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イターラ 25/35HP イタリア 1912年
第1次大戦前の1911年にイターラはイタリア初のスリーブバルブ エンジン(4気筒3.3L)を搭載した車を発売しました。スリーブバルブ エンジンとはシリンダー上部に吸排気バルブを設けるのではなく、シリンダー側面に吸排気口を設け開口部を持つスリーブをスライドさせることで吸排気を行うもので、静粛性が高いので1940年代以前には高級車に採用されたエンジンでした。イターラはこのエンジンを小型車から大型車まで様々な排気量で適用し、1913年のフランス GPに参戦したレーシングカーにも採用していました。1914年に第1次大戦が勃発しイターラは兵員輸送車両と航空機エンジンの製造を行いました。
第1次大戦後に最初に生産されたモデルは4気筒2813cc(35HP)スリーブバルブ エンジンを搭載したティーポ 50 25/35HPでした。その後も戦前同様にたくさんのモデルを製造していましたが、1925年に経営危機に陥りました。打開策としてSOHC 6気筒2Lエンジンを搭載したティーポ 61やDOHC 6気筒2Lエンジンを搭載したティーポ 65 を登場させました。1928年にはティーポ 65がルマンでクラス優勝しましたが、往年の栄光は取り戻せず、1929年にトラックメーカーのOMに買収されブランドは1934年に消えました。(実車画像→ イターラ ティーポ 65 )
ミニカーは1960-1970年代に発売されたイタリアのドゥグー製です。ドゥグーはクラシックカー専門のブランドで、イタリアの博物館で保存されていた車を40種類ほどモデル化していました。同時期に登場したリオのミニカーは当時の玩具としてのミニカーとは一線を画す画期的なものでしたが、ドゥグーのミニカーもリオとほぼ同様の良い出来ばえでした。このイターラ 25/35HPはトリノ自動車博物館が所蔵する実車で、普通のオープン仕様よりも低いウインドスクリーンを持つスポーティなボディを架装した4ドア フェートンをモデル化しています。(この車のエンジンはスリーブバルブではないようです) リアルなフロントグリル、室内中央のウインドスクリーン、右側フロントフェンダーに付いた竜の形をしたホーン、本物の皮革を使った幌前端を固定するベルトなど細部がリアルに再現されていて、実に素晴らしい出来ばえです。ただ残念なことにドゥグー初期のミニカーにはタイヤのゴムに含まれる可塑剤がホイールを溶かすといった問題がありました。これもオリジナルのホイールは溶解したので、同じような形状の他のミニカーのホイールに交換してあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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SPA (スパ) スパイダー イタリア 1912年
SPAはSocieta Piemontese Automobili (ピエモンテ自動車協会)の略で、イタリアのトリノで1906年に設立された自動車会社でした。(ドイツの有名なSPAサーキットとは関係ありません) SPAの創立者の一人であったマッテオ セイラーノ(Matteo Ceirano)はイターラ社の設立にも関与した人物で、SPAの最初のモデルは4気筒/6気筒エンジンを搭載したスポーティな中型車で、シャフトドライブを採用するなどイターラと似た構造でした。SPAは軍用車両や航空機エンジンも製造していました。1925年に財政難となりフィアットに買収されましたが、SPAブランドは1947年まで存続しました。
1912年に登場したSPAのスポーティな小型車 14/16CVは、4気筒4.4L(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hと高性能でした。画像はその14/16CVのスポーツ仕様で2人乗りスパイダーのミニカーです。当時のレーシングカーのような外観で、リアエンドがボートのような形状となっているボディはボートテールと呼ばれるデザインです。シート背後のカバーがある部分は荷物を収納するスペースとなっていました。実車はフランスで新車として納車され、その後フランスのルマン自動車博物館に保管されていたそうです。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(RAMI)製です。当時のルマン自動車博物館に保管されていた実車を忠実にモデル化しています。ラミーのミニカーとしては後期の物なので、ホイールにプラスチック製メッキパーツが使われています。直線的なサイクルフェンダー、フロントグリルのSPAのデカール、小さなウィンドースクリーン、床下の排気管など当時のミニカーとしてはかなりリアルに実車を再現していました。このミニカーには灯火類を金属製からプラスチック製に変更した物や、ボディ全体をプラスチック製に変更した物も少量が製作されたようです。なおSPAの量産ミニカーは2023年現在でもこのラミー製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 18BL トラック イタリア 1914年
1857年にイギリスで大砲を牽引する為の蒸気車が開発され、1870年の独仏戦争で初めて使用されました。19世紀末には馬に代わる輸送手段として、欧米各国でガソリン自動車による軍用車の開発が進められました。イタリアでも軍隊の要請で、フィアットが物資の運搬だけではなく多目的に使える軍用車 フィアット 15を1909年に開発しました。15は積載量1.5tのトラックで、4気筒3L(16HP)エンジンを搭載していました。1913年には4気筒4.4L(40HP)エンジン搭載の15Bに発展しました。(実車画像→ フィアット 15)
