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ルノー 21 2L ターボ フランス 1987年
1986年にルノー 18の後継車としてルノー 21が登場しました。シンプルで無国籍な感じのするボディデザインはイタルデザインのG.ジウジアーロによるもので、ボディの大型化で居住性が向上しました。先代と同様に世界戦略車として多くの国で生産され、アメリカではAMC(後のクライスラー)のメダリオンとして販売されました。当初は4ドアセダンのみで後にワゴンのネバダが追加されました。(実車画像→ AMC メダリオン 1990)
この車はエンジンによって縦置きと横置きを変えていました。理由はルノーには2Lエンジン以上のトルクに対応できる前輪駆動横置き用ギヤボックスがなかったからで、2Lクラス以上は縦置きでした。 そのエンジンは4気筒1.7L/2L、2.1Lディーゼルの3タイプでした。1987年には2Lターボ仕様が追加され、1988年にはパートタイム4WD、1989年マイナーチェンジで後期型に変わり5ドアハッチバックが追加されました。その後も高級仕様のバカラ、フルタイム4WDのクワドラなどが追加され、1993年に後継車ラグナにモデルチェンジしました。総生産台数は約200万台でした。
ミニカーは2006年頃に発売されたユニバーサルホビー製です。ユニバーサルホビーは最近は農機関係のミニカーがメインですが、フランスのメーカーですので以前はルノーの乗用車も手掛けていました。現在の農機のミニカーはかなり良い出来で、乗用車のミニカーもレベルの高いものでした。このルノー 21もプロポーションが良く室内など細部の仕上げもリアルで良い出来ばえでした。1980年代後半はまともなミニカーが少なかった時代でしたので、ルノー 21の当時物ミニカーはありませんでした。これ以外のルノー 21のミニカーはノレブがネバダを、スパークがレース仕様を作っています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 309 スタイル フランス 1987年
プジョー傘下のタルボにてオリゾンの後継車がプジョー 205をベースに開発されました。しかしタルボ ブランドが廃止されることになり、開発された車はプジョー 309として1985年に登場しました。プジョーの命名規則では車格として305の後継で306となる車でしたが、生粋のプジョー車ではない生い立ちから309と命名されたのでした。後付けしたようなリアハッチ部分などがプジョーらしくないのもピニンファリーナのデザインではないことが原因でした。205をベースとした前輪駆動車で、当初は5ドアハッチバックのみで、エンジンは205と同じ4気筒1L/1.1L/1.4L/1.9L(108HP)、4気筒1.9Lディーゼルでした。
1987年に3ドアハッチバックが追加され、燃料噴射式1.9L(130HP)エンジンを搭載する高性能版のGTIも登場しました。1989年のマイナーチェンジで、内装やフロントグリル/リアエンドの意匠が変更されました。この際に、DOHC 16バルブ4気筒1.9L(160HP)エンジン搭載のGTI 16、4気筒1.8Lターボディーゼルエンジンも追加されました。1993年に後継車の306が登場し生産中止となりました。総生産台数は約165万台でした。
ミニカーは2014年に発売されたバンガーズ製です。スタイルという名前の一番ベーシックな仕様をモデル化しています。バンガーズは老舗コーギーのブランドで老舗だけあって優秀なダイキャスト型職人がいるようで、どのモデルも良い出来ばえです。この309もプロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されています。エッチングパーツを使ったワイパーや灯火類などの細部の仕上げもリアルです。バンガーズはGTIなど10種類ほどをモデル化しています。309のミニカーは当時物がなく、これ以外ではノレブがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア デルタ HF 4WD ストラダーレ イタリア 1987年
フォルクスワーゲン ゴルフに代表されるハッチバック小型車の流行に合わせて、ランチアも1979年にデルタを登場させました。ボディは5ドアハッチバックのみで、イタルデザイン(G.ジウジアーロ)のデザインはこの手のハッチバックとしてセンスが良いもので、上品な内装とあいまって高級な小型車に仕上がっていました。フィアット リトモのシャーシを流用する前輪駆動車でしたが、サスペンションはデルタ専用設計でした。当初のエンジンは4気筒1.3L/1.5L(85HP)を搭載していました。1980年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。
1982年にはデルタにトランクを付けたセダンタイプのプリズマ(PRISMA)が登場しました。搭載するエンジンは同じでしたが、より高級でおとなしい設定になっていました。(実車画像→ ランチア プリズマ) 1983年のマイナーチェンジでグリルが小変更され、高性能なDOHC 4気筒1.6Lエンジン搭載のGTとDOHC 4気筒1.6Lターボエンジン(130HP)搭載のHF ターボが追加されました。1986年のマイナーチェンジで内外装が変更され、4気筒1.9Lターボディーゼルエンジンが追加されました。1986年にグループAのラリーカーのベース車としてDOHC 4気筒2Lターボエンジン(175HP)を搭載し、トルセン式センターデフでフルタイム4WD化したHF 4WDが登場しました。この後デルタは当時最強のラリーカーに発展していきましたが、そのスポーティなイメージでデルタは人気がありランチア史上最大のヒット車となりました。1993年まで生産されデルタ 2代目にモデルチェンジしました。総生産台数は約52万台でした。(実車画像→ ランチア デルタ 2代目)
