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モーリス オックスフォード ブルノーズ イギリス 1913年
ウイリアム リチャード モーリス(William Richard Morris)は自転車製造からはじめバイク製造を経て、1912年に自身の頭文字を付けたWRMモータ社を興し4輪車製造に進出しました。1913年に開発した第1号車のオックスフォードは、会社の所在地のオックスフォード州に因んだ名前でした。オックスフォードは4気筒1Lエンジンを搭載する2座の小型車で、ほとんどの部品が他社製でモーリスでは組立だけを行ったそうです。1914年にクーペとバンが追加されました。この車は低価格ながら出来の良い車として好評で、フロントの丸みを帯びたラジエータ形状からブルノーズ(牛の鼻)と呼ばれるようになりました。
1915年にアメリカ製の4気筒1.5Lエンジンを搭載したカウリー ブルノーズが追加されました。従来のブルノーズより大型化したので4人乗りが可能となり装備も充実しました。1919年にアメリカ製エンジンが入手できなくなったので、オックスフォード ブルノーズはライセンス生産したフランスのオチキス製の4気筒1.5L(12HP)エンジンに変更しました。その変更でオックスフォード ブルノーズは4人乗り、カウリー ブルノーズは2座の小型ボディだけになりました。オックスフォード ブルノーズとカウリー ブルノーズは1926年まで生産されました。第1次大戦後に価格を下げたカウリーがヒットし、モーリス社はオチキス社やウーズレー社を吸収合併してイギリス有数のメーカーになっていきました。
ミニカーは1971年に発売されたディンキー(英)製です。ディンキー(英)のモーリス オックスフォードは型番476で1965年に発売されました。これはそれを流用した「Parsley's Car」という名前のキャラクター物ミニカーで、BBCのTV番組「The adventures of Parsley(パセリの冒険)」のキャラクター人形が付いていました。(人形は外して撮影しています) この「Parsley's Car」はキャラクター物ですのでカラーリングなどがやや玩具的ですが、モーリス オックスフォードの特徴であるブルノーズがうまく再現されているなど、当時のミニカーとしては良くできていました。1/43より大きめ(1/38ぐらい)のサイズで出来ていて、リアのトランクが開閉するギミックが付いています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック モデル 30 ツアラー アメリカ 1913年
フォード自動車の創立者のヘンリー フォードは個人的な趣味として自宅で自動車を製作していました。彼が33歳の1898年に製作した自動車にほれ込んだ地元の材木商のウイリアム H マーフィーは、1899年に「デトロイト自動車」社を創立し、ヘンリー フォードを主任技術者に雇いました。この会社は1901年に「ヘンリー フォード」社に変わり、この会社に精密機械エンジニアのヘンリー リーランドが雇われました。高級車を目指していたヘンリー リーランドと大衆車を目指していたヘンリー フォードは意見が対立し、ヘンリー フォードは会社を辞めてしまいました。その後会社は「キャディラック自動車」社に改名され、1902年にキャディラック モデル Aが登場しました。(実車画像→ キャディラック モデル A) 因みにキャディラックという名前はデトロイトの町をひらいた人物の名前に因んでいます。
精密機械エンジニアのヘンリー リーランドが率いるキャディラック社は高い製造品質の自動車を製造しました。1908年には3台の車を分解し部品をバラバラに混ぜあわせてから組立て直して走行させることで部品の互換性を実証する試験を行い有名になりました。1909年にはキャディラック社はGM傘下となり、GMの最上級車となりました。なおヘンリー リーランドはGM首脳とそりが合わなくなり、1917年にGMを退社しリンカーン モーター社を設立しました。リンカーンもフォードの最上級車ですから、アメリカの最上級車2ブランドはリーランドが興したのです。
ミニカーがモデル化しているのはキャディラック モデル 30 1913年式のスポーティな2ドア ツアラーです。1909年に登場したモデル 30は4気筒エンジンを搭載したキャディラックとしては最後のモデルで、この1913年式には4気筒6L(48HP)エンジンが搭載されていました。またこの車には世界初の電気式スターターとライトが標準装備となっていました。特に電気式スターターは自動車の取り扱いを極めて簡便にしました。(それまではクランクハンドルを手動で回して始動させていました)
ミニカーは1968年に発売されたマッチボックス製です。1960年-1980年代に発売されたマッチボックスのクラシックカーは型番がYから始まるのでY シリーズと呼ばれ、それまで専門メーカーが作っていたマニアックなクラシックカーのミニカーを手ごろな値段で一般向けに提供したものでした。ヘッドライトなど細部の造形を簡略化したことで比較的安価(1970年代当時の値段は約1000円)で、クラシックカーらしくないカラフルなカラーリングであったので、マニア以外にも結構売れました。Yシリーズは本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでしたが、車種的には貴重なモデルがたくさんありました。このキャディラックはヘッドライトがフロントグリル横から生えているなど細部がマッチボックス流で簡略化されていますが、ボディ全体のプロポーションは実車を良く再現しています。同時期のキャディラックのミニカーはフランクリン ミントの1/24やシグネチャーの1/32などがありますが、1/43相当ではこのマッチボックス製しかなく、車種的に貴重なモデルです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マーサー タイプ 35 レースアバウト アメリカ 1913年
1883年の開通当時世界最長の吊橋であったニューヨークのブルックリン橋の建設に貢献した富豪ローブリング家のワシントン A.ローブリング II (Washington A. Roebling II)は自動車に興味を持っていました。彼の友人W.ウォルター(William Walter)はウォルター自動車を設立しニューヨークで高性能な自動車を少量生産していました。ウオルターはローブリング IIの勧めで工場をニュージャージー州トレントンに移しました。1908年にウォルター自動車が経営難となったので、ローブリング IIはウォルターの会社を買い取って再建し、1909年に会社名をマーサー自動車(MERCER MOTOR CARS)としました。マーサーとは工場があったニュージャージー州マーサー郡に由来したものでした。
