Sorry Japanese Only
ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1907年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)は購入したガソリン自動車の品質に満足できず、自らで自動車の製作に着手しました。彼が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び、1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP 6気筒7.4Lエンジン搭載)が登場しました。
1907年にシルバー ゴーストは15000マイル(24000km)を燃料補給時以外ノンストップ、無故障で走破するという過酷な耐久試験を行いその優秀性を実証しました。この試験に使われた車が銀色に塗装され「SILVER GHOST」というプレートを付けていたことから、以後この名前が正式名称となりました。なおGHOST(幽霊)というのは音もなく静かに走ることから名付けられたようです。高度な品質管理で製作されたシルバー ゴーストのシャーシは長持ちしましたので、古くなった車はボディを載せ替えて霊柩車や軍用装甲車などに転用されました。なおロールス ロイスのフロントグリル上の有名なマスコット「スピリット オブ エクスタシー (Spirite of Ecstasy)」は1912年頃から使われ始めたとのことでこの車には付いていません。
ミニカーは1969年に発売されたマッチボックス製のY(Yesteryear)シリーズの1台です。1960-70年代のミニカーですので素朴な造形ですが、基本的なプロポーションは良くできていました。フロントグリルのRRのロゴ、リーフスプリングのリアサスペンション、スペアタイヤなどの細部は当時のミニカーとしてはかなりリアルに再現されていました。なおヘッドライトのステーがフロントグリルから生えていますが、これはマッチボックス流の簡略化手法です。クラシックカーのミニカーを安価で提供する為に、Yシリーズはこのような簡略化でコストダウンしていました。これ以外のロールス ロイス シルバー ゴーストのミニカーは同じマッチボックスの1/55とランドレー仕様の 1/48、マッチボックスのコピーと思われるナコラル、フランクリン ミントの1/43と1/24と1/12などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=108
ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1907年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)は購入したガソリン自動車の品質に満足できず、自らで自動車の製作に着手しました。彼が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び、1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP 6気筒7.4Lエンジン搭載)が登場しました。
ロールス ロイス シルバー ゴーストの6気筒エンジンのアイドリング回転数は180rpmで、ほとんど音がしなかったそうです。変速機はオーバードライブ付きの4段で最高速(約120km/h)でもエンジン回転数は1800rpmと超低速型で、走行中でも音が静かなのはこの辺に理由があったようです。もちろんエンジン以外のすべての部品が手仕上げで入念に作られて調整されていることも忘れてはいけませんが。 100年以上前の1907年に耐久試験を行った実車が、現在でも走行可能な状態でロールス ロイス社で保存されていることは有名です。それ以外にも現在でも走行可能なシルバー ゴーストが存在するとのことから、シルバー ゴーストの類い希な耐久性と信頼性が分かると思います。
ミニカーはフランクリン ミント製で2004年に入手しました。ロールス ロイス社に保存されている実車(車番AX201)を忠実に再現しています。フランクリン ミントはシルバー ゴーストを1/43、1/24、1/12の3つの縮尺でモデル化しています。これは1/43で、フランクリン ミントの1/43のクラシックカーはいずれもレベルの高い出来ばえでした。シルバー ゴーストはその中でも最後に製作されたものなので、一番完成度が高いです。50点ほどのパーツを組立てた精巧なミニカーで、シルバー ゴーストの1/43のミニカーとしては2023年現在でも最高の出来ばえといって間違いないでしょう。ドアが開閉し運転席足元の各種メータが再現され、ボンネットを取り外すと6気筒エンジンがリアルに再現され、床下にはフレーム/サスペンション/車軸までリアルに再現されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。フロントグリルの上に付いている「AA」のエンブレムはイギリスの「AUTOMOBILE ASSOCIATION(イギリス自動車協会)」の会員バッチです。ロールス ロイスの有名なマスコット「フライング レディ(The spirit of Ecstasy)」が公式に使われるようになったのは1911年頃からでした。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=109
シーグレイブ AC53 消防車 アメリカ 1907年
消防に必要なポンプなどの備品はとても重いので、それを運搬する為に使っていた馬車が動力付き自動車に移行したのは早かったようです。(馬は維持する費用/手間が大変なのです) 1905年にアメリカのノックス オートモーティブ(Knox Automobile)社がガソリンエンジンで走行するトラックに消防ポンプを積載することで近代的な消防自動車を開発し、この方式の消防自動車が国内外の自動車メーカーで製造されるようになりました。(実車画像→ ノックス オートモーティブ製消防車 1905)
