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ラーダ 1200 (VAZ 2101) ロシア 1970年
アフトヴァース(Avto VAZ)社は現在のロシア最大の自動車会社で、1966年にイタリアのフィアット社と提携して創立されました。当初はボルガ川の近くに本社工場があったので、ボルガ自動車工場(VAZ:Volga Auto Zavod)と呼ばれていました。1970年に最初の自動車としてファイト 124をライセンスしたVAZ 2101(車名ZHIGULI:ジグリとも呼ぶ)の生産が始まりました。VAZ 2101はソ連で開発したエンジンが搭載され、サスペンションを補強するなどロシアの道路環境に合わせて設計変更されていました。当初のエンジンは4気筒1.2L(60HP)で4段変速で最高速140km/hの性能でした。
1971年にワゴン仕様のVAZ 2102が追加されました。1972年に上級仕様として1.5L(75HP)エンジンを搭載したVAZ 2103(フィアットでは124 スペシャルに相当)が追加されました。VAZ 2103は4灯式ヘッドライトと大型化したテールライトで外観を差別化していました。1974年にエンジンを1.3L(68HP)に拡大したVAZ 21011が追加されしました。VAZ 2101は1988年、VAZ 2103は1984年まで生産されました。後継車はVAZ 2105/2106/2107でした。ベースとなったフィアット 124は当時の西側の最新型であった為、VAZ 2101はソ連国内にライバルが無く圧倒的なシェアを確保しました。また低価格な乗用車としてラーダ 1200/1300/1500という名前で西側/東側諸国に輸出されました。(実車画像→ VAZ 2103 1972) (実車画像→ VAZ 2105 1980)
アフトヴァース社はヴォルガ自動車工場時代にロータリーエンジンを製造しており、パトカーやKGB向け車両として1ローターのロータリーエンジン(70HP)を搭載したVAZ 21018がありました。ただこのロータリーエンジンは耐久性に問題があったようで少量生産だったようです。同社は2002年頃までロータリーエンジン搭載車を生産したとのことですが、NSUやマツダへのライセンス料を支払っていなかったとのことです。
ミニカーは1977年に発売されたソ連製の当時物で、前述したモスクビッチ 408と同時期に輸入された物です。輸出仕様のラーダ 1200をモデル化しています。金属製のグリル/バンパーなど作風がやや古くさいですが、プロポーションが良く当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえでした。外観が同じですのでフィアット 124をベースにしていることは明確ですが、このソ連製ミニカーではやや雰囲気が違う感じがします。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。ボンネット内のエンジンや室内の造形も結構リアルです。バリエーションでワゴン仕様のVAZ 2102もありました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 スカイライン 1800 C10型 日本 1970年
日産と合併後のプリンス初の新型車がスカイライン 3代目(C10)で、1968年に登場しました。先代のデザインを発展させたプリンス色の強いデザインで、サイドのサーフィンラインが特徴でした。エンジンも先代譲りの4気筒1.5L(G15型 88HP)で、3/4段変速で最高速160km/hの性能でした。サスペンションは前輪がマクファーソンストラット/コイルの独立懸架で後輪はリーフリジッドでした。当初は4ドアセダンとワゴン(バン)だけでした。
1968年にエンジンルームを拡大したロングノーズに日産の6気筒2L(L20型 105HP)エンジンを搭載し、後輪を独立懸架に変更した高性能版の2000GTが追加されました。1969年のマイナーチェンジで前後グリルが変更され、ローレルに採用された4気筒1.8L(G18型 100HP)エンジンが追加されました。さらに先代の2000GT-Bの後継車としてDOHC 6気筒2L(S20型 160HP)エンジンを搭載したGT-R 初代(PGC10型)が1969年に登場しました。この3代目から「愛のスカイライン」というCMコピーが使われ、C10型は「ハコスカ」の愛称で呼ばれています。1972年にスカイライン 4代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。ダイヤペットのスカイライン 3代目の最初のミニカーは、1970年に型番180で2000GTが発売されました。このミニカーはフロントグリルの意匠が2000GTながら、ロングノーズではなく1800のショートノーズとなっているというモデル化のミスがあり、発売して直ぐに販売中止となりました。その後型番180は前後のパネルを変えて、スカイライン 1800として型番225で発売されました。一般的に昔のミニカーは最上級グレードをモデル化するのですが、この中間グレードの1800がモデル化されたのはこのような経緯があったからでした。なおロングノーズの2000 GT-Rは型番201で1970年に発売されました。スカイライン 3代目の当時物ミニカーはダイヤペットしか無く、当時物以外ではアドバンスピリットのワゴン/バン、トミカ リミッテドの1800/2000セダンとバン、エブロの2000GT、ハイストーリー(レジン製)のバンなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 スカイライン 2000 GT-R KPGC10型 日本 1970年
1969年にプリンス スカイライン 2000GT-Bの後継車として、レーシングカーR380用エンジンをベースにしたDOHC 6気筒2L(S20型 160HP)エンジンを搭載した、スカイライン GT-R 初代(PGC10型)が登場しました。GT-Rはレースに出場することを前提として作られた特殊な車で、ラジオさえオプション品となっていました。スカイラインには1970年のマイナーチェンジでホイールベースを短縮した2ドアハードトップが追加され、その際にGT-Rは2ドアハードトップ(KPGC10型)に切り替わりました。GT-Rは1972年までの3年間でツーリングカーレースで49連勝する大記録を残しました。
