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アルファ ロメオ ジュリア TZ1 イタリア 1963年
1963年にアルファ ロメオ ジュリア TZ(TZ1)がジュリエッタ SZの後継車として登場し、レース用に約120台が限定生産されました。このTZとはTUBOLARE ZAGATOの略で、チューブラ フレーム(鋼管で組んだ車体)にザガートのデザインしたボディを載せたという意味です。ジュリエッタ SZのデザインをさらに突き詰めた美しい流線型ボディはアルミ製で、車重はわずか660kgでした。テールを途中で切り落としたようなデザイン処理はコーダ トロンカ(カムテール)と呼ばれています。これは長く伸ばして絞り込んだテールが最も空気抵抗が少ないという従来の理論に対して、テールを途中でカットしてもその空力的効果は変わらないというカム理論を応用したものでした。
当初のエンジンはジュリア TIの1.6Lを130HPにチューンした物で、最高速は225km/hでした。(レース用ではさらに高度なチューンがされていたはずです) 1965年にはFRP製ボディで軽量化し、さらにダイナミックなデザインとなったレース専用車のTZ2が登場しました。エンジンは170HPにパワーアップされ、最高速245km/hでした。TZ1は1964年ルマンでクラス優勝しています。TZ2は1965年ルマンに参戦していますが、リタイアしています。(実車画像→ アルファ ロメオ ジュリア TZ2)
ミニカーはポリトーイ製のMシリーズの当時物で、1966年に発売されました。特徴的なリアのコーダ トロンカなど美しい流線形ボディがうまく再現されていて、実車よりもかっこよく?できています。メタリック塗装も綺麗で当時のミニカーとしてとても素晴らしい出来ばえでした。ドアとフロントカウルが開閉するギミック付きで、カウル下のエンジンも良く再現されています。これ以外のTZ1の当時物ミニカーはソリド(同じ型のべレム)のTZ1がありました。当時物以外では、ベストモデル、イクソなどがあります。TZ2のミニカーはベストモデル、ミニチャンプス、オートアートの1/18などがあります。 以下はフロント/フロントカウルを開いたエンジンルームの画像とリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロータス 25 F1 イギリス 1963年
ロータスはイレブンでのルマン参戦に続き、F1/F2に参戦しました。最初のF1/F2マシンは1957年登場の12で、コベントリー クライマックスの4気筒2L/2.2Lエンジンをフロントに搭載していました。1958年に16が登場し、1960年にはミドシップ方式を採用したロータス 18が登場します。18は1960年のモナコGPでS.モスのドライブで初優勝します。S.モスはアメリカGPでも優勝し、ロータスはコンストラクター選手権の2位に躍進します。
1961年からF1の排気量が1.5Lに変わりました。1961年にロータス 21が登場しこのシーズンはロータスとフェラーリの2強の争いで、フェラーリ 156が勝利しました。1962年にロータス 24が登場しますが、すぐに革新的な軽量モノコックシャーシを採用したロータス 25に変わりました。このシーズンはロータスとBRMの2強の争いで、BRM P57が勝利しました。1963年には改良されたロータス 25でJ.クラークが7勝を挙げて初のチャンピオンドライバーとなり、ロータスは念願のコンストラクターチャンピオンを獲得しました。
1964年シーズン前半はJ.クラークがロータス 25で3勝し、シーズン後半に改良型のロータス 33が登場します。ロータスが後半に勝てなかったことで、フェラーリ 158のJ.サーティースがチャンピオンドライバーとなり、コンストラクターチャンピオンもフェラーリが獲得しました。1965年シーズンはロータス 33が主力となりJ.クラークがほとんどのレースで勝利し、ドライバーとコンストラクタータイトルを獲得しています。その後もロータスはコスワース DFVエンジン(V型8気筒3L)開発、グラウンド エフェクトカー(ロータス 78)の開発など、F1レース界に革新を起こし、名門チームとなりました。
ミニカーはブルム製で、2002年頃に発売されました。1963年のベルギーGPの優勝車(ドライバー J.クラーク)をモデル化しています。風防形状が適当なのは当時のブルム流で、タイヤ外径も少し小さいような気がしますが、それ以外は当時のミニカーとしてはまずまずの出来ばえです。ブルムは8種類ほどのバリエーションを作っています。これ以外ではポリトーイの当時物(プラスチック製)、最近のものではカルツォやスパークがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピットの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ポルシェ 904 GTS ドイツ 1964年
レーシングカー ポルシェ 718の後継車として904が1964年に登場しました。GT2クラスのホモロゲーション取得のため、100台以上が生産されました。バックボーンフレームにFRP製ボディを載せる構造のGTカーで、サーキットまで自走していく程度の実用性がありました。標準のエンジンはDOHC 空冷水平対向4気筒2L(180/155HP)で、ワークス用の904/6は911用の6気筒2L(210HP)、904/8は804F1用をベースとした8気筒2Lでした。
904のデビュー戦は1964年セブリング 12hで、クラス優勝(総合9位) しています。その後タルガ フロリオ優勝、ルマン クラス優勝などで活躍し、国際マニュファクチャラーズ選手権 GT2クラス チャンピオンを獲得し、1964年の第2回日本GPでもクラス優勝しています。(ドライバーは式場壮吉) 1965年にはプロトタイプクラスの904/6 904/8が主力となり、タルガ フロリオ GTクラス優勝、ルマン プロトタイプクラス優勝などで活躍し、GT2クラス チャンピオンを連続して獲得しました。後継車は1966年に登場した906でした。
