R042 1/43 101mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.2m? 全幅約1.63m? エンジン 変速機: DOHC 8気筒 2.9L スーパーチャージャー 250HP 4段変速
性能: 最高速240km/h?  データーベースでブガッティ T51/T54/T59のミニカー検索

ブガッティ T59 フランス 1933年

 

 1920年代の傑作レーシングカー ブガッティ T35の後継車として、T51が1931年に登場しました。T51のエンジンはT35BのOHC 3バルブ8気筒2.3Lスーパーチャージャー(138HP)エンジンをDOHC 2バルブに変えて160-180HPにパワーアップしたものでした。外観的には、T51はT35とほぼ同じでした。1931年に排気量を4.9L(250HP以上)に拡大し、ホイールベースを延長したT54が登場しました。なおT51/T54は単座ではなく助手席の付いた2座のマシンでした。

 

 1934年から始まった750㎏フォーミュラー(現在のF1)に向けて、ブガッティ最後のグランプリカーとなったT59が開発されました。T59は改良したT54のシャーシにDOHC 8気筒2.9Lスーパーチャージャー エンジンを搭載していました。1933年のスペイン GPに参戦し結果は4位とリタイアでした。1934年には排気量を3.2L(250HP)に拡大し、フランスGPで4位となっています。T59は美しいデザインのマシンでしたが、メルセデス ベンツ GPなどの強いドイツ勢に対して総合的な競争力で劣っていました。

 

 

 そこで単座化などでシャーシを軽量化し、T50用の8気筒5Lエンジンをベースとする4.7L(402HP)/4.4L/3L(275HP)エンジンを搭載した改良型T59/50Bが1936年に開発されました。(外観も大幅に変わっていました) ただ基本設計が古いシャーシでは、このハイパワーを生かすことができませんでした。当時のブガッティは財政的に困窮しており、レースの予算は主にT57G(タンク)を有するスポーツカーレースに向けられてました。その為T59はこれ以上改良されることはなく、あまり活躍できませんでした。(実車画像→ ブガッティ T59/50B)

 ミニカーは1981年頃に発売されたブルム製で、T59をモデル化しています。このミニカーがどのレースの参戦車をモデル化しているのかは明確ではないのですが、1933年式となっているのでたぶんスペイン GPに出場した車をモデル化しているのだと思われます。この型番R042は再生産された際には1934年 フランスGP #14(これも実車不明)に変更されました。ブルムの初期のミニカーは時代考証が適当なものが多いです。時代考証は今一つですが、ホイールやインパネのリアルな造形などは1981年当時のミニカーとして良くできていました。ブルムは10種類ほどのバリエーションを作っています。これ以外のT59のミニカーはBブラーゴの1/18などがあります。T51のミニカーはマッチボックスの1/35があり、T54はミニチャンプスのロードスターがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

BUGATTI T59 1
BUGATTI T59 2

 以下は1981年に発売されたブルム製のブガッティ T59 1933 (1/43 型番R041)の画像です。上記のバリエーションで、これはおそらく1933年のフランスGPでリタイアした#4をモデル化しているのだと思われます。上記R042との違いは助手席がカバーされていてホイールがスポークホイールに変えられています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T59 3
BUGATTI T59 4

 以下は1989年に発売されたブルム製のブガッティ T59 1933 (1/43 型番R173)の画像です。これも上記のバリエーションで、リアタイヤがダブルタイヤとなっています。これも実車が不明ですが、たぶんT59を開発していた際のテスト用の車だと思われます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T59 5
BUGATTI T59 6

 以下は1979年に発売されたBブラーゴ製のブガッティ T59 1934 (1/18 型番3005) の画像です。ヘッドライトやフェンダーを装備したストリート仕様をモデル化しています。1/18なので全長約250㎜の大きなサイズのミニカーで、Bブラーゴ製の1/18は大スケールミニカーの先駆けとなったものでした。エンジン/サスペンションやコクピットなどがかなり正確に再現されていて、当時のミニカーとしてはかなりレベルの高い出来ばえでした。(ただ当時の価格は6800円で、高価なミニカーでしたが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T59 7
BUGATTI T59 8

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T59 9
BUGATTI T59 10

 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/前輪操舵ギミックの画像です。ボンネットを固定するベルトは軟質プラスチック製で本物のベルトのように固定できます。前輪操舵ギミックはステアリングホイールと連動しています。なお実車ではボンネット右下にあるロッドが前輪を操舵するのですが、さすがにそこまでリアルには再現されていません。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T59 9
BUGATTI T59 10

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MERCEDES-BENZ W25 1934 GERMANY

MERCEDES-BENZ W25
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES-BENZ W25


