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ロールス ロイス コーニッシュ ドロップヘッド クーペ イギリス 1971年
1971年にロールス ロイス シルバー シャドウの2ドア クーペとドロップヘッドクーペ(幌付オープンカー)には、より高性能で豪華な特別仕様のコーニッシュが設定されました。同時にベントレー Tにもコーニッシュが設定されました。コーニッシュはエンジンの出力を10%ほど向上させ、ラジアルタイヤを装着、ブレーキを強化するなどスポーティでオーナードライバー向けの仕様となっていました。ボディは熟練工によるアルミ製の手作りで、内装もシルバーシャドウより豪華だったそうです。(価格はシルバー シャドウの約1.5倍だったそうです)
当初はクーペとドロップヘッドクーペが設定されましたが、1982年以降はドロップヘッドクーペだけとなりました。コーニッシュはABSやエアバックの標準装備やエンジン制御の電子化など改良が続けられ、コーニッシュ IVまで発展し1996年まで生産されました。総生産台数は約6200台(I型が約4300台)でした。2000年にコーニッシュ Vにモデルチェンジしましたが、ロールス ロイス社がBMW傘下となったことで2001年に生産中止となりました。なお日本の皇室もコーニッシュを購入していて、現在の天皇のご成婚パレード(1993年 当時は皇太子殿下)で使われましたが、現在は廃車になったそうです。(実車画像→ ロールス ロイス コーニッシュ V)
ミニカーは1978年に発売されたポリスティル(ポリトーイ)製の当時物です。1960年代のポリトーイ初期のMシリーズほど凝ったところはありませんが、プロポーションはまずまずで当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンや室内もそこそこリアルに再現されています。これ以外のコーニッシュの当時物ミニカーはソリド(ロールス ロイスとベントレー)、コーギーの1/36、フランクリン ミントの1/24などがありました。当時物以外ではオックスフォードのドロップヘッド クーペ、トゥルースケール(レジン製)のドロップヘッド クーペ 皇室専用車、ネオ(レジン製)のクーペ/ドロップヘッド クーペなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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インターメカニカ インドラ イタリア 1971年
インターメカニカ社はイタリアのトリノでフランク ライスナー(Frank Reisner)が1959年に起業した自動車会社でした。当初は小型車のチューンナップキットを手掛けていました。最初の車は小型車シュタイア プフ(500㏄)をベースにした2シータークーペのスポーツカー インターメカニカ プフ IMPでした。ただこの車はオリジナルより高性能だったので、フィアットから部品供給を断られ20台ほどしか生産できませんでした。(実車画像→ インターメカニカ プフ IMP)
1966年にイギリスのTVRと共同開発したプリムス製V型8気筒エンジンを搭載したグリフィス GT(GRIFFITH GT)が登場しました。TVRの事業停止でこの車は製造権がアメリカのスティーブ ワイルダーに移管されフォード製V型8気筒エンジンを搭載し名前がオメガに変わりました。1967年に製造権がインターメカニカに戻り、オメガはトリノ(後にイタリア)という名前に変わり、1972年まで生産されました。1967年にはフォード製V型8気筒エンジン搭載でワゴンタイプのムレナが少量生産されました。
(実車画像→ インターメカニカ グリフィス GT、 インターメカニカ ムレナ)
1971年にオペルと共同開発で、シボレー コルベットのV型8気筒5.4L(230HP)エンジンを搭載したインドラが登場しました。ノッチバッククーペ、ファーストバッククーペ、カブリオレの3タイプがありました。1973年にGMの意向でコルベットのエンジンが使えなくなりオペルの6気筒2.8L(180HP)エンジンに変わり、1975年まで生産されました。総生産台数は125台でした。1975年からインターメカニカ社はアメリカに移りポルシェ 356などのレプリカを生産、1981年にカナダに移り現在もポルシェ 356のレプリカを生産しています。
ミニカーは1975年頃に発売されたオートピレン製の当時物です。インドラのノッチバッククーペをモデル化しています。初期のオートピレンのミニカーは他社のコピーや部分改良版でしたが、その後金型製作の腕を上げて自社製オリジナルを作るようになりました。このインドラはオートピレン オリジナルの型で、シャープな造形で当時のミニカーとして良くできていました。ドア/ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、可動部の建付けも隙間が小さくうまく仕上げてあります。インドラのノッチバッククーペのミニカーはこれしかないようで、ファーストバックはBOS MODELSのレジン製があります。これ以外のインターメカニカのミニカーは、プフ、ムレナ、イタリアがレジン製でモデル化されています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 セドリック 230型 日本 1971年
日産 セドリック 3代目が1971年に登場しました。先代の最終モデルのデザインを踏襲して当時流行していたコークボトルラインを取り入れたスタイルとなっていました。この世代からセドリックとグロリアはフロントグリル意匠などが異なるだけの姉妹車として統合されました。エンジンはH20型 4気筒2L (92HP) 、L20型 6気筒2L(115/125HP)、L26型 6気筒2.6L(140ps)、SD20型 4気筒ディーゼルの4タイプで、3段AT/4段MT変速機で最高速165km/hの性能でした。グロリア 4代目のミニカーはこちら→ 日産 グロリア 230型
