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ヒルマン ミンクス IIIA イギリス 1958年
1919年に自動車ディーラーとして創業したルーツ社は、1920年代にイギリス最大の自動車販売会社に発展しました。ルーツ社は1930年代にヒルマン、ハンバー、サンビーム、タルボといった自動車メーカーを傘下に収め、ルーツ グループを形成しました。第2次大戦後にシンガーを買収し、ルーツ グループは1950年代後半にはBMCに次ぐ自動車メーカーとなりました。
ルーツ グループ傘下となったヒルマンは自転車メーカーの創業者であったウイリアム ヒルマンが起こした老舗の自動車メーカーでした。ミンクスは戦前の1931年に発表された大衆車で、戦前はかなりヒットした車でした。信頼性が高かったので、戦時中も軍用車として生産され、戦後もそのまま生産されました。(実車画像→ ヒルマン ミンクス 1932年 参照画像→ ヒルマン ミンクス 1946年)
ヒルマン ミンクスは1956年に著名なデザイナーのレイモンド ローウイがデザインした新型にモデルチェンジしました。新型は4気筒1.4L(51HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速125km/hの性能でした。セダン、コンバーチブル、エステートワゴン(ハスキー)がありました。ミンクスはルーツ グループの他のブランドであるシンガーやハンバーの名前を付けた姉妹車のプラットフォームとしても使われました。ミンクスは改良されて1970年頃まで生産されました。なお日本のイスズ自動車がこの車のノックダウン生産を行い、イスズのヒルマン ミンクスとして1953年から1964年まで販売していました。
ミニカーは2004年に発売されたバンガーズ製です。1958年に登場したミンクス シリーズ IIIAと呼ばれるタイプをモデル化しているようです。レイモンド ローウイがデザインした一番知られているデザインのボディを正確に再現していて、当時の流行だったツートンカラーのカラーリングで仕上げてあり良い出来ばえでした。フロントグリルや室内などの細部も良く仕上げてあります。当時物ミニカーとしてはスポットオンやディンキーの物がありました。なおイスズのヒルマン ミンクスはトミカ リミッテドでもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー スプライト MK I イギリス 1958年
前述したオースチン ヒーレー(ビッグヒーレーと呼ぶ)に対してスモールヒーレーと呼ばれたヒーレー スプライトは、MGのような小型スポーツカーで安価な車を目指して開発され、1958年に登場しました。コストを下げるために、BMCで最も安価なオースチン A35からエンジンやサスペンションなどの基本パーツを流用していました。4気筒948cc(43HP)エンジンは非力ながらも、640kgの軽量モノコックボディ故に最高速は130km/hとそこそこ高性能でした。また小型スポーツカーに造形が深いイギリス流の優れた設計で、小さいながらも優れた操縦性のスポーツカーに仕上がっていました。1961年までに約5万台が生産されました。
特徴的なヘッドライトの形状から日本ではカニ目、アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されていました。スプライトは1961年にMK IIにモデルチェンジして一般的なヘッドライトに変わりました。このMK IIは同じBMCグループのMG ミジェットの姉妹車でもありましたので、両車はまとめてスプリジェットと呼ばれることがあります。 (実車画像→ オースチン ヒーレー スプライト MK II 1962)
ミニカーは1999年頃に発売されたディテールカー製です。プロポーションが良く特徴的なカニ目がうまく再現され、実に愛嬌のあるミニカーに仕上がっていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もそこそこ良く再現されています。バリエーションでオープントップ仕様のスパイダーもありました。これ以外のスプライト MK Iのミニカーは、このディテールカーのOEMであると思われるソリド、イクソ、エブロ、スパーク、国産名車コレクションなどがあります。なお実車が登場した時期が古いので、スプライト MK Iの当時物ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ボルボ PV544 スウェーデン 1958年
ボルボ(VOLVO)はラテン語で「私は回る」という意味があり、スウェーデンのベアリング メーカーSKF社の子会社の名前でした。このSKF社によって自動車メーカーのボルボ社が1927年に創業されました。最初の車は4気筒2Lエンジンを搭載したオープンカーで、1929年には6気筒3Lエンジンを搭載した中型セダンのPV650が発売されました。1930年代にアメリカ GMの技術者を雇い入れ、その技術で小さなアメリカ車的な設計の車が開発されました。(実車画像→ ボルボ PV651 1929)
スウェーデンは過酷な環境の広大な国土を持つため、信頼性の高いエンジンを搭載した頑丈な車体が必要とされました。1930-1940年代のアメリカ車はまさにそのような条件を満たす車でした。スウェーデンは中立国でしたので、第2次大戦には参戦しておらず、ボルボは1946年にPV60シリーズを発表しました。PV60は6気筒3.7Lエンジンを搭載した大型車で、同時期のアメリカ車と同じようなスタイルをしていました。(実車画像→ ボルボ PV60 1946)
1944年にボルボ初の小型車PV444が登場しました。PV444のPVは(Person Vagn 乗用車の意)、444は4人乗り、40HP、4気筒(1.4L)エンジンを意味し、モノコックボディを採用し大量生産によって低価格で提供されました。デザインはやはりアメリカ車的なデザインで、3段変速で最高速100km/hの性能でした。1958年までに約20万台が生産され、信頼性や耐久性が高く評価されました。1958年にPV444を改良したPV544が登場しました。フロントとリアのウインドーが拡大され、室内は5人乗りになりました。4気筒1.6L(60HP)エンジンを搭載し、4段変速が採用され最高速は137km/hに向上しました。PV544は1.8L(68HP)エンジンが追加されて1965年まで約24万台が生産された人気車種で、ラリーでも活躍しました。