SPARK S1039 1/43 ㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.04m 全幅約1.77m エンジン 変速機: DOHC 8気筒 スーパーチャージャー 3.4L 354HP 4段変速
性能: 最高速270km/h以上  データーベースでメルセデス ベンツ W25のミニカー検索

メルセデス ベンツ W25 ドイツ 1934年

 

 自動車の歴史にモータースポーツは欠かせないものですが、現在のF1(フォーミュラ1)のような規格化された車(グランプリカー)によるレースが始まったのは1930年代からです。それ以前にも緩い規格はありましたが、1934年に総重量が750kg以下、ボディ全幅850mm以下という規格(エンジンに関しては無制限 俗称:750㎏フォーミュラ)が決まり、1937年まで適用されました。

 それまでSシリーズでレースを席巻してきたメルセデス ベンツはこの規格に対応する車としてW25を開発します。W25は8気筒3.4Lエンジンを搭載し徹底的な軽量化で重量を750㎏以下に抑え、流線形ボディ、全輪独立サスペンションを採用するなど古典的な設計のSシリーズとは全く異なる画期的な車でした。W25は緒戦から勝利を重ね、1935年には圧倒的な強さをほこり、ドライバーの R.カラッチオラはドライバーズ選手権チャンピオンとなりました。

 

 当時のドイツはヒットラーが率いるナチス党が政権を握っていました。ヒットラーは国威発揚の手段としてモータースポーツを利用することを決め、国策としてメルセデス ベンツとアウトウニオンを援助しました。それゆえ第2次世界大戦前のグランプリレースでドイツ勢は圧倒的な強さを発揮しました。

 

 

 W25のミニカーは最近まで戦前のメルクリン製しかありませんでした。(とてつもないレア物です) それは1980年代に復刻版が作られており、たまにオークションなどに出品されているのは復刻版です。このミニカーは2009年に発売されたスパーク製で、画像はWEBサイトから借用しました。W25のボディはアルミ地肌の銀色ですが、これはプロトタイプをモデル化しているので白色になっています。なおスパークはW25の速度記録車仕様(クローズドルーフ仕様)もモデル化しています。

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AUTO UNION TYPE A 1934 GERMANY

AUTO UNION TYPE A
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE A


MINICHAMPS 5031300313 1/43 ㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.5m 全幅約1.66m エンジン 変速機: V型16気筒 4.36L スーパーチャージャー 295HP 5段変速
性能: 最高速280km/h  データーベースでアウトウニオン タイプ A-Dのミニカー検索

アウトウニオン タイプ A ドイツ 1934年

 

 1932年にホルヒアウディDKW、ヴァンダラーのドイツ民族系4社は協同でアウトウニオン社を結成しました。アウトウニオンは自社を宣伝する為に750㎏フォーミュラ グランプリ(現在のF1グランプリ)に出場することを決めました。またメルセデス ベンツ W25の解説に記載したように当時のドイツ ナチス政権はメルセデス ベンツとアウトウニオンのグランプリレース活動をバックアップしていました。

 アウトウニオンはF.ポルシェ博士(フォルクスワーゲン ビートルの設計者)にレーシングカーの設計を依頼し、博士はV型16気筒エンジンをリアに搭載する世界初のミッドシップエンジン搭載式レーシングカーを設計しました。この車はポルシェ博士の頭文字PをつけてPヴァーゲンと呼ばれ、タイプ Aからタイプ Dがありました。

 

 1934年にホルヒの工場でアウトウニオン タイプ Aが作られました。最初のレースは1934年のドイツのアヴァス GPで3位となりました。その後ドイツ GPで初勝利し、スイス GP 優勝、イタリア GP 準優勝などの成績でした。(メインのドライバーはH.スタック)

 

 

 ミニカーはミニチャンプス製で、アウディの特注品です。画像はアウディのWEBサイトから借用しました。画像で見ただけですが、良く出来ていると思います。これ以外のアウトウニオン タイプ Aのミニカーはシュコーの1/24 組立てキットぐらいしかないようです。

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AUTO UNION TYPE B 1935 GERMANY

AUTO UNION TYPE B
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE B


MINICHAMPS 5031300313 1/43 90㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.92m 全幅約1.69m エンジン 変速機: V型16気筒 4.95L スーパーチャージャー 375HP 5段変速
性能: 最高速290km/h  データーベースでアウトウニオン タイプ A-Dのミニカー検索

アウトウニオン タイプ B ドイツ 1935年

 

 アウトウニオンのレーシングカー タイプ Aは1935年にタイプ Bに変わりました。タイプ Bはエンジン排気量を4.4Lから5Lに拡大して295HPから375HPにパワーアップし、ホイールベースを伸ばしトレッドを広げて操縦性を向上させました。またリアサスペンションがリーフからトーションバーに変更されました。タイプ Aとタイプ Bの外観はほとんど同じに見えますが、タイプ Bはコクピット左側のえぐりが深く左右非対称になっていました。

