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ブリクシア ツュスト 10HP イタリア 1908年
スイス出身のイタリアの技術者R.ツュスト(Roberto Zust)はミラノでガソリンエンジン車を開発し、1905年に自動車を製造するツュスト社を設立しました。最初のモデルは4気筒7.4L/11.3Lエンジンを搭載した高価な大型車だったようです。1908年に4気筒7.4Lエンジンを搭載したツュスト 28/45HPがニューヨーク-パリ間を走破する長距離レースに参戦し3位となっています。なおこのレースではアメリカのトーマス フライヤーが優勝しています。(壮大な長距離レースの概要はトーマス フライヤーの解説に記載しています)
1906年にR.ツュストは小型車を製造する別会社として、イタリア北部のブレシア市(ローマ時代にはブリクシアと呼ばれた)にブリクシア ツュスト社を設立しました。この会社はタルガ フローリオに参戦したレーシングカーなどを製造しました。一番有名なモデルはブリクシア ツュスト 10HPで3気筒1.4L(10HP)エンジンを搭載した中型車でした。ブリクシア ツュスト社は財政難で1912年に生産を中止しましたが、ツュスト社はミラノからブレシア市に移転し1914年まで生産が続けられました。ツュスト社は1917年にイタリアの自動車/商用車メーカーのOM(Officine Meccaniche)社に買収されましたが、4.7Lエンジンを搭載した最後のモデル ツュスト S305は1923年まで生産されました。
ミニカーは1960-1970年代に販売されたドゥグー製です。ブリクシア ツュスト 10HPをモデル化しています。ドゥグーは大人のマニア向けのクラシックカー専門のミニカーメーカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館(現在はトリノ自動車博物館)に保存されていた実車をモデル化していました。このブリクシア ツュストはドゥグーとしては廉価版のMUSEOシリーズの1台です。ビスカレッティ博物館の実車を忠実にモデル化してあり、当時のクラシックカーのミニカーとしては良い出来ばえでした。ブリクシア ツュストはほとんど知られていないブランドですので、ミニカーはこれしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチェスター 20HP ランドレー イギリス 1908年
優れた技術者であったランチェスター 3兄弟が1895年に設立したランチェスター エンジン社はイギリスで最初にガソリンエンジン搭載自動車を製作した会社でした。1985年に単気筒1.3Lエンジンを搭載した第1号車が完成し、それを改良して空冷2気筒4Lエンジンを搭載した量産車が1901年から販売されました。この車はエンジンをカバーするボンネット部分がなく、サイドレバー操作による前輪操舵、遊星歯車を使った変速機など独創的な技術で構成されていました。1904年にランチェスター エンジン社は清算されランチェスター モーター社として再建されました。(実車画像→ ランチェスター 12HP 1901)
1904年に水冷4気筒2.5Lエンジン搭載車、1905年には6気筒エンジン搭載車、1906年にはシャフトドライブ式6気筒エンジン搭載車が登場しました。1908年からは前輪操舵が一般的なステアリングホイール式となりました。1911年には新しい4気筒エンジン搭載車と6気筒エンジン搭載車が登場しました。第1次大戦中は航空機エンジンと装甲車を生産しました。戦後は6気筒エンジン搭載のロールス ロイス並みの高級車を生産しましたが、経営不振で1931年に高級車メーカー ディムラー社に買収されました。以後ランチェスターの名前は1950年代まで残っていましたが、その中身はディムラーでした。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製です。モデル化しているのは4気筒2.5Lエンジンを搭載した20HPだと思われます。この20HPは初期のランチェスターの特徴であるボンネット的な部分が無い構造で、運転席手前のカバーのようなものでエンジン部分を覆っています。また前輪は運転席右側にあるレバーで前輪を操舵しました。MINIALUXEのミニカーは全てプラスチック製でクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。このランチェスターも大きなラジエータなどフロント周りの特徴的な造形がリアルに再現されていて、とても良い出来ばえです。ランチェスターの量産ミニカーはこれしか無いようですので、車種的に貴重な存在です。MINIALUXEのクラッシックカーのミニカーにはこのような珍しい車種がいくつかありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード T型 アメリカ 1908年
ヘンリー フォードが生み出した自動車史上最も有名な車が1908年に発表されたフォード T型です。ヘンリー フォードは1903年にフォード モーター社を設立し、T型以前にもA型から始まる名前の車を開発して販売していました。(実車画像→ フォード A型 1903) T型とはその開発番号に由来する名前でした。T型はレールで移動する台車を使った流れ作業による大量生産方式で低価格を達成し、最終的に1500万台が生産されました。初期のT型の標準的なボディは画像のようなオープン4座セダンでした。なお大量生産が始まったのは1912年頃からで、それまでは組立て作業中の車を作業者がロープで引っ張って移動させていたそうです。大量生産が始まるとそれまでは数色あったボディカラーが黒のみになりました。
