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日産 セドリック G30型 日本 1961年
日産 セドリックはノックダウン生産で国産化したオースチン A50 ケンブリッジの後継車として1960年に登場しました。(実車画像→ オースチン A50 ケンブリッジ) 日産初のモノコックボディで前輪独立懸架、縦型4灯式ヘッドライトやラップラウンドしたフロントウインドウは当時のアメリカ車的なデザインとなっていました。ワゴンとバンも1962年に設定されました。なおセドリック(CEDRIC)という名前は児童向け小説「小公子」の主人公にちなんだものでした。
当初は4気筒1.5L(71HP)エンジンを搭載していましたが、すぐに1.9L(88HP)エンジンが追加されました。この1.9Lエンジン搭載車は4段変速で、最高速130km/hの性能でした。1960年にホイールベースと全長を100㎜延長したカスタムが追加されました。1962年のマイナーチェンジ(31型)で、ホイールベースが延長され、縦型4灯式ヘッドライトが横型に変更されました。1963年には6気筒2.8L(115HP)エンジンを搭載しボディを拡大した、国産初の3ナンバー規格の普通乗用車セドリック スペシャル(50型)も追加されました。1965年にセドリック 2代目(130型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは2006年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、セドリック 初代前期型で1960年に追加されたカスタム(G30型)をモデル化しています。フロントグリルや灯火類がリアルに再現されていて、雑誌付ミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。国産名車コレクションは後期型のバンもモデル化しています。同じ型を使って日産名車コレクションではセダンの色違い(青/灰 ツートン)をNo.12でモデル化しています。これ以外ではファインモデル(アンチモニー製)、エブロ、トミカでもモデル化されていて、昔の車としては人気がある車です。なお当時物ミニカーではミクロペットが前/後期型の両方を、ダイヤペットが後期型をモデル化していますが、それらは滅多にお目にかかれないレア物です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ パブリカ UP10型 日本 1961年
当時の通産省が検討していた国民車構想に沿って企画された小型車が1961年に登場したパブリカでした。車名はパブリックカー(Public car)からの造語で一般公募で選ばれました。軽量なフルモノコックボディに新開発のOHV強制空冷水平対向2気筒697cc(28HP)エンジン(U型)を搭載し、4段変速で最高速110km/hの性能でした。デザインは同時期のコロナ 2代目と良く似ていて、シンプルで良いデザインでした。
初期のパブリカはラジオ、ヒーターはもちろんフェンダーミラーすら無いという徹底した簡素化で38.9万円という低価格を達成していましたが、この実用一辺倒の仕様はあまり支持されませんでした。そこで1963年にラジオ、ヒーターなどを装備しクロームモール装飾を施したデラックス仕様(UP10D型)や、オープンカー仕様のコンバーチブルが追加され、人気を回復させました。1964年にはバンやトラックの商用車も設定されました。
1965年にパブリカをベースにした小型スポーツカーのスポーツ 800が登場しました。パブリカは1966年に排気量を800cc(36HP)に拡大し、ドライブトレーンや外観形状を変更する大幅な仕様変更が行われ、UP20型に変わりました。(実車画像→パブリカ UP20型) 販売価格を36万円に下げて当時の為替レート(1ドル=360円)では1000ドルになるため、1000ドルカーというキャッチフレーズで宣伝されました。1969年にパブリカ 2代目(KP30型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは2002年に発売されたエブロ製で、初期型のUP10型をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントの造形がなんとなく安っぽい感じのする初期型のイメージをうまく再現していて、非常に良い出来ばえです。室内も良く再現されていて、フェンダーミラーが付いていないのも実車どうりです。当時物ミニカーとしてはモデルペットのUP10型とダイヤペットのUP20型がありましたが、どちらもレア物です。最近の物では国産名車コレクションのセダンとコンバーチブル、トミカ リミッテド、コナミの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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三菱 500 日本 1961年
戦前に三菱 A型を製作した経験のあった三菱重工業は終戦後の財閥解体で東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業の3社に分離されました。東日本重工業はアメリカのカイザーナッシュ社と提携し、コンパクトカー ヘンリー Jのノックダウン生産を1950年から始めました。1953年に東日本重工業、中日本重工業は三菱日本重工業、新三菱重工業に車名変更し、1953年に新三菱重工業でウィリス ジープのノックダウン生産が始まりました。1954年にはヘンリーJの本国での生産中止によりノックダウン生産が終わりました。(実車画像→ カイザー ヘンリー J)
新三菱重工業は独自で自動車開発に着手し、水島自動車製作所(岡山県)が開発した軽3輪トラックのペット レオが1959年に発売されました。ペット レオは密閉式キャビンを採用し、4サイクル単気筒310cc(12HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速74km/hの性能で軽3輪車では最速でした。ペット レオは1962年まで生産されました。(実車画像→ 三菱 ペット レオ)
