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ルノー 10 フランス 1965年
1965年にルノー 8の上級車としてルノー 10が登場しました。前述したルノー 8より全長が205mm長くなりモール類が増えて少し高級な見た目になっていました。ただし延長されたのは前後のオーバーハング部で室内部分はルノー 8のままでした。ノーズが長くなったことでフロントにあるトランク容量が拡大し、リアエンジン車ゆえにトランク容量が小さいというルノー 8の弱点が改善されたとのことです。このようなモデルが設定されたということは、フランスでは荷物がたくさん積めるということが重要なことだったということが分かります。(バカンスに出かける際に荷物がたくさん積めることが必須なのでしょう)
フランス人は自動車に対して実用性を重視し見た目は二の次だそうですが、この当時のフランス車にハッチバック スタイルが多いのはそのような合理的な理由があったようです。ルノー 10は1968年に角形ヘッドライトを採用したフロント デザインに変わり、ルノー 8と差別化されました。1969年には後継車となるルノー 12が登場し、1970年にはそのルノー 12用の1.3L(48HP)エンジンを搭載しました。1971年に生産中止となりました。
このミニカーは1966年に発売されたノレブ初期の当時物でプラスチック製です。ノレブ初期のミニカーは全体がプラスチック製でボディは塗装されていませんので、ダイキャスト製ミニカーと比べる重量感がなくボディに金属的な艶が無いので安っぽい感じがしました。ただし基本的なプロポーションは良く、ドア/ボンネット開閉などのギミックも意欲的に取り入れたものが多かったです。このルノー 8もプロポーションが正確で当時のミニカーとしてはリアルな出来ばえでした。フロントのトランクとリアのボンネットが開閉するギミック付で、ボンネット下にはエンジンがモールドされています。ただしプラスチックの経年変化でボディ全体が少し変形していて、これがノレブ初期のミニカーの致命的な欠点でした。(その為ノレブも1970年代になるとダイキャスト製に移行していきました) これ以外のルノー 10のミニカーはイクソ、ユニバーサルホビーなどがあります。 以下はフロント/トランク開閉の画像とリア/ボンネット開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 16 フランス 1965年
ルノー フレガートの後継車として1965年にルノー 16が登場しました。当時の中型車としてはまだ珍しかった2ボックス ハッチバック スタイルを採用した前輪駆動車でした。大きく開くテールゲート(ハッチバック)を持つスタイルと折畳んで収納可能なリアシートで室内を多目的に使えるようにした発想は斬新で、その点が評価されて1966年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーに選出されました。当時もルノー 4など5ドア2ボックスの乗用/商用車は既にありましたが、この車の登場で大きく傾斜させたテールゲートを持つ乗用車をハッチバックと呼ぶようになりました。またこの車のシートアレンジの発想は現在のミニバンに通じる物です。
前述したルノー 4と同じ横置きトーションーバーによるリアサスペンションを持つので、この車も左右のホイールベースが異なっていました。大柄な割りに980kgと軽量なボディで、4気筒1.5L(55HP)エンジンを搭載し4段変速機で最高速139km/hの性能でした。1968年に1.6L(85HP)エンジンを搭載した高性能版TSが追加され、1973年に5段変速機を備える豪華仕様のTXが追加されました。1974年にTX以外はフロントグリルが黒い樹脂製に変わりました。1975年に後継車のルノー 20/30が登場し1979年まで生産されました。総生産台数は約185万台でした。
ミニカーは1965年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。ディンキー(仏)らしいプロモーションモデル的な作風で当時のミニカーとしてかなり良く出来ていました。ボンネットとハッチバックが開閉するギミック付きで、この車の特徴であるシートアレンジ機能をリアシートが前後に移動するというギミックで再現していました。これ以外の当時物ミニカーはノレブ、サブロン、ソリドの1/32、コーギー、このディンキー(仏)をコピーしたオートピレンなどがありました。当時物以外ではビテス、ノレブの1/43と1/18、ノスタルジー、ミニチャンプスなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/ハッチバック開閉動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 16 パラマウント カメラカー ツール ド フランス フランス 1965年
ツール ド フランスはフランスを中心に周辺国で行なわれる自転車のプロレーサーによるロードレースで、世界最大の自転車レースとして知られています。毎年7月に約3週間の日程で行われ、コースは平坦なステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージの全21ステージが設定され、全行程は約3300km(高低差2000m)になるそうです。1チームは9人編成で、20数チームが参加し、参加する選手はヨーロッパだけではなくアメリカやオーストラリアなど全世界から集まります。なお自動車レースのツール ド フランスは1899年から1986年まで開催されていて、この自動車レースをヒントにして1903年から自転車レースのツール ド フランスが始まったようです。
世界最大の自転車レースですから、フランスでは国家的な規模でサポートされる一大イベントとなっています。レース中にはチームをサポートするサービスカーやバイクが選手と共に移動します。また選手が通過する前に各チームのスポンサーが宣伝カーを繰り出し、沿道の観客にお菓子や応援グッズなどを配るそうです。それらの宣伝カーは日本の祭りの山車のように趣向を凝らした面白い物が多く、それらもこのイベントの楽しみとなっているようです。
