Sorry Japanese Only
日産 グロリア A30型 日本 1967年
プリンス グロリア 3代目は日産との合併後の1967年に発表されたのでプリンスの名前は付きませんでした。日産とプリンスの合併中に設計が進められた車で、セドリックとの部品共有化が行われていました。特徴的な縦型4灯ヘッドライトとリアライトのデザインは、1965年頃のGM キャディラックあたりから始まったアメリカ車的デザインで当時の流行りでした。同時期に開発された皇室御料車のロイヤルにも同じデザインが使われていましたので、グロリア 3代目のこのデザインは今でも人気があります。セドリックよりやや高めの価格設定となっていたそうです。
エンジンはプリンス製の6気筒2L(105HP)G7型と日産製の4気筒2L(105HP)L型で、3段AT/4段MT変速で最高速160km/hの性能でした。なお6気筒エンジンは1969年には日産製に切り替わりました。モデル末期の1970年にはパワステやパワーウインドーを装着した最上級仕様のGLが登場しました。セダン以外にバン(4/6気筒)もありました。1971年にグロリア 4代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2007年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、ややキャビンが小さいような気もしますが、特徴的なフロントグリルがリアルでなかなか良い出来ばえです。安価な雑誌付きミニカーですので仕方ないですが、室内の造形は最近のミニカーとしてはやや物足りない感じがします。なおアシェット 日産名車コレクションでもNo.17で色違いの青があります。当時物ミニカーとしてはダイヤペットからアンチモニー製とダイキャスト製の2モデルが作られていて、どちらもプロポーションが良くで良い出来ばえでした。最近の物ではアンチモニー製のアドバンスピリット、トミカリミッテド、ENIFなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=928
日産 プリンス ホーミー 日本 1967年
プリンス自動車は1955年に運転席の床下にエンジンを搭載するキャブオーバー型の小型トラック AKTG-1型を発売しました。キャブオーバー型は荷台の拡張がやり易いので、商用バンやマイクロバスなどのバリエーションがありました。1958年にAKTG-1型の後継車クリッパーが登場しました。クリッパー トラックは4気筒1.5(60HP)エンジンを搭載し2t積みの3人乗りでした。商用バンやマイクロバスもありました。(実車画像→ プリンス クリッパー 1963)
トヨタのトヨエース 2代目に対抗して、クリッパーの小型版ホーマーが1964年に登場しました。ホーマーは4気筒1.5L(70HP)エンジンを搭載した1.25t積みトラックでした。バリエーションとして商用バンがあり、その商用バンを乗用車仕様としたマイクロバス(15人乗り)がプリンス ホーミーの名前で1965年に登場しました。1966年に日産自動車とプリンス自動車が合併し、ホーミーは日産 プリンス ホーミーに改名され1970年には日産 ホーミーとなりました。1976年にホーミー 2代目 (E20型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは2010年に発売された日産名車コレクション製でメーカーはノレブです。愛嬌のあるフロントなど実車の雰囲気がうまく再現され、雑誌付きミニカーながら良い出来ばえです。室内の15人乗りシートもそこそこ良く再現されています。プリンス ホーミー 初代のミニカーは現時点(2022年)でこれしかないようですので、車種的に貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1564
日産 (プリンス) R380 II 日本 1967年
プリンス自動車はスカイラインにグロリアの6気筒2Lエンジンを搭載したスカイライン GT(S54型)で1964年の第2回日本グランプリに参戦しました。このレースではポルシェ 904(ドライバー 式場壮吉)が優勝しました。プリンス自動車はポルシェ 904に対抗できるレースカーとして、プリンス R380 Iを1965年に開発しました。(1965年にプリンス自動車と日産自動車が合併した後は日産 R380 Iと改名した) (実車画像→ プリンス R380 I)
R380 Iは日本初のグループ6 プロトタイプスポーツカーで、イギリスから輸入したブラバムの鋼管フレーム構造のシャーシを流用しボディはアルミ製でした。(デザインはポルシェ 904に似ています) エンジンはスカイライン GTのものをベースにDOHC化し、3連装キャブレターで200HPの性能でした。参戦する予定だった1965年日本グランプリが開催されなかったので、R380 Iは矢田部の高速試験場で速度記録に挑み国内速度記録(時速238.15km SS50㎞平均速度)を樹立しています。1966年日本グランプリでは、R380 Iは1-2フィニッシュで優勝しました。ちなみに3位はトヨタ 2000GTのレース仕様でした。
1967年にボディを大幅に変更したR380 IIが登場しました。1967年の日本グランプリでは、ポールポジションを獲ったポルシェ 906が優勝し、R380 IIは2-3-4位となりました。同年にノーズ形状を変更したR380-II改が矢田部で速度記録に挑戦し世界速度記録を樹立しています。R380はボディを大型化しルーカスの機械式燃料噴射で245HPにパワーアップしたR380 IIIに発展しました。1968年には後継車のR381が登場しましたが、R380 IIIはR381のバックアップとして併用され、1970年まで国内外のレースに参戦していました。(実車画像→ 日産 R381) 1969年にR382が登場しました。
