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ロールス ロイス シルバー レイス イギリス 1947?年
第2次大戦中のロールス ロイスは航空機用エンジン 「マリーン」の量産にかかり切りで自動車生産は中断していました。「マリーン」エンジンは戦闘機のスピットファイアーなどに搭載され、「バトル オブ ブリテン(イギリス空軍とドイツ空軍との航空機空中戦)」の勝利に寄与しました。
戦時中に開発が進められていたロールス ロイス シルバー レイスが1947年に登場しました。シルバー レイスは戦前の小型車レイスの改良型ですが、シルバー レイスの6気筒4.3Lエンジンは耐久性を向上させていて、シャーシもエンジン搭載位置が前進するなど大幅な近代化が図られていました。シルバー レイスは排気量を4.6L、4.9Lに拡大して、ファントム Vが登場する1959年までに約1700台が生産されました。
なお戦前のロールス ロイスの最上級車ファントム IIIは生産中止となりました。ファントム IIIが生産中止となったのは、戦前の世界大恐慌と戦後の経済状況の悪化でファントム IIIのような運転手付高級車を購入する富裕層が減ったことでした。
ミニカーは1970年代後半にスーパーカーシリーズを出したサクラが、世界の名車シリーズとして1979年に発売しました。箱にシルバー レイスと記載されていますが、年式などは明確化されていません。コーチビルダー マリナー パークウォード製の公用車的なリムジンをモデル化しているようです。スーパーカーシリーズでは欧州製ミニカーをコピーしていたようですが、このシルバー レイスはサクラがオリジナルで起こした型と思われます。フロントグリル周りの造形はかなり適当な出来ばえですが、サイドビューについてはそこそこうまくモデル化しているので、この時代のシルバー レイスの雰囲気がそれなりに感じられる出来ばえとなっていました。ドアが開閉するギミック付きです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タッカー 48 アメリカ 1948年
起業家で自動車デザイナーでもあったアメリカ人 プレストン タッカー(Preston Tucker)は自分が理想とする車を作るためにタッカー自動車を1946年に設立しました。彼が計画したタッカーは流線型ボディ、リアエンジン搭載の後輪駆動、自動変速機、全輪独立懸架サスペンション、ステアリングと連動するセンターヘッドライト、シートベルトなど先進的で安全性に配慮した乗用車でした。しかしあまりに先進的だったために、エンジンや変速機の開発が思うように進みませんでした。結局は資金難で計画が挫折し車は51台が製作されただけでした。
フランシス コッポラが監督した1988年の映画「タッカー(原題Tucker: The Man and His Dream)」は、プレストン タッカーとこの車を題材とした話で、この映画のヒットでタッカーが広く知られることになりました。この映画には当時残存していた実車が登場し、タッカーに脅威を感じた既存自動車メーカー(BIG3)が政治的な妨害をしたという話もでてきます。(確たる証拠などはないようですが) この車が量産されていたとして本当に売れたかどうかは疑問ですが、技術的には非常におもしろい車でした。
ミニカーは1990年に発売されたソリド製です。1948年に生産されたタッカー 48をモデル化しています。ミニカーの発売時期から考えると、この車がミニカーとなったのは映画がヒットしたからでしょう。当時としては先進的な流線型ボディ、特徴的な3つ目ヘッドライト(センターが前輪と連動する)のフロント周り、リアエンドの放熱用グリルなど実車の特徴が良く再現されています。室内のステアリングホイール部分の造形も結構リアルです。これ以外のタッカーのミニカーは京商の1/18、フランクリン ミントの1/24、マッチボックス ディンキー、ジョニーライトニングの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン ビートル ドイツ 1948年
戦後フォルクスワーゲンの工場はイギリス軍が管理し、1946年から生産が再開されました。ただ戦前のナチス政権が推進していたフォルクスワーゲン KdF(ビートル)に戦勝国は魅力を感じなかったようで、引取先がありませんでした。結局オペルで工場長をしていたハインツ ノルトホフが再建を引き受けました。 彼はオペルの親会社GMで生産と販売について学んでおり、アメリカ式の大量生産方式を取り入れ、販売面でもアメリカ式サービスを徹底させKdFを世界のビートルに変身させました。
初期のビートルは戦前のKdFとほとんど同じ構造/デザインで、空冷4気筒1131㏄(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速105km/hの性能でした。初期型はリアウィンドーが2分割でしたのでスプリット ウィンドーと呼ばれています。そのリアウィンドーは1953年には楕円形に変わりました。1947年頃には輸出されるようになり、1950年からサンルーフがオプション設定されました。1954年からエンジンが1192㏄(30HP)に変わり、最高速が110km/hに向上しました。
