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フォード ゾディアック MK II イギリス 1956年
1950年代前半のイギリス フォードのラインナップは前述したポピュラー、プリフェクト、アングリア、その上級車で1951年に登場したコンサル、最上級車として1951年に登場した6気筒2.3L(68HP)エンジンを搭載するゼファー(ZEPHYER)の5モデルでした。コンサルは4気筒1.5L(41HP)エンジンを搭載するファミリーセダンで、ゼファーはV型8気筒エンジンを搭載していたV8 パイロットを後継する高級車でした。1953年にゼファーに豪華仕様のゾディアックが追加されました。ゾディアックは内外装が豪華に仕立てられ、エンジンは71HPにチューンアップされていました。
1956年にゼファー/ゾディアックはデザインを一新してMK IIに切り替わりました。2.55L(86HP)に拡大された6気筒エンジンは両車で共通となり、3段変速で最高速142km/hの性能でした。ゼファー/ゾディアックはボディは同じですが、前後のデザインを少し変えて差別化されていました。セダン、2ドアコンバーチブル、5ドアエステートの設定がありました。1962年まで生産され、ゼファー MK III/ゾディアック MK IIIにモデルチェンジしました。
ミニカーは1990年頃に発売されたコーギー製です。マニア向けのクラシックカーズ シリーズの1台で、比較的安価(定価2500円)だったのであまり凝ったつくりではありません。それでもプロポーションはしっかりしていて実車の雰囲気が良く再現されています。またツートンカラーはゾディアックにしかなかった仕様で実車に即しています。なおコーギーはゼファー MK IIもモデル化しています。箱には「MADE IN GREAT BRITAIN」と記載されているので、イギリスで作った最後の頃のミニカーだと思います。ゼファー MK IIの当時物ミニカーはコーギーのエステート、ゾディアック MK IIの当時物ミニカーはスポットオンがありました。最近の物ではバンガーズがゼファーとゾディアックをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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MG マグネット ZB バリトーン イギリス 1956年
MG マグネット ZAはBMCグループ内のウーズレー 4/44をベースにしたスポーティセダンで、1954年に登場しました。ウーズレーの4気筒1.3Lエンジンより高性能な1.5L(60HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速130km/hの性能でした。ルーフラインがウーズレーより50mmほど低められたボディ、ラック&ピニオン方式のステアリングなどMGらしいスポーティな味付けがされていて、MGのセダンとして人気を博しました。
1956年にエンジンを64HPにパワーアップしたマグネット ZBに発展しました。1958年まで生産され、マグネット MK IIIにモデルチェンジしました。マグネット ZA/ZBの総生産台数は約3.6万台でした。
ミニカーは2010年に発売されたオックスフォード製です。バリトーン(VARITONE)と称するオプション設定のツートンカラー仕様のマグネット ZBをモデル化しています。オックスフォードは1993年に設立されたイギリスのミニカーメーカーで、古き良き時代のイギリス車をダイキャスト製でモデル化しています。オックスフォードのミニカーはややレトロな作風で、比較的安価ながらもレベルの高い出来ばえの物が多いです。このマグネット ZBもレトロな作風が実車の雰囲気をうまく再現していて良い出来ばえです。オックスフォードはZAもモデル化しており、ZAとZBの違い(リアウインドーの大きさなど)もきちんと再現しています。マグネット Zシリーズはブルックリン(BROOKLIN ホワイトメタル製少量生産)もモデル化していますが、量産ミニカーではこのオックスフォード製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー 100 BN2 イギリス 1956年
自動車エンジニアのドナルド ヒーレーがオースチンのエンジンを用いてスポーツカーのプロトタイプを製作し、それをBMCのオースチン部門が引き継いで量産化したのがオースチン ヒーレーの始まりでした。最初のモデル 100(BN1)は1953年に登場しました。オースチン A90の4気筒2.7L(90HP)エンジンを搭載した2座のオープンカーで、3段変速で最高速172km/hの性能でした。100という名前は最高速100マイル/h(160km/h)が可能であることを意味していました。
1955年のマイナーチェンジで100 BN2となり、4段変速機が採用されフロントのホイールアーチが少し大きくなりました。1956年にエンジンを6気筒2.6L(102HP)に切り換え、ホイールベースを延長し2+2座とした100/6(BN4)に発展しました。可倒式であったフロントスクリーンが固定され、ボンネットにはエアダクトが追加されました。1958年には2座の100/6(BN6)が追加されました。ヒーレー 100はMGと同じくアメリカ市場で人気を博し、1959年までに約3万台が生産されました。限定生産の高性能版として110HPエンジンを搭載した100M、アルミ製ボディで軽量化し132HPエンジンを搭載した100Sがありました。1953年ルマンに参戦するなどレースでも活躍しました。 1959年にヒーレー 3000にモデルチェンジしました。
