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パッカード スーパー エイト フォーマル セダン アメリカ 1940年
1930年代の世界大恐慌によって高級車の販売が低下しパッカードは販路拡大の為、中級車市場に進出しました。1932年に6気筒エンジンを搭載した廉価版のライト シックスを発表しましたが、これは評判が悪くすぐに8気筒エンジンに戻しました。 1935年にはシングル エイトの後継車として新型8気筒エンジン(4.6L 120HP)を搭載したスーパー エイトが登場しました。スーパー エイトはホイールベースが120インチであったことから120とも呼ばれました。スーパー エイトは前輪独立懸架で4輪油圧ブレーキが装備され、パッカードとしては破格の低価格でした。あこがれのパッカードがお安く買えるということで、スーパー エイトは大ヒットしました。1937年にはさらに低価格の6気筒エンジン搭載の110/115を発売しました。この年にパッカードは同社の年間最高生産台数(約11万台)を記録しました。中級車シリーズは一時的にパッカードの業績を上げましたが、パッカードのブランドイメージを下げることになりました。
パッカードはその後、8気筒エンジンを搭載するスーパー エイトの上級車スーパー エイト 160/180などを発表し、高級車マーケットが縮小する中で1930年代を乗り切りました。1941年にはスーパー エイト 180の後継車のクリッパーが登場しました。なお旧型の180の製造ライン設備がソ連政府に売却され、それを使ってソ連のVIP専用車ZIS 110が製造されました。(実車画像→ ZIS 110)
ミニカーはクラシックカー専門だったフランスのレックストイ製で、1990年頃に発売されました。パッカード スーパー エイト セダン 1940年式をモデル化しています。ホワイトメタル製で、ほとんどが金属パーツですのでずっしりと重いです。プロポーションが正確で、ホワイトメタル製ミニカーに共通する独特の柔らかい作風がこの時代のアメリカ車の雰囲気にぴったりで良い出来ばえです。フロントグリル上のマスカット(ペリカン)や室内などの細部もそこそこ良く再現されています。前述したパッカード セダン 1937年式と見比べると、全体的に丸みがついてより近代的なデザインになっていることがわかります。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード ウッディ ワゴン アメリカ 1940年
ステーション ワゴンとは車体が2ボックスで室内には座席とそれに連続する荷室を備えている車体形式を示します。ワゴンの前にステーション(駅)が付いている理由は、当初この形式の車が列車で駅に到着した人と荷物を最終的な目的地まで運ぶ役割をしていたからだそうです。この形式の車両は商用車として扱われていましたが、それを乗用車的に使うことを最初に提唱し積極的に進めたのはアメリカのフォードでした。1910年代にフォードがT型に初めてステーションワゴン的なモデルを製作しましたが、当時の車体はまだ手作業による木製でしたのでこの車は「ウッディ(Woody)」と呼ばれていました。
その後鋼鉄製ボディがあたりまえの時代になると、製作に手間がかかる木製ボディは高級な仕様となって行きました。少し前までステーションワゴンの後部に木製パネル(又はそれに似せた化粧パネル)が使われていたのはその名残りです。このウッディ ワゴンはV型8気筒3.6Lエンジンを搭載した1940年式フォードのステーションワゴンです。ウッディ ワゴンという名前のとおり荷室部分に本物の木材が使用されていました。1940年頃にはボディは既に鋼鉄製となっていたので、手間がかかる本物の木材を使ったこのワゴンは高級な乗用車でした。
ミニカーは1987年に発売されたアーテル(ERTL)製です。初期のアメリカ車をモデル化したアーテルの「VINTAGE VEHICLES」シリーズの1台です。ドアに「WHISPERING PINES LODGE」とロゴが付いていますが、「WHISPERING PINES LODGE」とはコテージタイプの宿泊施設(ホテル)の名前のようですから、これはホテルの送迎車だと思われます。1940年式フォードの特徴である突き出したノーズ/フロントグリルやフェンダーに埋め込まれたヘッドライトが良く再現されています。後部の木材風の仕上げもそこそこリアルで当時のミニカーとして良く出来ていました。同時期のフォード ウッディ ワゴンのミニカーはダンバリーミントの1/24、ヤトミン、ミニチャンプス、ホットホイールの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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BMW 327 ドイツ 1941年
前述したようにBMW 303をベースにして1935年に1.9Lの319が登場しました。1936年には6気筒2L(50HP)エンジンを搭載する326(4ドアセダン)が登場しました。326はBMW初の4ドア車で、トーションバー式のリアサスペンションや油圧ブレーキの採用など先進的な設計で、高価でしたが人気がありました。327は326の高性能版でエンジンを55HPにパワーアップしており、クーペとカブリオレがありました。これをさらに80HPまでチューンした高性能版もありました。この327は戦後のスポーツカー503/507に繋がるものでした。
BMW 319は1937年に329(カブリオレのみ)に発展しますが、すぐに326をベースにして同年に登場した6気筒2L(45HP)エンジンを搭載した320(2ドアセダン/カブリオレ)に切り替わりました。320は1938年には改良型の321に発展しました。321は戦後の1950年まで生産されました。
BMW 326の成功でBMWは高級車市場への進出を図り、1939年には326をベースにして6気筒3.5L(90HP)エンジンを搭載した335(4ドアセダンと2/4ドアカブリオレ)を登場させました。335は全長約4.84mと336より大きな4ドアセダンで、4段変速で最高速145㎞/hの性能でした。こんな具合にBMWの4輪車は徐々に充実していきました。(実車画像→ BMW 335)
