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ランボルギーニ ブラーボ イタリア 1974年
ランボルギーニ ブラーボは1974年にトリノ ショーで公開されたコンセプトカーです。ベルトーネのマルチェロ ガンディーニのデザインで、ウラッコをベースにしていました。ウラッコの後継車として実際に量産準備をしていた走行可能なプロトタイプでした。その為ボディの基本プロフィールはあまり奇をてらったところがないシンプルなデザインです。ただフロントピラーを隠してサイドとフロントを一体化した大きなウインドーは斬新でした。フロントとリアのルーバーパネルはシンプルなボディのアクセントになっていて、フロントのルーバー最前列の左右の2つはリトラクタブルヘッドライトとなっていました。
リア クオーターパネルの窓の切り欠きもデザイン上のアクセントで、この切り欠きのモチーフがフロントエンドとテールエンドに反復されていました。エンジンはウラッコのV型8気筒3Lで横置きミドシップ搭載されていました。ブラーボは量産化されませんでしたが、デザインの特徴(リアフェンダーのホイールオープニング形状など)は同時期に市販化が発表されたカウンタックとよく似ていました。またカウンタックに採用された5穴ホイールがブラーボ ホイールと呼ばれるのは、それがブラーボ用にデザインされた5穴ホイールと同じだったからです。
ミニカーは2008年に発売されたミニチャンプス製です。全盛期のミニチャンプスのそつの無い標準的な良い出来ばえでした。実車に忠実でスモーク ガラス仕様になっているので、室内はほとんど見えません。特筆すべきはその見えない室内の造形も手抜きせずに再現してあることです。当方は興味本位でミニカーを分解して内部を確認してみました。ステアリング センターのランボルギーニのロゴやメータパネルまでちゃんと再現してありました。 当時のミニチャンプスはこのように真摯で良心的な物づくりをしていたので好きなブランドでしたが、最近はその姿勢が崩れました。(1/43のF1や1/18はそうでもないようですが、昔に比べると高価です) これ以外のブラーボのミニカーは、京商の1/64やホワイトボックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ カウンタック LP400 イタリア 1974年
ランボルギーニ ミウラの後継車として計画されたカウンタックのプロトタイプ LP500は1971年に発表されました。ベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)によるウェッジシェイプの未来的なデザインはセンセーショナルな評判を呼びました。またV型12気筒5L(440HP)エンジンを変速機側を前方に向けてミドシップで縦置きに配置した構造も特異なものでした。
このような特異な構造にはやはり無理があり、エンジンの冷却などに問題が生じそのままでは量産化できませんでした。3年後の1974年に市販されたLP400は冷却用のエアインテークなどが追加され、エンジンはミウラ用のV型12気筒3.9L(375HP)に変更されていました。当時のライバルであったフェラーリ BBと張り合って最高速300km/hを公称していました。 LP400は1978年に改良型のLP400S、1982年に4.7Lエンジン搭載のLP500S、1985年に4バルブ化した5.2L(455HP)エンジンを搭載したLP500QV(QUATTRO VALVOLE)に発展しました。1990年まで生産され、総生産台数は約2000台でした。 カウンタックという名前は本来は「クンタッチ」のような発音で、イタリア語でびっくりしたときに発する感嘆詞だそうです。確かに走行中のこの車を見るとこのような言葉がでます。私は路上でこの車と高速ですれ違ったことがありますが、近づいてくる幅の広い異様な車にびっくりしました。(すれ違った時点でカウンタックであると気づきましたが、実物はどちらかというとかっこいいというよりも変わった車です)
なお当時のランボルギーニ社はウラッコの失敗などで経営不振となり、1978年に一度倒産しています。その後イタリア政府の管理下となり、クライスラー傘下などを経て現在はVWグループのアウディ傘下となっています。 アウディ傘下で2021年にカウンタックの50周年を記念して、V型12気筒エンジンと4電気モーターを搭載したハイブリッド仕様のカウンタック LPI 800-4が発表され、112台が限定生産されました。(実車画像→ ランボルギーニ カウンタック LPI 800-4)
ミニカーは2002年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスらしいリアルな造形で、とてもよく出来ていました。1/43のダイキャスト製ミニカーとしてはプロポーションや灯火類などの細部の仕上げがベストに近い出来ばえだと思います。ただサイドウィンドーの透明度が低いのでそこから室内がほとんど見えないのが今一つです。(室内はサイドウィンドーからの撮影ができませんでしたので、フロントウィンドー越しに撮影しました) カウンタックのミニカーは非常にたくさんあります。プロトタイプ LP500のミニカーはポリスティル(ポリトーイ)の1/25、京商の1/18などがあります。LP400の当時物ミニカーは、ダイヤペット、トミカ、トミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズ、シンセイ、ポリスティル(ポリトーイ)の1/25などがありました。当時物以外では京商の1/43と1/18、オートアートの1/18、アイドロン(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ ティーポ 33 TT12 イタリア 1975年
プロトタイプクラスのスポーツカー アルファ ロメオ ティーポ 33は改良されて1968年にティーポ 33/2となりました。デビュー戦の1968年デイトナではポルシェ 907が1-2-3位で優勝していますが、ティーポ 33/2は総合5-7位でクラス優勝しました。その後1968年ルマンで総合4-6位クラス優勝、タルガ フロリオで総合2-3位クラス優勝、ニュルブルクリングで総合5位クラス優勝するなど大活躍しました。(圧倒的に強かったポルシェ相手に善戦していました)