ミニカーは2002年に発売されたエブロ製です。1967年日本グランプリで4位となった車をモデル化しています。(同日本グランプリ出場車は4台ともモデル化されています) エブロらしい手堅い作りで、良くできています。エブロはR380 I、R381、R382もモデル化しています。R380の当時物ミニカーとしてはダイアペットがありましたが、かなりのレア物です。それ以外では京商が1/64の日産 レーシングカー コレクションでR380 I、R380 II、R381、R382をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1776
トヨタ トヨペット コロナ RT40型 日本 1967年
1964年に登場したトヨタ コロナ 3代目はアローラインと名付けられた傾斜したフロントノーズが特徴でした。4気筒1.5L(70HP)R型エンジンを搭載し、3段変速(2段オート トヨグライド)で最高速140km/hの性能でした。1965年には1.6L(90HP)エンジンでディスクブレーキ、フロアシフト、タコメータを装備したスポーティ仕様の1600S、日本初のピラーレスの2ドアハードトップ、5ドアセダン(ハッチバック)が追加されました。商用車(バンとピックアップ)のコロナラインはコロナに統一されました。
開通したばかりの名神高速道路で10万km連続高速走行公開テストを実施し、高速性能と耐久性をアピールし、先代の耐久性不足のイメージを払拭しました。日産のブルーバードと「BC戦争」と呼ばれた販売競争を繰り広げ、1965年には国内販売台数1位を達成しました。その後もその地位を守り、トヨタの主力車種となりました。1970年にコロナ 4代目(RT80)にモデルチェンジしました。
1967年には1600Sにヤマハ発動機が開発したDOHC エンジンを搭載したレース仕様車RTXをベースにした、高性能車 1600GT(RT55型)が登場しました。この車の正式名称はトヨタ 1600GTでコロナという名前は付きませんでした。4気筒1.6L(110HP)エンジンを搭載し 4段変速のGT4と5段変速のGT5があり、5段変速機はトヨタ 2000GTと同じものを使っていました。1600GTは最高速175㎞/hの高性能ツーリングカーで、約2200台が生産されました。
ミニカーは2013年に発売されたイクソ製です。ミニカーの箱には1964年式と記されていますが、フロントウインカーがバンパーの下にあることから、1967年にマイナーチェンジされた後期型をモデル化しているようです。ただしナンバープレートの形状やフェンダーミラーが無いことなどからこれは輸出仕様車で、右ハンドルなので当時オーストラリアでノックダウン生産された車TIARA(ティアラ)をモデル化したと思われます。ただミニカーの底板に「COROLLA」(カローラ)と表記されているのは、理由が分かりません。(カローラはオーストラリアでも生産されたので、カローラという名前も使われたのかもしれません?) 出来ばえはイクソの標準的なもので良く出来ていました。特徴的なフロントの造形がうまく再現され、室内もメータ類がきちんと印刷されています。コロナ 3代目の当時物ミニカーとしては、モデルペットのセダン、ダイヤペットの5ドアハッチバックとハードトップ 1600Sがありました。特にモデルペットのセダンは実に良い出来なのですが残念ながら持ってません。当時物以外ではトミカ リミテッドのセダン、エブロの1600GT、国産名車コレクションの1600GTなどがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=969
トヨタ 2000GT (MF10L) 日本 1967年
自動車メーカーがラインアップに加える高性能スポーツカーには自社の技術力をアピールし、自社ブランドのイメージを高めるという重要な役割があります。1960年代の日産においてはフェアレディ 2000がその役割を担っていました。トヨタにはスポーツ 800がありましたが、スポーツ 800は大衆車パブリカがベースの小型車でしたのでトヨタの顔としては役不足でした。
そこで本格派スポーツカー開発が企画され、シャーシやスタイリングなどの基本設計が進められました。トヨタは高性能エンジン開発経験がなかったので、2輪車で高性能エンジン開発経験を持つヤマハ発動機の協力を得ることとなりました。ヤマハはトヨタ量産エンジンのDOHC化を行い、さらに楽器メーカーとしての経験を生かして木材を使った豪華な内装パネルも担当しました。トヨタとヤマハの共同開発でDOHC 6気筒2L(150HP)エンジンを搭載し、4輪独立懸架サスペンション、5段フルシンクロ変速機、全輪ディスクブレーキなど先進の技術が盛り込まれたトヨタ 2000GTが1967年に登場しました。 以下に続く→ トヨタ 2000GT
外国のミニカーメーカーが初めてモデル化した日本車はトヨタ 2000GTでした。トヨタ 2000GTのミニカーはたくさんありますが、ここでは実車が発売された当時に作られた当時物ミニカーをまとめてみました。当時物ミニカーとしては日本のダイヤペットとモデルペットとトミカ、イギリスのコーギーのボンドカー仕様、デンマークのテクノ、イタリアのメーベトイなどがありました。最初に紹介するミニカーは1968年に発売されたメーベトイ製です。当時のイタリアのミニカーメーカーはイタリア的なセンスで実車よりもかっこよくデフォルメしたミニカーを作っていました。このメーベトイ製もボディ全体の抑揚が少しオーバーにデフォルメされ、2000GTの雰囲気がうまく再現されたメーベトイの秀作でした。ボンネット/ドア/テールゲートが開閉するギミック付きです。室内は簡単な造形ですが、エンジンには「TOYOTA」と「2000」のロゴが表示され、リアにはスペアタイヤを積んでいます。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/テールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=972
サラブレッド期 ← ページ « 前へ 1...92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 ...298 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2025 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.