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デューセンバーグ SJ トルペード セダン ’トゥエンティ グランド’ アメリカ 1933年
前述したようにデューセンバーグ Jは1929年から始まった世界大恐慌の時代に成功しており、当時のユーザーはまだ不況とは無関係だったようです。このようなユーザーに向けてさらに高級な車が1932年に発表されました。スーパーチャージャーを追加して320HP 250km/hに性能を向上させたモデル SJです。スーパーチャージャーの追加で排気管がボンネット右側面から取り出されるようになり迫力のある外観となっています。
ただデューセンバーグが輝いていたのはほんの数年でした。1932年にデューセンバーグ創始者のフレッドが、自分が開発したSJの自動車事故で死亡しています。これと呼応するかのようにデューセンバーグを有するコード帝国もL29の販売不振から崩壊し始め、1937年にデューセンバーグ社は倒産しました。
この車は1933年のシカゴ万国博覧会に出品された、デューセンバーグとして一番豪華であった特別な車でした。当時の価格が2万ドル(現在に換算するとたぶん4000万円ぐらい)であったことからこの車は「トゥエンティ グランド」という名前で呼ばれました。またトルペード セダンとは、革張り風のファブリックで覆った屋根でフェートン(4座オープンカー)のように見せかけていることを意味します。室内には4つの肘掛け付シートがあり、ウォールナットのパネルを使った豪華な内装となっていました。モデル Jは約480台が製造されその中でSJは約40台、そのほとんどはロードスターやデュアルカウルフェートンで、この車のようなセダンはたったの数台だけでした。
ミニカーはフランクリン ミント製の1/24で、1991年頃に通信販売で購入しました。フランクリン ミントは現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する、当時としては最も精密なミニカーでした。実車に即したカラーリングで、4ドアが開閉し室内も良く再現されています。特に室内の木目パネルはデカールを張ったプラスチックではなく本物の木目パネルが使われていて、フランクリン ミントならではのリアリティの追求がされていました。細部のディテール再現が優れているだけではなく、実車が持つ周囲を圧倒する重厚な雰囲気も見事に再現しています。当時の価格は25000円とかなり高価でしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。これ以外のデューセンバーグ トゥエンティ グランドのミニカーは、GREAT LIGHTNING(レジン製)があります。以下はフロント(マスコット拡大)/前輪操舵動作の拡大画像とリア/荷物ラック/トランク開閉の画像です。荷物ラックはトランクに収納できなかった荷物を載せたのでしょう。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー インペリアル ルバロン デュアル カウル フェートン アメリカ 1933年
GMのビュイック部門の責任者であったウオルター P クライスラーは上層部とそりが合わず、1920年にGMを退社しました。彼は経営危機にあった小型車メーカーのマックスウェル社の再建に着手し、彼の発案で6気筒3.3Lエンジンを搭載したクライスラー シックスを開発し1924年に発売しました。この車が大ヒットしたことで経営は安定し、マックスウェル社は1925年にクライスラー社に改名しました。クライスラー社は従来のマックスウェルをプリムス ブランドに変更し、1928年にダッジを買収して傘下に収めるなどしてフォード、GMに次ぐ自動車メーカーに成長していきました。(実車画像→ クライスラー シックス 1924)
クライスラー インペリアルはフォード リンカーンやGM キャディラックに対抗するクライスラーの最上級ブランドとして1926年に登場しました。当初は6気筒4.7L(92HP)、1930年に6気筒5.1L(110HP)エンジンを搭載した豪華な高級大型車でした。インペリアル 2代目は8気筒6.3L(135HP)エンジンを搭載して1931年に登場しました。ルバロンとは元々はコーチビルダーの名前でしたが、後にクライスラーの高級車ブランド名となりました。フェートンとは4ドア(又は2ドア)の幌付オープンカーの意で、デュアル カウル フェートンとは後席の前にもウインドー付のカウルを設けたもので、オープンカーとしては最も高級な形式です。
