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ザウラー 3CT1D (C タイプ) バス ’BVB’ スイス 1950年
" スイスのアドルフ ザウラー(Adolph Saurer)社は1853年に設立された歴史のある会社で、最初は織機を生産していました。1897年には自社製の単気筒エンジンを搭載した乗用車を開発し販売しました。1903年からトラックなどの商用車の製造をはじめそれらの評判が良かったので、1910年代にはトラックとバスの製造に特化するようになりました。第1次世界大戦中は航空機のエンジンも製造していました。
1927年にメルセデス ベンツが世界初のディーゼルエンジンを搭載したトラック 5K3を発売しました。ザウラーも当時ディーゼルエンジンの有効な特許を取得しており、その後も1980年代までディーゼルエンジンに関して豊富な実績を持つ会社でした。1928年に同業のスイスのベルナ(BERNA)社と提携し、ザウラーとベルナの商用車はヨーロッパ中で広く使われるようになりました。"
第2次戦後もザウラーの商用車は好調で、船舶や鉄道用のディーゼルエンジンの製造にも進出しました。戦前から始めたトロリーバスの製造も主要な事業となっていました。また1950年代にイタリアの商用車メーカーのOMとライセンス契約し、OMの小型/中型商用車をスイス国内で販売しました。ザウラーは1980年代に販売不振となり、同業のスイスのFBW社と1982年に合併しNAW社と改名しました。その後NAW社はメルセデス ベンツ傘下となりましたが2003年に清算されて消滅し、現在のザウラー社は繊維機械メーカーとして存続しています。
ミニカーは1985年頃に発売されたビテス製の初期物です。スイスのバーゼル市で使われた路線バス(21人?乗り小型バス)のBVB仕様をモデル化しています。BVBとはバーゼル市交通局のことで、ボディ側面のロゴはBVBのロゴです。ザウラー C タイプのバスは戦前から製造されていましたが、モデル化された実車が明確にわからないので、ここに記載した年式/諸元は正しくないかもしれません。ミニカーの縮尺は1/50で結構リアルなフロント造形やそこそこ良く再現された内装など、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ルーフの前端についている角のようなものは行き先表示板や旗を付けるポールのようです。なおこのミニカーの箱の台座は本物の木製で、プラスチック製の台座より高級な梱包箱となっていました。(当時の値段は5000円と高価でした) ビテスはバリエーション展開でトラック/タンカー/消防車など約20種類を作っていました。ザウラー バスのミニカーとしてはスイスのTEK-HOBBYがこれとよく似たバス/トラックを数種類発売していますが、それはこのビテス製をベースにしているようです。それ以外ではシュコーやブレキナのザウラー バスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード マーキュリー モントレー アメリカ 1951年
GMの中級車(ビュイックやオールズモービル)に対抗して、フォードは1938年に新ブランドのマーキュリーを設定しました。マーキュリーは大衆車フォードと高級車リンカーンの間を埋めるブランドで、最初に登場したマーキュリー エイトはリンカーンの廉価版ゼファーに似せたデザインでV型8気筒3.9L(95HP)エンジンを搭載していました。4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブル、4ドアステーションワゴンなどが揃っていました。(実車画像→ フォード マーキュリー エイト 1939)
戦後の1950年にエイトの上級グレードの2ドアクーペとしてモントレーが設定されました。基本設計は前述した大衆車のフォードと同じでした。デザイン的にはまだ前フェンダーが残りボンネット位置が高い戦前型のオーソドックスなスタイルでした。このクラシックな外観ゆえにこのマーキュリーは当時もその後の時代でもホッドロッドなどの改造車のベースとして人気がありました。V型8気筒4.2L(110HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速140km/hの性能でした。1952年にエイトはフラッシュサーフェースの戦後型ボディに一新されモントレーに改名されました。(実車画像→ フォード マーキュリー モントレー 1953)
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製の1950年代のアメリカ車をモデル化した1950年代シリーズの1台です。1951年式のモントレー クーペをモデル化しています。ヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風なのですが、その作風が実車の雰囲気にうまくマッチしているように思います。プロポーションが良く丁寧な仕上げで良く出来ています。ボンネット/ドアが開閉し、室内やエンジンもリアルに再現されています。(インパネのメーターは紙のシールです) これ以外のモントレー 初期型のミニカーはミニチャンプスやジャダトイ(JADA TOYS)のホットロッド仕様 1/24などがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ハドソン ホーネット クーペ アメリカ 1951年
ハドソン モーターカー社はデトロイトで1909年に設立されました。当初のモデル 20(4気筒3.3Lエンジン搭載)は、$900という低価格が人気を呼び大ヒットしました。(同時期の初期のフォード T型は$850でした) 1912年にモデル 6(6気筒3.7L)を発売、1916年に発売した発展型のスーパー 6は優れたエンジン性能などで成功し、当時のハドソンは「世界一の6気筒車メーカー」を自負していました。