ミニカーは1959年に発売されたテクノ製の当時物です。北欧デンマークのテクノは1950-1970年代にボルボやサーブなど他社があまりモデル化しない北欧車を多くモデル化し、しっかりした品質の塗装で独得の雰囲気がある高品質なミニカーを作っていました。このPV544も実車の雰囲気がうまく再現され細部も良く仕上げてあり、当時としてはかなりレベルの高いミニカーでした。なお現在(2023年)のテクノはオランダに移転しており、主に商用車/トラックを1/50でモデル化しています。これ以外のPV544のミニカーはシュコー ピッコロの当時物 1/90、イクソのラリー仕様、ブッシュの1/87、ヴィーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ボルボ 122S アマゾン スウェーデン 1958年
ボルボの大型車として120シリーズ アマゾンが1956年に登場しました。当初のアマゾンという名前はギリシャ神話の女性戦士アマゾンに由来したものでしたが、車名に3桁数字を使うようになってからは120シリーズに改名されました。当初は4ドアセダンだけで、ボディはボルボで初めてフラッシュサーフェースを採用しそれまでのPVシリーズと同様にアメリカ車的なスタイルでした。ボルボ 121は4気筒1.6L(60HP)、122は1.6L(78HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速143km/h(122)の性能でした。
1958年に85HPにパワーアップした高性能版の122Sが追加され、1961年には1.8L(82HP)エンジンに切り替わり2ドアセダン(131/132)や5ドアワゴン(221/222)が追加されました。1967年に追加された高性能版(104HP)の123GTはラリーで活躍しました。合わせガラスを使ったフロントウインド、クラッシュパッドが貼られたダッシュボード、世界初の3点式シートベルトの採用など120シリーズにはボルボの安全に対する進んだ姿勢が見られました。2Lエンジンが追加され1970年まで生産されました。総生産台数は約67万台でした。
ミニカーは1961年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。高性能版の122Sをモデル化しています。縮尺は明記されていませんが、1/43よりすこし小さめで1/45ぐらいで出来ています。60年以上も前に発売されたビンテージミニカーですので素朴な作りですが、プロポーションが良く実車に忠実な造形で、1960年代のミニカーとしては良く出来ていました。これ以外の120シリーズの当時物ミニカーはテクノ(同じ型番で4ドアと2ドアがある)やスポットオンがありました。当時物以外ではブレキナの1/87、イクソ(ホワイト ボックス)のセダンとワゴン、国産名車コレクション、ミニチャンプスのセダンとワゴン、オックスフォードの1/43と1/76などたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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モスクビッチ 403 ロシア 1958年
旧ソビエト連邦の自動車会社モスクワ自動車工場(Moscow Automotive Plant)は前述したガズ(GAZ)と同時期の1929年に創業しました。ガズと同様に当初はフォード A型をベースにしたガズ Aやガズ AA(トラック)を生産していたようです。第2次大戦後にドイツから接収したオペル カデットの生産設備を移設し、1947年から戦前型のカデットをコピーした車にモスクビッチ 400という名前を付けて生産を始めました。モスクビッチとは「モスクワっ子」?という意味です。(実車画像→ モスクビッチ 400 1947)
モスクビッチ 400は1954年にボディを変更して401となり、1956年にはさらにボディを一新した402に切り替わりました。1958年にはエンジンを1.4L(45HP)にパワーアップしグリルを変更した403に、さらにその改良型の407に発展しました。407は4気筒1.4L(45HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速120km/hの性能でした。派生車として4輪駆動車の410やワゴン(バン)の424があり西側諸国へも少数が輸出されました。1964年に407は外観を一新して408にモデルチェンジしました。(実車画像→ モスクビッチ 407)
ミニカーは1977年に発売されたソ連製で、モスクビッチ 403をモデル化しています。ソ連製ミニカーが日本国内に本格的に輸入されたのは1977年で、この時期にかなりの種類が販売されました。ほとんどモデル化されていなかったロシア製乗用車のミニカーということで、私もミニカー専門店でこのモスクビッチなどを購入しました。モスクビッチはプロポーションが良く細部の仕上げもそこそこで当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。また金属製パーツを多用したやや古くさい作風が実車の雰囲気を再現するのに良く合っていました。購入当初から塗装の状態はいまひとつでしたが、現在は経年劣化で塗装の一部がヒビ割れています。ドアとトランクが開閉するギミック付きですが、使われた亜鉛合金の質が悪かったようで、ドアを開けようとしたらドアの窓枠が破損してしまいました。(画像で左前ドア窓枠の破損が分かります) この時期に輸入されたソ連製ミニカーは当時のソ連の民生用製造業の品質レベルを反映していて、使用しているダイキャスト材には粗悪な物が多く、経年劣化で破損するものがありました。その後も1980年代までソ連製ミニカーは単発的に輸入されていましたが、徐々に品質レベルは向上していきました。これ以外のモスクビッチのミニカーはヘルパの403 1/87、IST MODELSの400/401/402/407 1/43などがあります。 以下はフロント/リア(トランク開閉)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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