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フィアット 521 イタリア 1929年
1910年に登場した大型車 フィアット タイプ 3は1919年にフィアット 510に変わりました。510は同時に発表されたフィアット 501のサイズを拡大した大型車でした。6気筒3.4L(46HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速85km/hの性能でした。1920年に追加されたスポーツ仕様の510Sは、ホイールベースを短縮したシャーシに53HPにパワーアップしたエンジンを搭載し最高速100km/hの性能でした。セダン、トルペード、ランドレーなどのボディ形式があり、1925年までに約1.4万台が生産されました。1926年に512となり1928年には当時の最上級車525に発展しました。(実車画像→ フィアット 510 1925)
1927年に上級中型車の520が登場しました。この520は1921年に登場した520 スーパー フィアットと同じ名前ですが全くの別物です。この520は6気筒2.2L(46HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hの性能でした。1929年には520を大型化し6気筒2.5L(50HP)エンジンを搭載した521が登場しました。521にはホイールベースの異なる2タイプがあり1931年まで生産され、総生産台数は約3.3万台でした。以下は1920-1930年代のフィアットの車種構成です。(Wikipediaなどを参照して作成しました)
ミニカーは2005年頃に発売されたソリド製です。フィアット 521のトルペード(オープン仕様)をモデル化しています。ソリドのクラシックカーとしては比較的新しいものですが、1980年代に発売された型番4154の525の型を流用したバリエーション的な物です。したがってインパネの紙シールなど昔のソリド流の作風なのですが、2023年現在でも通用する良い出来ばえとなっています。立て付けの良い前ドア開閉ギミック付です。なお1920年代にイタリアでは右側通行が慣習となったそうで、フィアットでは520から左ハンドルが採用されました。(これより古いフィアット車のミニカーのほとんどは右ハンドルになっています) 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 525N イタリア 1929年
1910年に登場したフィアット タイプ 3は1919年にフィアット 510に変わりました。510は6気筒3.5L(46HP)エンジンを搭載し車体のサイズは大きいですが、小型車の501やその上級車505と同じようなデザインでした。1920年に追加されたスポーツ仕様の510Sは、ホイールベースを短縮したシャーシに53HPにパワーアップしたエンジンを搭載し最高速100km/hの性能でした。セダン、トルペード、ランドレーなどのボディ形式があり、1925年までに約14000台が生産されました。(実車画像→ フィアット 510 1919)
1926年にフィアット 510は512に発展し、1928年には当時の最上級車519の後継車となる525に発展しました。525は6気筒3.7L(68HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速97km/hの性能でした。525は1929年に改良型の525Nとなりました。525にもホイールベースを短縮し軽量化したスポーツ仕様の525S(68HP 最高速107km/h)と、さらにそれを高性能化した525SS(89HP 最高速120km/h)がありました。フィアットには必ずスポーツ仕様があるのはイタリアのお国柄でしょう。525Nは1929年にバチカン市国のローマ教皇に献上されました。(参照ページ→ イタリアのVIPカー) 525は1931年まで生産され、総生産台数は約4400台でした。後継車は524で、その後1934年に527、1938年に2800となりました。(実車画像→ フィアット 2800 1939)
ミニカーは1983年頃に発売されたソリド製です。このミニカーは元々は1967年に型番154でローマ教皇の教皇車(パパモビル)としてモデル化された物でした。それには教皇と運転手のフィギュアが乗っていました。(なお実際の525N 教皇車はこのようなオープンカーではなく密閉式ボディのリムジンだったようですが) この型番4154は型番154のフィギュアを外して通常の525Nとして再生産されたものでした。その為この525Nの後部座席は教皇用の特注仕様(着座位置を上げてある)のままで、ラジエータ上のマスコットも教皇車を示すマスコットのままとなっています。ドア開閉ギミック付きです。これ以外の525のミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)の525S、ノレブの初期物(プラスチック製)、リオの525N 教皇車があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 508 バリッラ イタリア 1932年
1932年にフィアット 509の後継としてフィアット大衆車の最高傑作といわれるフィアット 508 バリッラが発表されました。アメリカのフォード A型を小さくしたようなオーソドックスなデザインで、2ドアセダンとトルペード(4シーターのオープン仕様)と2シーター スパイダーがありました。4気筒995cc(20HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速80km/hの性能でした。4輪油圧ブレーキを備えていたこと以外はごく平凡な車でしたが、価格、燃費、メンテナンスの総合的なコストが安くイタリアの大衆にとって画期的な車でした。なお508にも高性能なスポーツ仕様の2シーター スパイダーの508Sがありました。
1934年に大幅な変更が加えられ508B バリッラとなりました。ホイールベースが50㎜延長されたことで、観音開きの4ドア仕様が追加されました。車重が増加しましたが、エンジンは24HPにパワーアップされギヤボックスが4段となり、走行性能は維持されました。ボディもフロントグリルやフロントウィンドーに傾斜が付き全体的に丸みが付きました。1937年に後継車の508Cが登場しました。508/508Bは約11万台が生産され大ヒットしました。(実車画像→ フィアット 508B 1934)
