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イスズ BXD30 ボンネットバス 日本 1964年
戦前の川崎航空機工業が戦後に川崎産業と改称し、バス車体製造を始めたのがいすゞのバス製造の始まりでした。1950年にいすゞ自動車と提携し、その後同業他社との合併などで社名は何度か変わっていますが、主要な国産バス製造メーカーでした。1995年にいすゞバス製造に社名変更し、1997年にはいすゞ自動車の100%子会社となりました。2003年に日野自動車といすゞ自動車のバス部門が統合されジェイ バスが発足し、現在いすゞバス製造はジェイ バスの宇都宮事業所になっています。(以下「いすゞ」を「イスズ」と表記します)
昭和初期の懐かしいボンネットバスとして、一番有名なのはイスズのBX系ボンネットバスでしょう。フロントにガソリンエンジンを搭載するボンネットバス BX80は1947年(昭和22年)に登場しました。以下BX系バスの変遷の概要です。
1948年 ディーゼルエンジン搭載のBX91が登場
1949年 BX91をベースにしたキャブオーバー式のBX92が登場
1956年 新型エンジンを搭載したBX131/141/151が登場
型式の下2桁はホイールベース長の違いを示す
1958年 エンジンをパワーアップしたBX331/341/352に移行
1959年 エンジンをパワーアップしBX521/BX531/BX552に移行 ボンネットが中央ヒンジのバタフライ式から後ヒンジのアリゲーター式に変わる
1961年 エンジンをパワーアップしBX721/BX731/BX752に移行
1962年 型式をBXD20/BXD30/BXD50に変?、フロントグリルを変更
1967年 製造中止
BX系は一番最後まで残っていたボンネットバスでしたので、見慣れたノスタルジックなバスとして現在でも人気があります。1970年代以降も静岡県の「伊豆の踊子号」や西東京バスの「夕やけ小やけ号」など観光地での路線バスとして使われました。
ミニカーは1980年頃に発売されたトミカ ダンディ製です。BXD30バスの三重交通(お伊勢さん)仕様をモデル化しています。マニア向けとして1/43サイズでモデル化したトミカ ダンディの意欲作でした。1/43ですから全長196㎜の堂々たる大きさで、当時のミニカーとしては非常に良い出来ばえでした。ドアとボンネットが開閉するギミック付きで、昔風の懐かしいバス停も付いていました。ドアの開き方が折り畳み式でないのは、それ以外が良く出来ているのでやや残念です。 バリエーションとして東海自動車、濃飛バス、一畑電鉄仕様がありました。人気のあるBX系ボンネットバスはトミカ、トミカ ダンディ(1/43)、タルガ(1/110)、京商(1/80)などで約80種類以上がモデル化されています。(それ以外にもトミカの特注品が非常に多くあります) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 プレジデント 150型 日本 1965年
前述したセドリック 130型のモデルチェンジに際して、3ナンバー車を専用設計して最高級車として独立させたのがプレジデントでした。当時の国産車最大の5m超のボディに、最大の排気量であったV型8気筒4L(180HP)/6気筒3L(125HP)エンジンを搭載していました。性能は3段変速/3段自動変速で最高速185km/h(4L)でした。ボディは直線的なオーソドックスなデザインで、元々は上記セドリックのデザインだったのですが、セドリック 130型がピニンファリーナ デザインとなった為、プレジデントに転用されたものでした。
最上級仕様車の当時の価格は約300万円とこれも国産車で最高で、1960-1970年代の佐藤栄作首相の公用車として採用されました。ライバルのトヨタ センチュリー(1967年発表)が凝ったメカと個性的なデザインで保守的なユーザー層にあまり歓迎されなかったのに反して、オーソドックスなデザインのプレジデントは企業や官公庁に幅広く支持されました。1973年に前後のパネルデザインを変更して250型に発展しています。1990年にモデルチェンジするまで基本的な構成はそのままで、日産の旗艦として長く生産されました。
プレジデント 150型の当時物ミニカーはダイヤペットが作った物しか無く、それは大変貴重なレア物です。250型もダイヤペットが1976年にモデル化しています。→ダイヤペットの250型 画像のミニカーはアドバンスピリット製の150型で、2005年頃に発売されました。アンチモニー製なので非常に重く、プロポーションが良く室内などの細部もそこそこ良く再現されています。アドバンスピリットにはタクシーや要人警護車などのバリエーションが十数種類ありました。最近の物ではトミカ リミテッドの150型が数種類、エニフ(ENIF レジン製)の150型があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 シルビア 1600 (CSP311型) 日本 1965年
日産 シルビアは1964年の東京モーターショーに「ダットサン クーペ 1500」として出品され、翌年に高級スポーツカー シルビアとして発売されました。(車名はギリシャ神話に登場する乙女の名前) フェアレディ (SP310型)のシャーシに2人乗りクーペ ボディを架装し、SUツインキャブ4気筒1.6L(77HP) OHVエンジンを搭載していました。日本初の4段フルシンクロ変速機を介して、最高速165km/hと高性能でした。
