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アストン マーチン DB4 イギリス 1959年
" アストン マーチン社は1910年代に創立されました。名前の由来は創始者の一人であるライオネル マーティンがアストン クリントンという場所で行われたヒルクライム レースに優勝したことから付けられたそうです。戦前は高性能なスポーツカーやレースカーを製作していたようです。1947年に実業家デビット ブラウンが経営に乗り出し、車名に彼のイニシャルであるDBが付くようになりました。1948年に試作されたレースカーは初戦のスパ フランコルシャンで優勝し、その性能を知らしめました。この車をベースにした市販車が2L スポーツ(後にDB1と呼ばれた)で、4気筒2L(77HP)エンジンを搭載し、最高速155km/hの性能でした。(実車画像→ アストン マーチン DB1)
" 1950年にベントレーの設計者として有名なW.O.ベントレーが設計したDOHC 直列6気筒2.6L(105HP)エンジンを搭載したDB2が登場しました。ボディはアルミ製で、フェンダーがボディと一体化した戦後型の2ドア クーペで最高速は190km/hと極めて高性能でした。この車は1950年のルマンで優勝するなどレースで活躍し、高性能車としてのアストン マーチンのブランドを確立しました。DB2にはDB2/4という2+2座のハッチバックが追加され、エンジン排気量は3L(140HP)まで拡大されました。またレース仕様のDB3とその軽量版のDB3Sが各種レースで活躍しました。(実車画像→ アストン マーチン DB2、アストン マーチン DB3)
1958年にはDB4が登場しました。DOHC 直列6気筒3.7L(240HP)エンジンを搭載し、最高速240km/hと当時世界最速の高級スポーツカーでした。軽量アルミ製ボディはトゥーリングのデザインで、クーペとドロップヘッドクーペ(オープンカー)がありました。1959年にホイールベースを短縮し2座としてエンジンを3.7L(302HP)にチューンした高性能版のDB4GTが追加されました。DB4はシリーズ5まで発展し1963年まで生産されました。
ミニカーは2017年に発売されたアシェット製の国産名車コレクションでメーカーはイクソです。イクソは型番CLC144でDB4をモデル化していて、これはその廉価版で、内装仕上げが省略されワイパーとホイールが簡素化されています。プロポーションが良くフロント/リアの雰囲気も実車のイメージをうまく再現しているので、DB4のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。(ただフロントウィンドーがやや大きめに感じます) DB4の当時物ミニカーとしてはコーギーとソリドがありました。当時物以外では、イクソの前身のビテスがDB4GTの高性能版のザガート仕様など約20種類をモデル化していて、スパーク、トップモデルなどのレジン製もあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DB5 イギリス 1963年
" 1963年にアストン マーチン DB4はDB5にモデルチェンジしました。DB4とDB5の外観上の違いはほとんどありません。このミニカーの画像ではヘッドライトにカバーが付いていて前述したDB4と違っていますが、ヘッドライト カバーはDB4のシリーズ4から既に採用されていました。DB5はDB4のDOHC 直列6気筒3.7Lエンジンが4L(282HP)まで拡大され、5段変速機が採用されて最高速は233km/hの性能でした。1964年にはエンジンを330HPまでパワーアップした高性能版ヴァンテージが追加されました。
" DB5を世間に知らしめたのはなんといっても映画「007 ゴールドフィンガー」(1964年)でジェームス ボンドが操るボンドカーに採用されたことでした。フロントから飛び出すマシンガンや射出される助手席などの特殊な装備が搭載されたDB5 ボンドカーは映画のヒットとともに有名になりました。007映画ではアストン マーチン DB5はボンドのプライベートカーという設定で、それ以外にも「007 リビング デイライツ」(1987年)のアストン マーチン V8、「007 ダイ アナザー デイ」(2002年)のアストン マーチン V12 ヴァンキッシュ、「007 スペクター」(2015年)のアストン マーチン DB10など特殊装備付のアストン マーチンが登場しています。それらのボンドカーはほとんどがミニカーになっていて、アストン マーチンだけではなく全てのボンドカーをあつめた雑誌付きミニカーのシリーズ(The James Bond Car Collection)まであります。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。これは自動車100年を記念したビテスのミレニアム シリーズの一つで、型番V98029のDB5とフィギュア2体をセットにしたものでした。フィギュアは007のボンド(ピアース ブロスナンをモデル化している?)とホテルのポーターで、007シリーズにあやかったものです。ミニカーはプロポーションが良く、ホイールや室内などの細部の仕上げもリアルで、レベルの高い出来ばえでした。ただボンドカーとしての特殊装備は付いていません。以下はフロント/リアの拡大画像とフィギュアを並べた画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DB5 ドロップヘッド クーペ イギリス 1965年
" 1963年にアストン マーチン DB5にフルオープン仕様のドロップヘッドクーペ(ソフトトップを持つコンバーチブル)が追加されました。なお1965年以降のアストン マーチンのコンバーチブルにはボランテ(VOLANTE)という名前が付けられるようになりました。1964年にはエンジンを330HPまでパワーアップした高性能版ヴァンテージが追加されました。また経営者のデビット ブラウン用としてリアをワゴン風に改造したシューティング ブレークが特注で製作され、同様の改造がコーチビルダーによっても行われたようです。(実車画像→ アストン マーチン シューティング ブレーク)
