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SPA (スパ) スパイダー イタリア 1912年
SPAはSocieta Piemontese Automobili (ピエモンテ自動車協会)の略で、イタリアのトリノで1906年に設立された自動車会社でした。(ドイツの有名なSPAサーキットとは関係ありません) SPAの創立者の一人であったマッテオ セイラーノ(Matteo Ceirano)はイターラ社の設立にも関与した人物で、SPAの最初のモデルは4気筒/6気筒エンジンを搭載したスポーティな中型車で、シャフトドライブを採用するなどイターラと似た構造でした。SPAは軍用車両や航空機エンジンも製造していました。1925年に財政難となりフィアットに買収されましたが、SPAブランドは1947年まで存続しました。
1912年に登場したSPAのスポーティな小型車 14/16CVは、4気筒4.4L(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hと高性能でした。画像はその14/16CVのスポーツ仕様で2人乗りスパイダーのミニカーです。当時のレーシングカーのような外観で、リアエンドがボートのような形状となっているボディはボートテールと呼ばれるデザインです。シート背後のカバーがある部分は荷物を収納するスペースとなっていました。実車はフランスで新車として納車され、その後フランスのルマン自動車博物館に保管されていたそうです。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(RAMI)製です。当時のルマン自動車博物館に保管されていた実車を忠実にモデル化しています。ラミーのミニカーとしては後期の物なので、ホイールにプラスチック製メッキパーツが使われています。直線的なサイクルフェンダー、フロントグリルのSPAのデカール、小さなウィンドースクリーン、床下の排気管など当時のミニカーとしてはかなりリアルに実車を再現していました。このミニカーには灯火類を金属製からプラスチック製に変更した物や、ボディ全体をプラスチック製に変更した物も少量が製作されたようです。なおSPAの量産ミニカーは2023年現在でもこのラミー製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1912年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族の貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP)が発表されました。
初期のシルバー ゴーストはオープンカーが多かったのですが、密閉式キャビンを持つセダンもありました。画像のミニカーの実車はイギリス王室の馬車を製作していたコーチビルダーのバーカー(BARKER)がボディを架装した1912年式のリムジーンです。このバスのような一風変わったボディは長距離旅行用にデザインされたもので、古い列車の客室のような窓の構成から「Railway Carriage」と呼ばれていたそうです。室内はシルク張りの内装など豪華で、後席はソファーのようなシートで、広い足元にはアルコール燃料の湯沸かし器や茶器などのピクニックセットが装備されていました。この車は数年前にオークションに出品され、約7億円で落札されたそうです。
ミニカーは1966年に発売されたコーギー製です。本格的なクラシックカーを数点ほどモデル化したコーギーのクラシックス シリーズの一つで、1960年代のコーギーの傑作ミニカーでした。実車を忠実に再現した客室部分はプラスチック製ながら銀色に塗装されているなど丁寧な仕上げがされていて、コーギーのこのミニカーに対する心意気が感じられます。またかなり大きめに作られているグリル上のマスコット「フライング レディ(The spirit of Ecstasy)」は本物のような芸術的な出来ばえです。このミニカーは約20万台が販売され、実車が「コーギーのシルバー ゴースト」と呼ばれるようにもなりました。このミニカーは、実車が持つ魅力とは別物であるミニカーそれ自体が持つ魅力があります。なおこのミニカーを流用して1970年代のTVアニメ「The Hardy Boys」のキャラクター物ミニカーが1970年に発売されています。(このアニメとシルバー ゴーストとの関係が不明ですが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アベルドニア パーク ロイヤル ランドー イギリス 1912年
この車は馬車にガソリンエンジンを搭載した構造の自動車で、イギリス ロンドンのパーク ロイヤル地区にあったアベルドニア社が製造しました。この当時は内燃エンジンを搭載した馬車と異なる外観を持つ自動車が実用化されつつありましたが、伝統的な馬車の外観を懐かしく思う人もいました。そのような人向けにアベルドニア社は古典的な馬車の外観を持つ自動車を提供することにしました。製造は受注が減少していた馬車コーチビルダーのブラウン(BROWN)、ヒューズ(HUGHES)、ストラカン(STRACHAN)が担当しました。
1911年に発表したパーク ロイヤル ランドーは、ランドー形式の馬車(開閉できる屋根付き密閉式ボディで向かい合わせの4人乗り)にエンジンを後付けした構造でした。4気筒3.2L(20HP)エンジンを馬車前方のドライバー席の後方に搭載した後輪駆動車で、3段変速で最高速60km/hの性能でした。このボディ以外にも7人乗りツーリングカー仕様(たぶん幌の付いたオープンカー形式)もあったようです。ただ同社の事業は第1次大戦の勃発で中断され1915年に終わりました。製造された車は少数だったと思われます。