マーサーの代表的なモデルで当時の高性能スポーツカーとして知られているタイプ 35 レースアバウトは1911年に登場しました。ドアのない開放的な2人乗りロードスターで4気筒4.8L(55HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速140km/hと高性能でした。マーサー レースアバウトのレース仕様車は当時同じような仕様でライバルであったスタッツ ベアキャットと競い合い、1913年のインディ 500で2位、1914年のアメリカ GPで優勝するなど大活躍しました。ただしレースアバウト以外はあまり売れなかったようで1919年には他社に買収され、その会社も買収され1925年にマーサー車は生産中止となりました。
ミニカーは1961年に発売されたマッチボックス製です。歴史的に有名なクラシックカーをモデル化しているYシリーズ(Yesteryear Series)の1台です。1960年代に作られたビンテージ ミニカーですので金属パーツが多い素朴な作りですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。Yシリーズは造りを簡素化することで安価となっていましたが、縮尺が一定していないことが並べて楽しむのには不向きでした。このマーサーも縮尺1/46と中途半端に小さいので、1/43サイズと並べるとやや貧弱な感じに見えます。サイズが小さめですが、実車の雰囲気はうまく再現されていて1960年代当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。(昔の安価なミニカーですから無理ですが、この車の特徴であった円形のウィンドースクリーンを再現して欲しかったです) なおマーサーの量産ミニカーは2023年現在でもこれ以外にはないようなので、車種的にはかなり貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール スキッフ フランス 1914年
この車はパナール ルヴァッソールのシャーシに架装されたカスタムデザイン車で、今日で言うところのショーカーのようなものでした。スキッフとは細長い小船のことでボディの形が似ているだけではなく木骨に板張りという構造も同じになっていました。この個性的なボディを架装したのは、フランスのコーチビルダー HENRI-LABOURDETTE(アンリ ラブールデット)社で、同社は1910-1920年代にスキッフという名前で同じようなデザインのボディをロールス ロイスやイスパノ スイザなどに架装していましたが、その名前をつけた最初のモデルは1912年に登場しました。
最初のスキッフは4気筒2.6L(22HP)エンジンを搭載したパナール ルヴァッソール タイプ X19に架装されました。この車は「軽くて快適な小船のようなデザイン」というパナール ルヴァッソール社の重役の要望に沿って製作されました。小船をイメージしたこの車にはドアがなく、木製フレームにマホガニーの板をリベット留めした構造で非常に軽量でした。フランスのコーチビルダーが架装するカスタムデザイン車は船をモチーフにした耽美なものが多いですが、この車はその先駆けとなったもので、他のコーチビルダーがこのデザインを模倣しました。
ミニカーは1960年代に発売されたフランスのMINIALUXE製です。(MINIALUXEは正しい読み方ではないかもしれませんが、ミニオールと呼んでいます) MINIALUXEは1964年から「Tacots」シリーズとして1/43サイズのプラスチック製で出来の良いクラシックカーを約30種類ほど発売していました。このスキッフも実車の魅力的なデザインをうまく再現していて良く出来ています。フロントのパネルに1914と表示しているのと実用的な幌が付いていますので、1912年のスキッフの市販仕様かもしれません。プラスチック製で色を変えるのが簡単なので様々な色を組み合わせた色違いがありましたが、この実車に即した茶色のボディが一番リアルです。パナール ルヴァッソール スキッフのミニカーは現時点(2023年)でもこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー タイプ AG タクシー ド ラ マルヌ フランス 1914年
前述したようにルノー タイプ AGはタクシーとして使われました。タイプ AG タクシーは画像のようなランドレー形式のボディが一般的でしたが、密閉式キャビンのセダンやフルオープンのフェートン、商用バンなどもあったそうです。ルノーは1905年にタクシー会社を設立し自社のタクシーを大量に使用しました。この会社以外にも当時のパリにはタクシー会社が2つあり、1914年には約10000台のタクシーがあったそうで、その80%以上がルノー タイプ AGだったとのことです。
第1次大戦初期の1914年9月にドイツ軍がパリの間近に迫ったとき、パリのタクシー 1300台がフランス軍6000人を一夜にしてパリから50km離れたマルヌの前線に送り込み、フランス軍の勝利に寄与しました。この大活躍でルノー タイプ AG タクシーは「タクシー ド ラ マルヌ」(マルヌのタクシー)と呼ばれるようになりました。ちなみにタクシー料金は会社が運転手に支払ったそうです。また当時のタクシーはライトを標準装備していませんでしたので、夜間移動の際にはライト(石油ランプ式?)を追加したそうです。
ミニカーはミニカー付雑誌「TAXI DEL MONDO (世界のタクシー)」(参照WBサイト→ TAXI DEL MONDO)のフランス版用として作られたものです。メーカーはイクソ(アルタヤ)で、ルノー タイプ AG タクシー仕様(タクシー ド ラ マルヌ)をモデル化しています。雑誌付きの安価なミニカーですが、結構良く出来ています。幌の下に見える黒い四角い箱がタクシーメータです。このタクシーメーターは車軸の回転数から走行距離を機械的に算出して移動距離(又は料金)を表示する構造で、現在の自動車で走行距離を表示するオドメーターのようなものだったようです。同時代のルノー タクシーのミニカーはサフィールとラミーもモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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