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マーサー タイプ 35 レースアバウト アメリカ 1913年
1883年の開通当時世界最長の吊橋であったニューヨークのブルックリン橋の建設に貢献した富豪ローブリング家のワシントン A.ローブリング II (Washington A. Roebling II)は自動車に興味を持っていました。彼の友人W.ウォルター(William Walter)はウォルター自動車を設立しニューヨークで高性能な自動車を少量生産していました。ウオルターはローブリング IIの勧めで工場をニュージャージー州トレントンに移しました。1908年にウォルター自動車が経営難となったので、ローブリング IIはウォルターの会社を買い取って再建し、1909年に会社名をマーサー自動車(MERCER MOTOR CARS)としました。マーサーとは工場があったニュージャージー州マーサー郡に由来したものでした。
マーサーの代表的なモデルで当時の高性能スポーツカーとして知られているタイプ 35 レースアバウトは1911年に登場しました。ドアのない開放的な2人乗りロードスターで4気筒4.8L(55HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速140km/hと高性能でした。マーサー レースアバウトのレース仕様車は当時同じような仕様でライバルであったスタッツ ベアキャットと競い合い、1913年のインディ 500で2位、1914年のアメリカ GPで優勝するなど大活躍しました。ただしレースアバウト以外はあまり売れなかったようで1919年には他社に買収され、その会社も買収され1925年にマーサー車は生産中止となりました。
ミニカーは1961年に発売されたマッチボックス製です。歴史的に有名なクラシックカーをモデル化しているYシリーズ(Yesteryear Series)の1台です。1960年代に作られたビンテージ ミニカーですので金属パーツが多い素朴な作りですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。Yシリーズは造りを簡素化することで安価となっていましたが、縮尺が一定していないことが並べて楽しむのには不向きでした。このマーサーも縮尺1/46と中途半端に小さいので、1/43サイズと並べるとやや貧弱な感じに見えます。サイズが小さめですが、実車の雰囲気はうまく再現されていて1960年代当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。(昔の安価なミニカーですから無理ですが、この車の特徴であった円形のウィンドースクリーンを再現して欲しかったです) なおマーサーの量産ミニカーは2023年現在でもこれ以外にはないようなので、車種的にはかなり貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール スキッフ フランス 1914年
この車はパナール ルヴァッソールのシャーシに架装されたカスタムデザイン車で、今日で言うところのショーカーのようなものでした。スキッフとは細長い小船のことでボディの形が似ているだけではなく木骨に板張りという構造も同じになっていました。この個性的なボディを架装したのは、フランスのコーチビルダー HENRI-LABOURDETTE(アンリ ラブールデット)社で、同社は1910-1920年代にスキッフという名前で同じようなデザインのボディをロールス ロイスやイスパノ スイザなどに架装していましたが、その名前をつけた最初のモデルは1912年に登場しました。
最初のスキッフは4気筒2.6L(22HP)エンジンを搭載したパナール ルヴァッソール タイプ X19に架装されました。この車は「軽くて快適な小船のようなデザイン」というパナール ルヴァッソール社の重役の要望に沿って製作されました。小船をイメージしたこの車にはドアがなく、木製フレームにマホガニーの板をリベット留めした構造で非常に軽量でした。フランスのコーチビルダーが架装するカスタムデザイン車は船をモチーフにした耽美なものが多いですが、この車はその先駆けとなったもので、他のコーチビルダーがこのデザインを模倣しました。
ミニカーは1960年代に発売されたフランスのMINIALUXE製です。(MINIALUXEは正しい読み方ではないかもしれませんが、ミニオールと呼んでいます) MINIALUXEは1964年から「Tacots」シリーズとして1/43サイズのプラスチック製で出来の良いクラシックカーを約30種類ほど発売していました。このスキッフも実車の魅力的なデザインをうまく再現していて良く出来ています。フロントのパネルに1914と表示しているのと実用的な幌が付いていますので、1912年のスキッフの市販仕様かもしれません。プラスチック製で色を変えるのが簡単なので様々な色を組み合わせた色違いがありましたが、この実車に即した茶色のボディが一番リアルです。パナール ルヴァッソール スキッフのミニカーは現時点(2023年)でもこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー タイプ AG タクシー ド ラ マルヌ フランス 1914年
前述したようにルノー タイプ AGはタクシーとして使われました。タイプ AG タクシーは画像のようなランドレー形式のボディが一般的でしたが、密閉式キャビンのセダンやフルオープンのフェートン、商用バンなどもあったそうです。ルノーは1905年にタクシー会社を設立し自社のタクシーを大量に使用しました。この会社以外にも当時のパリにはタクシー会社が2つあり、1914年には約10000台のタクシーがあったそうで、その80%以上がルノー タイプ AGだったとのことです。
