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メルセデス ベンツ W125 ドイツ 1937年
1934年に総重量が750kg以下ボディ全幅850mm以下でエンジン排気量無制限という750㎏フォーミュラ規格が決まり、ダイムラー メルセデスはメルセデス ベンツ W25(DOHC 8気筒3.4Lエンジン搭載)で参戦し圧倒的な強さを誇りました。その後W25のエンジンは徐々に拡大されて、1936年には4.7L(473HP)になりました。総重量を750㎏以内に収める為、エンジンと燃料タンクの重量増加分はシャーシ軽量化(ホイールベース短縮)でカバーされました。この変更はW25の直線性や操縦性を悪化させ、1935年に9勝していたW25が1936年には2勝しか出来ませんでした。
そこで1937年に登場したのが後継車のW125でした。一新されたシャーシはホイールベースが初期のW25より長く、エンジンは5.6L(592HP)にパワーアップしていました。W125もW25同様に圧倒的な強さを発揮し、ほとんどのレースの勝利を同じドイツ勢のアウトウニオンと分け合いました。無制限のエンジン規定で開発されたW125は史上最強最速のグランプリカーと呼ばれました。1938年にエンジン排気量を過給式3Lに制限した新しい3Lフォーミュラが施行され、それに対応したW154が開発されました。
ミニカーはブルム製で、ブルム初期の1982年頃に発売されました。1937年のイタリアGPで2位となったW125(ドライバー H.ラング)をモデル化しています。このGPで優勝したのはR.カラッチオラのW125、3位はアウトウニオン タイプCでした。このW125はブレーキドラムやリアサスペンションアームなどが再現され、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。(サイズが1/43より小さめですが) 戦前のメルクリン製当時物(超レア物)を除けば、2000年以前はこれがW125の唯一の量産ミニカーでした。2000年以降にミニチャンプス、シュコー、スパーク(レジン製)などでもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ C 流線形 速度記録車 ドイツ 1937年
ドイツ ナチス政権はグランプリレースだけではなく、レースカーをベースにした車による速度記録達成でも国威掲揚を図っていました。この時期のドイツ車の速度記録は国内の公道やアウトバーンで達成されていました。当時のほとんどの速度記録はアメリカのソルトレークで達成されていたのですが、ナチスは国内にこだわったのです。
メルセデス ベンツの主な速度記録(フライング キロメートル 国際B級 5L-8Lエンジン)としては、1936年の364.4km/h (V型12気筒4.8L 540HPエンジン)、1938年の432.7km/h (V型12気筒5.67L 736HPエンジン)がありました。なおフライング キロメートルとは助走をつけた状態から計測をスタートし、1000メートルのコースを往復してその平均速度を計測するものです。
アウトウニオンの主な速度記録としては、1935年のタイプ B LUCCAによる320.267km/h (V型16気筒5L 375HPエンジン)、1937年のタイプ Cによる406.3㎞/h(V型16気筒6.3L 545HPエンジン)がありました。なお1938年にメルセデス ベンツが432.7kmを記録した時に、同じ場所でアウトウニオンも速度記録に挑戦していました。アウトウニオンはテスト走行で同等以上の速度を達成していましたが、その後の正式アタックで時速450㎞/h走行中に横風にあおられてクラッシュし、ドライバーのB.ローゼマイヤーが即死するといった悲劇が起きました。
ミニカーは2003年に発売されたブルム製です。1937年に史上初の400km/h超えの406.3㎞/hを記録した速度記録車をモデル化しています。流線形の滑らかなボディがうまく再現されていてとても良く出来ています。ブルムは同じ車のアヴァス サーキット仕様など数種類のバリエーションをモデル化しています。ブルム以外のミニカーではメルクリンの戦前の当時物(超レア物)、ミニチャンプス、レベルの1/18などがあります。なおメルセデス ベンツの速度記録車(1938年)もメルクリンの戦前の当時物(超レア物)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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BMW 328 ドイツ 1937年
前述したようにBMW 319/1は319をベースにしたロードスター形式のスポーツカーで、6気筒1.9L(55HP)エンジンを搭載し、最高速139km/hの性能でした。この319/1の後継車として1937年に登場したのが328です。328は6気筒2L(80HP)エンジンを搭載し、4輪独立懸架や油圧式ブレーキなど先進的な設計で、最高速155km/hの性能でした。328のレーシング仕様はエンジン出力が最終的に120HPに達し、最高速200km/hオーバーと高性能でした。
BMW 328のレースでの成績は1938年ミッレ ミリアでクラス優勝、ハードトップを付けた流線型のクーペタイプが1939年ルマンで総合5位(クラス優勝)、クーペタイプが1940年ミッレ ミリアで総合優勝など大活躍し、当時の2Lクラスでは最強の車でした。約500台ほどが生産されたBMW 328は戦前のBMW スポーツカーのなかで一番有名な車でした。