ミニカーは2001年頃に発売されたビテス製です。倒産する前のビテス絶頂期のもので、精密に再現されたエンジン/サスペンションが見えるようにリアカウルを外して配置したディスプレイケースに収められています。ワイパーやリアカウル上の排気グリルにエッチングパーツを使うなどレベルの高い仕上げで、とても良くできています。ビテスはルマン仕様などバリエーションも数種類出しています。これ以外の904のミニカーはポリトーイの当時物、ミニチャンプス、シュコー、スパーク(レジン製)などがあります。最近の新興ブランドのミニカー(主にレジン製)を「精密」と表現することがありますが、私はこのミニカーのように内部構造を細かいパーツで再現していることを「精密」だと考えます。したがって外観はリアルながら内部メカを全く再現していないミニカーが「精密」であるとは思いません。なお「精密」と「出来の良し悪し」とは別の評価基準で、「精密」=「出来が良い」という訳でもありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 158 F1 イタリア 1964年
156 F1の後継として158 F1が1964年に登場しました。156 F1後期型がベースで、エンジンはV型8気筒1.5L(210HP)で、ボッシュの燃料噴射を採用していました。ノーズ左右のNACAダクトと空色に塗られたホイールが外観上の特徴です。(鋳造マグネシウム製ホイールは酸化されやすくので強度保持の為塗装されていました) バンク角180度(水平対向)のV型12気筒エンジン(225HP)を搭載する1512 F1も同時に開発されました。(1512とは1.5L12気筒の意) このエンジンは後の365 BBなどのミドシップ スポーツカーで使われたエンジンのベースとなりました。
1964年シーズンはフェラーリ、ロータス、BRMの3チームが競う展開でした。フェラーリはJ.サーティースのドライブでドイツ GPとイタリア GPで2勝し、オーストリア GPでは156 F1が1勝し、フェラーリはドライバーとコンストラクターの2冠を獲得しました。なおフェラーリは競技運営上のトラブルで競技ライセンスを返上した為、終盤のアメリカ GPとメキシコ GPでは、ワークスではないアメリカのNARTチームとして参加しました。 1965年シーズンはロータス 33が圧倒的に強く、フェラーリ 158 F1は1勝もできませんでした。1966年に後継車の312 F1が登場しました。
ミニカーはブルム製で、1999年頃発売されました。1964年のイタリアGP 優勝車(ドライバー J.サーティース)をモデル化しています。ブルムのF1 ミニカーもこの頃には、コクピットのインパネやエンジン部などの細部が初期に比べるとまずまずの良い出来ばえになりました。ブルムはバリエーションでアメリカのNARTチームが使ったカラーリングが赤ではない158 F1と1512 F1もモデル化しています。それ以外の158 F1のミニカーはイクソ、マテルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 250 LM イタリア 1965年
1950年代後半のF1 レースでは、クーパーのミドシップエンジン方式がその優位性を示していました。フェラーリは1961年にミドシップエンジン方式を156 F1で採用し、レース用スポーツカーでは1961年にディノ 246 SP(V型6気筒2.4Lエンジン搭載)で採用しました。ディノ 246 SPは、1963年にV型12気筒3Lエンジンを搭載する250Pに発展し、250Pは1963年のセブリング、ルマンなどで優勝し、マニュファクチャラー チャンピオンを獲得しました。(実車画像→ フェラーリ 250P)
フェラーリ 250 GTOの後継車として、250Pをベースにしてルーフと内装を追加したGTカー仕様の250 LMが1963年に開発されました。しかし250 LMはGTカークラス認証に必要な台数が生産できず、プロトタイプクラスとなりました。250 LMの最初の1台は3Lエンジンを搭載していましたが、それ以外は3.3Lエンジンだったので275 LMとも呼ばれました。(数字は1気筒分の排気量を示します) 250Pは1964年に275P(3.3Lエンジン)/330P(4Lエンジン)に発展し、同年のセブリング、ニュルブルクリング、ルマンで優勝しました。1965年のルマンでは250 LMが優勝しました。
ミニカーは1988年頃に発売されたボックスモデル製です。1980年代に創業したイタリアのボックスモデルは現在のベストモデルの前身でしたが、ボックスモデルが製作していたミニカーは当時としてはかなり良い出来ばえでした。これは1965年のアメリカのブリッジ ハンプトン 500㎞で8位となった250 LM #69をモデル化しています。独特な形状のリアカウルの造形など実車の雰囲気が良く再現されています。今見るとホイールの出来がやや安っぽいですが、当時はこれが普通でした。ボックスモデルは250 LM プローバ(PROVA:テスト車)やレース仕様など数種類のバリエーションを作っていました。250 LMの当時物ミニカーは、コーギー、ポリトーイ、マーキュリーなどがありました。当時物以外ではベストモデル、Bブラーゴ、マテルの1/18、イクソ、京商の1/64、ルックスマート(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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