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メルセデス ジンプレックス クーペ デビル ドイツ 1905年
前述したようにメルセデス ジンプレックスには4気筒4L/5.3L/6.8L/9.2Lの4タイプのエンジンが搭載され、様々なボディ形式のモデルがあったようです。これもその1台で後席が密閉式になっているのでクーペ デビルという名前になっています。モデル化された実車が明確ではありませんが、よく似たボディの実車画像がありそれには28/32HPと記載されていたので、4気筒5.3L(32HP)エンジンを搭載したジンプレックスをモデルしていると思われます。。
この時代のメルセデス車は右ハンドルがほとんどですが、これは左ハンドルとなっています。初期の自動車は右ハンドルが多いのですが、これは馬車時代の名残りでした。一般的には右利きの人が多いことから、ムチを扱う馬車の御者は右側に座っていたそうです。その為馬車から発展した初期の自動車も右ハンドルがほとんどだったようです。なお欧州で左ハンドルが一般化したのは地域にもよりますが概ね1930年代以降で、アメリカでは大量生産されたフォード T型が左ハンドルだったので左ハンドルの一般化は欧州より早かったとのことです。
ミニカーは1960年代に発売されたチィス(ZISS)製です。チィスはドイツのMINI-AUTO社のブランドで、1/43サイズでドイツ車中心のクラシックカー、当時のオペルやベンツの乗用車、トラック 農機などのミニカーを製作していました。チィスで一番良く知られているのはクラシックカーのシリーズで、チィスのクラシックカーは金属パーツを使ったがっちりした作りが特徴でした。このジンプレックスはライトやランタンなどにプラスチック部品が使われており、細部まで良く仕上げられていて、チィスのなかでも高度な仕上げがされていました。ジンプレックスの特徴である後輪のチェーン駆動もちゃんと再現されています。 以下はフロントの拡大画像とチェーン駆動部の拡大画像です(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール トノー 'ベルギー王' (タイプ Q) フランス 1905年
初期のパナール ルヴァッソールはダイムラー製のV型2気筒エンジンを搭載していましたが、1895年にはダイムラー製の2気筒1.3L(4HP)エンジンに変わりました。1896年にはダイムラー製の4気筒2.4L(8HP)エンジンが完成し、このエンジンは同年に開催された「パリ-マルセイユ」レースで優勝した車に搭載されていました。さらに1901年には4気筒エンジンを自社開発し、それをベースにした2気筒エンジンも開発しました。1902年にはその4気筒3.6L(12HP)エンジンを搭載したタイプ B12(12CV)や、2気筒1.65L(7HP)エンジンを搭載したタイプ A2(7CV)が発売されました。これらの車には丸いハンドルが採用され、最高速は40㎞/hを超えていました。
1904年にパナールは1000台以上の車を販売しており、当時世界最大の自動車メーカーになっていました。そのころのパナールの主力は小型車から4気筒エンジン搭載の15CV/18CV/24CV/36CV/50CVなどの中/大型車にシフトしており、最大の50CV(タイプQ)は4気筒10.6L(63HP?)エンジンを搭載する高性能高級車でした。1901年にドイツのメルセデスから4気筒6.6L(40HP)エンジンを搭載する高性能高級車メルセデス ジンプレックスが登場し、パナール ルヴァッソールは技術的な優位性がなくなりました。それでもレースでの勝利で得た名声で、ベルギーやイタリアなどの王侯貴族から多数の高級車を受注していたようです。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。MINIALUXEのミニカーは灯火類や操作レバーなどの細部がメッキパーツで再現され、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。これは年式やボディサイズから考えると一番高級なタイプ Qをモデル化しているようです。後席がL字型のソファーのような変わった形状になっています。このシート配列は1902年にベルギー国王のレオポルド 二世が当時の最高級車のパナール ルヴァッソールに架装したのが最初で、このスタイルがしばらく流行したとのことです。その流行からこのようなシート配列のボディ形式のことを「ROI DES BELGES(ベルギー王の意味)」と呼ぶようです。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ネイピア 6 速度記録車 イギリス 1905年