アメリカのシーグレイブ(SEAGRAVE)社は消防用はしごを製造する会社として1881年に設立されました。軽量で丈夫なシーグレイブ社のはしごは全米の消防署で採用されていました。1907年にシーグレイブ社は自動車メーカーのフライヤー ミラー(Frayer-Miller)社と共同でガソリンエンジンで走行する消防車を製作しました。画像のミニカーはこの車をモデル化しています。この消防車は運転席の下にガソリンエンジンを搭載し後輪をチェーン駆動していました。(エンジン始動用のクランクハンドルが車体前部についています) 後部に積んでいるのは真鍮製の大型化学消火器とホースで、放水用ポンプや貯水タンクは装備していませんでした。(ポンプやタンクを積んだ仕様もあったと思いますが) この消防車は多くの消防署で採用され、シーグレイブ社は現在も主要な消防車メーカーです。
ミニカーはデルプラド(DEL PRADO)社製のミニカー付雑誌「世界の消防車」の1台で2003年に発売されました。1907年に製作されたシーグレイブ AC53 消防車をモデル化しています。WEB上で見つけた実車の写真を見ると、灯火類や消防用備品など実車をかなり忠実にモデル化してあり良く出来ています。ボディ全体に施された金色の飾り模様は凝った作りです。なおこのミニカーは1999年頃に発売されたマッチボックス製のミニカー(型番YFE21M)とほとんど同じ物でそれを流用しているようです。そのマッチボックス製ミニカーは約3000円ほどの値段でしたので、それが定価1880円の「世界の消防車コレクション」で買えたのですからずいぶんお得でした。同じような理由で「世界の消防車コレクション」にはコスパの良いミニカーが付いていることが多かったです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=138
メルセデス 37/65HP リムジン ドイツ 1908年
エドワード期のダイムラー社(DMG:Daimler-Motoren-Gesellschaft)が生産していたメルセデスの量産車にはベテラン期に登場した4気筒エンジンを搭載するジンプレックスとその上級車である6気筒エンジン搭載車がありました。この6気筒エンジンはチーフエンジニアのウィルヘルム マイバッハが設計したものでした。6気筒9.5L(65HP)を搭載する37/65HPと6気筒10.5L(75HP)を搭載する39/75HPがあり、当時のメルセデスの最上級車として1908年に登場しました。4段変速の後輪チェーン駆動で最高速90km/hの性能でした。フォーマルなリムジンや洒落たカブリオレなどが架装され、1911年まで生産されました。
なおウィルヘルム マイバッハは1906年にレーシングカー用にOHCを採用した高性能な6気筒12.9L(70HP)を開発していますが、このエンジンの使い方について上層部と対立し、前述した乗用車用6気筒エンジンを開発した後に会社を辞めています。マイバッハはその後1909年にマイバッハ社を設立しています。退社したマイバッハの後継者として他の会社に出向していた創業者ゴットリーブ ダイムラーの長男であるパウロ ダイムラーが呼び戻され、彼はメルセデス車のチェーンドライブをシャフトドライブに改良していきました。
ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。リアのカタログには単にメルセデス リムジンとされていますが、6気筒エンジン搭載の37/65HPをモデル化していると思われます。ベテラン期に紹介したリオ製のジンプレックスの型を流用して、37/65HPに仕立てています。ジンプレックスのフェンダーやボディを変更してあり、長距離旅行用のリムジーンという設定で屋根上とリアに荷物を満載しています。ミニカーの箱に添付されていた解説書にはメルセデスのリムジーンはこのような長距離旅行用として快適かつ安全にドライブできることでよく知られていたと書かれていました。床下部分にはシャーシ/サスペンション、エンジン/排気管が再現されていて、左右後輪をチェーン駆動している構造がよくわかります。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=66
オペル 5/10HP シュタット クーペ ドイツ 1908年
前述したようにオペルはフランスのダラック社と提携しオペル ダラックをライセンス生産することで技術を習得しました。オペルは1902年のハンブルク モーターショーで2気筒1.9L(12HP)エンジンを搭載した独自設計の小型車10/12HPを発表し、1906年から製造を始めました。(10/12HPとは課税上の馬力区分が10HPで実際の馬力が12HPという意味です) 1906年にはダラック社との提携を解消したので、オペル ダラックは1907年に生産中止となりました。
このミニカーがモデル化している実車は、ニ玄社の書籍「世界の自動車 オペル」を参照すると10/12HPの改良型の5/12HPが該当するようです。5/12HPは4気筒1.6L(12HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速55km/hの性能でした。このシュタット クーペ(STADT-COUPE 英語ではTOWN-COUPE)という名前は、密閉した客室(クーペ)形式のボディを意味しています。ミニカーでみてもずいぶん車高が高いですが、実際に車内で立っていられるほどの高さがあったそうです。なおこのシュタット クーペの年式はミニカーの底板に明記されている1908年ではなく1911年だと書いてあるWEBサイトもあります。またトリノ自動車博物館関係の書籍によると5/12HPは1912年式とも書かれていますので、どれが正しいか分かりませんが、ミニカーに明記された年式を優先しました。
ミニカーは1960年代に発売されたチィス(ZISS-MODELL)製です。チィスはドイツのMINI-AUTO社のブランドでドイツ車中心でクラシックカー、乗用車、商用車などのミニカーを1960年代に製作していました。チィスのミニカーはフロントグリルや灯火類などに金属部品を使っていますので、がっちりとしたつくりとなっています。このシュタット クーペも金属製のロゴ入りラジエータグリルに独特の雰囲気があります。細かい部分もそこそこ良く再現されているので、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=73
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.