1960年に新三菱重工業(名古屋自動車製作)は乗用車の三菱 500を発売しました。全長3.14m全幅1.39mの4人乗り小型車で、ボディはドイツのゴッゴモビルを参考にしたそうです。空冷4サイクル2気筒OHV 493cc(21HP)エンジンをリアに搭載するRR車で、3段変速で最高速90km/hの性能でした。モノコック構造のボディに全輪独立懸架サスペンションと、技術的には非常に先進的な車でした。当時の価格は39万円で1961年にはエンジンを594cc(25HP)に拡大しました。ただあまり人気がなかったそうで、1962年にはコルト 600に切り替わりました。コルト 600は500のボディーを拡大したもので、基本構造はそのままだったようです。(実車画像→ 三菱 コルト 600)
ミニカーは2012年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはイクソで、実車の雰囲気がうまく再現されていてなかなか良い出来ばえです。この車がミニカーになったのはこれが初めてで、この車をモデル化したことは国産名車コレクションの面目躍如といったところでした。(初期の国産名車コレクションはレアな車種を選択していました) なお量産ミニカーではないですが、三菱 500にはこの車の愛好者クラブが作成した少量生産ミニカーがありました。たぶん世の中にはこのような愛好者によって製作されたあまり知られていないミニカーが結構あると思います。 軽3輪トラックのペット レオは京商が1/43のポリストーン製ミニカーを2000年に発売しています。またトミカ リミッテドもレオをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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三菱 ジープ J30型 日本 1961年
第2次大戦後アメリカ軍が日本で軍用車を調達する為に、ウィリス製ジープを当時の中日本重工業(三菱重工業の前身)に生産させることになったのが、三菱製ジープの始まりでした。この車は戦後の警察予備隊(現在の自衛隊)で使用する小型トラックとしても採用されることになり、1953年からウィリス ジープ CJ3A型のノックダウン生産が始まりました。当初は左ハンドルでしたが、その後ウィリス製エンジンを国産化するなどして1955年にジープは国産化されました。
当初の三菱 ジープの型式はJ1型で、構造はジープと同じはしご形フレームにリーフリジッド サスペンションで、パートタイプの4輪駆動方式でした。その後国産化された時の型式はJ3型となりました。1957年にエンジンをディーゼル化(2.2L 61HP)して世界初のディーゼルエンジン搭載ジープ JC3型が登場しました。1961年には右ハンドル仕様のJ3R型が追加されました。
その後2ドア ステーションワゴンやロングホイールベースで6人乗りの4ドア ステーションワゴンなどの日本独自のバリエーションが追加され、三菱のジープは防衛庁以外にも販売されました。1982年に一般ユーザー向けのパジェロが登場したことで、ジープは車種が縮小されました。1996年に防衛庁向けジープがパジェロ 2代目をベースにした73式小型トラックに切り替わり、ジープは1998年に生産中止となりました。(実車画像→ 三菱 73式小型トラック)
ミニカーは2009年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはイクソで、4ドアステーションワゴンのJ30型をモデル化しています。全体的に実車の雰囲気がうまく再現されていて、フェンダーミラーや灯火類などの細部も良く再現されています。安価な雑誌付きミニカーとしては、申し分のない出来ばえでしょう。また三菱 ジープの乗用車タイプのミニカーはこれしかないので、車種的に貴重なミニカーでもあります。なお色違いの同じものがFIRST43でも販売されていますが、イクソ ブランドでは販売されていないようです。これ以外の三菱 ジープのミニカーとしては、トミカやトミカ ダンディのJ3R型、エイダイ グリップのJ52型などがありますが、すべてショートホイールベースをモデル化しています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM シボレー コルベア モンザ GT アメリカ 1962年
GM シボレー コルベア モンザ GTは1962年に発表されたデザインを目的とした実験車でした。ベースとなったのはGMのリアエンジンのコンパクトカーシボレー コルベアで、エンジンをミドシップ配置に変更し未来的なスポーツカーに仕立てたもので、非常に魅力的なデザインでした。オープンのロードスター仕様のモンザ SSも同時に公開されました。(実車画像→ GM シボレー モンザ SS) 通常のドアはなく戦闘機のようにキャノピー部分を大きく開くことで乗り降りを行います。また尖ったボディ先端にあるヘッドライトのカバーが開いてヘッドライトが露出する構造は独創的でかっこいいです。
モンザ GTをデザインしたのは日系人のラリー シノダ氏で、1968年に発売されたコルベット スティングレイ (C3型)にはこの車のイメージが感じられました。また1965年に登場したコルベアの2代目も、モンザ GTのイメージを実用車に落とし込んだスポーティな美しいデザインでした。GMはコルベアをフォード マスタングに対抗するスポーティカーに仕立てるつもりだったようです。ただハイパワーエンジンを搭載したコルベアは、リアエンジン車特有のオーバーステアでコントロールを失い横転する事故が多発して問題となり1969年に生産中止となりました。
ミニカーは1964年に発売された北欧デンマークのメーカーだったテクノの当時物です。(現存するテクノはオランダのメーカーです) 流線形デザインが見事に再現されていて非常に素晴らしい出来ばえでした。ヘッドライトカバーの開閉、キャノピーとリアカウルが開閉するギミック付きです。屋根がないオープン仕様(モンザ SSとは違う)もあり、カラーバリエーションが非常に多くありました。見た目がかっこいいことからかなり人気があったミニカーでした。当時のテクノのミニカーの最大の特徴は、初期の物は違いますが、分解/組立ができる構造となっていたことでした。(その為、その分だけ高価でした) このモンザ GTにもこの分解/組立ギミックが付いていました。当サイトのギミックのページでその詳細を紹介していますので、そちらも是非ご覧ください。→ テクノ モンザ GTのギミック紹介ページ これ以外のモンザ GTのミニカーは、このテクノ製をコピーしたオートピレンやジョアル、エーダイ グリップの1/28がありました。最近ではオートカルト(レジン製)がモデル化しています。 以下はフロント/ヘッドライト開閉の画像とリア/リアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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