ミニカーは1997年頃に発売されたシュコー製です。1970年代に倒産したシュコーは1996年頃に再起し、同時期のミニチャンプスと同等レベルのマニア向けミニカーを製作するようになり現在に至っています。このBMW 328は実車が小さいので全長86㎜のかわいいサイズのミニカーですが、エッチィング材を使ったフロントグリルとウインドスクリーン枠/ワイパー、細いボンネット固定ベルト、リアルなメータなどレベルの高い仕上げがされています。赤/黒のカラーリングも綺麗で素晴らしい出来ばえです。(ただし中央で分離しているフロントグリルを左右一体成型しているのは手抜きですが) シュコーは色違いやミッレ ミリア仕様など数種類をモデル化しています。これ以外のBMW 328のミニカーは、オートアートの1/18、ポリトーイの1/16、ビテスの1/43、ミニチャンプスの1/18、BUB PREMIUM CLASSIXXSの1/12などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T57G ルマン 優勝車 フランス 1937年
1923年のフランス GPに参戦するために開発されたレースーカー ブガッティ T32は、その独特のボディ形状からタンク(水槽)という名前が付けられていました。その後の1937年のルマンで優勝したブガッティ T57Gも同じタンクという通称で呼ばれました。T32 タンクは正面から見ると正方形の角ばったボディでしたが、T57 タンクはボディ全体が流線型になっていていました。T57 タンクは前述したブガッティ T57のレーシングカー仕様でしたので、馬蹄形のフロントグリルとライトの位置にT57のイメージを残していました。T57のDOHC 8気筒3.3Lエンジンを200HPにパワーアップして搭載していました。
1939年にもスーパーチャージャー付きのT57Cをベースにした車がルマンで優勝しています。そのT57Cのテスト中に創業者エットーレ ブガッティの長男ジャンが事故死してしまいました。その為その後のブガッティ社内には過去の設計に拘るエットーレに進言できる人がいなくなりました。その直後に第2次世界大戦が勃発し、ブガッティのような高級車は生産できなくなり、軍用の航空機部品生産を行うようになりました。戦後の1947年にエットーレは病死しました。
ミニカーは2003年に発売されたイクソ製のルマン参戦車シリーズの1台です。1937年ルマンに出場してリタイアしたブガッティ T57G #1をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリルの奥に配置された補助ライト、メッシュ金具で保護されたヘッドライト、右側側面の赤いランプ、細かい細工のワイヤーホイールなど細かい部分もよく作り込まれています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 302 ダールマ ロードスター フランス 1937年
ダールマはパリの有力なプジョー販売店のオーナー エミール ダールマ (Emile Darl'mat)の発案で製作されたプジョーをベースにした少量生産のスポーツカーでした。当初はダールマの工場で製作されたようですが、1936年頃からはプジョーの工場で製作されました。代表的なモデルはプジョー 302のシャーシに70HPにチューンした402の4気筒2Lエンジンを搭載した302 ダールマで、コーチビルダーのプルート(POURTOUT)がクーペやカブリオレのボディを架装していました。1938年にはプジョー 402のシャーシを使った402 ダールマも登場しました。
プジョー 302 ダールマのレース仕様車は1937年ルマンに出場し総合7、8、10位でクラス準優勝し、1938年ルマンでは総合5位でクラス優勝しました。このレース仕様のダールマはそのボンネットサイドの見た目から「八目鰻」とあだ名されました。この連続する丸い穴は模様ではなくエンジンの熱気抜き用の通気穴でしたが、フランス流のセンスでうまいアクセントになっています。戦後の1947年にプジョー 202をベースにした202 ダールマが1.1Lクラスの速度記録を達成し、1953年にプジョー 203をベースにした203 ダールマが少量生産されました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.8で、メーカーはノレブです。(国内販売されなかったのでオークションで入手しました) 1937年のルマンで8位となった車(#25)をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルや特徴的なボンネットサイドの通気孔など細部もそこそこリアルで、良く出来ています。ノレブはカタログモデルでは型番473201で10位となった車(#27)をモデル化していますが、それはこれより内装の仕上げが良く幌が付いています。ダールマのミニカーはノレブが1/18も含めて約10種類を発売していてほぼ独占しています。なおノレブがモデル化する以前は、エリゴール初期の402 ダールマが唯一のミニカーでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)