第1次大戦初期の1914年9月にドイツ軍がパリの間近に迫ったとき、パリのタクシー 1300台がフランス軍6000人を一夜にしてパリから50km離れたマルヌの前線に送り込み、フランス軍の勝利に寄与しました。この大活躍でルノー タイプ AG タクシーは「タクシー ド ラ マルヌ」(マルヌのタクシー)と呼ばれるようになりました。ちなみにタクシー料金は会社が運転手に支払ったそうです。また当時のタクシーはライトを標準装備していませんでしたので、夜間移動の際にはライト(石油ランプ式?)を追加したそうです。
ミニカーはミニカー付雑誌「TAXI DEL MONDO (世界のタクシー)」(参照WBサイト→ TAXI DEL MONDO)のフランス版用として作られたものです。メーカーはイクソ(アルタヤ)で、ルノー タイプ AG タクシー仕様(タクシー ド ラ マルヌ)をモデル化しています。雑誌付きの安価なミニカーですが、結構良く出来ています。幌の下に見える黒い四角い箱がタクシーメータです。このタクシーメーターは車軸の回転数から走行距離を機械的に算出して移動距離(又は料金)を表示する構造で、現在の自動車で走行距離を表示するオドメーターのようなものだったようです。同時代のルノー タクシーのミニカーはサフィールとラミーもモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 18BL トラック イタリア 1914年
1857年にイギリスで大砲を牽引する為の蒸気車が開発され、1870年の独仏戦争で初めて使用されました。19世紀末には馬に代わる輸送手段として、欧米各国でガソリン自動車による軍用車の開発が進められました。イタリアでも軍隊の要請で、フィアットが物資の運搬だけではなく多目的に使える軍用車 フィアット 15を1909年に開発しました。15は積載量1.5tのトラックで、4気筒3L(16HP)エンジンを搭載していました。1913年には4気筒4.4L(40HP)エンジン搭載の15Bに発展しました。(実車画像→ フィアット 15)
1911年には積載量を3.5tに増やした18が開発されました。1914年に改良型の18BLが登場し、18BLの軍隊仕様(サスペンションなどを強化している)は同年に始まった第1次大戦で軍用車(兵員や物資の輸送車、野戦病院としての救急車、軽量戦車、大砲の牽引車など)として使われました。15Bと18BLの軍用車は当時のイタリア軍の作戦に不可欠な最新装備でした。 軍用に開発されたトラックですが、それらはすぐに民間の流通サービスに普及していきました。またバスボディが架装され、路線バスなどの公共交通サービスにも使われました。この流れはイタリアだけではなくどの国も同じでした。18BLはイギリスやフランスなどでも使用され、約20000台が生産されました。
ミニカーは1980年代に発売されたリオ製です。これより先に発売されていた型番20の18BL バスを流用してトラックに仕立てたものです。フロントグリルに接続された幌を補強する革バンド(初期物は本物の革製)、リアルに再現されチェーン駆動のリアドライブやサスペンションなど、それらはリオのクラシックカーに共通する凝った仕上げで、この18BL トラックもかなり良い出来ばえでした。バリエーションとして軍用トラック、幌や灯火の無いトラックなどが十数種類ありました。なおフィアット 18BLのミニカーはこのリオのものしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と後輪チェーン駆動部の画像です。なお以下のミニカーは初期物ですので、革バンドは全て本革です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ 40/60HP リコッティ イタリア 1914年
1913年に発表された4気筒6.1Lエンジン搭載の高性能車 アルファ 40/60HPは主にレーシングカーとして活躍しました。このリコッティという名前の車は、アルファの有力な後援者であったリコッティ伯爵の依頼で、40/60HPのシャーシにカロッツェリア カスターニャがアルミ製の流線型ボディを架装した空力的な実験車でした。当時はこのような涙滴型が最も空気抵抗が少ないと考えられていたのですが、ここまで徹底したボディを製作したのは画期的だったと思います。
その実験の結果ですが、オリジナルの40/60HPは最高速が125km/hしか出なかったのですが、この車は最高速139km/hを記録し空力的な効果を証明したとのことです。実験車とはいえ、流線型ボディの中には4人分のシートがありヘッドライトもついているので、乗用車としても使えたようです。実際にこの車のトルペード(オープンカー仕様)に運転手とオーナー?が乗車している当時の写真がWEB上にありました。(実車画像→ アルファ 40/60HP リコッティ トルペード)
ミニカーは1973年頃に発売されたリオ製です。リオはちょっと変わった形をした自動車初期の速度記録車をいくつかモデル化しています。(型番56 ジェネラル 'グランプリ'や型番60 電気自動車 ジェナツィ 'ジャメ コンタント'など) このリコッティもその1台で、特徴的な流線形ボディがうまく再現されていて、良く出来ています。またリオのミニカーに共通することですが、室内やエンジン/シャースなどのメカ部分もきちんと再現されています。これは後部のドアが開閉するギミック付きです。なおリコッティのミニカーはこのリオ製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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