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アウディ タイプ A (10/22) ドイツ 1911年
自動車創世記にベンツの工場長を務めていた技術者アウグスト ホルヒ(August Horch)はホルヒ社を設立し、1901年から自動車製造を始めました。アウグスト ホルヒは技術/品質にこだわって出資者の経営陣と対立し、1909年に自分が設立した会社を去りました。その直後に彼はまたホルヒという名前の会社を設立しましたが、元のホルヒ社からクレームが付き、1910年に名前をアウディに変更しました。なおホルヒとはドイツ語では「聞く」という意味があり、ラテン語で同じ「聞く」という意味のアウディ「AUDI」を使ったそうです。
アウディ社が生産した最初の車はタイプ Aでした。タイプ Aは4気筒2.6L(22-28HP)エンジンを搭載した後輪駆動車で、最高速75km/hの性能でした。1911年から1915年の5年間で137台が生産されたようです。その後1911年にはタイプ B(4気筒2.6L 28HP)、タイプ C(4気筒3.6L 35HP)、1912年にタイプ D(4気筒4.7L 45HP)が登場しました。さらにタイプ E、G、Kが続き1924年には初の6気筒4.7L(70HP)エンジンを搭載したタイプ Mが登場しました。この当時のアウディ車は高性能な高級車として知られていました。
ミニカーは2010年に発売されたミニチャンプス製です。もともとはアウディ社の100周年記念モデルとして製作された物で、そちらは実車参照画像と同じ緑のボディカラーで出来ているようです。メーカー特注品ということで、通常品よりレベルの高い仕上がりとなっています。特にエッチング パーツで出来たハンドルとボディ右サイドの変速レバー、細かな細工の灯火類、忠実に再現された前後のサスペンションなど非常にリアルに作ってあります。ちょっと変わっているのはヘッドライトの砲弾型のカバー(多分破損防止用)ですが、横にヒンジのような部分がありますので使用するときにはカバーを開くのだと思います。 ただし限定1000台ほどの少量生産品故にレジン製で軽くて安っぽい感じがするのがいまいちです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ タイプ C アルペンジーガー ドイツ 1913年
戦前の高級車メーカー ホルヒ社の創立者アウグスト ホルヒがホルヒ社を辞めて1910年に設立したのがアウディ社でした。(アウディ社はその後1932年にアウトウニオン社に併合され、その後アウトウニオン社を傘下におさめたフォルクスワーゲン社によって1965年に名前が復活しました) 創立者のアウグスト ホルヒはモータースポーツに関心があり、初期のアウディ車は高級車ながらモータースポーツでも活躍していました。
1911年に登場したタイプ Cは4気筒3.6L(35HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速で最高速90km/hと高性能でした。アウグスト ホルヒはタイプ Cを自らドライブして、1912年のオーストリア アルペン ラリー(アルプスでの山岳レース)へ参戦し優勝しました。タイプ Cは同ラリーで3連覇を達成し、アルペン シーガー(アルプスの覇者)の名声を得ました。またこの勝利でアウディ車は国際的にも知られることになりました。タイプ Cは1916年まで生産され、総生産台数は約1100台でした。
ミニカーは1960年代に発売されたドイツのチィス(ZISS)製です。チィスは自動車創成期のクラシックカーを30種類ほどモデル化していました。(参照ページ→チィスのミニカー まとめページ) 1960年代のビンテージミニカーですので、金属パーツが多く頑丈にできていました。また当時のミニカーとしてはスケールモデル的な作風で良く出来ていました。このアウディ タイプ Cも尖ったテールのボディなど当時の軽快なスポーツカーの雰囲気がよく再現されています。タイプ C アルペンジーガーのミニカーはRICKOの1/87、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ フロント 225 ロードスター ドイツ 1935年
1906年に創立されたDKW社は第1次世界大戦後に2ストロークエンジンのオートバイの生産を始めて成功し、1928年に小型4輪車市場に進出しました。DKWは当時経営が悪化していたアウディ社を買収し同社の技術を得て、オートバイと小型車のメーカーとして成功しました。1932年にはDKW社が中心となってホルヒ社、アウディ社、ヴァンダラー社の4社が連合してアウトウニオン社が成立しました。ホルヒは高級車、アウディはホルヒに次ぐ上級車、ヴァンダラーは中型車、DKWは小型車という分担でした。
1931年にDKW社傘下のアウディからタイプ Tが登場しました。タイプ Tは6気筒3.8Lエンジンを搭載する中型車でした。タイプ Tの後継車として1933年に6気筒2Lエンジンを搭載するアウディ フロントが登場しました。名前のフロントとは、当時はまだ珍しかった前輪駆動車であることを示していました。前輪駆動技術はドイツ初の前輪駆動車を作ったDKWによるもので、エンジンはヴァンダラーの6気筒を使い、ボディはホルヒが担当していてアウディ フロントはアウトウニオンの総力を結集した車でした。1935年にフロント 225にモデルチェンジしました。名前が示すように6気筒2.25L(55HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速105km/hの性能でした。