美しいボディ デザインはドイツ人デザイナーと日産デザイナーの共作で、当時としてはかなりレベルの高いデザインで、海外からも高く評価されたそうです。ただし少量生産で価格は高級車 日産 セドリック(当時は約100万円)より高い120万円もしたスペシャルティーカーの需要は少なく、1968年までに約500台ほどが生産されただけでした。スペシャルティーカーの先駆者として登場した意欲的な車でしたが、時代に合わず商業的には失敗作でした。1975年にシルビア 2代目が登場しました。
ミニカーは1965年に発売されたダイヤペット製の当時物で、ボディ全体がアンチモニー(鉛とアンチモンの合金)製です。キャビンが少し小さめな感じがしますが、フロントグリルの造形など当時のミニカーとして非常によく出来ていました。箱から出してガラス棚に並べていましたが、50年以上経過しても塗装やメッキはまだきれいな状態のままです。当時のダイヤペットの塗装品質が高かったことが分かります。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーではモデルペット製がありました。当時物以外ではエブロ、京商(ポリストーン製)、エニフ(ENIF レジン製)、日産名車コレクション、国産名車コレクションなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プリンス (日産) スカイライン 2000GT-B S54B型 日本 1965年
前述したプリンス スカイライン(初代)の2Lクラスはグロリア(初代)に移行したので、スカイライン 2代目は小型車として開発され1963年に登場しました。オーソドックスな設計で当初は4ドアセダンとワゴン(バン)の設定があり、4気筒OHV 1.5L(70HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速135km/hの性能でした。ボディはフロントグリルなどがグロリア 2代目のデザインに準じた物でアメリカ車風でした。
1964年の日本グランプリに出場する為にグロリアの2Lエンジンを搭載したレース仕様車が開発され、この車はGT-IIクラスでポルシェ 904に次いで2位になりました。 この車をベースにして1965年に2000GT-A(105HP)と2000GT-B(125HP)が発売されました。2000GT-Bは最高速180km/hと高性能なスポーツカーで、後のGT-Rに繋がる車でした。1966年のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更され、デラックスはテールライトが丸形から角型に変更されました。1968年にスカイライン 3代目にモデルチェンジしました。
プリンス自動車は前述したグロリアの販売が思わしくなく資金繰りが悪化して、1965年に日産自動車との合併を発表しました。(1968年に合併完了) 当時のスカイラインのレースでの活躍で合併後もプリンスの名声は残ったのですが、合併後に発売したスカイライン 3代目が大ヒットしたことを考えると、合併しなくてもやっていけたかもしれません。
ミニカーは2007年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、高性能版の2000GT-B (S54B)をモデル化しています。プロポーションが良く、ブラックアウトしたフロントグリルや灯火類などの細部もリアルで、安価な雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。同じ型の色違い(黒 白ルーフ)が日産名車コレクションのNo.8でも発売されました。スカイライン 2代目の当時物ミニカーとしては、ミクロペットのチェリカ フェニックスとその型を引き継いだダイヤペットがありましたが、どちらもレアなビンテージミニカーです。当時物ではないですが、ダイヤペットの当時物の復刻版やカドーの2000GT-Bなどもありました。最近の物ではエブロの2000GT-B、トミカ リミッテドの1500と2000GT-Bレース仕様、MARK43(レジン製)の2000GT-Bなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ スポーツ 800 日本 1965年
自動車メーカーが自社のラインナップを魅力的にする為にスポーツカーは欠かせません。トヨタはパブリカのエンジンとシャシを流用したスポーツ 800を1965年に登場させました。小さなエンジンで高性能を得るため、軽量化(重量580kg)と空気抵抗低減が図られ、独得の空力ボディとなっていました。完全なオープンではなくタルガトップ形式(有名なポルシェ 911 タルガより先に採用)になっているのはモノコック構造を採用していたからでしょう。
パブリカのエンジンを約100ccの排気量拡大とツイン キャブレターで45HPにパワーアップした空冷水平対向2気筒790cc2U型エンジンを搭載し、4段変速で、最高速155km/hの性能でした。「ヨタハチ」の愛称で呼ばれ、ライバルのホンダS600とレースで競い合った傑作車でした。1968年のマイナーチェンジで、フロントグリルのデザインなどが変更されました。このような2シータースポーツカーがたくさん売れる時代でもなかったので、1969年までに約3000台が生産されただけでした。
ミニカーは1999年に発売されたエブロ製です。エブロらしいリアルな造形でプロポーションが良く、実車の雰囲気が良く再現されています。灯火類などの細部もリアルで、実車同様に屋根が脱着できます。なおこれは前期型ですが、エブロはフロントグリルが異なる1968年式後期型もモデル化してます。当時物のミニカーとしてはモデルペット製が有りましたが、かなりのレア物です。当時物以外では京商、トミカの特注品(アンチモニー製)、トミカ リミッテド、国産名車コレクション(ノレブ製)、京商の1/64と1/43、コナミの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)