ミニカーは1995年に発売されたディテールカー製です。ディテールカーはイタリアのCDCグループのブランドで、1992年頃から主に1/43のダイキャスト製ミニカーを作っていました。ディテールカーはその名のとおりディテールにこだわった良い出来ばえのミニカーが多く、当時の他社ブランド(コーギーやソリドなど)でも販売されました。この327もフロントグリルの造形がリアルで、赤/黒のカラーリングのクーペボディが良く再現され、当時としてはかなり良い出来ばえでした。室内も良く再現されています。 これ以外のBMW 327のミニカーは、ブッシュの1/87、ユニバーサル ホビー(たぶんディテールカーのOEM?)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パッカード 180 ダリン コンバーチブル アメリカ 1941年
アメリカのの自動車デザイナー ハワード ダリン(Howard A. Darrin)は、友人のトーマス ヒバード(Thomas L. Hibbard)と共同で、コーチビルダー ヒバード&ダリン社を1923年にフランスのパリで創立しました。ヒバード&ダリン社はヨーロッパに住むアメリカ人向けに高級車のカスタムデザインを架装していました。1937年に彼はアメリカに戻り、「パリのダリン(Darrin Of Paris)」という名前の会社でハリウッドの有名人(クラーク ゲーブルやアル ジョルソンなど)向けにカスタムデザイン車を約20台ほど架装しました。これらの車のほとんどはパッカードがベースでした。
ハリウッドの著名人の車ということで、ダリンのパッカードは有名になっていきました。そこで1939年にパッカードはダリンと契約し、1940年のカタログにパッカード ダリン モデルが設定されました。1941年にはダリンのデザインした新型車クリッパーが発表されました。1941年末に太平洋戦争が勃発し、民間乗用車の生産が禁止されたので、パッカードも乗用車の生産を停止しました。パッカード ダリン モデルは1942年までに約50台ほどが生産されたようです。(半数はこのようなカブリオレだったようです) (実車画像→ パッカード クリッパー 1941)
ミニカーはシグネチャー製のクラシックカーシリーズで、2008年頃に購入しました。このクラシックカーシリーズ1/32と中途半端なスケールですが、そのサイズを生かしてドア/ボンネット開閉などのギミック付きで室内やエンジンもそこそこ再現してありました。ただし1/18ほど精密ではないので、その分値段は控えめ(約3500円)で、財布の軽い私のお気に入りのシリーズでした。このパッカード ダリンもプロポーションが良く、細かいところも値段以上にきちんと作ってあります。ボンネット/ドア/トランクの開閉ギミック付きで、エンジンや室内も良く再現されています。さらにステアリングホイールと連動しませんが、前輪操舵ギミックも付いています。これ以外のパッカード ダリンのミニカーはフランクリン ミントの1/24、ウエスタンモデル(ホワイトメタル製)、最近のMATRIX(レジン製)などがあります。 以下はフロント(ペリカン マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランクを開いた画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル アメリカ 1941年
フォードは1922年にリンカーンを買収して傘下に収めました。大衆車フォード T型の大量生産で成功した創設者ヘンリー フォードは、市場の狭い高級車販売には消極的でリンカーンの買収に乗り気ではありませんでした。ヘンリーの息子のエドセルには世界一の高級車を作りたいという夢があり、リンカーンの買収にはエドセルの意思が働いていました。
リンカーン部門のイメージアップを図るため、キャディラック シリーズ 60に対抗できる高級車開発が販売部門から要求されていました。そこでリンカーン ゼファーをベースにした試作車が作られました。この試作車は芸術的な素養があったエドセルの嗜好を盛り込んだ欧州風の品の良いデザインでした。この車を見たエドセルの友人から同じ車が欲しいという要望があり、この車は1940年にリンカーン コンチネンタルの名前で限定生産されることとなりました。
リンカーン コンチネンタル初代は月100台の限定生産といった高価な車(当時の定価約3000ドル 現在の貨幣価値で700万円ぐらい?)でしたが、そのスタイルには絶大な人気があり、リンカーンとして最も成功したモデルとなりました。第2次大戦で生産中止となり、1946年に戦後型が発売されて1948年まで生産されました。戦前からの総生産台数は約5000台でした。リア トランクにスペアタイヤを背負った独特のスタイルは、リンカーンの最上級ブランドの象徴として1980年代まで継承されました。
ミニカーは1973年頃に発売されたリオの初期モデルです。1970年代のミニカーですが、コンチネンタル初代のミニカーとしては現在(2023年)でも一級品の出来ばえといっても良いでしょう。フロント/リアの独特の個性的な造形がうまく再現されていて、実車の雰囲気が巧みに再現されています。(ヘッドライトは大きめにデフォルメされています) ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジン/シャーシなどのメカ部分や室内も良く再現されています。幌を開いた仕様とハードトップ リムジーンのバリエーションがありました。これ以外のリンカーン コンチネンタル(戦前型)のミニカーは、デルプラドの世界の名車コレクション、フランクリン ミントの1/24、イクソ、オックスフォードの1/76、グリーンライトの1/43などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。ボンネットの下にはトランペット型のホーンが2つ付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)