ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

MONTEVERDI HAI 450 1970 SWISS

MONTEVERDI HAI 450
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MONTEVERDI HAI 450


AUTOPILEN 347 1/43 99㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.34m 全幅約1.79m エンジン 変速機: V型 8気筒 7L 450HP 5段変速
性能: 最高速295km/h  データーベースでモンテヴェルディのミニカー検索

モンテヴェルディ ハイ 450 スイス 1970年

 

 モンテヴェルディ社は元レーシング ドライバーでスイスの高級車ディーラーの経営者であったペーター モンテヴェルディ(Peter Monteverdi)が起こした小規模な高級車メーカーでした。モンテヴェルディ ハイはフェラーリなどのスーパーカーに対抗できる高性能車として企画され1970年に登場しました。レースカー並みのチューブラーフレームに当時最強であったクライスラーのヘミ エンジン V型8気筒7L(450HP)をミドシップ搭載し、最高速295km/hと思惑どうりの高性能でした。(名前の450はエンジン出力値を意味している)

 

 デ トマソ マングスタに似た低い車高の迫力あるボディは自社デザインで、カロッツェリア フィッソーレがボディを架装していました。高性能でしたがフェラーリよりも高価であったこともあってほとんど売れず、1976年に生産中止となりました。モンテヴェルディはその後レンジローバーのような高級4WDのサファリや、メルセデス ベンツ Sクラスをベースにして前後のデザインを変更した高級セダンのティアラなどを発表しましたが、1982年頃に活動を停止したようです。(実車画像→ モンテヴェルディ サファリ)

 

 

 ミニカーは1970年代後半に発売されたオートピレン製の当時物です。オートピレンの初期のミニカーはコーギーなど他社をコピーした物が多かったのですが、これは独自開発したようです。シャープな造形で実車の雰囲気をうまく再現していて当時のミニカーとしてはかなり良くできていました。全体的な造形は同時期のメーベトイの作風に似た感じです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、開閉部の建て付けが良いのは同社の技術レベルが向上したことを示していました。これ以外のモンテヴェルディ ハイのミニカーはマッチボックスの当時物と2011年発売のネオ(レジン製)があります。 以下はフロント/フロントパネルを開いた画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MONTEVERDI HAI 450 1
MONTEVERDI HAI 450 2

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TATRA 603 1970 CZECH

TATRA 603
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
TATRA 603


IXO CLC090 1/43 119㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.07m 全幅約1.9m エンジン 変速機: 空冷V型8気筒 2.5L 105HP 4段変速
性能: 最高速165km/h  データーベースでタトラのミニカー検索

タトラ 603 チェコスロバキア  1970年

 

 タトラ社は馬車時代からの歴史があるチェコ(旧チェコスロバキア)の自動車メーカーで、現在は東欧の有力なトラックメーカです。第2次大戦前にはハンス レドヴィンカという優れた技術者による独創的なデザインの車を多く発表していました。代表的なモデルとしては空冷水平対向4気筒エンジンを搭載した小型車タトラ 57、空冷V形8気筒エンジンをリアに搭載した流線型の大型車タトラ 77などがありました。(実車画像→ タトラ 57 1932)

 

 第2次大戦後の1945年にチェコスロバキアの自動車メーカーは国有化され、トラック/バスはプラガ(PRAGA)、小型乗用車はシュコダ(SKODA)、中型乗用車はタトラという分担になりました。1946年にタトラは戦前の77の流れを汲むリアエンジンの中型車600(タトラ プラン)を開発しました。その後1953年から大型車の開発に着手し、1956年に完成したのが603でした。空冷V型8気筒2.5L(105HP)エンジンをリアに搭載し、4段変速で最高速165km/hの性能でした。当時としては極めて空気抵抗が少ない流線型のモノコックボディで、フロントグリルのないノーズに4灯式(又は3灯式)ヘッドライトを持つ独得のスタイルをしていました。603は共産圏の政府高官の公用車に使われ、一般人が乗ることはありませんでした。1975年まで生産されごく少数が西側に輸出されました。

 

 