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ製です。リオのミニカーとしては初期の物ですが、508 バリッラは自国の名車だけにかなり力の入った作りとなっていて、この小さい車を忠実に再現しています。特に小さなドアが実車同様に大きく開閉するようにヒンジ部分を工夫してあり、室内も結構リアルに再現しています。リアバンパー上にトランクが載せてあり、初期の自動車のトランクはこのようなものでした。リオは商用車や救急車など十数種類のバリエーションを作っています。リオ以外の508のミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 508S バリッラ コッパ ド オーロ イタリア 1934年
この当時のフィアット車には必ずスポーツ仕様がありましたが、大衆車 508 バリッラにも2シーター スパイダーの508Sが1934年に追加されました。カロッツエリア ギアのデザインで、リアのトランクに付いた小さなテールフィンが特徴でした。4気筒1Lエンジンはサイドバルブからオーバーヘッドバルブに変更されて36HPにパワーアップされ、790kgと軽量なボディゆえに4段変速で最高速110km/hの性能でした。操縦性も優れていて、当時の軽量スポーツカーとしては抜群の性能でした。508Sには様々なバリエーションがありましたが、高性能版はコッパ ド オーロ(伊語で金杯の意)とも呼ばれました。
フィアット 508Sのレース仕様はミッレ ミリアなどのレースで活躍し、イギリスのブルックランズ マウンティン サーキットでは平均速度89km/hで1000マイルを走破しており、軽量ながら耐久性にも優れていたようです。1935年にレースでの空力特性を改善する為に流線形のクーペボディを載せた508CS ベルリネッタ ミッレ ミリア クーペが開発されましたが、ボディが重くなり競争力が低下しました。508 バリッラはドイツのNSUやフランスのシムカでも生産され、シムカ版の508S スパイダー(シムカ フィアット 6CV)が1937年ルマンの1.1Lクラスで優勝しています。508Sはわずか1000台ほどしか生産されませんでしたが、高く評価されています。(実車画像→ フィアット 508CS ベルリネッタ ミッレ ミリア クーペ)
ミニカーはマーキュリー製で1960年代に発売されました。実際に製作したのはZISS-MODELL(チィス モデル)のブランドで知られるMINI-AUTO社で、マーキュリーにOEMしていたようです。実車の雰囲気がうまく再現され、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット取外しとドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンやトランク内のスペアタイヤも再現されています。これ以外の508Sのミニカーはドゥグー、ポリスティルの1/16、スターラインの508CSなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを外したエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 500A トポリーノ イタリア 1936年
1936年にフィアット 508 バリッラよりも小型で低価格な車として500Aが登場しました。この車は見た目がかわいらしいので「トポリーノ」(Toporino:小さなネズミの意)という愛称で呼ばれました。大きさは全長3215mmX全幅1275mmで車重600kgと日本の軽自動車よりひとまわり小さく、4気筒569cc(13HP)エンジンをフロントに搭載し最高速度85kmの性能でした。価格が安くその上軽量で燃費も良いこの車は圧倒的な成功をおさめました。500Aはイタリアで10万台以上も生産され、フィアットが資本参加していたフランスのシムカでもシムカ 5の名前で生産されました。戦後の1948年にはエンジンが16HPに強化され500Bとなりました。
500は低価格な車でしたが、その中身は4気筒エンジン、前輪独立懸架、シンクロ付きギヤボックス、油圧ブレーキなど上級車並みのメカが使われていましたので、単なる安物の我慢車ではなかったのです。キャンバストップ仕様があり、この2座席の小さな車のキャンバストップを開放して、4人以上?も乗り込んでいたそうです。つまり後ろに大人が乗る場合は上体を外に出して乗っていたようです。このような使い方をされたので後輪の板バネが折れるトラブルが起こり、1938年には板バネが強化されました。戦後の1949年にフロント周りを近代的に意匠変更した500Cが登場し、1955年まで生産されました。
私の好きな映画「ローマの休日」(1953年)にはこの500 トポリーノがでてきます。オードリー ヘップバーン扮するアン王女が助手席に座りグレゴリー ペック扮する新聞記者がキャンバストップから頭を突き出して後部に乗っていて、大柄なグレゴリー ペックが降りる時に苦労しているシーンがあります。(映画「ローマの休日」DVDから引用した画像→ 「ローマの休日」のトポリーノ)
ミニカーは1979年に発売されたブルム製の初期物です。実車の愛嬌のあるデザインがうまく再現されていて、当時のミニカーとしてとても良く出来ていました。なお2023年現在でもこれ以上の出来ばえの物はないと思います。ブルムはイタリアのメーカーですから、この車の雰囲気がうまく再現できたと思います。(イタリアの名車ですからブルムも力の入れ方が違うはずです) ブルムは500A/Bのキャンバストップ仕様や商用車仕様など20種類以上をモデル化しています。これ以外の500A/Bのミニカーは1970年代のドゥグーとイタリアのミニカー付雑誌「FIAT STORY」のNo.82ぐらいしかありませんので、500A/Bのミニカーはブルムの独壇場となっています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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