従来のセダン、ワゴン(バン)に加えて、トヨタ クラウンに対抗して2ドアハードトップが設定されまし。1972年のマイナーチェンジでフロントグリルが変更され、国産車初の4ドアハードトップが追加されました。なお同時期にモデルチェンジしたライバルのトヨタ クラウン (MS60)がやや奇抜なデザインの為に販売が芳しくなかったので、セドリック 3代目(グロリア含む)は販売台数でクラウンを上回る快挙を成し遂げました。1975年にセドリック 4代目(330型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。プロポーションが良く、フロン周りの造形など実車の雰囲気がよく再現されていてなかなかの良い出来ばえでした。(1/40より少し大きめに出来ていますが) 室内のインパネなどもそこそこリアルに再現されています。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ダイヤペットは型番261で2ドア ハードトップ、型番P17で構内タクシー、型番G31でセダン後期型(1/30)もモデル化していました。これ以外の当時物ではモデルペットの4ドア ハードトップ、トミカのセダンとワゴンがありました。当時物以外ではアドバンスピリット(アンチモニー製)のセダンとバン、トミカ リミッテドの後期型セダンとワゴンなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 セドリック 230型 構内タクシー 日本 1971年
最近のタクシーはトヨタの最新のジャパンタクシー、数年前まで生産されていたトヨタのコンフォート/クラウンセダン、2014年に生産中止となった日産 セドリックのタクシー専用車(もうほとんど見かけないが)などがあります。1990年代以前はトヨタ/日産以外でマツダ(ルーチェやカペラ)や三菱(ギャラン Σ)などのタクシーもありましたが、1970-1980年代の中型車クラスのタクシーで代表的な車種といえば、やはりトヨタ クラウンと日産 セドリックでした。
タクシーのエンジンはほとんどがLPガス仕様ですが、これはLPガスがガソリンや軽油より大幅に安かったからで、1960年代にタクシーのLPガス化が進みました。現在でもLPガスは安いのですが、LPガス充填スタンドが少ないことや特殊なガスタンク構造など諸々の理由で、LPガス車は一般向けには普及していません。
ミニカーは1972年に発売されたダイヤペット製の当時物です。前述したダイヤペット製の日産 セドリック 230型のバリエーションで構内タクシー仕様をモデル化しています。構内タクシーとは、鉄道駅構内での営業許可を受けたタクシーのことです。この当時の東京駅構内タクシーのカラーリングは黄色に青ラインだったようで、たぶんそれをモデル化しているのでしょう。カラーリングを変更し屋根にTAXIと表示した天井灯を追加してタクシー仕様としていますが、それ以外の変更はありません。(タクシーメータなども再現してくれると、もっとそれらしくなるのですが) ダイヤペットのタクシーにはこの構内タクシーのカラー、黄色とオレンジの2トンカラー(東京の大手タクシー会社4社の統一カラー 通称「4社カラー」)、個人タクシーの白などがありました。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 グロリア 230型 2ドア ハードトップ 日本 1971年
1971年に日産 グロリアは4代目にモデルチェンジしました。この世代からセドリックの姉妹車になった為、グリルの意匠などが異なっているだけでデザイン的にはセドリックと同じになりました。エンジンなども共通化していましたから性能的にも同じでした。ただ車格的にはグロリアが上級という位置づけで、昔の価格表を見ると同じグレードでもグロリアが一割ほど値段が高く設定されていました。セドリックのミニカーはこちら→ セドリック 3代目 230型
セドリック/グロリアに採用された国産初の4ドア ハードトップは、ピラーレスでキャビンの前後の傾斜角を大きくしてキャビンを小さくするといった見た目重視のデザインでした。このデザインは好評で個人ユーザーはほとんどが4ドア ハードトップを選んだそうです。2010年頃からクーペ的なデザインを採用した高級セダン(例えばアウディ A7 など→ アウディ A7 2010)が増えてきましたが、同じような流行が繰り返されているように思います。1975年にグロリア 5代目 330型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。グロリア 2ドア ハードトップのモデル化で、ダイヤペットはセドリックのセダンとハードトップもモデル化していました。実車同様にセドリックの金型を流用して、前後グリルをグロリアに変更しています。特に角型ヘッドライトを透明プラスチック製パーツにしたことで、従来のメッキパーツのヘッドライトよりフロントグリルがリアルに再現されています。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。なおこの個体は底板が少し変形して、ボディ全体が少し弓型に反っています。(この変形の原因を詳しく知りたい方はこちらを参照 →ダイキャストの材質の問題) 当時物ミニカーではトミカのセダン、ダンディのバンがありました。当時物以外では、アドバンスピリットのセダン、トミカ リミッテドのセダン、2ドアハードトップがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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