Sorry Japanese Only
クライスラー ダッジ チャージャー R/T アメリカ 1969年
アメリカでは1960年代後半から1970年代にかけて、マッスルカーと呼ばれたハイパワーエンジンを搭載した高性能車がたくさん登場しました。代表的な車はフォードのトリノ GT、GMのシボレー シェベル SSやポンティアック GTO、クライスラーのダッジ ダートやプリムス ロードランナーなどでした。マッスルカーの始まりとされるのは1955年式クライスラー 300で、V型8気筒5.4L(300HP)の高性能エンジンを搭載し、NASCAR(アメリカで人気のあるストックカーレース)で活躍しました。ただこの車は高価な大型車クラスでしたので、本来の意味での中型車クラスのマッスルカーの始まりは、1962年に登場したV型8気筒6.8L(415HP)エンジンを搭載したダッジ ダート 440 ラムチャージャーとするようです。(実車画像→ クライスラー ダッジ ダート 440 ラムチャージャー)
ダッジ チャージャー 初代は1966年にダッジ コロネットのファーストバッククーペ(格納式ヘッドライト採用)にV型8気筒5.2L(230HP)エンジンを搭載して登場しました。この車にはV型8気筒7L(425HP)のレース仕様のヘミ エンジンも搭載されました。(実車画像→ クライスラー ダッジ チャージャー 1966) 1968年にダッジ チャージャー 2代目が登場しました。高性能版のR/TにはV型8気筒7.2L(375HP)エンジンが標準で、オプションで425HPのヘミ エンジンも搭載できました。R/Tをベースにしたレース仕様のチャージャー 500はNASCARに参戦していました。1971年にチャージャー 3代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ クライスラー ダッジ チャージャー 1971)
ミニカーはマッチボックス製のマニア向けのマッスルカーシリーズで1998年に発売されました。マッスルカーシリーズは十数種類のマッスルカーをモデル化していて、室内や床下のサスペンションなどがリアルに再現され、良い出来ばえでした。(中国で製造されていました) このマッチボックス製の型を流用して床下の仕上げなどを簡素化したマテル製もありました。このチャージャー R/Tは1969年式をモデル化していますので、この年式で変更されたフロントグリルと横長テールライトが正確に再現されていました。かっこいい実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはかなり良いばえでした。ダッジ チャージャーは人気の高い車ですので、ミニカーはERTLの1/18、ミニチャンプスの/43、グリーンライトの1/64、ジョニーライトニングの1/64、マテルの1/64などたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=445
クライスラー ダッジ チャージャー デイトナ ヘミ アメリカ 1969年
前述したようにダッジ チャージャーはチャージャー 500でNASCARレースに参戦していました。しかしチャージャー 500はボディの空力的な問題(ボディがリフトする)で、芳しい成績が出せませんでした。そこでフロントグリル全体をカバーするノーズコーンと、リアに大きなウイングを付けてダウンフォースを発生させたレース仕様のチャージャー デイトナが1969年に開発されました。チャージャー デイトナはNASCARレースで勝つためだけに作られたホモロゲーション モデルで、500台が市販されました。エンジンはベースとなっているR/Tと同じで、標準はV型8気筒7.2L(375HP)、オプションで425HPのヘミ エンジンが搭載できました。
デイトナの空力仕様は伊達ではなく、この車はNASCARとして初めて200mph(320km/h)を越えるスピード記録を達成しました。また目論見どうりに初戦のNASCARレースで勝利していて、圧倒的に強かったようです。姉妹車で同じ空力スタイルをしたプリムス スーパーバードもありました。ただこのような空力処理をしたレースカーが圧倒的に強かったので、NASCARでは排気量を5Lに制限するなどして実質的に禁止となり、1971年以降は参戦できなくなったようです。(実車画像→ クライスラー プリムス スーパーバード)