DB5の内装は豪華な本革仕様で、既にパワーウインドーが標準装備され、3段自動変速機もオプション設定されました。DB5は1965年にDB6にモデルチェンジしました。DB5は2年間で約1000台しか生産されていません。その中でヴァンテージは65台、コンバーチブルは123台だったそうです。当時の本国での価格は約5000ポンドで、当時のレートで換算すると約500万円となります。1960年代の価格ですから、やはりかなり高額の車だったようです。
" ミニカーは1966年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。ディンキー(英)らしいがっちりとした作風で、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。発売されたのは1966年ですので、車としては既にDB6に切り替わった時期ですが、このドロップヘッドクーペはテールエンドの形状などからDB5として作られています。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きです。最近までDB5のドロップヘッド クーペのミニカーはこれしかなかったのですが、2015年以降にマトリックス(レジン製)の1/43とカルト モデル(レジン製)の1/18でモデル化されました。なおほぼ同時期に発売されたディンキー(英)製のDB クーペはDB6でモデル化されていました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DB6 イギリス 1965年
アストン マーチン DB5は1965年にDB6にモデルチェンジしました。ホイールベースが95mm延長され高速安定性が向上しました。また全長の50mm延長で後席が拡大し、パワーステアリングとエアコンがオプション設定され居住性も向上しました。外観はほとんど同じように見えますが、前後バンパーが分割タイプとなり、空力効果があるテールエンドが持ち上がったカムテールが採用されました。エンジンはDB5と同じDOHC 6気筒4L(282HP)で、DB5とほぼ同じ性能でした。325HPにパワーアップした高性能版のヴァンテージもありました。
" 1969年に後継車のDBSが登場し、DB6はマイナーチェンジでMK IIとなりました。MK IIはDBSの部品を共用しており、幅広くなったタイヤをカバーする為ホイールアーチにフレアーが追加されました。DB5と同じくクーペとドロップヘッドクーペ(コンバーチブル)のボランテが設定され、少数ですがシューティング ブレークもコーチビルダーにより製作されました。DB6は1970年まで生産され、総生産台数は約1800台でした。
ミニカーは1966年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。前述したドロップヘッドクーペ(型番110)の型を流用して、ボディ後半部分を変更しているようです。前後バンパーはDB5のままで変更されておらずリアのカムテールがかなり誇張されていますが、全体的なプロポーションは良くできていると思います。縮尺を1/42から1/43に変更しているので、このDB6のほうがDB5 ドロップヘッドクーペより全長が短くなっています。(なおこのミニカーのフェンダー周りの変色は、汚れではなく塗装の経年変化?によるものらしく拭いてもとれません) DB6の量産ミニカーは不思議なことに最近までこれしかありませんでした。(外観がDB5と変わりばえしないからでしょうか?) 最近になってスパーク(レジン製)とマトリックス(レジン製)がクーペとボランテをモデル化しました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DBS V8 イギリス 1969年
1967年にアストン マーチン DBSが登場しました。それまでの丸みを帯びたレトロなデザインから一気に逆スラントしたフロントグリルを持つ直線的なエッジの効いたモダンなデザインとなりました。ボディは大きく低くなり、特に車幅は1.8mを超えていました。この車用に開発していたV型8気筒エンジンの完成が遅れたため、当初はDB6から引き継いだ6気筒4L(286HP)エンジンを搭載していました。その為車体が重くなった分だけ性能が低下していました。
" 新形のV型8気筒5.4L(320HP)エンジンを搭載したDBS V8が1969年に登場し、この車は最高速261m/hで当時世界最速の4シーター市販車でした。6気筒エンジン搭載のDBSも継続して生産され、最後の70台は2灯式ヘッドライトに変更されエンジンをパワーアップした高性能版ヴァンテージ仕様でした。DBS V8は1972年まで生産され、後継車のV8にモデルチェンジしました。
デヴィッド ブラウンが率いるDBグループは経営危機から、1972年にアストン マーチンの経営権を手放した為、これ以後はDBの名前がついたモデルが無くなりました。なお1990年代のフォード モーター傘下の時代に、デヴィッド ブラウンが役員として戻ったため、1993年のDB7でDBの名前が復活しました。(DBSも2007年にDBS V12で復活しました)
ミニカーは2012年に発売されたミニチャンプス製です。プロポーションが良く、フロントグリル、室内、ホイールなどの細部がリアルで非常に良い出来ばえでした。ミニカーでも一目で幅が広いことが分かりますが、実際に測ってみると車幅42.5㎜と1/43で正確にスケールダウンされていて、デフォルメで幅が広い訳ではありませんでした。またワイヤースポークホイールやフェンダーミラーを付けている点などは時代を感じさせる仕様となっていました。ミニチャンプスは映画「女王陛下の007(1969年)」のDBS ボンドカー仕様もモデル化しています。これ以外のDBSのミニカーは、コーギーのボンドカー仕様 1/36、スパーク(レジン製)、GTスピリット(レジン製)の1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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