ミニカーは1988年に発売されたビテス製の当時物です。1986年に登場したデルタ HF 4WD ストラダーレ(ストリート仕様)をモデル化しています。ビテスとしては初期の物でしたが、プロポーションが良く当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ミニカーの箱にはユーザーが後付するワイパー、ドアミラー、デカールが付属していましたが、これには取り付けていません。ビテスのデルタにはラリー仕様も含めて約60種類ほどのバリエーションがありました。それ以外のデルタのミニカーは、オートアートの1/18、Bブラーゴ、CM'Sのラリー仕様、hpi racingのラリー仕様、イクソのラリー仕様、京商の1/18、トミカ リミッテドなどがありますが、そのほとんどが丸形4灯ヘッドライトを持つ高性能版をモデル化しています。高性能版ではない普通のデルタは角形ヘッドライトで、この角形ヘッドライトのデルタはマテル メーベトイの当時物とイタリアのミニカー付雑誌「LANCIA COLLECTION」(ノレブ製)のNo.40でモデル化されていました。またデルタのセダン版のプリズマも同じミニカー付雑誌「LANCIA COLLECTION」のNo.14でモデル化されていました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ F40 イタリア 1987年
1987年にフェラーリ創業40周年記念車として開発され、そのままでレースに出られる市販車フェラーリ F40が登場しました。308 GTBのグループB仕様 288 GTO エボルツィオーネをベースにして、DOHC ツインターボ V型8気筒3L(478HP)エンジンをリアに縦置きでミッドシップ搭載していました。リアに大きなスポイラーを持つクーペスタイルはピニンファリーナの風洞で空力的な検討がされました。レーシングカーそのものの鋼管スペースフレームに複合素材のボディを載せ、エアコンが装備されるものの内装は最低限で、パワステやブレーキアシストはありませんでした。最高速度は324km/h、0-400m加速 11秒台と当時世界最速の市販車でした。(実車画像→ フェラーリ 288 GTO エボルツィオーネ)
1991年にレースカーのベースとして、シャーシを大幅に強化し780HPにパワーアップした、F40 コンペティツィオーネが限定生産されました。GTカーレース用のF40 GTや、F40 コンペティツィオーネをベースにした耐久レース用のF40 GTE/LM(ルマン用)などのレース用車両が作られました。F40 GTはイタリア国内のスーパーカーGT選手権では対抗できる車がなく圧倒的な強さでした。 ただ耐久レースではF40 LMで参戦したルマンで勝てず、それ以外のレースでもあまり芳しい成績を収めていません。(F40は基本設計がやや時代遅れだったようです) 1992年の生産中止までに約1300台が生産されました。新車価格は4650万円でしたが、バブル景気の日本では2億5000万のプレミアム価格が付いたこともありました。1995年に後継車のF50が登場しました。
ミニカーは1990年に発売されたヘルパ製の当時物で、1/43サイズのプラスチック製です。ヘルパのフェラーリ 348 TBと同じシリーズで、全体的に非常によくできています。ドア/前後カウルが開閉し、エンジンやサスペンションなど内部メカが再現されています。特にエンジンルームでは V型8気筒エンジン、BEHR製のインタークーラー、サスペンションのコイルスプリング、インボートディスクブレーキの空冷ダクトなどが実にリアルに再現されています。また室内もシートベルト付きのバケットシートなど1/43サイズとしては良く再現されています。ただプラスチック製で塗装されていないので、ボディの質感がいまひとつなことだけが惜しいです。また当時の定価は5500円と高価でした。これ以外のF40の当時物ミニカーとしては、ブラーゴの1/18と1/25/と1/43、ポリスティルの1/18と1/25、ディテールカーなどがありました。当時物以外では京商の1/18と1/43と1/64、エブロのレース仕様、京商の1/12と1/18と1/43と1/64、トミカ リミッテドの1/64、マテルの1/18と1/43、イクソのレース仕様、ルックスマート(レジン製)などたくさんあります。以下はフロント/フロントカウルを開いた画像とリア/リアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン V8 クーペ イギリス 1987年
1972年にアストン マーチン DBS V8は名前をV8に変えました。DBS V8で評判の良くなかった4灯式ヘッドライトを2灯式(6気筒版DBSの最終型ヴァンテージとほとんど同じ)に変更し、AM V8と呼ばれるシリーズ 2に変わりました。エンジンはDBS V8と同じボッシュの燃料噴射を採用したV型8気筒5.3L(320HP)でした。ただしこのエンジンは北米の排ガス規制に対応できなかったようで、1973年には燃料噴射をキャブレターに変更して、シリーズ 3に変わりました。この変更でシリーズ 3はボンネット上に大きな開口部を持つパワーバルジが追加されました。
1974年にV8をベースにした4ドアサルーンのラゴンダが登場しました。1978年にオスカー インディア(OSCAR INDIA)と呼ばれるシリーズ 4が登場し、コンバーチブルのボランテが設定されました。バンパー下にエアダクトを設けたことで、ボンネット上の開口部は閉じられ、リアにスポイラー的処理が追加されました。この頃には排ガス規制でエンジンは240HPほどにパワーダウンしていました。1986年に最終型のシリーズ 5が登場し、エンジンは燃料噴射方式に戻りましたので、ボンネットのパワーバルジがなくなりました。1989年に後継車のヴィラージュにモデルチェンジしました。(実車画像→ アストン マーチン ヴィラージュ)
ミニカーは2012年に発売されたミニチャンプス製です。前述したミニチャンプス製のDBS同様に実車の雰囲気がうまく再現されていて、とても良い出来ばえでした。底板に1987年式と銘記されていますので最終型シリーズ 5のモデル化のはずですが、ボンネット上のパワーバルジがわずかに残っていてバンパー下周りの造形もシリーズ 5とは少し違うような気がします。ただ手作りのような車ですから色々とバリエーションがあったのでしょう。ミニチャンプスはボランテもモデル化しています。これ以外のアストン マーチン V8のミニカーは、ポリスティルの1/25 ボランテ、コーギーの1/36で映画'007 リビング デイライツ'(1987年)のボンドカー仕様、オートアートの1/18、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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