初期のT型は4気筒2895cc(20HP)の実用的なエンジンを搭載し、半自動式クラッチによる2段半自動変速機を介して最高速70km/hぐらいの性能でした。特筆すべきはこの半自動変速機で、足元の3つのペダルの操作のみで2段変速/後退が行えるもので、運転が簡単になったことが自動車の大衆化に大きく寄与しました。アメリカ車で早くから自動変速機仕様が一般化されていたのは、大量に販売されたT型が実績を作ったからなのです。
フォード T型のミニカーはたくさんあります。ここでは1960-70年代に作られたビンテージミニカーのなかで、クラシックカーを主に手掛けていたメーカーの物をまとめてみました。まずはドイツのチィス(ZISS)製です。チィスは1960-1970年代にドイツ車中心で1/43のクラシックカーを作っていました。1960年代に作られたということもあって、あまりプラスチックが使われておらず、幌部分も金属で出来ています。金属製パーツが多いので、頑丈な感じが強調されていますが、T型のイメージには合っています。なおこのミニカーのようにFORDのロゴが大きく正面に付いているフロントグリルは初期のT型の特徴でした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トーマス フライヤー ニューヨーク-パリ レース優勝車 アメリカ 1908年
アメリカ人のエドウイン ロス トーマス(Edwin Ross Thomas)は1900年にトーマス自動車会社を設立し、原動機付自転車の販売を始めました。1902年からは自動車の製造も始め、第1号車は2気筒エンジンを搭載する小型のオープンカーで、1904年にはトーマス フライヤーという名前の3気筒エンジンを搭載した5人乗りツーリングカーが登場しました。1905年には4気筒エンジン搭載の40/50HPや6気筒エンジン搭載の60HPが登場しオープンカーやリムジンが架装されました。トーマス社は1908年に開催されたニューヨーク-パリ間の長距離レースで優勝したことで世間に知られるようになりました。
このレースはイターラの解説に記載した北京-パリ間レースの翌年に開催された、ニューヨーク-パリ間を走破するとてつもなく壮大なレースでした。経路はニューヨークからカリフォルニアまで北米大陸を横断しアラスカへ向かい、そこから船でベーリング海峡を日本を経由して渡りシベリア大陸を横断してパリに向かう全行程22000㎞でした。(日本を経由していました) 米、独、伊、仏などの代表6台が参戦してトーマス フライヤーが170日間で走破し優勝しました。優勝車は4気筒9375cc(60HP)エンジンを搭載したオープンツアラーをベースにした車で4段変速で後輪をチェーン駆動していました。(参照動画→ The New York to Paris Race 1908)
トーマス自動車はこのレースの優勝で有名になりましたが、その後に登場したモデル Lが不具合で評判を落としたことなどで経営が悪化しました。E.R.トーマスは1911年に会社を金融会社に売却しましたが1913年に破産しました。なおE.R.トーマスは1906年にトーマス デトロイト社という別会社を設立しています。この会社はチャルマーズ デトロイト社となり後にマックスウェル社と合併してクライスラー社の一部となりました。
ミニカーは1975年頃に発売されたリオ製です。博物館が保存していたレストアされた実車をモデル化しているようです。リアに括られたスペアタイヤ、誇らしげに掲げられた星条旗、「NEW YORK TO PARIS」のロゴ、後輪を駆動するチェーンなど実車が忠実にモデル化されていて、1970年代のミニカーとしてはとても良く出来ていました。リオはこれとほとんど同じ物を2011年に型番4304でリメイクしています。これ以外のトーマス フライヤーのミニカーはフランクリン ミントのレース仕様車 1/24、マッチボックスのフライアバウト 1/48などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 18/24HP イタリア 1908年
前述したフィアット 16/24HPの後継車として、18/24HPが1908年に登場しました。車格的には16/24HPより上級の中型車として設定されたようで、ホイールベースはショート、ミディアム、ロングの3タイプがあり、全長は約4.3m-4.5mでした。18/24HPは4気筒4.5L(24HP)エンジンを搭載し、4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し最高速65km/hの性能でした。このミニカーはイタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されている実車を忠実にモデル化しています。ミラノのカロッツェリアが担当したボディは後席が幌で開閉できるランドー形式でシェーファードリブンのかなり高級な車だったようです。
1900年代後期のフィアットには創業当時の8HPのような小型車はラインナップから外れていました。(小型大衆車は1910年代のフィアット 0で復活しました) 生産されていたのは中型車と大型車を中心にした数モデルでした。当時のフィアットは既にイタリア有数の自動車メーカーとなり、従業員は2500名ほどでした。生産された車の3分の2以上は輸出されていて、アメリカ市場でもある程度の顧客を確保していました。
このミニカーも1970年代に発売されたリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されています。これは24/32HPに密閉型の高いランドー形式リムジーンのボディを架装した車をモデル化しています。ミニカーはカラフルに塗りわけられていて魅力的な仕上がりです。フロントグリルの立派なロゴ「FIAT 1908」は実車に忠実に出来ています。屋根の上の飾りのようなものはルーフラックで旅行用の荷物などを載せるものです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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