1919年にフォードやシボレーに対抗して、ハドソンの子会社エセックス(ESSEX)社で生産した低価格なエセックスを登場させました。エセックスは低価格ながら6気筒エンジンを搭載し屋根付きのクローズドボディを採用したことで大ヒットしました。エセックスの上級車テラプレーンや8気筒エンジン搭載車を追加して、1920年代後半にハドソンはアメリカで第3位の自動車メーカーになりました。1930年代になるとビッグ3の攻勢に苦しめられ、エセックスとテラプレーンはなくなりました。
1951年に登場した戦後型のホーネット初代は「ステップダウン」と称する車体フレームより床を低くしたボディ構造を特徴としていました。この構造は室内が広く、低重心で操縦性が優れていました。高性能なホーネットは当時のNASCARレースで圧倒的に強く人気がありました。1950年代になると資金力などでビッグ3に対抗できなくなり、1954年にナッシュと合併してAMC(アメリカンモータース)社となりました。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。フランクリン ミントの1/43のクラシックカーは現在のミニカーと比べるとやや古臭い作風ですが、それが実車の雰囲気に似合っていていました。いずれもドア/ボンネットが開閉するギミック付きで、エンジンやドライブトレーンが本物のように組み込まれ、室内のインパネも良く再現されていました。このハドソン ホーネット クーペも実車の雰囲気がうまく再現されていて、とても良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、ボンネット先端のマスコット、エンジンルーム内、室内などの細部も良く再現されています。これ以外のハドソン ホーネットのミニカーは同じフランクリン ミントの1/24、アーテルの1/18などがあります。 以下はフロント(ノーズ部分拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 220 (W187) ドイツ 1951年
敗戦で全てを失ったダイムラー ベンツ社の復興は戦前の小型車メルセデス ベンツ 170V(W136)の再生産から始まりました。戦後の170Vは4ドアセダンのみで、1949年には4気筒1.8L(40HP)ディーゼルエンジンを搭載した170Dが追加されました。同年にボディを少し大きくしてトランクを追加しエンジン排気量を1.8L(52HP)に拡大した上級仕様の170Sが登場しました。170Sには2/4ドアのカブリオレが設定されました。1952年に170Sは改良されて170SB(W191)に変わりました。170系は1953年に180(W120)にモデルチェンジしました。
1951年に戦後型の中型車220が登場しました。170V(W136)のノーズを延長して新開発した6気筒2.2L(80HP)エンジンを搭載した、戦後初の6気筒エンジン搭載車でした。まだフェンダーが独立していましたが、ライトはフェンダーに組み込まれて少し近代的な顔つきになっています。ボディ形式は4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアカブリオレがありました。1954年に180(W120)の上級車で6気筒エンジンを搭載した220a(W180)にモデルチェンジしました。
ミニカーは初期のスパーク製で、2006年に購入しました。スパークはビテスでモデル開発を行っていた人が2000年頃に立ち上げたブランドで、レジン製ミニカーのメーカーとしては老舗です。レジン製ながら価格もそこそこに抑えていて、品質レベルも安定しています。この220は初期の物ですが、プロポーションなどミニカーの基本的なところはきちんと押さえてあり、エッチング材を使った精密なフロントグリルなど実によくできています。ただやはりレジン製故の問題があり、最近になってウエストラインのクロームモールが数ヶ所剥がれていることがわかりました。モール類は手作業で貼付けるのであまり確実でない上に、レジン樹脂は肉眼では認識できないレベルですが少しずつ変形/収縮するのでダイキャスト製に比べてモール類が剥がれやすいのです。(なお画像は剥がれる前に撮ったものです) これ以外の220のミニカーはジク(SIKU)の当時物の1/60、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 300S カブリオレ (W188) ドイツ 1951年
高級車メルセデス ベンツ 300にすこし遅れて2シータのスポーツ仕様車300Sも同じ1951年に発表されました。300Sは戦前の540Kに相当する高性能車で、2ドアクーペと2ドアコンバーチブルがありました。当時のメルセデス ベンツとして最も高価な車で、富裕層の高級パーソナルカー市場を狙ったものでした。300のホイールベースを縮めてエンジン搭載位置を後ろに下げて重量配分を改善するとともに、見た目もスポーティになっていました。エンジンも圧縮比を上げるなどして150HPに強化され、最高速176km/hは540Kよりも俊足でした。
1955年にエンジンとサスペンションを改良した300SCが登場しました。エンジンは前年に登場した300SLの6気筒3L機械式燃料噴射エンジンを175HPにデチューンして搭載していました。1958年に生産中止となり、総生産台数は300Sが約560台、300SCが約200台でした。(300SLの総生産台数約1400台より少ない) 後継車は1962年に登場した300SE(W112)でした。
ミニカーは1994年に発売されたミニチャンプスの初期物です。フロントグリルや室内など細部がリアルで、戦後の車ながらも少しクラシックな感じがするこの車の雰囲気をうまく再現しています。室内のインパネのメーター類も良く再現されています。当時の定価は3300円で国産ミニカーの2倍ぐらいしましたが、納得の値段でした。ミニチャンプスは幌を立てたバリエーションも作っています。これ以外の300Sのミニカーは、フランクリン ミントの1/24、コーギーの1/36、ホワイトボックス(イクソ)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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