1934年に登場したインペリアル 3代目は有名な流線形ボディのエアー フローと同じデザインでした。インペリアルは1955年にはクライスラーから独立した別ブランドとなりました。1970年代になると販売台数の少ないインペリアル ブランドを維持することが出来なくなり、1975年にブランドは消滅しました。その後今度はインペリアルをリンカーン コンチネンタルのようなスペシャルティーカーとして復活させるべく、1981年にブランドが復活しました。(実車画像→ インペリアル 1981) 結局この試みも失敗し1983年にブランドは消えました。ただ1990年にクライスラー インペリアルとして1993年まで名前が一時的に復活しました。(実車画像→ クライスラー インペリアル 1990) ちなみに1960年代の日本のTV番組 ウルトラセブンのポインター号やアメリカのTV番組 グリーンホーネットのブラックビューティはインペリアルをベースにした改造車でした。
ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.34で製造はイクソです。この雑誌のミニカーはフロントグリル、灯火類、マスコットなどクラシックカーのキーとなる部分がきちんと作ってありいずれも良く出来ていました。インペリアル 2代目をモデル化していますが、灯火類、フロントグリルとその上のマスコット(疾走するガゼル(鹿)の像)などがリアルな造形で良く出来ています。(ただ個人的にはカラーリングが今ひとつな感じがします) 色違いでほぼ同じものがイクソの廉価版ブランドのWHITE BOXでも2015年に発売されています。最近までインペリアルのミニカーは少なかったのですが、最近になってNEO(レジン製)などの新製品が発売されました。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ピアス アロー シルバー アロー アメリカ 1933年
前述したようにピアス アロー社は1928年にスチュードベーカー社の傘下となりましたが、スチュードベーカー社の経営不振で1933年に売却されて独立しました。独立したピアス アロー社が1933年のニューヨーク オートショーで発表したシルバー アローは同社の歴史上最も有名な車でした。この車は時代を超越した極めて進歩的なデザインで大評判となりました。フロントフェンダーがボディと一体化したデザインの先進性についてはこのページの同時代の車と見比べてもらえばそれがよくわかると思います。
デザインだけではなくV型12気筒7.6L(175HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速185km/hと性能も優れていました。しかしこの車は価格が1万ドル(当時の大衆車の約20倍)とべらぼうに高かったので、たった5台しか売れませんでした。(世界恐慌の不況のせいでもありましたが) 1935年には8気筒エンジン搭載の1601とV型12気筒エンジン搭載の1602/1603を安全ガラスなどの新機構を採用した「世界で一番安全な車」として発売しましたが、当時安全性の高さは売り物にならずこれも売れませんでした。そんなわけで業績は挽回せずピアス アロー社は1938年に倒産しました。(実車画像→ ピアス アロー 1602 1936 )
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。同社の1/43サイズの1920-1930年代のクラシックカーは約十数種類あり、キャディラックやパッカードなどの高級車がモデル化されていました。いずれもドアが開閉しボンネットを外すとエンジンが再現され、シャーシなどの下回りもそこそこ再現されていました。このシルバー アローもそのシリーズの1台で、先進的なデザインがうまく再現され、ややレトロな作風ながらよく出来ていました。4ドアが開閉し室内もよく再現され、ボンネットを外すとエンジンもリアルに再現されています。フロントグリル上の車名にちなんだ弓を引く人物像のマスコットもうまくできています。この車のリアウィンドーは極端に小さいですが、それも良く再現されています。これ以外のシルバー アローのミニカーはダンバリー ミントの1/24、ヤトミンのシグネチャーシリーズの1/18、イクソのMUSシリーズなどがあります。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 130H (W23) ドイツ 1934年
1929年に起こった大恐慌による世界的不況の時代背景の下、1934年のベルリン ショーで発表されたメルセデス ベンツの小型大衆車がメルセデス ベンツ 130Hでした。130HのHはドイツ語のHECKMOTOR(リアエンジンの意)のHで排気量はメルセデス ベンツ車として最小の1.3Lでした。フロントグリルのない外観も含めて従来のメルセデス ベンツ車とは異質の車でした。水冷4気筒1.3L(26HP)エンジンをリア車軸より後ろに搭載し、4段自動変速で最高速92km/hの性能でした。
メルセデス ベンツ 130Hは6気筒エンジンを搭載し、170の7割ほどの価格(それでもオペルなどよりは高かった)で、2ドアセダンとカブリオレがありました。130Hは1935年までに約4300台が生産され、1936年にエンジンを170Vと同じ4気筒1.7Lエンジンに変更した170Hに切り変わりました。この時代の1.3Lのリアエンジン車といえば、フォルクスワーゲン ビートルが思い起こされますが、130Hはビートルの生みの親であるF.ポルシェ博士がダイムラー社に在籍中に開発されていました。130Hとビートルは内部構造がよく似ていることから、ポルシェ博士が開発に関与していたようです。
