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スバル レオーネ ハードトップ 日本 1979年
1979年にスバル レオーネ 2代目が登場しました。シンプルなデザインでボディはひとまわり大きくなり、6ライトウインドーの4ドアセダン、2ドアハードトップ、エステートバン、ホイールベースを短縮した3ドアハッチバックのスイングバックが設定されました。スバル得意の4WD仕様はハードトップ以外に設定されていました。水平対向4気筒エンジンは1.4Lがなくなり、1.6Lと1.8L(100HP)が搭載され、5段MT/3段AT変速で、最高速度170km/hの性能でした。最上級の1800GTSにはスバル初のパワーステアリング/パワーウインドウ/オートエアコンが装備されていました。
1981年のマイナーチェンジで、大型の角型2灯式ヘッドライトが角型4灯式に変更されるなど外観が変更されました。同じ年にその後のレオーネで売れ筋となるスポーティなツーリングワゴンが追加されました。1982年には4WD仕様に1.8Lターボエンジン(120HP)を追加し、その後もハードトップの4WD仕様化、4WDに油圧式車高調整機能の追加など、4WD車の車種拡大/機能追加が行われ、レオーネは4WD車がメインとなっていきました。1984年にレオーネ 3代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スバル レオーネ 1984)
ミニカーは1979年に発売されたダイヤペットの当時物で、2代目初期の角型2灯式ヘッドライトの2ドアハードトップをモデル化しています。初期型のやや癖のあるフロントグリルがうまく再現されているなど、当時のミニカーとして全体的に良い出来ばえでした。ただし車軸位置が低すぎて車高が少し高くなっているのが残念です。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。レオーネ 2代目のミニカーは最近までこれしかありませんでしたので、その点で貴重なミニカーでした。2019年になってスパーク(レジン製)が4ドアセダン 前期型、スイングバック 前期型、2ドアハードトップ 後期型、をモデル化しました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスズ ジェミニ 1800LS クーペ 日本 1979年
1971年にイスズ自動車はアメリカのGM社と資本提携しました。そのGMグループの世界戦略車のオペル カデット Cをベースとして、1974年にジェミニが登場しました。ベレットの後継車であることを示す為に、1975年まではベレット ジェミニと称していました。逆スラントのフロントを特徴とするカデット Cのデザインはほぼそのままで、4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプがありました。エンジンはベレットの4気筒1.6L(100HP)を引き継ぎ、4段変速で最高速170km/hの性能でした。
1977年にヘッドライトを丸形から角形に変更し、1.8Lエンジンが追加されました。1979年にはフロントをスラントノーズ化して外観を一新し1.8Lディーゼルエンジンが追加され、さらにDOHC 1.8L(130HP)エンジンを搭載するスポーティなZZも設定されました。ジェミニはオペル カデットがベースだったので、トヨタ カローラなどの国産大衆車よりやや大柄でした。またヨーロッパ的でセンスの良いデザインが好評で、小型車市場でそこそこ人気がありイスズの主力車となっていきました。1985年にジェミニ 2代目にモデルチェンジしました。総生産台数は約77万でした。
ミニカーは1980年に発売されたダイヤペットの当時物です。1979年式でスラントノーズに丸型ヘッドライトを付けたスポーティ仕様1800LSをモデル化しています。ダイヤペットの協力工場の11番工場(製造委託先)製で、実車のイメージがうまく再現された良い出来ばえで、カデット Cがベースとなっていることが良くわかります。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、さらにサンルーフが開閉するギミックも付いています。ジェミニ 初代の当時物ミニカーはこれしかありません。当時物以外ではトミカ リミッテドの1981年式のZZ/Rと1982年式のディーゼル ターボ、国産名車コレクション 1/24の後期型 1800 ZZ-R、国産名車プレミアムコレクションの初期型などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スズキ アルト 日本 1979年
1979年にスズキ フロンテは5代目にモデルチェンジしました。先代はリアエンジン後輪駆動車でしたが、フロントエンジン前輪駆動車に変更して広い室内を実現しました。フロンテ 5代目と同時にフロンテの商用車としてアルトが登場しました。軽商用?(軽ボンネットバン)は物品税が非課税であったので、安価な軽商用?を2人乗りの軽乗用?として使うという商品企画に沿ってアルトが開発されました。価格47万円という当時として破格の低価格で売り出されたアルトは主に買い物や子供の送迎などに自動?を使う主婦層に受けて大ヒットしたことで、ダイハツ ミラや三菱 ミニカなどが追従し軽ボンネットバンブームを引き起こしました。(なお当時トヨタの小型車スターレットは約82万円でした)
エンジンは安価な旧型の2サイクルエンジンで、リアサスペンションは低コストのリーフリジットでした。1981年には排ガス対策で4サイクル3気筒エンジンに変更されました。当初は4段変速だけでしたが、1980年には2段自動変速が設定されました。塗装処理したスチール製バンパー、ドア内張を省略した簡素な内装、簡易な折畳み式後席、手動式のウィンドーウォッシャーなど低価格化する為のコストダウンは徹底していました。また標準装備はヒーターのみで、それ以外は全てオプション設定でした。
1981年には軽ボンネットバンの増加に対応して商用車にも物品税が課せられるようになったので、物品税が掛からない2シーター仕様が設定され47万円の価格を維持しました。(4シーターは49万となった) 1982年のマイナーチェンジで角形ヘッドライトを採用し、Lタイプ/Gタイプの上級グレードが設定されて少しだけ高級になりました。1983年にパートタイム4WD仕様スノーライナー(主に寒冷地の積雪対応)が設定されました。1984年にフロンテが6代目にモデルチェンジし、アルトも2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スズキ アルト 1984)