ミニカーはユニバーサル ホビー製で、2002年頃に発売されました。どちらかというと廉価版ミニカーの類でしたので、値段相応の出来ばえですが、プロポーションはまずまずで特徴的な空力パーツはうまく再現していました。70cmもある高いリアウイングはミニカーでもずいぶん目立ちますが、この仕様で公道も走れたそうですので、この車に公道で出会ったらびっくりしたと思います。これ以外のチャージャー デイトナのミニカーは、GREENLIGHTの1/18、M2 MACHINESやJOHNNY LIGHTNINGの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=446
GM オールズモービル 442 アメリカ 1970年
オールズモービルはGMグループではビュイックに次ぐ中級車で、1960年代には先進的な技術やデザインを特徴とするブランドでした。オールズモービルのエントリーモデルであったカトラスの最上級グレードのオプション設定として442が1964年に登場しました。442とは4バレル キャブレター、4速手動変速機(後に排気量400CI(キュービック インチ=6.6Lの4に代わった))、2(デュアル)排気管を意味し、要するに高性能なV型8気筒5.4L(310HP)エンジンを搭載した特別仕様車で、4段手動変速機で最高速185km/hと高性能でした。
1968年に登場したオールズモービル 442 2代目は独立したモデルとなり、同時期のポンティアック GTOと同様にGMのマッスルカーとして有名な車でした。なかでも1970年型は442の最高峰といわれ、V型8気筒445CI(7.5L)エンジンは400HPに達しインディ500のペースカーになりました。ファーストバックの2ドアクーペとコンバーチブルがありました。1970年代になると排ガス規制が厳しくなり、マッスルカーはだんだん消えていきました。1973年に442 3代目が登場しました。安全基準の強化でコンバーチブルはなくなりクーペだけとなりました。(実車画像→ オールズモービル 442 1973)
ミニカーは2001年頃に発売されたアーテル製です。オールズモービル 442の最高峰とされる1970年式をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリル、ボンネット上のエアスクープ、派手なタイヤなど実車の雰囲気がうまく再現されていました。室内も良く再現されています。1998年頃に発売されたマッチボックスのマッスルカーシリーズの442(型番YMC11)とほとんど同じなので、その型を流用しているようです。これ以外の442のミニカーは同じアーテルの1/18、ウェリーの1/18、フランクリン ミントの1/24、ニューレイの1/43、ジョニーライトニングの1/64、M2マシンの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=377
GM シボレー シェベル SS 454 アメリカ 1970年
1950年代にヨーロッパ製の小型乗用車がアメリカに輸入され、セカンドカーとして使われました。この小型車需要への対応ではアメリカンモーターズ(AMC)の小型車(ランブラーなど)が先行していました。これに対してビッグ3(GM、フォード、クライスラー)も小型車(といっても2L/3Lクラス)を登場させました。GMの小型車はコルベアやノバでしたが、1960年代中ごろになると小型車クラスとフルサイズのシボレーの間を埋める中型車としてシェベルやマリブが登場しました。(実車画像→ シボレー シェベル 1964)
1964年に登場したシェベルはスタイルを見ても分かるように、元々はお買い得な6気筒エンジン搭載のファミリーカーといった位置付けでセダン、クーペ、コンバーチブル、ワゴンが揃っていました。しかしV型8気筒エンジンを搭載した高性能版のSSでシェベルはマッスルカーへの道を歩み始めました。特に1970年に登場したSS 454はV型8気筒7.4L(454CI(キュービックインチ) 450HP)エンジンを搭載し、クライスラーのヘミ エンジン搭載車(ダッジ チャージャーなど)に匹敵する当時最強のマッスルカーでした。マッスルカーの全盛期にシボレーはシェベルにその役割りを与えていたようです。1968年にはシェベル 2代目が登場し、1973年に登場した3代目は1978年に名前がマリブに変わりました。(実車画像→ シボレー シェベル SS 1968)