戦前のKdFも含めてフォルクスワーゲン ビートルのミニカーはたくさんあります。当サイトのデーターベースでは約1500件がリストアップされています。(ビートルのミニカーは年式が明確にわからない物が多いので4割ぐらいは年式未記載です) 私はビートルのミニカーを約50台保有していますので、それらを年代別に分けて紹介することにします。まずは1952年以前のスピリット ウィンドーのビートルを紹介します。最初の1台は私の好みで1988年に発売されたリオ製のビートルを選びました。リアウインドーが2分割の初期型をモデル化しています。プロポーションが良く適度に古くさい(懐かしい)作風で、ビートルらしさが感じられるミニカーです。ドアが開閉するギミック付きです。リオは商用車、軍用車などビートルのバリエーションを約60種類ほど発売しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タルボ ラーゴ T26C F1 フランス 1948年
戦前の1920年代にSTDグループ(サンビーム、タルボ、ダラック)は、速度記録やGPレースに挑戦していました。速度記録車ではサンビーム 1000HP (1927年 327.97 km/h)、レースカーでは1926年のタルボ ダラック 1500などが代表的なマシンでした。1935年にSTDグループのフランス工場をアンソニー ラーゴが買い取ってタルボ ラーゴとなってからも、タルボ ラーゴ T150などがレースで活躍していました。(実車画像→ サンビーム 1000HP、タルボ ダラック 1500)
第2次大戦後にタルボ ラーゴは戦前に開発していたT26でレースに復帰しました。1948年にT26を改良したT26Cが登場しました。当時はスーパーチャージャーで過給したアルファ ロメオ 158やマセラティ 4CLTが強かったのですが、タルボ ラーゴは1949年のベルギーGPとフランスGPで優勝するなど活躍しました。1950年に始まったF1選手権でも1951年まで参戦し、マイナーなレースでは優勝していました。またT26Cの2座仕様のT26 GSが1950年ルマンで総合優勝(ドライバー ロジェ親子)しています。
ミニカーは1982年に発売されたブルム製です。1948年式でとくにどのレースのモデルというわけではないようです。(ブルム初期のモデルにはこのように時代考証がアバウトなものがありました) 今見ると細部に少し物足りない部分もありますが、1980年代当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。後に作られた型番R113のT26Cは1951年ドイツ GPの出場車をモデル化していました。これ以外のT26Cのミニカーは老舗ディンキー(英)の当時物がありました。また1950年ルマン優勝車のT26 GSをイクソやスパーク(レジン製)がモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 1100B イタリア 1948年
1937年に登場したフィアット 508Cは1939年にフロントグリルがアメリカ車風に変えられ名前が1100となりました。1100は戦後の1948年に1100Bとなり、1949年にはトランクが追加されるなどして1100Eとなりました。1100Eはエンジンが少しだけパワーアップしていましたが、ボディはリアにトランクが追加されただけで、見た目はほとんど同じでした。1100シリーズのボディ形式は2ドア/4ドアセダンとコンバーチブル、2ドアクーペ/スパイダー、ロングホイールベースのバリアント、商用バンなどなんでもありでした。508Cから始まった1100シリーズは1953年に新型の1100が登場するまで、外観は変更されましたが、中身はほぼ同じまま生産されました。
以下は1940-1950年代のフィアットの車種構成です。(Wikipediaなどを参照して作成しました)
前述した小型車500の上級車として1100シリーズがあり、その上には戦前に登場した1500の戦後型1500Eと1950年に登場した1400がありました。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。1948年式の1100Bをモデル化しています。ブルムは前述したように戦前の508C(1100)をモデル化していますので、これはその型を流用したバリエーションでフロントグリルの造形が変更されています。地味な実用車のミニカーですが、実車の雰囲気が良く再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ブルムはボディにトランクが追加された1100Eもモデル化していて、1100Eの商用車のバリエーションもたくさんあります。これ以外の1100シリーズのミニカーはスターラインがスポーツ仕様の2ドアクーペ 1100Sをモデル化しています。自動車の歴史を作ってきたのは派手な高級車だけではなくこのような地味な大衆車でもあるのです。したがって自動車の歴史を知るためにはこの類の実用車を知ることにも大きな意味があります。そのような観点から地味な実用車をミニカーにしてくれるブルムのようなブランドはありがたい存在なのです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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