ミニカーはミニチャンプス製で2010年に発売されました。もともとはアウディ社の100周年記念モデルとして製作された物で、そちらは白のボディカラーで出来ているようです。メーカー特注品ということで詳しい実車考証の上でモデル化されていて、細部までリアルに再現されたレベルの高い出来ばえとなっています。特に豆粒のように小さなサイズのワイパーモーター(ウィンドースクリーンの下部にある)が再現されているのには感心しました。この時代のアウディ車のミニカーは珍しくその点で貴重なモデルでした。ただし前述したミニチャンプス製のアウディ タイプ Aと同じことを書きますが、少量生産品故にレジン製で軽くて安っぽい感じがするのがいまいちです。(値段も1万円ほどと高かったです) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 100S クーペ ドイツ 1970年
戦前に設立されたアウトウニオン社は第2次大戦中は軍用車両の生産を行いました。敗戦したドイツは東西に分断され、アウトウニオン社の主要な工場は東ドイツ側にあったので東ドイツの会社に統合されました。1947年に西ドイツのアウトウニオンの子会社が新生アウトウニオンを創立し、戦前のモデルをベースにしたDKW車を生産し始めました。1958年にダイムラー ベンツ社がそのアウトウニオン社を買収し、その後1964年にフォルクスワーゲン社がアウトウニオン社を傘下に収めました。
1965年にDKW F102の2ストロークエンジンを4ストロークに変更したアウトウニオン アウディ 75 (F103)が登場しました。(実車画像→アウトウニオン アウディ 75 1965) この車は後にアウトウニオンの名前が外れて、復活したアウディの最初のモデルとなりました。(この時点でDKWブランドは消滅しました) アウディ 75は4気筒1.7L(75HP)エンジンを縦置きする前輪駆動の中型セダンで、ワゴンのバリアントや高性能版のスーパー 90などが追加されました。1968年にはフォルクスワーゲン グループの最上級車としてアウディ 100が登場しました。(実車画像→ アウディ 100) アウディ 100は4気筒1.8L(100HP)エンジンを搭載した中型の前輪駆動車で、シンプルで品の良いデザインが特徴でした。当初はセダンだけでしたが、1970年に1.9L(115HP)エンジンを搭載するファーストバックのクーペが追加されました。アウディ 100は1975年に2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーはドイツのメルクリン製の当時物です。アウディ 100 クーペをモデル化しています。メルクリンは鉄道模型の老舗メーカーで、1950-1970年代にはダイキャスト製ミニカーも作っていました。フロントの造形は実車のイメージ通りですが、キャビン後部の形状が実車とは少し違う感じで、より低く伸びた感じになっています。これはメルクリン流のデフォルメなのだと思います。ホイールは当時の流行だった走らせることを重視したフリーホイールになっていました。ドア/ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、この開閉ギミックはヒンジ部に板バネを使うことで閉じたときの立付けが良くメリハリの効いた開閉動作を実現していました。メルクリンは型番1821で4ドアセダンもモデル化していました。これ以外のアウディ 100の当時物ミニカーはシュコーのセダンとクーペ 1/66、ジクのセダン 1/60などがありました。当時物以外ではミニチャンプスのセダンとクーペ、ヘルパのセダンとクーペ 1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 80 GL (B1) ドイツ 1972年
前述したように1965年に復活したアウディの最初のモデルはDKW F102をベースとしたアウディ 75 (F103)で、縦置きエンジンによる前輪駆動車でした。1972年に登場したアウディ 80はそのアウディ 75の後継車で、4気筒1.3L/1.5Lエンジンを縦置き搭載した前輪駆動の小型車でした。この車はフォルクスワーゲンが次世代の主力モデルとして開発し1973年に登場したフォルクスワーゲン パサートのベースとなった車でした。アウディ 80は一般的なノッチバック セダンでしたが、パサートはハッチバック セダンでした。
デザインはイタルデザインのG.ジウジアーロによるもので、シンプルな面構成でバランスの良いデザインでした。2ドア/4ドアセダンと5ドアワゴンがありました。エンジンは4気筒1.3L/1.5L(85HP)が搭載され、標準モデルは2灯式で上級グレードは4灯式ヘッドライトでした。1973年に1.6L(100HP)エンジン搭載の高性能版80GTが追加されました。1973年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。1977年のマイナーチェンジでヘッドライトが角形に変更されました。1978年に2代目(B2)にモデルチェンジしました。(実車画像→ アウディ 80 1978)
ミニカーは1973年に発売されたシュコー製の当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。その1/43のダイキャスト製ミニカーはこのアウディ 80あたりから始まったもので、フロントグリル全体をメッキしたプラスチックパーツで造形する当時のシュコー独特の作風は、斬新で目新しい出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、可動部の隙間は小さく動作はスムーズでドイツ流の緻密な作りになっていました。(なお初期の物は塗装の質が良くないものがありました) アウディ 80の当時物ミニカーはこれぐらいしかなく、当時物以外ではミニチャンプス、ブレキナの1/87、Bブラーゴの1/24などがあります。 以下はフロン/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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