ミニカーは2010年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製でメーカーはイクソです。プロポーションが良くシンプルな造形の実車がうまく再現されています。安っぽいバンパーやフェンダーミラー、インパネのメーターが表現された室内など細部もそこそこ良く再現されていて、雑誌付きミニカーとしては良い出来ばえです。この型を流用したほぼ同じ物がFIRST43でも発売されました。アルト 初代のミニカーはトミカ リミッテドの初期型と1982年式のLタイプ/Gタイプ、国産名車コレクションの色違い版であるFIRST43があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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童夢 零 (ゼロ) RL ルマン 日本 1979年
童夢 零の開発が成功した林みのる氏率いる童夢は、次の目標として自前のマシンによるルマン参戦を目指しました。童夢はレーシングカーの専門家が結集していたのですから、当然の成り行きだったのでしょう。スーパーカーブームで零のミニカーなどの玩具が売れて、そのライセンス収入が開発資金に充てられたそうです。
自社製シャーシにフォード コスワース DFV エンジンとZF変速機を搭載した、プロトタイプクラス(Gr.6)のレーシングカー 童夢 零 RLが1979年に2台製作されました。当時の主流のマシンはポルシェ 936に代表されるオープンのグラウンド エフェクト カーでした。零 RLも同様のデザインですが、全体的に平坦でテールが非常に長く、ストレートでの最高速を重視したデザインです。なお屋根に見える部分はバックミラーのカバーで、フロントウィンドーが無いオープンカー仕様です。
国内でのテスト後イギリス シルバーストーンに参戦し12位で完走しています。ルマンでは序盤で7号車がトップグループに入り、最高速では世界に通用することを示しましたが、約1時間半でオーバーヒートで脱落しその後リタイア、6号車は約5時間でガス欠でリタイアとなりました。ルマンを走るには資金も経験も不足していたことを示す結果でした。翌年の1980年ルマンにも改良型の童夢 RL80で参戦し、トラブルがあったものの最後まで走り続け、最下位の25位ながら日本車初の正式な完走を果たしました。(この年も最高速はトップグループ並みの性能でした) 童夢はその後も1986年までルマンに参戦しました。
ミニカーはカドーの当時物です。カドーは玩具問屋の可堂玩具が興したブランドで、マニア向けのホワイトメタル製モデルやトミカ等他社のオリジナル仕様を発売していました。この零 RLのミニカーはK & M プラニングという会社が製作した物を、カドーが販売したようです。当時のミニカーとしてはそこそこの出来ばえで、零 RLの雰囲気は十分再現されています。なおオレンジの部分は全て紙のシールで、ゼッケン(#6、#7)や企業ロゴなどの紙シール(貼っていませんが)も付属しています。カドーからは1/28の零 RLも発売され、当時物ミニカーはこのカドーの2点しかありません。(スーパーカーブームが終わったからでしょう) これ以外の零 RLのミニカーは2002年に発売されたビザールの物しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック セビル エレガンテ アメリカ 1980年
GM キャディラック セビル 2代目が1980年に登場しました。1930年代のイギリス製高級車に見られたリア/トランクのデザイン(レザーエッジと呼ばれる)を取り入れた懐古調スタイルが外観上の特徴でした。(レザーエッジ 実車画像→ ロールス ロイス ファントム 25/30) 全長5.2mX全幅1.8mとトヨタのセンチュリー並の大きさで、前輪駆動方式が採用されました。アメリカ車としては珍しいことに燃費対策でV型8気筒5.7L(105HP)ディーゼルエンジンを標準エンジンとしていました。(ガソリンエンジンはオプション) ボディは4ドアセダンのみで4段自動変速で最高速180km/hの性能でした。
1982年からはV型8気筒4.1L(125HP)ガソリンエンジンが標準となり、ディーゼル エンジンはオプションとなりました。セビル 初代同様にキャディラックの中でも高価な車でしたが、個性的なスタイルが好評で、初代同様に成功しました。1986年にセビル 3代目が登場しました。ボディが小型化され、当時のGM車に共通したリアウインドーがほぼ直立したキャビンを持つデザインとなりました。1992年にセビル 4代目が登場しました。ボディが大きくなり欧州のオペル車のような雰囲気のおとなしいデザインに変わりました。1998年に登場したセビル 5代目は4代目のデザインを踏襲していました。 (実車画像→ GM キャディラック セビル 3代目、実車画像→ GM キャディラック セビル 4代目、実車画像→ GM キャディラック セビル 5代目)
ミニカーは2013年に発売されたイクソのプレミアムX製です。上級グレードのエレガンテをモデル化しています。2009年に登場したプレミアムX ブランドの初期のミニカーはレジン製でしたが、これはダイキャスト製です。実車に即したツートンカラーで、セビル 2代目のスタイルをうまく再現していて非常に良い出来ばえでした。またリアルなフロントグリル、その上に付いた凝った造りのエンブレム、ナンバープレート、室内の造形などの細部も良く再現されていました。1970年代後半以降のサイズダウンされたアメリカ車はあまり人気がないので、セビル 2代目のミニカーはトミカの外国車シリーズ(型番F45 1/69)の当時物ぐらいしかありませんでした。その後2009年頃にネオ(NEO レジン製)がセビル 初代と2代目をモデル化しています。 以下はフロント/フロントグリルのエンブレム拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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