ミニカーはマッチボックス傘下でマニア向けに復活したディンキー製で1992年頃に発売されました。マイナーチェンジしたオースチン ヒーレー 100 BN2をモデル化しています。フロントフェンダーの雰囲気が少し違うような感じもしますが、豪快なイメージのこの車をそこそこうまく再現しています。ヒーレー 100の当時物ミニカーとしては、コーギー、ディンキー、テクノなどがありました。当時物以外では、ビテス、京商の1/18、ホンウェル、オックスフォード、スパーク(レジン製)の100Sなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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モーガン 4/4 シリーズ II イギリス 1956年
モーガン社は1920-30年代にサイクルカーの3輪スポーツカーで成功した、少量生産のスポーツカーメーカーです。1936年にはサイクルカーのエンジンを使った4輪車の4/4が登場しました。4/4は水冷4気筒1.1L(34HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速128km/hの性能でした。4/4は4シータ版や幌付クーペが追加され、1.2L(39HP)エンジンに変更されるなどして、第2次大戦を挟んで1949年までに約1000台弱が生産されました。(実車画像→ モーガン 4/4 1947)
1950年に4/4の後継車としてスタンダード製2.1L(59HP)エンジンを搭載しホイールベースを少し延長しシャーシを強化したプラス 4が登場しました。この車は4段変速で最高速145km/hと4/4より高性能でした。プラス 4はエンジンをトライアンフ製2L(101HP)に強化するなどして1968年まで生産されました。プラス 4の後継車として1968年に登場したプラス 8はローバーのV型8気筒3.5L(160HP)エンジンを搭載し最高速210km/hとさらに高性能でした。プラス 8はエンジンを4.6L(220HP)までパワーアップし2003年まで生産されました。2000年にはBMW製のV型8気筒エンジンを搭載して完全に新設計されたエアロ 8が登場しました。2012年にはBMW製エンジンを搭載して以前の外観を踏襲したプラス 8が復活し2018年まで生産されました。
1955年に市場の要望に応えてフォード製4気筒1.2L(32HP)エンジンをプラス 4に載せた4/4がシリーズIIとして復活しました。シリーズIIは1960年にフォード製OHV1L(34HP)エンジンに変えてシリーズIIIとなりました。その後も4/4はエンジンが色々と変わりシリーズ IV、シリーズ V、1600、1800、1.6Lと発展し、古典的な外観のボディなど基本設計は変わらないまま2019年まで生産されました。(最終型はフォードの4気筒1.6L(110HP)エンジン搭載で最高速185km/h) なお見た目だけではなくボディや内装などの製造も、昔ながらの職人による手作業で行われていたそうです。
ミニカーはビテス製で1996年頃に発売されました。モーガン 4/4 シリーズ IIをモデル化しています。モーガンの古典的なボディーがうまく再現されていてとても良く出来ています。キャンバスカバーの付いたドア、ホイール、室内などの細部も良く再現されています。モーガン 4/4のミニカーはあまりなく、このビテス製が2022年現在でも1/43量産ミニカーとしてはベストの出来ばえだと思います。当時のビテスはやたらとバリエーションが多く、このモーガン 4/4もシリーズ IIから1600まで20種類ほどのバリエーションがありました。これ以外のモーガンのミニカーとしてはデルプラドのプラス 4、ホンウェルのプラス 8、京商の1/18の4/4 1800、スパーク(レジン製)のエアロ 8などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ダットサン 112型 日本 1956年
日産自動車は1952年にイギリスのオースチン社と技術提携を結び、当時最先端であったオースチン A40 サマーセットのノックダウン生産を始めました。(実車画像→ オースチン A40 サマーセット) 1953年に第1号車が完成し、当初はタイヤ、バッテリー、ドアのガラスが国産品でした。国産部品は次第に増やされ、1955年の日産 A50 ケンブリッジでは最終的に全部品が国産となりました。(実車画像→ 日産 A50 ケンブリッジ) 1959年に自社開発した日産 セドリックが登場し、役目を終えたA50は1960年に生産終了となりました。
このノックダウン生産で培った技術を生かして、小型車のダットサン 110型が自社開発され1955年に発売されました。(ダットサンは日産自動車の小型車のブランド名でした) 110型は前後固定車軸のラダーフレームに、鋼板をプレスした車体を載せた構造でした。全長3.86mX全幅1.47m(現在の軽自動車より少し大きい)のボディに、サイドバルブ方式4気筒860cc(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速85km/hの性能でした。110型はシンプルで耐久性に優れており、小型タクシー用として人気を呼ぶなど日産の小型乗用車の基礎を固めました。フロントグリル変更やコラムシフト化などで改良され112、113、114、115型と発展し、1957年には210型にモデルチェンジしました。
ミニカーは2009年に発売されたエブロ製です。日産自動車が保有しているレプリカを忠実にモデル化しているようで、フェンダーの上に付いている小さな赤いウインカー、フロントグリル、室内など細かい所までよく再現されています。国産車の歴史上重要な車をエブロがモデル化してくれたのはうれしいのですが、ウエストラインより上のキャビン部分の高さがやや足りない感じがして、プロポーション的にはいまひとつの感じがします。ダットサン 112型のミニカーは現在(2022年)でもこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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