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プジョー 201 フランス 1931年
前述したプジョーの小型車クアドリレット(5CV)の後継車としてプジョー 190が1928年に登場しました。190はプジョーとしては伝統的な木製フレームを採用した最後の車で、5CVと同じ4気筒695㏄(14HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速60km/hの性能でした。190は1931年まで生産され総生産台数約33000台と、先代以上に成功しました。なお190という名前はプジョーが190番目に開発した車という意味でした。(実車画像→ プジョー 190 1928)
プジョー 190の上級車として1929年に新型の小型車プジョー 201が登場しました。プジョーが最近まで続けていた0を挟む3桁の数字によるネーミングはこの201から始まりました。201は4気筒1.1L(23HP)エンジンを搭載し3段変速で80km/hの性能でした。1931年のマイナーチェンジで前輪独立懸架式サスペンションを採用した201Cとなり、この方式のサスペンションを採用した世界初の量産車となりました。201はセダン以外にもクーペや商用車があり、排気量拡大(1.5L 35HP)やボディの流線化などの改良を行い1937年まで生産され202にモデルチェンジしました。総生産台数は約14万台で世界大恐慌による不況化で安価な車として大ヒットしました。
ミニカーは1979年頃に発売されたエリゴール製です。1931年にマイナーチェンジした201Cをモデル化しているようです。シンプルで実用的な箱型ボディがうまく再現され当時のミニカーとして良く出来ていました。初期のエリゴールは同時期のノレブのプラスチック製ミニカーをベースにしているものが多いのですが、これもノレブの出来の良い201の型を流用したダイキャスト製でした。これ以外の201のミニカーは2007年にノレブがクーペをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 601 コーチ FUSELE フランス 1934年
プジョーの新しい命名法(3桁の数字)で登場した201から始まる初代01シリーズには、1932年に登場した201より少し大きいサイズの301(4気筒1.5L(34HP)エンジン搭載)、1934年に登場した中型車の401(4気筒1.7L(44HP)エンジン搭載)、1934年に登場した大型車の601(6気筒2.1L(60HP)エンジン搭載)の4モデルがありました。この01シリーズには201で採用された前輪独立懸架サスペンション、油圧ダンパー、シンクロメッシュ式変速機などの先進技術が採用されていました。1934年にはシリーズ全体で3万台以上を生産していました。
601は戦前のプジョーとしては最後の6気筒エンジン搭載車でした。長短2タイプのホイールベースがあり、4ドアセダン/リムジン、2ドアクーペ/カブリオレなどがありました。カブリオレには電動で収納できるハードトップを備えたエクリプスというモデルもありました。(401にも同じ仕様のエクリプスがありました) この601は2ドア4座セダンで、名前の「FUSELE」とはフランス語で「先細り/流線型」の意ですから、細長い流線型のボディ形状のことを示していると思われます。601は1935年までの1年半に約4000台が生産されました。
ミニカーは2005年に発売されたソリド製です。ソリドの型番4000-4100番台のシリーズはビンテージ期のクラシックカーをモデル化していたのですが、これはその4100シリーズとしては最近の物(といっても15年以上前ですが)となります。ソリドらしいシャープな造形で、実車の雰囲気が良く再現されています。当時の定価は2100円と安価ながら、フロントグリルや灯火類はリアルで、室内もそこそこ良く再現され、空/青のツートンカラーも綺麗でとても良い出来ばえです。 601の量産ミニカーはこれしかないようですので、その点でも貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 402 セダン フランス 1935年
1935年に最初のプジョー 02シリーズとして発表されたのが、画期的な流線型ボディで有名な402でした。前年に発表された革新的なデザインのシトロエン 7CVに対抗してこのようなデザインを採用したのだと思います。中身は01シリーズの発展型シャーシに新設計の4気筒2Lエンジンを搭載していました。このデザインは同時期のアメリカのクライスラー エアフローによく似ていますが、ヘッドライトがグリル内に格納されている点が異なります。奇抜なデザインでしたが、フランス人には好まれたようで商業的に成功しました。
1936年に402と同じフロントグリルで、ボディを一回り小さくして1.7Lエンジンを搭載した302が登場しました。また302のボディに402のエンジンを搭載した高性能車 402 レジュール(legere:lightの意)も登場しました。この402 レジュールには世界初のハードトップ(センターピラーのない2ドア)モデルもありました。また402 コンバーチブルには電動でハードトップを出し入れできるエクリプスがありました。この電動格納ハードトップも世界初で、当時のフランス車は時代の最先端を走っていました。402は1942年まで生産され総生産台数は約75000台でした。(実車画像→ プジョー 402 ハードトップ)