ミニカーは2011年に発売されたイクソ製です。このミニカーは元々はアルタヤ(ALTAYA)のミニカー付き雑誌「Mercedes-benz Collection」のNo41(黒と青のツートンカラー)として作られたものでした。それの仕上げレベルを変えて、イクソのカタログモデルとして発売されたのがこのミニカーです。細かな灯火やモールなどがきちんと再現されていて赤/黒のツートンカラーも綺麗で良く出来ています。これと同じものがイクソの別ブランドのホワイトボックスでも発売されています。130Hはメルセデス ベンツ車の歴史を知るうえで重要な車ですが、量産ミニカーは最近までこれしかなくその点で貴重なミニカーでした。2017年になってAUTOCULT(レジン製)でもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 500K ロードスター ドイツ 1934年
ポルシェ博士が設計したスポーツカー メルセデス ベンツのSシリーズの後継車のKシリーズとして380K(8気筒3.8L 90HP過給時140HPエンジン搭載)が1933年に登場しました。(KはKOMPRESSOR:過給器の意です) 380Kは翌年には500K(5L 100HP過給時160HP)、1936年には540K(5.4L 120HP過給時180HP)と排気量を拡大していきました。全輪独立懸架、全輪サーボ付油圧ブレーキなど先進的な技術が使われ、380Kの最高速は145km/h、500Kの最高速は160km/h、540Kのの最高速は170km/hと当時最も高価で高性能な車でした。
Kシリーズには2/4ドアサルーン、4座クーペ/カブリオレ、2座ロードスターなどのボディが架装されましたが、派手な2座ロードスターが一番良く知られています。なおSシリーズはレーシングカーとしても活躍したのですが、Kシリーズは高級ツーリングカーでレースで使われることは無かったようです。380Kは約150台、500Kは約300台、540Kは約400台が生産されました。540Kの価格は当時の一般的な車の10倍以上でしたので生産台数は少なく、ユーザーは王侯貴族など一部の富裕層でした。
ミニカーは1/24サイズのフランクリン ミント製で、1986年にフランクリン ミントの通信販売だけで販売されました。当時の価格は18000円(現在の感覚では約4万円相当)と高価でした。500Kでも一番派手な2座のロードスターをモデル化しています。ドア/ボンネットなどが開閉し、サイズが大きいので細部まで精密に再現されていて、非常に素晴らしい出来ばえです。現在の1/18の精密ミニカー(オートアートなど)と比較しても、ほぼ同じぐらいの精密さです。現在ではプラスチックが使われることが多いサスペンションなどのメカ部分のパーツがダイキャスト製なので、その分だけ質感がリアルでなおかつ頑丈にできています。なお閉じた状態の幌(軟質プラスチック製)も付属しており、側面画像のように取り付けることができます。
この500Kは現在も続くフランクリン ミントのプレシジョン モデル(ダイキャスト製精密モデル)の最初のモデルでした。当時の大スケールミニカーは1/43を大きくしただけの雑な作りのものが多かったのですが、この500Kはそれらとは別格の出来ばえで非常に高く評価され、少なくとも数万台は販売されたはずです。この成功はその後のプレシジョン モデルのシリーズ化につながりました。プレシジョン モデルは主に1/24サイズのクラシックカーが中心で、現在までに約1000種類ほどがモデル化されました。(1/43や1/18もあります) いずれも少し高価ですが、ドアなどの可動部が多く、エンジン/シャーシ/サスペンションなどのメカ部分も再現した極めて精密なものでした。1990年代半ばまでは精密な大スケールミニカーといえば、フランクリン ミントがベストでしたが、その後オートアートなどの安価なミニカーが登場しその座を奪われました。またプレシジョン モデルは部品点数の多い精密なミニカーを中国で生産するといった生産方式の先がけとなりました。
以下この時代を先取りした精密なミニカーの詳細を画像で紹介します。現在の感覚ではフロントグリルや内装は格別に精密とは言えませんが、前輪のサスペンションは現在のミニカーと遜色ないぐらいリアルです。ドアは後ろをヒンジとする前開きで、ステアリングホイールで前輪を操舵出来ます。以下はフロント/リアの拡大画像と前輪操舵動作の画像とシート背後のランブルシート(折畳式補助席)の展開画像です。ランブルシートにはリアの左側リアフェンダー上にあるステップに足を掛けて乗り込みます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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