1969年にエンジンを3L(400HP)に拡大したティーポ 33/3が登場しました。デビュー戦の1969年セブリングではオーバーヒートでリタイア、ルマンは参加せずと1969年はほとんど活躍できませんでした。1970年もセブリングで3位、ルマンでリタイアなどあまり活躍していません。1971年になるとセブリングで2-3位クラス優勝、モンザで3-5位クラス優勝、タルガ フロリオで優勝など活躍し、世界スポーツカー選手権の2位となりました。1972年はタルガ フロリオ2-3位、ニュルブルクリング3位、ルマン総合4位などの成績でした。
1973年に水平対向12気筒3L(500HP)エンジンを搭載したティーポ 33 TT12が登場します。1973年のルマンは33/3が出場し15位、33 TT12は出場していません。1974年の33 TT12はモンザで優勝し、ニュルブルクリングで2-3位などの成績でした。1975年にはスパで1-2位優勝、ニュルブルクリングで優勝など活躍し世界スポーツカー選手権を獲得しました。1976年にティーポ 33 TT12の後継車 33 SC12が登場し、1977年には再び世界スポーツカー選手権を獲得しました。1977年にはツイン ターボ過給した2.2L(640HP)エンジンを搭載した33/3 SC12 ターボが登場し、ティーポ 33 シリーズの最後の車となりました。
ミニカーは1995年に発売されたブルム製です。1975年 モンザ 1000㎞ 優勝車をモデル化しています。当時期のミニチャンプスほどリアルな造形ではありませんが、ブルム流のやり方で高い位置のバックミラーやコクピットなどがそこそこ良く再現してあって、当時のミニカーとしては良くできていました。ブルムは33 SC12なども含めて7種類ほどをモデル化しています。ティーポ 33のミニカーはソリドやノレブの当時物、当時物以外ではベスト モデル、M4などたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 308 GTB イタリア 1975年
308 GT4のクーペ(ベルリネッタ)として308 GTBは1975年に登場しました。この車は308 GT4の不人気を挽回してディノの後継車として大成功し、その後の8気筒フェラーリの始祖となりました。ディノの基本設計を踏襲したシャーシにDOHC V型 8気筒3L(255HP)エンジンをミッドシップで横置き搭載し、最高速250km/hの性能でした。
ボディはディノのイメージを残しつつ、365 GT4 BBなどとよく似た新しいスタイルで、さすがはピニンファリーナといったところです。初期型は生産性の問題でボディはFRP製でしたが、1977年以降はスチール製となりました。1977年には、タルガトップのの308 GTSも追加されました。
1980年にはイタリア国内向けに2L(155HP)エンジンを搭載した208 GTBも追加され、1982年ににはターボ仕様の208 GTB ターボが追加されています。308 GTBは排ガス規制によるパワーダウンを補うため1982年に4バルブ化されたクワトロバルボーレが追加されるなどして1985年まで生産されました。後継車はほぼ同じ外観で排気量が3.2Lに拡大された328でした。
ミニカーはビテス製で1992年頃に発売されました。前述したディノ 246と同様に、プロポーションや細部の仕上げが良く、当時としてはかなり良い出来ばえでした。ビテスはラリー仕様のバリエーションを20種類以上作っています。当時物ミニカーはトミカ、ポリスティルの1/25、ブラーゴの1/43などがありました。 最近の物では、京商、ベスト モデル、マテルの1/18などがあります。以下はビテスの308 GTBのフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ メラク SS イタリア 1975年
マセラティ メラクは前述したボーラの廉価版として1972年に登場しました。ボーラと大きさも見た目もほとんど同じで、デザインは同じG.ジュージアーロでした。違いはボーラのリアはファーストバック風(リアゲートはない)の大きく開くリアカウルとなっていましたが、メラクはノッチバックでリアエンジンフードがありました。また側面にはファーストバックに見えるようルーフからテールに伸びる柱が付いていました。ボーラはこの方式でエンジンの放熱が良くなり後方視界も改善されました。エンジンはシトロエン SM用のDOHC V型6気筒3L(190HP)が搭載され、エンジンが小さくなった分室内が拡大され2+2シーターとなり、居住性も改善されました。シトロエンのハイドロニューマティック方式がパワステに採用されました。
1975年にマセラティはシトロエン(PSAグループ)との提携を解消し、デ トマソ傘下となりましたので、メラクに採用していたシトロエン製のパーツは使えなくなりました。メラクは同じようなコンセプトのランボルギーニ ウラッコに較べると性能的に見劣りしていたので、1975年にエンジンを220HPにパワーアップしてメラク SSとなりました。1976年にはデ トマソの要請でイタリア国内向けのDOHC V型6気筒2L(170HP)エンジンを搭載したメラク 2000GTが追加されました。1983年に生産中止となり、総生産台数は約1800台でした。
ミニカーは1977年に発売されたサクラのスーパーカーシリーズの当時物です。このシリーズは1970年代のスーパーカーブームで生まれたブランドで、10車種ほどが作られました。縮尺は1/43となっていましたが、このメラクはやや大きめにできていました。当時のミニカーとしてはプロポーションが良く、リトラクタブルヘッドライト/ドア/リアエンジンフードが開閉するギミック付きで、ダイキャスト製の凝ったホイールなど良く出来ていました。メラクの国産品当時物ミニカーはトミカ、シンセイなどがありましたが、外国製の当時物はなかったようです。当時物以外では、ミニチャンプスやイクソがあります。 以下はフロント(リトラクタブルヘッドライト開閉)の画像とリア/リアエンジンフードを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)