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アウトビアンキ A112 アバルト イタリア 1972年
1969年にアウトビアンキ プリムラの後継車としてアウトビアンキ A111が登場しました。角型ヘッドライトを採用した角ばった3ボックススタイルの4ドアセダンで、フィアット 124を目新しくしたようなデザインでした。プラットフォームはプリムラを流用した4気筒1.4L(75HP)エンジンを横置き搭載する前輪駆動車で、4段変速で最高速155km/hの性能でした。全輪ディスクブレーキを装備し、木製インパネなど豪華な内装でした。1972年まで販売されました。(実車画像→ アウトビアンキ A111)
A111と同時に小型車のアウトビアンキ A112が登場しました。A112は2年後に登場するフィアット 127の先行実験車という位置付けでもありました。BMC ミニによく似たスタイルに、フィアット 850用を拡大した4気筒903cc(42HP)エンジンを横置き搭載し、4段変速で最高速130km/hの性能でした。1972年には982cc(58HP)エンジンを搭載したスポーツ仕様のA112 アバルトが追加されました。A112 アバルトは1975年には1050cc(70HP)エンジンで5段変速機が装備され最高速が160km/hに向上し、高性能な小型車として人気がありました。A112はエンジンを965cc(48HP)に拡大するなどのマイナーチェンジが行われて、外観が少しづつ変更されシリーズ 8まで発展し、1985年まで生産されました。総生産台数は約125万台でした。
ミニカーは1972年に発売されたメーベトイ(マテル メーベ)製の当時物です。メーベトイは型番A48でA112をモデル化していましたが、これはボンネットにアバルトの紙シールを貼ってアバルト初期型に仕立てたものです。プロポーションやフロント顔つきはなかなか良く出来ていたのですが、安っぽいフリーホイールを使っていたのが今一つでした。(フリーホイールは当時の流行りでしたので仕方なかったですが) ドアが開閉するギミック付きです。これ以外のA112の当時物ミニカーはポリトーイの1/25と1/43がありました。当時物以外では、ミニチャンプスのノーマルとアバルト、ベストモデルのアバルトとレース仕様、スターライン、ソリドのアバルト 1/18、イクソの国産名車コレクションなどがあります。 以下はメーベトイ製のフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ アルフェッタ イタリア 1972年
アルファ ロメオ 1750の後継車アルフェッタが1972年に登場しました。アルフェッタという名前は1950年代のGPカー 159に付けられた愛称でした。159は変速機を後輪デフ直前に配置するトランス アクスル方式(前後重量配分が良くバネ下重量が軽い)を採用していましたが、同じトランス アクスル方式を採用したことからこの新型車にもアルフェッタという名前が付けられ、50:50の前後重量配分で優れた操縦性と良好な乗り心地を実現していました。自社でデザインしたボディスタイルもなかなか魅力的でした。(同時期のBMWに良く似ていましたが) DOHC 4気筒1.8L(122HP)エンジンを搭載し、最高速180km/hの性能でした。
1974年に2ドアクーペのGTが追加されました。1975年に丸形2灯式ヘッドライトで1.6Lエンジンを搭載した廉価版1.6、1977年に角形2灯式ヘッドライトで内外装を豪華にして2Lエンジンを搭載した高級版の2000、1979年に2Lターボ ディーゼル エンジンを搭載したターボ Dが追加されました。さらにアルフェッタをベースにしてボディを大型化しV型6気筒2.5L(158HP)エンジンを搭載したアルファ ロメオの最上級車 アルファ 6が1979年に登場しました。(実車画像→ アルファ ロメオ アルファ 6) アルフェッタは基本設計は素晴らしかったのですが、当時のイタリアの製造品質の問題(ボディ鋼板の錆、シャフトの振動などの不具合)があって商業的には失敗しました。1984年に内外装を変更した後継車の90にモデルチェンジしました。
ミニカーはエジソン(EDISON GIOCATTOLI)製で2007年に発売されました。エジソンはイタリアの玩具メーカーでモデルガンが有名なようですが、1/43のダイキャスト製ミニカーも手掛けていたようです。(他社からのOEM品だと思われます、このアルフェッタはノレブの物によく似ています) 直線的なスタイルや端正なフロントマスクが良く再現されていて、かなり良い出来ばえでした。室内も結構リアルに再現されています。アルフェッタ セダンの当時物ミニカーはポリトーイとメーベトイがありました。当時物以外ではミニチャンプス、ノレブ、ネオ(レジン製)などがあります。アルファ 6のミニカーはノレブ、KESS MODEL(レジン製)、ネオ(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ アルファスッド イタリア 1972年
イタリアの南北経済格差解消を目的にして、南イタリアのナポリ近郊に自動車工場を新設し雇用を増やすといった国策を、当時国有公社であったアルファ ロメオが担当することになりました。その国策の対象となった新型車がアルファスッドで1971年に登場しました。(スッドとはイタリア語で「南」の意) アルファスッドはアルファ ロメオにとって初の前輪駆動車でした。前輪駆動による広い室内、低重心の水平対向4気筒1.2L(63HP)エンジン、インボード4輪ディスクブレーキなどの高度な技術による優れた操縦性とブレーキ性能など当時の小型車として非常にレベルの高い車でした。イタル デザインによるスタイリングも魅力的でした。
