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マツダ 787B ルマン 日本 1991年
ロータリーエンジンを実用化したマツダは、エンジンの性能/耐久性を実証する為に国内外のレースに参戦します。国内レースではサバンナ(RX-3)が日産 GT-Rの49連勝を1971年に阻止し、その後1978年までRX-3が通算で100勝しています。海外レースでは1968年から1970年にかけて、コスモ スポーツとファミリア ロータリー クーペでニュルブルクリングやスパに参戦し上位入賞しています。またサバンナ RX-7(SA)は1979年デイトナでクラス優勝、1981年スパで日本車初の総合優勝するなど好成績を残しています。
マツダがルマンに参戦したのは国産メーカーでは一番最初でした。マツダオート東京(マツダスピードの前身)が1974年にシグマ オートモーティブ(現在のサード)のマシンに12Aロータリーを搭載したシグマ MC74をエントリーして参戦し、規定周回不足ながら完走しています。1979年には13Bエンジンを搭載したRX-7(SA) 252iがマツダ車として初参戦しましたが予選で敗退、1980年にはプライベーターがエントリーしたRX-7(SA)が日本車として初完走しています。1981年にはRX-7(SA) 253で参戦しリタイア、1982年にはRX-7(SA) 254で参戦し14位で完走しています。
1983年以降は13Bエンジンを搭載したプロトタイプスポーツカーでルマン挑戦を続けました。1983年は717Cで完走 12位、1984年は727Cで完走 15位、1985年は737Cで完走 19位、1986年は757でリタイア、1987年は757で7位 GTPクラス優勝、1988年は767で17位と757で15位 GTPクラス優勝、1989年は767Bで7位 GTPクラス優勝、1990年は787がリタイアと767Bで20位 GTPクラス優勝、そして1979年から数えて13回目の挑戦となる1991年に787Bが日本車初の総合優勝を果たしました。
787Bは1990年にリタイアした787の改良型で、カーボンモノコック製シャシにR26B型4ローターロータリーエンジン(700HP)を搭載したグループCカーでした。グループCのレギュレーション変更でロータリーエンジンは1991年までしか使えなくなっていたので、その最後のチェンスを掴んだことになります。(ただ1993年からロータリーエンジンはまた使えるようになりましたが) 私はこのルマンカー開発初期に少しだけ仕事で関与していたこともあって、この優勝は本当に嬉しかったです。(真夜中のTV中継を見ていました)
ミニカーはフランスのレジン組立キットメーカー スターター(STARTER)製の完成品で、2000年に購入しました。787Bが優勝した当時はあまりレースカーのミニカーが作られていなかったので、787Bのミニカーはなかなか発売されませんでした。(トミカの当時物で1/64がありましたが) 2000年になってスターターの完成品が発売されたので、高価でしたが思い切って買いました。当時のミニカーとしては良い出来ばえで、カラーリングも綺麗で気にいっています。スターター製が出たすぐ後にカルツォ(QUARTZO)からも787Bがモデル化されました。その後の数年でイクソ、オートアート、京商、hpi racingなどから次々とモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ プレリュード 日本 1991年
1991年にホンダ プレリュード 4代目が登場しました。大ヒットした先代のノッチバックスタイルから細長いヘッドライトを持つダイナミックなファーストバックのクーペスタイルに変わりました。ボディは車幅が70㎜広くなりましたが全長は短くなり、エンジン排気量が2Lを超えて3ナンバー車となり、性格的にはスペシャリティカーからスポーティカーに変わりました。可変バルブタイミングリフト機構(VTEC)付DOHC4気筒2.2L(200HP)/VTECなしDOHC4気筒2.2L(160HP)エンジンを横置き搭載する前輪駆動車でした。サスペンションは全輪ダブルウィッシュボーン式の独立懸架で、変速機は5段変速/4段自動変速でした。更に先代で世界初採用された4WS(4輪操舵)は電子制御式に進歩しました。
1993年のマイナーチェンジで、ヘッドライト回りの意匠が変更され、運転席/助手席エアバッグやABSなど安全装備がオプション設定されました。本格的なスポーツカーになったのですが、日本ではバブル崩壊によりスポーツカーの需要が衰退したことなどから、先代のようには売れませんでした。1996年にプレリュード 5代目にモデルチェンジしました。その5代目も2001年に生産中止となり、プレリュードはインテグラに統合されて名前が消えました。(実車画像→ ホンダ プレリュード 1996)
ミニカーは1992年に発売されたダイヤペット製の当時物です。ダイヤペットの協力工場の11番工場製でやや車高が高いのが今一つですが、プロポーションが良く特徴的なヘッドライト/リアライトなど細部もリアルで、当時のダイヤペット製ミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネットとドアが開閉するギミック付きです。当時物のミニカーはこのダイヤペットしかありません。当時物以外ではミニチャンプスの輸出仕様、MARK43(レジン製)、ネオ(レジン製)の輸出仕様などがあります。なおプレリュード 5代目のミニカーは、実車の人気がなかったことを反映してか? 2022年現在でもTOPMARQUES(レジン製)とホットホイールの輸出仕様ぐらいしかありません。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ ビート 日本 1991年
エンジンをミッドシップ配置した軽自動車のフルオープン スポーツカー ホンダ ビートが1991年に登場しました。小さいながらセンスの良いボディデザインはピニンファリーナの元デザイナーが関与していたといわれています。エンジンはトゥデイ用をチューンした3気筒656ccでターボ過給なしで自主規制上限の64HP(高回転域)を達成していました。サスペンションは4輪独立懸架、4輪ディスクブレーキ、前後輪で異なるサイズのタイヤ採用など足回りも拘っていました。長めに設定されたホイールベースや実用回転域でのアンダーパワーで、比較的安定した操縦性だったようです。