 ミニカーは2003年に発売されたイクソ製です。このミニカーはもともとはデアゴスティーニのミニカー付雑誌「TAXI OF THE WORLD (TAXI DEL MONDO 世界のタクシー)」シリーズのNo.27として作られたミニカーでしたが、その型を流用してイクソのカタログモデルとして発売されたものです。(参照WEBサイト→ S?rie TAXIS DU MONDE ) 実車が全長5mを越える大型車ですので、ミニカーも大きめのサイズになっていました。リアエンジン車であることを示すリアフェンダーの吸気口とリアバンパー中央部の排気口、独特の四ツ目フロントノーズなどタトラ 603の風変わりなデザインがうまく再現されていました。これ以外のタトラ 603のミニカーは同じイクソ製で型番CLC030の603 1961年 (ボディカラーが黒でナンバープレート番号が違う)、イクソの別ブランドのホワイトボックスの603 1962年 (型番WB049 4灯式ヘッドライト)と603 1970年 (型番WB152 3灯式ヘッドライト)、ボスモデル(レジン製)の603 1/18と1/87、オートカルト(レジン製)のプロトタイプなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

TATRA 603 1
TATRA 603 2

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HINDUSTAN AMBASSADOR 1980 INDIA

HINDUSTAN AMBASSADOR
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HINDUSTAN AMBASSADOR


IXO CLC070 1/43 103㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.33m 全幅約1.66m エンジン 変速機: 4気筒 1.8L 74HP 5段変速
性能: 最高速133km/h  データーベースでヒンドスタン、タタのミニカー検索

ヒンドスタン アンバサダー インド 1980年

 

 ヒンドスタン モーターズ社はインドの自動車メーカーで、イギリスのBMC車を製造する為に1942年に設立されました。アンバサダーはモーリス オックスフォード MK IIIをベースにした車で1957年から生産されました。この車は様々な改良が行われましたが、基本的な構造は50年以上もそのままで2010年まで作られていました。(多分世界一息が長い) 1967年のアンバサダー MK IIは、4気筒1.5L(46HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hの性能でした。また1975年から2006年まではイスズの4気筒1.8L(74HP)エンジンを搭載していました。(実車画像→ モーリス オックスフォード MK III 1956)

 

 1980年以前のインドではヒンドスタン社とフィアット車を製造していたプレミア(Premier)社の2社が自動車市場を独占していました。プレミア社にも息の長い車があって、1953年に登場したフィアット 1100をベースにしたパドミニ(Padmini)という車が2000年頃まで作られていたようです。この車もインドならではの時代を超越した車でした。(実車画像→ プレミア パドミニ)

 

 

 プレミア社は2009年から中国系企業の小型車を生産していましたが、2018年に破産しました。ヒンドスタン社は三菱自動車工業と提携し、インド国内で三菱車の販売を行なっています。そのほかのインドの自動車メーカーはスズキとの合弁会社マルチ社(2010年以降のインドでは一番売れている)、韓国のヒュンダイ社、世界一安い小型車タタ ナノで有名になったタタ社などがあります。2020年のインド自動車市場は世界5位(販売台数約230万代)で、世界中の自動車メーカーが群雄割拠の状態のようです。

 ミニカーは2006年に発売されたイクソ製です。1979年から登場したアンバサダー MK IVをモデル化しているようです。このミニカーはもともとはデアゴスティーニのミニカー付雑誌「TAXI DEL MONDO (」 世界のタクシー)」シリーズのNo.25としてに作られたミニカーでした。このシリーズの日本語版は途中で休刊となりましたが、海外では全30-50号ほどが刊行されたようで、車種は発売された国毎に違うようです。(参照WEBサイト→ S?rie TAXIS DU MONDE ) これはその型を流用してイクソのカタログモデルとして発売されたものでした。このミニカー付雑誌が無ければこの車がミニカー化されることはなかったと思われます。(ヒンドスタンのミニカーはこれしかないようです) イクソの標準的な仕上げで作られているので、細部までリアルでなかなか良い出来ばえでした。ベースとなったモーリス オックスフォードからボディがほとんど変更されていないことがよく分かります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

HINDUSTAN AMBASSADOR 1
HINDUSTAN AMBASSADOR 2

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TRABANT P601 1988 GDR

TRABANT P601
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TRABANT P601


VITESSE 640 1/43 82mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.56m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 2サイクル空冷2気筒 595cc 23HP 4段変速
性能: 最高速100km/h  データーベースでトラバントのミニカー検索

トラバント P601 東ドイツ (現ドイツ) 1988年

 

 第2次大戦後ドイツは1989年まで東西に分かれていましたが、その東ドイツの国営企業(VEB)のザクセンリンク(Sachsenring GmbH)社が生産していた大衆車がトラバントでした。ザクセンリンク社は戦前のアウトウニオン社の旧工場を引き継いでおり、その為この車は戦前に発表された前輪駆動のDKW F1をベースにしていました。2サイクル空冷2気筒500ccエンジンを横置きに搭載した前輪駆動の4人乗り小型車で、最初のモデルP50は1958年に登場しました。(実車画像→ トラバント P50)