ミニカーは2006年に発売されたノレブ製です。特徴的なフロントグリルと流線形ボディがうまく再現されていて、室内などの細部もリアルで良く出来ています。ただこのスケールでフロントグリルの格子部分をプラスチック製で再現したので、格子が太すぎて肝心のヘッドライト(ちゃんと内蔵しているのですが)がよく見えないのが残念です。このグリル内格納式ヘッドライトについては後述しているイクソ製の202の再現方法が秀逸です。ノレブは402 エクリプスもモデル化しています。ノレブ以外の402のミニカーはデュブレイ(DUBRAY)製とフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.3でモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 402 エクリプス フランス 1935年
1935年のパリ サロンで発表されたプジョー 402 エクリプス(eclipse:仏語で日食(陰り)の意)はハードトップを電動で出し入れする機能で話題を呼びました。大きなハードトップをトランクに格納する為に、ボディ後半がかなり長くなっています。(この電動式ハードトップの構造はフランス人のカーデザイナーが1931年に特許を取得しています) 402の解説で前述したようにプジョーは世界初のハードトップを考案しただけではなく、それを電動で出し入れする機能までも実現していました。この手の派手な仕掛けはアメリカ車が最初のように思いがちですが、当時の自動車技術はフランス車が一番進んでいたのです。 (実車YouTube動画→ プジョー 402 エクリプス)
ミニカーは2005年に発売されたノレブ製です。このミニカーも前述したノレブ製の402 セダンと同様に良く出来ています。(フロントグリル内のヘッドライトが見難いのは同じですが) このミニカーはエクリプスが実現した世界初のハードトップ格納機能をギミックとして忠実に再現しています。このギミックはうまく出来ていてスムーズに動作します。この手のギミックは繊細で壊れやすい物が多いのですが、これはかなりしっかりした作りです。トランク内にスペアタイヤがあるなど室内の造形も良く再現してあります。ノレブは1/18でも402 エクリプスをモデル化しています。なおこれ以外の402 エクリプスのミニカーはフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.11があります。
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プジョー 302 ダールマ ロードスター フランス 1937年
ダールマはパリの有力なプジョー販売店のオーナー エミール ダールマ (Emile Darl'mat)の発案で製作されたプジョーをベースにした少量生産のスポーツカーでした。当初はダールマの工場で製作されたようですが、1936年頃からはプジョーの工場で製作されました。代表的なモデルはプジョー 302のシャーシに70HPにチューンした402の4気筒2Lエンジンを搭載した302 ダールマで、コーチビルダーのプルート(POURTOUT)がクーペやカブリオレのボディを架装していました。1938年にはプジョー 402のシャーシを使った402 ダールマも登場しました。
プジョー 302 ダールマのレース仕様車は1937年ルマンに出場し総合7、8、10位でクラス準優勝し、1938年ルマンでは総合5位でクラス優勝しました。このレース仕様のダールマはそのボンネットサイドの見た目から「八目鰻」とあだ名されました。この連続する丸い穴は模様ではなくエンジンの熱気抜き用の通気穴でしたが、フランス流のセンスでうまいアクセントになっています。戦後の1947年にプジョー 202をベースにした202 ダールマが1.1Lクラスの速度記録を達成し、1953年にプジョー 203をベースにした203 ダールマが少量生産されました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.8で、メーカーはノレブです。(国内販売されなかったのでオークションで入手しました) 1937年のルマンで8位となった車(#25)をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルや特徴的なボンネットサイドの通気孔など細部もそこそこリアルで、良く出来ています。ノレブはカタログモデルでは型番473201で10位となった車(#27)をモデル化していますが、それはこれより内装の仕上げが良く幌が付いています。ダールマのミニカーはノレブが1/18も含めて約10種類を発売していてほぼ独占しています。なおノレブがモデル化する以前は、エリゴール初期の402 ダールマが唯一のミニカーでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)