当時の軽スポーツカーにはマツダ AZ-1やスズキ カプチーノがありました。いずれも2シーターで居住性はミニマム、性能に多少の違いはありましたが似たようなものでした。それらの価格は約140万円と軽としては高価でしたので、約170万円で買えた普通車のオープンカー マツダ ロードスターに客を取られ、軽スポーツカーはあまり売れませんでした。ビートは1996年まで生産され総生産台数は約34000台で、一番実用的(まとも?)だったのか、軽スポーツカーでは最も多く売れていました。マツダ AZ-1の総生産台数は約4000台、スズキ カプチーノは約26000台でした。
ミニカーはエブロ製で、2005年に発売されました。エブロらしいリアルな造形で全体的な雰囲気がうまく再現されていて、とても良く出来ています。実車同様に前後ホイールのサイズが変えてあるなど細部にもこだわっています。幌は取り外し可能で、室内もそこそこ良く再現されてます。当時物ミニカーとしてはダイヤペットとトミカがありました。当時物以外では、京商のJ-コレクション、国産名車コレクション、インターアライド(HOTWORKS)、MAKEUP(ホワイトメタル製)、MARK43(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と幌を開いた室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スバル アルシオーネ SVX 日本 1991年
1991年にスバル アルシオーネ 2代目のアルシオーネ SVXが登場しました。先代同様に北米市場向けの車で、北米ではアルシオーネ SVXではなく単にSVXという名前で販売されました。先代が奇抜なデザインで不評でしたので、SVXはイタル デザインのG.ジウジアーロがデザインしたコンセプトカー(1989年東京モーターショーで公開)のデザインをほぼそのまま採用し、非常にスタイリッシュな車に仕上がっていました。屋根まで回り込んだサイドウインドーが特徴ですが、その為サイドウインドーは半分しか開きません。
エンジンは先代の水平対向4気筒2.2Lに2気筒を追加しDOHC化した6気筒3.3L(240HP)を搭載し、駆動方式は先代と同じトルク配分式の4WDシステム/4段自動変速でした。国内仕様では後輪の舵角を電動モーターで制御する4輪操舵システムが採用されていました。SVXをベースにした2/4ドア ワゴンのコンセプトカー アマデウス(AMADEUS)が1991年に公開されましたが、製品化されませんでした。1996年に生産中止となり、総生産台数は全世界で約25000台と少なく営業的には失敗作でした。(実車画像→ スバル アマデウス 1991)
ミニカーはノレブ製のルミノ シリーズで2007年に発売されました。ルミノ シリーズは国際貿易とノレブがコラボレーションして作ったブランドで、セリカ XXやイスズ ジェミニなど日本車を約70種類モデル化していました。同時期のアシェット 国産名車コレクションの初期のミニカーはノレブが作っていて、ルミノ シリーズはその型を流用した物もありました。このSVXはノレブらしいセンスの良い造形で、特徴的なキャビンを持つスタイリッシュなボディがリアルに再現され、非常に良く出来ています。窓が閉じているので見難いですが、室内も良く再現されています。ノレブはルミノ シリーズでSVXの後期型(トランク部分がボディと同色に変わっている)もモデル化しています。これ以外のSVXのミニカーは国産名車コレクションとその型を使ったFIRST43、国産名車コレクションの1/24、京商の1/64、国産名車プレミアムコレクションなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバーやタップで画像が変わります)
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ダイハツ ミラ ターボ TR-XX EFI アバンツァート 日本 1991年
ダイハツの軽自動車ミラ 3代目 L200型が1990年に登場しました。1990年に施行された軽自動車規格改定(全長3.2m→3.3m 排気量 550㏄→660㏄)に対応して、サイズと排気量を拡大しました。デザインは先代を踏襲しつつ、全体的により滑らかなスタイルとなりました。3ドア/5ドアハッチバックとウォークスルーバンがあり、乗用車版(5ナンバー)はミラ セダンと呼ばれました。3気筒659cc(50HP)エンジンを搭載する前輪駆動車で4WD仕様もありました。4WS(4輪操舵)やABSのような先進技術が搭載されたモデルもありました。先代同様に高性能版 TR-XX(3ドア)が設定され、乗用車版(64HP)と商用車版(61HP)がありました。
1990年にフルタイム4WDの3ドアセダン XR4が設定され、それをベースにして1991年に全日本ラリー選手権用のラリー仕様車 X4Rが受注生産されました。1991年にTR-XXの自動変速が4段化されアバンツァートと称する上級グレードが設定されました。1992年のマイナーチェンジで内外装を変更し、当時のRVブームに対応して、車高を上げて背面スペアタイヤ、フロントグリルガードを装備したクロスオーバー仕様のRV-4が追加されました。1993年に内外装を豪華にしたミラ モデルノが追加されました。1994年にミラ 4代目 L500型にモデルチェンジしました。(実車画像→ダイハツ ミラ 1994)
ミニカーは2008年に発売されたハイストーリー製のレジン製です。高性能版のターボ TR-XX EFI アバンツァートをモデル化しています。(アバンツァートは1991年から設定されたようなのですが、ミニカーの箱には1990年式と表記されています) プロポーションが良く、角に微妙なRのついたヘッドライト/フロントグリルや室内などの細部がリアルで、実車の雰囲気をうまく再現した良い出来ばえです。ハイストーリーはインターアライドのブランドで国産のレジン製ミニカーメーカーとしては老舗で、出来ばえは良いものが多いように思います。レジン製ミニカーはタイヤが回転しないようになっているものが多くこのミラもほとんど回らないのですが、これは自動車モデルの基本を外していると考えます。プロペラ飛行機のモデルでプロペラが回らないことと同じで、別に回して遊ぶわけではありませんが、回るようにできていることに意味があるのです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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