当初は4ドア/2ドアセダンだけで、1975年に3ドアワゴン、1976年に1.3L(76HP)エンジンを搭載する3ドアクーペのスプリント、1981年に3/5ドアハッチバックも追加されました。1973年にエンジンを68HPにパワーアップした高性能版2ドア TIが設定されました。1978年に1.4L/1.5Lエンジンが追加され、1980年には内外装を一新してシリーズ2となり、1984年まで生産されました。アルファスッドはセダン系だけで約90万台が生産されヒットしましたが、同時期のアルフェッタ同様に初期には製造品質の問題がありました。後継車は1983年に登場した33でした。
ミニカーは1973年に発売されたポリトーイ製の当時物です。縮尺1/25と大きなサイズですが、それまでのポリトーイのMシリーズ(1/43)を単純に大きくしたような出来ばえでした。プロポーションが良くフロント周りの造形もまずまずリアルで、実車の雰囲気がうまく再現されていました。ボンネットとドアが開閉するギミック付きで、サイズが大きいのでボンネット内のエンジンは結構リアルに再現されています。ポリトーイは廉価版のE/ELシリーズ(1/43)でもアルファスッド 2ドアとTIをモデル化していました。ポリトーイ以外の当時物ミニカーでは、メーベトイ、ソリドがありましたが、いずれも廉価版ミニカーであまり良い出来ばえでありませんでした。当時物以外では、ミニチャンプス、ヘルパ、エジソン、KESS MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア ベータ クーペ イタリア 1972年
前述したランチア フルビアは大衆車クラスながら、高度な技術が採用され同クラスのフィアットに比べると価格が約1.5倍と高価でした。その上性能向上の改良やモデル追加が繰り返されるなど、ランチアは技術至上主義な車作りをしていました。これが原因でランチアの経営はまたもや悪化し、1969年にランチアはフィアットに吸収合併されました。フィアット傘下で最初に開発されたベータが1972年に登場しました。ベータはファーストバックの5ドアセダンで、フィアット製のDOHC 4気筒1.6/1.8L(110HP)エンジンでランチアお得意の前輪駆動方式とフィアットとランチアの技術が融合した進歩的な車でした。5段変速で最高速176km/h(1.8L)と高性能でした。(実車画像→ ランチア ベータ セダン 1972)
1973年に2ドアクーペ、1974年にザガート製のスパイダー、1975年にスポーツワゴンのHPEが追加され、ボディ形式が多いのもランチアらしいところでした。派生車としてシャーシをミッドシップ化しピニンファリーナ製のクーペボディを載せた2シータースポーツカーのモンテカルロが1975年に登場しました。セダンは1980年にノッチバックボディのベータ トレビに変わりました。1984年まで生産され全モデルの総生産台数は約43万台、後継車はプリズマでした。(実車画像→ ランチア ベータ スパイダー 1974 ) (実車画像 →ランチア ベータ モンテカルロ 1975) (実車画像 →ランチア プリズマ 1982)
ミニカーは1977年に発売されたソリド製の当時物で、ベータ クーペをモデル化しています。プロポーションは悪くないのですが、この当時のソリドはコストダウンを推進していた時期でしたので、テールライトの塗装が省略されているなど出来ばえは簡素でいまひとつでした。ドアが開閉するギミック付きで、室内も簡単な仕上げでした。これ以外のベータ クーペのミニカーはマーキュリーの当時物、ミニチャンプス、ノレブなどがあります。ベータ セダンのミニカーはポリトーイの当時物、Bブラーゴの当時物 1/24、ペゴ(PEGO)などがあります。ミニチャンプスはスパイダーとHPEもモデル化しています。派生車のベータ モンテカルロはレース仕様がベストモデルやスパーク(レジン製)などでモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア ストラトス イタリア 1972年
ラリーで勝つことだけを目的として開発された特別な車ストラトスは1974年に登場しました。元々は1970年に発表されたデザイン実験車(ストラトス ゼロ)でしたが、ベルトーネとランチアが共同で強力なラリー車に仕立て上げました。最大の特徴は2180mmと極端に短いホイールベースで、ミドシップエンジン配置とあいまって非常に優れた回頭性でした。これはラリー車としては優れていましたが、直進安定性が悪く扱い難いと言うことでもありました。エンジンはフェラーリ ディノ用の6気筒2.4L(190HP)を搭載し、5段変速で最高速は230km/hの性能でした。なお一般市販もされましたが、実用性が無いことからホモロゲーションに必要な400台が生産されただけでした。
ラリー専用車でしたから当然ですが、ラリーでは圧倒的な強さを誇り、デビューの1974年から3年連続してWRCのコンストラクターチャンピオンとなりました。ただこの勝利は親会社フィアットの車両販売には貢献せず、1977年からは売れる車(フィアット 131)でのラリー出場にフィアットの方針が変わってしまいました。なおその後もストラトスはプライベートチームでラリーや耐久レースで活躍しました。
ミニカーは1999年頃に発売されたミニチャンプス製です。1972年式ですので、量産される前の最終プロトタイプ(屋根上のスポイラーが無い)をモデル化しています。室内などの細部がリアルに再現された、ミニチャンプスらしい良い出来ばえでした。ミニチャンプスはラリー仕様も含めて約20種類をモデル化しています。これ以外のミニカーでは当時物はソリド、ノレブ、ポリトーイ、日本ではスーパーカーブームのさなかだったので、トミカ ダンディ、ダイヤペット、エイダイなどがモデル化していました。当時物以外では、イクソ、ビテス、京商の1/43と1/18、サンスター、レジン製ではスパークなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)