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ルノー 40CV ランドレー フランス 1926年
1914年に第1次世界大戦が始まり、ルノーは砲弾などの軍需品の生産を行いました。第1次大戦中にルノーのタクシーは「マルヌのタクシー」として知られる作戦で戦勝に貢献しています。第1次大戦が終わるとルノーは戦前型のモデルを復活させました。この当時のルノーは旧式の設計を変えず新技術の開発が遅れていたので、シトロエンなどの新興メーカに比べると旧態化しつつありました。例えばフロントブレーキを採用したのは大型車で1922年と他社よりかなり遅れていました。
その古い設計を代表していたのが1911年に登場した6気筒7.5Lエンジン搭載の40CV(タイプ CG)でした。40CVはルノーの最上級の大型高級車で、フランス大統領専用車としても使われました。40CVは1920年にエンジンが9.1Lに拡大されるなどの変更がありましたが、基本的な設計を変えないまま1928年まで生産されました。ラジエータをエンジンルーム後方に配置する基本設計を変えなかったので、「象の鼻」と呼ばれた特徴的なフロントノーズも長い間続きました。ただ40CVは同じクラスの高級車(ロールス ロイスなど)よりも価格が安かったので生産台数は多かったとのことです。1928年に40CVはルノー初の8気筒エンジンを搭載したレナステラにモデルチェンジしました。
ミニカーは1960年代に発売されたソリド初期のクラシックカーシリーズの1つです。エンジンが9.1Lに拡大された後期型の40CV ランドレーをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーのミニカーは、当時としてはレベルの高いものでした。この40CVも実車の雰囲気が良く再現されています。「象の鼻」のボンネットが開くギミック付でエンジンも再現されています。バリエーションとして少しスポーティなフェートン仕様とフランス大統領車仕様がありました。ソリド以外では、リオのトルペード、ノレブの大統領車仕様がありました。 以下はフロント/ボンネットを開いた状態の拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス ファントム I イギリス 1926年
ロールス ロイスは1907年からシルバー ゴーストだけを作り続け、1925年までに6000台以上を販売し、その高い信頼性で「The Best Car of the World」の名声を確立しました。シルバー ゴーストは高価なため顧客は王侯貴族がほとんどで日本の皇室も1920年に2台を購入しています。そのシルバー ゴーストもさすがに性能的に時代遅れになり、1925年に後継車として登場したのがファントムでした。(なお1929年にファントム IIが登場してからはファントム Iと呼ばれるようになりましたが、これは公式の名前ではありません)
旧型のサイドバルブ式エンジンは新型のOHV6気筒 7668cc(90-100HP)エンジンに変更されました。技術的な特徴としてはギヤボックスの回転力を使った精巧なメカニカル サーボのついた4輪ドラムブレーキが採用されていることで有名でした。ファントム Iはイギリスとアメリカに製造工場があり、イギリスでは1929年まで約2200台が生産され、アメリカの工場では1931年まで約1200台が生産されました。なおイギリス版とアメリカ版ではステアリングホイールの位置、ホイールベース、変速機の仕様などが少し異なっていました。
ミニカーは1990年に発売されたマッチボックスのYシリーズです。コーチビルダー フーパー(HOOPER)が架装した4ドア リムジンをモデル化しています。マッチボックスのYシリーズの初期物はカラーリングや造形にやや玩具的なところがあったのですが、1980年代後期になるとスケールモデル的な造形がされるようになりました。このファントム Iも縮尺1/45と標準的な縮尺の1/43より少し小振りなのがいまいちですが、プロポーションがしっかりしていてかなり良い出来ばえです。赤茶と黒のツートンのカラーリングもロールス ロイスの雰囲気によく似合っています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベントレー 3L イギリス 1926年
ベントレー社は第1次大戦中に航空機エンジン設計を手がけたウォルター オーエン ベントレー (Walter Owen Bentley)が1919年に設立しました。1921年に発売された最初のモデル 3Lは、当時のレーシングカー並のOHC 4バルブ4気筒3L(70HP)エンジンを搭載し4輪ブレーキを備えた高性能車でした。1923年に80HPにパワーアップしたスピード、1925年に85HPにパワーアップしたスーパースポーツが追加されました。1929年まで生産され、総生産台数は約1600台でした。
ベントレーは1923年から始まったルマン 24hレースに参戦し、1924年のルマンで3Lが初優勝しました。当時の自動車レースではベンツ、プジョーなどが活躍していてイギリス車は不振でした。そんな訳でベントレーがルマンで初優勝したことはずいぶん画期的なことだったようです。当時のベントレーのレース活動を資金援助やアマチュアドライバーとしてサポートしたファクトリーチームは「ベントレー ボーイズ」と称されました。このベントレーボーイズの活躍で、ベントレーは1927年からルマンで4連勝してイギリスのスポーツカーとして有名になりました。なお1931年にベントレー社はロールス ロイス社に買収されレース活動から撤退しました。