 

 1935年のGPレースではメルセデス ベンツ W25が圧倒的に強かったので、アウトウニオンはあまり活躍できませんでした。主なレース結果は、ドライバー H.スタックがイタリア GPで優勝 ドイツ GPで2位でした。新しいドライバーとしてB.ローゼマイヤーが参入し、彼はスイス GPでは3位となり、シーズン最後のチェコスロバキア GP (マサリク サーキット)で初優勝しました。なおハイパワーエンジンをリアに搭載するアウトウニオン レーシングカーの操縦はきわめて難かしかったとのことです。

 

 

 ミニカーはミニチャンプス製で、前述したタイプ Aと同じくアウディの特注品で、1935年ドイツGPで2位となった車(ゼッケン #1)をモデル化しています。ミニカーの画像はアウディのWEBサイトから借用しました。同じ物がミニチャンプスの型番410351900で2015年に一般市販されています。これ以外のタイプ Bのミニカーとしては、コクピットやリアタイヤをカバーした流線形の速度記録車をミニチャンプスとブルムがモデル化しています。

 以下は1984年に発売されたブルム製のアウトウニオン タイプ B 速度記録車 #4 (1/43 型番R108)の画像です。1935年にドイツのアウトバーンで速度記録320.267km/hを達成した速度記録車をモデル化しているようですが、実際の速度記録車にはゼッケン #4が付いていないようなのでこれはテスト段階の車なのかもしれません。ボディ全体に空力対策の流線形カバーが付いていますが、後輪のカバーがないタイプもありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 1
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 3
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 4

 以下は1984年に発売された同じブルム製のアウトウニオン タイプ B 速度記録車 #3 (1/43 型番R107)の画像です。上記のバリエーションで、こちらはゼッケン #3で後輪のカバーがないタイプになっています。上記の#4とは前輪ホイールとボディ側面の排気管の取り出し部の形状が少し違っています。(左側面のゼッケンのデカールが剥がれて分かりにくいですが) このゼッケン #3も同時期に速度記録320km/hを達成したそうです。(実車画像→ アウトウニオン タイプ B 速度記録車 #3 1935 ) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 5
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 6


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ALFA ROMEO 16C BIMOTORE 1935 ITALY

ALFA ROMEO 16C BIMOTORE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ALFA ROMEO 16C BIMOTORE


TOPMODEL 071 1/43 101㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.33m 全幅約1.65m エンジン 変速機: DOHC 16(8x2)気筒 5.8(2.9x2)L スーパーチャージャー 540HP 4段変速?
性能: 最高速320km/h  データーベースでアルファ ロメオ ビモトーレのミニカー検索

アルファ ロメオ 16C ビモトーレ イタリア 1935年

 

 GPレースで圧倒的に強かったアルファ ロメオ P3も、1934年から始まった新しい規定のフォーミュラ 750(重量750kg以下)ではナチス ドイツが国策で後押しするメルセデス ベンツ W25などのドイツ勢に圧倒されるようになりました。そこで当時アルファ ロメオのワークス チーム(スクーデリア フェラーリ)を監督していたエンツォ フェラーリが開発したのが、16C ビモトーレでした。ビモトーレという名前は2つのエンジンという意味で、コックピットの前後に8気筒エンジンを搭載し、2倍のパワーで後輪を駆動します。2つのエンジンは長いクランクシャフトで連結され、その中間からP3独特の2つのドライブシャフトを介して左右のタイヤを駆動しています。(複雑な構造です)

 

 1935年のテストでは最高速321.5Kmを記録しており、確かに早かったのですが、名ドライバー T.ヌヴォラーリをしても操縦が難しかったそうです。さらに当時の細いタイヤがハイパワーに耐えられず、その為タイヤ交換に時間を取られることも問題でレースでは活躍できませんでした。結局P3の後継は12気筒エンジンを搭載したティーポ C (12C)となりましたが、このマシンは活躍できませんでした。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ C)

 

 

 ミニカーは1997年頃に発売されたトップモデル製で材質はレジンです。ボディ後端のリアのエンジン始動用のクランクハンドル、リアの右サイドから出る2本目の排気管が2つのエンジンを搭載していることを示しています。量産ミニカーはトップモデルしかなく、バリエーションが数種類あります。(戦前のメルクリンのミニカーもありましたが、それは別格のレア物です) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ALFA ROMEO 16C BIMOTORE 1
ALFA ROMEO 16C BIMOTORE 2

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