 

 1962年にエンジン排気量595ccのP60に、1964年にフロントグリルを設けてデザインを一新したP601に発展しました。P601の車体の一部はFRP製で600kgと軽量で、2サイクル空冷2気筒595P㏄(23HP)エンジンを搭載しノンシンクロの4段変速で最高速は100km/h(公称で実際は80㎞/hほど)でした。登場した当初は並みの車でしたが、ほとんど仕様変更されないことで時代遅れとなった1991年まで生産されました。総生産台数は約300万台でトラビ(TRABI)の愛称で親しまれました。東西の冷戦終結後に東ドイツの大衆車として知られることになり、その古くさい外観や仕様が東ドイツの共産主義体制を象徴するものとして有名になりました。

 

 

 ミニカーは1991年に発売されたビテス製の当時物です。1990年に東西ドイツが統一されましたが、それを記念してモデル化されたものでした。プロポーションが良く、安っぽいホイールに簡素な内外装仕上げと、実車同様のそれらしい感じでモデル化されていました。このような時代背景の下で製作されたこのミニカーは、作られた時代の空気を反映している当時物ミニカーの代表といえるでしょう。これ以外のトラバントのミニカーは、ブレキナのP50 1/87、ヘルパのP601 1/87、IST MODELSのP601 1/43、イクソのP601 1/43などたくさんモデル化されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

TRABANT P601 1
TRABANT P601 2

 以下は梱包箱の画像です。梱包箱には1989年11月9日のベルリンの壁崩壊時に壁に集まった市民を撮影した写真が背景としてついていました。立て看板に書かれた「Öffnung Der Berliner Mauer 9 Nov. 1989」とは「ベルリンの壁の開通1989年11月9日」という意味です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
TRABANT P601 3

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SEAT TOLEDO 1991 SPAIN

SEAT TOLEDO
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SEAT TOLEDO


AHC (DOORKEY)  1/43 ㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.32m 全幅約1.66m エンジン 変速機: 4気筒 2L 115HP 5段変速
性能: 最高速196km/h  データーベースでセアトのミニカー検索

セアト トレド スペイン 1991年

 

 スペインの自動車会社 セアト(SEAT)社はイタリアのフィアットが出資して1950年に創立されました。SEATとはSociedad Espa?ola de Autom?viles de Turismo(スペイン乗用車協会)の意味です。最初のモデルはフィアット 1400をノックダウン生産した中型車のセアト 1400で1953年に登場し、1963年にフィアット 600をノックダウン生産した小型車のセアト 600が登場しました。その後もフィアット車(850124127など)のライセンス生産を行い、スペイン最大の自動車会社として発展しました。1980年にフィアットがセアト株を売却して撤収し、1982年にドイツのフォルクスワーゲン社と技術提携し、セアト社は同社の子会社となりました。

 

 フォルクスワーゲン傘下でセアトが自社開発した小型ハッチバック車 イビサ(IBIZA)が1984年に登場し、セアトのベストセラーカーとなりました。1985年にはイビサのセダン仕様のマラガ(MALAGA)が登場しました。(実車画像→ セアト イビサ 1985) 1991年に登場したセアト トレドはフォルクスワーゲン ゴルフ IIをベースにとした5ドアリフトバック車で、外観はゴルフのセダン仕様のジェッタに似ていました。当初は4気筒1.6L/1.8L/2Lエンジン、4気筒1.9Lディーゼルエンジンを搭載し、後にDOHC 2L(150HP)エンジンを搭載する高性能版のGTIも追加されました。1998年にトレド 2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ セアト トレド 1998)

 

 

 ミニカーは1993年頃に発売されたAHC(DOORKEY)製での当時物です。DOORKEYとはオランダのAHC MODEL社(又はAR-GEE社)のブランド名で、1990年代に登場したDOORKEYブランドのミニカーは50種類ほどありました。全体的なプロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。ドアとリフトバックが開閉するギミック付きで、室内もそこそこ良く再現されています。トレド 初代のミニカーは2023年現在でもこれしか無いようですので、車種的には貴重なミニカーといえるでしょう。トレド 2代目はミニチャンプスとイクソがモデル化しています。以下はフロント/リア(リフトバック開閉)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

SEAT TOLEDO 1
SEAT TOLEDO 2

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