ミニカーは1996年に発売されたマッチボックス製です。1960-1970年代のマッスルカーをモデル化したマッチボックスの「マッスルカー シリーズ」の1台で、高性能版のSS 454をモデル化しています。メッキパーツのヘッドライトがレトロな作風なのでフロント部分がややシャープさに欠けますが、全体的なプロポーションが良くマッスルカー シェベルの雰囲気がうまく再現されていました。スポークホイールにホワイトレター付タイヤ、赤いボディに黒いストライプのカラーリングなどの細部は実車に忠実でした。これ以外のシャベルのミニカーはフランクリン ミントの1/24、アーテルの1/18、ジョニーライトニングの1/64、グリーンライトの1/64、ホットホイールの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=393
シャパラル 2J アメリカ 1970年
1968年にスポーツカー選手権はプロトタイプカーの排気量を3L、スポーツカーの排気量を5Lに制限したので、大排気量のフォード GT40やシャパラルなどは出場できなくなりました。そこでシャパラルはカンナムに専念することになり、1968年シーズンは1967年に投入した2Gの改良型で参戦しました。この年もマクラーレンが圧倒的に強く全勝しています。このシーズン最後にはJ.ホールがレース中の追突事故で重傷を負いました。 (実車画像→ シャパラル 2G 1967 )
1969年に新開発したシャパラル 2Hが登場します。2Hは従来のスポイラーによる空力利用を見直して、ボディ全体を楔形にして空気抵抗を減らす新しいデザインを採用していました。このデザインは目論見どおりにいかなかったようで、シーズン終盤には異様なほど大きなスポイラーを付けた2Hが登場しました。(実車画像→ シャパラル 2H 1969 )
1970年にはシャパラルで最も独創的な設計がされたシャパラル 2Jが登場しました。2Jは真空掃除機と呼ばれましたが、その名のとおり掃除機のように車体下部の空気をファンで後方に吸出すようになっていました。車体は地面に張り付くことになり(グランドエフェクト効果)、強力なダウンフォースが常時得られるのでした。ファン駆動は専用の小型エンジンで行い、地面との隙間を最小限にする為に車体下部にスカートと呼ばれる緩衝材が付いていました。この方式はシーズン後に禁止とされ、この決定に失望したJ.ホールはカンナムから撤退しました。結局シャパラルはカンナムではマクラーレンに一度も勝てませんでした。その後シャパラルはローラ T333で1977年から再開されたカンナムに参戦したり、シャパラル初のオープンホイールの2Kで1979年からCARTシリーズに参戦しました。最終的に1982年にシャパラルとしてのレース活動を中止しました。 (実車画像→ シャパラル 2K 1979 )
シャパラルが先鞭をつけたレースカーにおける自動変速機、スポイラー、真空掃除機方式(グランドエフェクト)などの技術は、その後のレースカーで全て一般化されました。(ファンを使うグランドエフェクトは禁止されましたが) 独創的な発想で「白い怪鳥」と呼ばれたシャパラルは、その技術の熟成不足と不運であまり勝てませんでしたが、レースカーの歴史に偉大な足跡を残しました。
ミニカーは1972年に発売されたメーベトイ(マテル グラントロス)製の当時物です。1970年頃にアメリカのマテル社に買収されたメーベトイのミニカーはマテルお得意のフリーホイールを採用するようになったのですが、それを除けばメーベトイらしいセンスの良さが残っていました。このシャパラル 2Jも、最大の特徴であるリアのファンやボディ下部のスカート(黒い部分)などが再現されていて、リアカウルを開くと簡単な造形ですがエンジンなどがメッキパーツで再現されています。全体的な出来ばえは当時のミニカーとしてはレベルの高い物でした。これ以外の当時物ではマーキュリーやポリトーイがありました。当時物以外ではミニチャンプスがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピットの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1788
サラブレッド期 ← ページ « 前へ 1...13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 ...28 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.