スカイライン 3代目はその後もエンジンのパワーアップなどの改良が行われました。GT-Rをイメージリーダーとする販売戦略が当たり、スカイライン 3代目は高性能なファミリーカーとして大ヒットし、ブルーバードを凌ぐほどの人気車種となりました。1972年にスカイライン 4代目にモデルチェンジしました。GT-Rの販売台数はPGC10型が約800台、KPGC10型が約1200台でした。
ミニカーは2001年に発売されたエブロ製です。エブロらしい正確なプロポーションに加えてセンスの良い微妙なデフォルメが施されてかっこよく仕上げられています。フロントグリルや灯火類はリアルにできていて、彩色された室内もそこそこ良く再現されています。最近の高価で少量生産のレジン製を別にして、スカイライン GT-R(KPGC10)の1/43量産ミニカーではたぶん一番出来が良いと思います。(京商の1/43も同等レベルで出来が良いですが) スカイライン GT-R 初代の当時物ミニカーはダイヤペット、モデルペット、トミカなどがありました。当時物以外ではオートアートの1/18、京商の1/18と1/43、国産名車コレクション、トミカ リミッテド、エブロ、イグニッションモデル(レジン製)の1/12と1/18と1/43、アイドロン/VISION(レジン製)の1/43など、レース仕様も含めて約400点もあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 チェリー X-1 E10型 日本 1970年
日産 サニーより小型で初めて車を購入する層向けに、チェリーが開発され1970年に登場しました。日産初の前輪駆動車で横置きエンジンの下に変速機を配置するBMC ミニと同じイシゴニス方式が採用されました。コイルで吊った全輪独立懸架、ラック&ピニオンのステアリングなど凝った設計の車でした。当初は2/4ドアセダンのみの設定で、切れ上がった独特のリアクオーターパネルを持つ「セミファーストバック」と称する個性的なスタイルでした。4気筒1L(58HP)/1.2L(68HP)/高性能版X-1用1.2Lツインキャブレター(80HP)A型エンジンを搭載し、4段変速で最高速160Km/h(1.2L)の性能でした。
1971年に大きなテールゲートを持つ3ドアクーペ、1972年に3ドアバンが追加されました。1972年のマイナーチェンジでテールライトの大型化などの変更が行われました。1973年にサスペンションを固めオーバーフェンダーを持つスポーツ仕様のクーペ 1200 X-1Rが追加されました。 1974年に2代目となるチェリー F-IIが登場しました。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。特徴的なリアクオーターパネルや愛嬌のあるフロントなど実車の雰囲気が良く再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外のチェリー 初代の当時物ミニカーはトミカの3ドア X-1がありました。当時物以外では京商のポリストーン製のクーペ X-1 R、エブロのクーペ X-1、日産名車コレクションの3ドア X-1、国産名車コレクション1/24のクーペ X-1 Rなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 サニー 1200GL B110型 日本 1970年
1970年に日産 サニーは2代目 B110型にモデルチェンジしました。初代のシンプルなスタイルを継承しつつ、ボディは一回り大きくなりました。ライバルのトヨタ カローラは曲面の多いデザインだったので、サニーの角ばったデザインは好対照でした。カローラと同様に前輪にストラット式独立懸架サスペンションが採用されました。エンジンは4気筒1.2L(68-83HP)のA型で、3段AT/4段MT変速で最高速160Km/hの性能でした。先代同様に2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、商用バン、トラック(1971年登場)がありました。
発売当初の広告コピー「隣のクルマが小さく見えます」はトヨタ カローラ (1.1エンジン)を揶揄したもので、当時のトヨタと日産の販売合戦を象徴したものとして有名です。カローラはサニー 2代目登場の数か月後に1.2Lエンジンの2代目にモデルチェンジし、さらに数ヶ月後1.4Lエンジンを追加しました。これに対抗して1971年にサニーも1.4L(85-95HP)L型エンジンを搭載しホイールベースを延長したエクセレント シリーズを追加しました。1972年のマイナーチェンジで内外装が変更されました。サニー B110型はツーリングカーレースのベース車として使用され、レース用にチューニングされた1.3L(175HP)エンジンを搭載したレースカーは国内のツーリングカーレースで大活躍しました。1973年にサニー 3代目 B210型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。シンプルなボディがうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはリアルな造形で良く出来ていました。ボンネット/ドア/トランク開閉のフルギミック付きで、ギミックの立て付けも上手くなりました。これはダイキャスト鋳造を得意とする新規の協力工場(3番工場)が担当したからだったそうで、同じ工場が担当した同様に良い出来ばえのクーペもありました。これ以外の当時物ミニカーはトミカのクーペとクーペ レース仕様、モデルペットのエクセレント クーペがありました。当時物以外ではトミカ リミッテドのクーペ、エブロのクーペとトラック、日産/国産名車コレクションのクーペとトラック、ENIF(レジン製)のクーペ、イグニションモデル(レジン製)のトラックなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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