ミニカーは1960-1970年代に製作されたフランスのクラシックカー専門メーカーのMINIALUXE製で、ボディ全体がプラスチック製です。(実際の発音とは違うようですが、MINIALUXEはミニオールと呼んでいます) MINIALUXEのミニカーはクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはリアルに作ってありました。このパーク ロイヤル ランドーも当時の実車のパンフレット(参照画像→ パーク ロイヤル ランドー)と見比べると、結構リアルに作ってあります。キャビンのドア開閉ギミック付きで、開くとソファーのようなシートを備えた室内が見えます。発売されてから約50年間の経年劣化でタイヤの一部が切れていますが、MINIALUXEのミニカーには良く見られる経年劣化です。この車は見た目の面白さでモデル化されたのだと思いますが、これ以外のミニカーは無いようです。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック モデル 35 アメリカ 1912年
ビュイック モーター社はイギリス系アメリカ人 デイヴィット ダンバー ビュイック (David Dunbar Buick)が1903年に設立しました。1904年に2気筒エンジン搭載のモデル Bを販売しましたが業績は芳しくなく、馬車製造会社を経営するウイリアム C デュラントに援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、創業者のビュイックは会社を去りました。フォード社と売上げを競うほどに成長したビュイック社を土台にして、デュラントは1908年にGM(ジェネラル モータース)社を設立しました。GM社はキャディラック、オールズモービル、オークランド(ポンティアック)などを買収して、アメリカ 3大メーカーの一つとなっていきました。
1912年に登場したビュイック モデル 35は、4気筒2.7L(23HP)エンジンを搭載する中型車でした。当時のエンジンは吸排気バルブをピストン側面に配置したサイドバルブ方式が一般的でしたが、ビュイックは現在では当たり前のバルブをピストンの上に配置したOHV方式を採用していたことが特徴で、このモデル 35もOHV方式でした。シートは本革張り、タイヤはまだカーボンを使っていない天然ゴムの白タイヤ、ホイールは木製、ヘッドライトは電気式ではなくアセチレンガスを使うランプでした。この車は当時のビュイックのベストセラーカーで、約6000台が売れたそうです。
ミニカーは1987年頃に発売されたアメリカのアーテル(ERTL)製です。自動車黎明期のアメリカ車を数点ほどモデル化したアーテルの「VINTAGE VEHICLES」シリーズの1台です。実車参照画像と見比べると、スケールモデル的な造形で結構良く出来ていることが分かります。自動車初期の白タイヤやBUICKロゴの付いたフロントグリルなどもそれらしい出来ばえです。ただその白タイヤは梱包箱の中で固定された状態で保管していたので、固定されていたタイヤ接地面が扁平に変形しています。この時代のアメリカの実用車のミニカーはあまりありませんので、その点で貴重なモデルです。(サイドビューを見るとよくわかります) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パッカード ビクトリア モデル 48 シリーズ アメリカ 1912年
アメリカを代表する戦前の高級車といえばパッカードがありました。1897年に設立されたウィントン(WINTON)社はアメリカで自動車の製造/販売を初めて行いました。この会社の初期の車をオハイオ州の電気商ジェームズ ウォード パッカードが購入しました。パッカードは車の故障にきちんと対応してくれないウィントン社に対抗して、ウィントン社の技術者を引き抜いて自分用の車を1899年に完成させました。これがパッカード社の創業に関する逸話ですが、ランボルギーニ社の創業などこれと似たような話はいくつかあります。ちなみにウィントン社は1900年代にアメリカ国内のレースで活躍しましたが、販売不振で1924年に自動車生産から撤退しました。その後はGM傘下の船舶用ディーゼルエンジンメーカーとして存続しているようです。
パッカードの最初の車は単気筒エンジン搭載の小型車でしたが、エンジンの点火時期自動進角装置やアメリカ初の円形ステアリングホイールなど先進的な技術が採用されていました。1903年には4気筒エンジンを搭載したモデル Kが登場しました。当時のパッカードはすべての部品を自社生産し、極めて高い品質を確保していました。1912年に6気筒エンジンを搭載した高級車 ドミナント シックス 48(DOMINANT SIX 48 後に48シリーズとも呼ばれた)が登場しました。1915年には量産車初のV型12気筒エンジンを搭載したツイン シックスが登場し、このモデルはライバル車を圧倒しパッカードの名声を決定的なものとしました。
ミニカーは大スケール(1/24)のクラシックカーを得意としていたフランクリン ミント製で、1990年頃に発売されました。6気筒エンジンを搭載した48シリーズのビクトリアという名前の車をモデル化しています。フランクリン ミントのクラシックカーは当時としては最も高品質なミニカーで、ドアやボンネットが可動し、エンジンやサスペンションなどのメカ部分もリアルに再現されていました。 このパッカードも本物の木材を使ったダッシュボードをはじめとして、ラジエーターグリル/ヘッドライト、各種の金具類がリアルに再現されていて素晴らしい出来ばえです。ドア開閉、ボンエット開閉、ステアリングホイールと連動した前輪操舵ギミックも付いています。なおパッカードの初期モデルは、マッチボックス、ミニオール、ラミーもモデル化していました。以下はフロント/前輪操舵ギミックの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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