ミニカーは1968年に発売されたコーギー製の当時物です。ツール ド フランスを撮影する映画会社パラマウントのルノー 16 カメラカーに自転車レーサーを追加したセット物で、コーギーお得意のミニ ジオラマ仕立ての楽しいミニカーでした。カメラカーは型番260のルノー 16の屋根にパラマウントのロゴパネルを付け、リアにカメラ台とカメラマン(コーギーの型番479コマー PB カメラ バンと同じ物)をセットしてありました。自転車はダイキャスト製ホイールと軟質プラスチックフレームの自転車(スタンド付)に良くできたフィギュアが乗っています。(子供が乱暴に扱っても壊れないよう軟質プラスチックを使っているのは老舗コーギーらしい配慮です) コーギーは型番510でシトロエン DS ツール ド フランス 監督車もモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とカメラマンの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン DS 19 カブリオレ (アンリ シャプロン) パームビーチ フランス 1965年
シトロエン DSは特別に高級な車ではありませんでしたが、ドゴール大統領専用車を初めとして、政府公用車に多く使われました。(当時のフランスにはこのクラスのライバルが少なかったからでもありましたが) フランスのカロッツェリアであるアンリ シャプロン(HENRI CHAPRON)は、DSをベースにした豪華なカブリオレを特注で製作していました。ホイールベースを変えずに客室部分を2+2座(又は2座)に変えた贅沢なレイアウトは、戦前のブガッティ、ドライエなどの豪華なスポーティカーの流れを引き継ぐ魅力ある車に仕上がっていました。
この車は好評であった為、1960年からシトロエンのカタログモデルに追加されました。ボディ架装はシャプロンが行い価格はDSの約2倍と高価な車でした。オプションでハードトップも用意されていましたが、純粋なハードトップだけの仕様もありました。シャプロンの特注でハードトップの形状が異なるダンディ クーペ(LA DANDY COUPE)とコンコルド クーペ(CONCORD COUPE)の2タイプがありました。カブリオレはDS 21にも採用されて1971年まで生産され総生産台数は約1400台、後継車はSMでした。(実車画像→ シトロエン DS ダンディ クーペ、シトロエン DS コンコルド クーペ)
ミニカーは1995年に発売されたノレブ製で、パームビーチという名前が付けられたアンリ シャプロン製のDS 19 カブリオレをモデル化しています。このパームビーチはフロントに補助灯が付きリアに小さなテールフィンがあるデザインになっています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、室内の造形も当時としてはそこそこ良く出来ていました。ただこのミニカーは限定生産品だったのでハンドメイド並みに高価(定価14000円)でしたが、魅力的なカラーリングやクロームモール処理などが気に入って購入しました。ノレブはこれ以外にもプラスチック製の当時物や1/18などDS カブリオレ/クーペを20数種類もモデル化しています。ノレブ以外のDS カブリオレではリオやソリドなどがあり、最近の物ではサンスターの1/18やWELLYの1/24などがあります。DS ハードトップ クーペのミニカーではコーギーの当時物でダンディ クーペ、METAL-18の1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 204 フランス 1965年
プジョー 203の下級グレードの後継車として204が1965年に登場しました。プジョーにとって初めての前輪駆動車で、変速機の上にエンジンを横置きに配置するBMC ミニと同じイシゴニス方式を採用していました。小型車ながらなかなか品のあるボディはピニンファリーナのデザインでした。当初は4ドアセダンのみでしたが、直ぐにブレーク(ワゴン)が追加され、1966年にホイールベースを短縮した2ドアクーペとカブリオレが追加されました。最近ではこのようなボディ バリエーション展開をする車は少なくなりましたが、昔の大衆車にはこのようなバリエーション展開がされていました。
当初のエンジンは4気筒1.1L(48HP)で、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1968年には1.3L(36HP)ディーゼルエンジンが追加され、このエンジンは当時世界最小の量産型ディーゼルエンジンでした。1969年には204のボディを拡大した304が登場しました。1976年に生産中止となり総生産台数は約160万台でした。1970年頃の204はフランスのベストセラーカーだったそうです。204の生産中止でサイズの大きな304が後継となっていましたが、1982年に同じようなサイズの205が登場しました。
ミニカーは1965年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。フロントグリル全体が銀色の塗装で再現されているので、グリルが平板な感じがするのがいまいちですが、全体のプロポーションはディンキー(仏)の常でうまく出来ていました。ディンキー(仏)はカブリオレもモデル化していました。これ以外の204の当時物ミニカーはノレブのセダン/クーペ/ブレーク、ディンキーをコピーしたオートピレンとメトスルなどがありました。当時物以外ではノレブの新製品、イクソ系のノスタルジーなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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