ミニカーは2002年に発売されたイクソ製です。イクソが作るクラシックカーはいずれも出来が良いのですが、このベントレーも実車のスパルタンな雰囲気がうまく再現されていて、ホイールや泥よけフェンダーなどの細部もリアルで良い出来ばえです。フロンスクリーンの横についたクラクションが時代を感じさせます。イクソは同じ型で1924年と1927年のルマン優勝車もモデル化しています。イクソ以外のベントレー 3Lのミニカーは1960年代のコーギーがストリート仕様と1927年のルマン優勝車をモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。ヘッドライトがやや下を向いていますが、これは多少のガタがあって撮影時に少し傾いたものです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン セブン AD ツアラー イギリス 1926年
ウーズレー社の技術者であったハーバート オースチン(Herbert Austin)はウーズレー社を退社して1905年にオースチン モーター社を設立しました。最初のオースチン車は4気筒5Lエンジンを搭載した高級車でした。その後エンジンの種類を増やしレースに参加するなどして企業規模を拡大し乗用車ベースの商用車やトラック/軍用車なども手がけました。第1次大戦中は装甲車などの軍需品を生産し業績を伸ばしました。
第1次大戦後は1919年に4気筒3.6Lエンジンを搭載する大型車トゥエンティ(20)を大量生産する方針を立てましたが、これはうまくいかず資金難に陥りました。そこで方針を変更して1921年に投入した4気筒1.7Lエンジン搭載の中型車トゥエルブ(12)はある程度成功し、この車はロンドンタクシーとして良く知られています。(実車画像→ オースチン トゥエルブ)
1922年に4気筒747(10HP)㏄エンジンを搭載した小型車セブン(7)が登場しました。発売当初は専門家に「まるでおもちゃだ」と評価されましたが、簡素ながらも普通車と同じ本格的な構造で大量生産による低価格で人気を博しました。セブンは同じようなコンセプトのフランスのシトロエン 5CVと同様に、当時の低価格車であったサイクルカーを駆逐して大ヒットしました。当社はオープンカーだけでしたが、密閉型ボディのセダンや商用バンも追加され、1939年までに約29万台が生産されました。この成功でオースチンはイギリスを代表する自動車会社に成長しました。
セブンの2シーター ロードスターのスポーツ仕様はモータースポーツで活躍しました。1931年にはスーパーチャージャー付きの750ccエンジン搭載車がこのクラスとして初の最高速100マイル/h(160km/h)オーバーの記録を達成しています。セブンは小型車のお手本としてドイツのBMW ディキシーなどでライセンス生産されました。オースチンはその後モーリス、ウーズレー、ライレーと合併しBMCとなり、セブンという名前は戦後のオースチン セブン(ミニ)に使われました。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。セブン初期のAD ツアラー(オープンカー)をモデル化しています。実車が小さいのでミニカーも全長67㎜ほどと小さなサイズながら、実車の雰囲気がうまく再現されています。初期型の特徴である黒い枠のラジエータグリルと運転席手前(スカットル)両脇につけられたヘッドライト、リアルなワイヤースポークホイール、そこそこ良く再現された室内など細部も良く出来ています。ビテスはセダンのRK サルーンもモデル化していました。これ以外のオースチン セブンのミニカーはイクソのセダンとバン、マッチボックスのバン、オックスフォードのセダンとバン 1/43と1/76などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41100 (プロトタイプ) トルペード フランス 1927年
1881年にイタリアのミラノで芸術家の家系に生まれたエットーレ ブガッティは美術学校で教育を受けましたが、10代から自動車技術に関心を持つようになりました。エットーレ ブガッティがその芸術的な才能をいかして設計した自動車が独特の個性をもったブガッティでした。ブガッティとしては1920年代のレーシングカー T35が有名ですが、それについで有名なのが史上最大の車といわれたT41 ロワイヤルです。
この車は王侯貴族の為の超豪華車として開発されましたが、6台しか製作されず売れたのはたったの3台でした。T41 ロワイヤルが売れなかった原因は当時のロールス ロイスの3倍もの高価格であったことと、1929年に始まった世界大恐慌による不景気でした。T41 ロワイヤルは1920年代から1930年代に咲いた最高級のあだ花として非常に興味深い車でした。T41 ロワイヤルは私の好きな車であり、多彩なボディタイプがありますので1号車から6号車までを以下に詳しく紹介します。
以下は1号車から6号車の解説記事へのリンクです。
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