1911年には積載量を3.5tに増やした18が開発されました。1914年に改良型の18BLが登場し、18BLの軍隊仕様(サスペンションなどを強化している)は同年に始まった第1次大戦で軍用車(兵員や物資の輸送車、野戦病院としての救急車、軽量戦車、大砲の牽引車など)として使われました。15Bと18BLの軍用車は当時のイタリア軍の作戦に不可欠な最新装備でした。 軍用に開発されたトラックですが、それらはすぐに民間の流通サービスに普及していきました。またバスボディが架装され、路線バスなどの公共交通サービスにも使われました。この流れはイタリアだけではなくどの国も同じでした。18BLはイギリスやフランスなどでも使用され、約20000台が生産されました。
ミニカーは1980年代に発売されたリオ製です。これより先に発売されていた型番20の18BL バスを流用してトラックに仕立てたものです。フロントグリルに接続された幌を補強する革バンド(初期物は本物の革製)、リアルに再現されチェーン駆動のリアドライブやサスペンションなど、それらはリオのクラシックカーに共通する凝った仕上げで、この18BL トラックもかなり良い出来ばえでした。バリエーションとして軍用トラック、幌や灯火の無いトラックなどが十数種類ありました。なおフィアット 18BLのミニカーはこのリオのものしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と後輪チェーン駆動部の画像です。なお以下のミニカーは初期物ですので、革バンドは全て本革です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ 40/60HP リコッティ イタリア 1914年
1913年に発表された4気筒6.1Lエンジン搭載の高性能車 アルファ 40/60HPは主にレーシングカーとして活躍しました。このリコッティという名前の車は、アルファの有力な後援者であったリコッティ伯爵の依頼で、40/60HPのシャーシにカロッツェリア カスターニャがアルミ製の流線型ボディを架装した空力的な実験車でした。当時はこのような涙滴型が最も空気抵抗が少ないと考えられていたのですが、ここまで徹底したボディを製作したのは画期的だったと思います。
その実験の結果ですが、オリジナルの40/60HPは最高速が125km/hしか出なかったのですが、この車は最高速139km/hを記録し空力的な効果を証明したとのことです。実験車とはいえ、流線型ボディの中には4人分のシートがありヘッドライトもついているので、乗用車としても使えたようです。実際にこの車のトルペード(オープンカー仕様)に運転手とオーナー?が乗車している当時の写真がWEB上にありました。(実車画像→ アルファ 40/60HP リコッティ トルペード)
ミニカーは1973年頃に発売されたリオ製です。リオはちょっと変わった形をした自動車初期の速度記録車をいくつかモデル化しています。(型番56 ジェネラル 'グランプリ'や型番60 電気自動車 ジェナツィ 'ジャメ コンタント'など) このリコッティもその1台で、特徴的な流線形ボディがうまく再現されていて、良く出来ています。またリオのミニカーに共通することですが、室内やエンジン/シャースなどのメカ部分もきちんと再現されています。これは後部のドアが開閉するギミック付きです。なおリコッティのミニカーはこのリオ製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア シータ イタリア 1914年
ランチア社はフィアットのレーシングドライバーであったヴィンチェンツォ ランチア(Vincenzo Lancia)が1906年に設立しました。ランチア社のモットーは「技術的な妥協を排する」で、他社の模倣をしない進歩性のある車を作っていました。1908年に登場した第1号車のティーポ 51(12HP)は4気筒2.5L(28HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hと高性能で、ほとんどがレースカーとして使われました。ランチアはギリシャ文字を車名にしていて、この第1号車はアルファ(α)と呼ばれました。(実車画像→ ランチア アルファ 1908)
ランチアの最初の成功作は1913年に登場したシータ(ギリシャ文字 θ)でした。シータは4気筒4.9L(70HP)エンジンを搭載した大型車で、4段変速で最高速120km/hの性能でした。この車は発電機、スターター、ヘッド/テールライト、室内照明などの電装品(6V仕様)がボディ架装前に組付けられた最初の車でした。(当時電装品はボディが完成してから組み付けていました) シータは高性能で上質な車として成功し、1918年までの5年間で約1700台が生産されました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。ランチア シータの4ドアリムジーンをモデル化しています。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されていた実車を忠実にモデル化していました。このシータはドゥグーとしては廉価版のMUSEOシリーズの1台なので、特別に凝った作りではありません。ただシンプルな造形ながらボンネット周りの造形など実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはレベルの高い出来ばえでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)