イギリスの技術者デビット ネイピアが1808年に設立した D.ネイピア アンド サン社(D. Napier & Son Limited)は蒸気機関による印刷機を製造し、その後旋盤などのさまざまな精密機器を製造しました。デビットの息子のモンタギューは当時の自動車レースに熱中し、高性能なエンジンを搭載するレースカーを開発しました。その車はレースで活躍し、彼は自動車製造を始めました。1903年に発売した世界初の量産6気筒4.9L(30HP)エンジン搭載車は極めて高性能で商業的に成功しました。その後4気筒エンジン搭載車も追加され、第1次大戦前には年間700台を生産する高級車メーカーとなっていました。
第1次大戦の勃発で自家用車は売れなくなり、軍用車と航空機用エンジンの生産が主流となり、1920年代には自動車の生産が終わりました。ネイピアは第2次大戦まで航空機や船舶用エンジンの生産を続け、戦後の1942年に同業のイングリッシュ エレクトリックに買収されましたが、その後も1960年代まで航空機用エンジンの製造を行いました。現在はネイピア ターボチャージャー社として産業用のターボチャージャーを製造しています。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。ネイピア 6 (6とは6気筒の意味)と呼ばれた当時のレースカーで、1905年にアメリカのオーモンド ビーチで168.41km/hの速度記録を達成した6気筒15L(90HP)エンジン搭載車をモデル化しています。ブルムの初期のミニカーで、実車画像と見比べると、実車がそこそこリアルに再現されていて良く出来ています。(ワイヤースポークホイールが実車画像と違っていますが、ワイヤースポーク仕様の実車画像もありました) ボンネット全体を取り囲む積層された管はラジエーターです。 カーボンブラックを使っていないホワイトタイヤが時代を感じさせます。なおネイピアの量産ミニカーは2023年現在でもこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ダラック V8 速度記録車 フランス 1905年
フランスの技術者アレクサンドラ ダラック(Alexandre Darracq)はミシンの設計で成功し、その後自転車を製造する会社を興しました。彼はその会社を売却してレオン ボレー社の小型車の製造権を購入して自動車の製造を行うダラック社(Automobiles Darracq France)を1898年に設立しました。最初に開発した車は失敗作でしたが、その後に開発した単気筒エンジン搭載の小型車6.5CVは出来が良くイタリアのアルファ ロメオ社の前身の会社がライセンス生産し、ドイツのオペル社ではオペル ダラックとしてライセンス生産されました。(実車画像→ ダラック 6.5CV 1901)
当時のダラックの小型車は評価が高く販売は好調で、レースでも活躍しました。しかし数年後にはライバルの登場で、ダラック車は売れなくなりました。アレクサンドラ ダラックは1904年に会社をイギリスの投資家に売却し、1911年には業績不振の会社を辞職しました。ダラック社は1919年にタルボ社と合併してタルボ ダラック社となり、さらにイギリスのサンビーム社とも合併しサンビーム タルボ ダラック社(STDモーター社)となりました。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。ダラックがレースで活躍していた1905年にフランスの高速道路で175.422km/hの速度記録を達成した車をモデル化しています。この車はスピード記録を達成する為に開発された専用車で、2つの4気筒エンジンをV字型に組合わせた世界初のV型8気筒エンジン(25.4L 200HP)を搭載していました。V字に折れ曲がったラジエターをフロントに配置し、エンジンの上にある砲弾型のタンクから冷却水を給水していました。ブルムの初期のミニカーで、実車画像と見比べると細部が多少異なりますが、V型8気筒エンジンなど実車が結構リアルに再現されていて良く出来ています。(鮮やかな青のカラーリングはブルムの脚色だと思いますが) 同時代のイギリスのネイピア 6 速度記録車と同様にカーボンブラックを使っていない初期のホワイトタイヤが再現されています。 これ以外のダラックのミニカーはガマのオペル ダラック、ドゥグー(DUGU)のオペル ダラックなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 24HP リムジン イタリア 1905年
1905年当時のフィアットの上級車としては24/32HPと60HPがありました。24/32HPは前述した16/24HPの上級車で、1903年に登場しました。60HPは当時の最上級車で1904年に登場しました。24/32HPは当初4気筒6371㏄(32HP)エンジンを搭載していましたが、その後排気量を6902㏄、7363㏄に拡大していきました。ホイールベースはショート、ミディアム、ロングの3タイプがあり、全長は約4m-4.4mでした。車重は約1.7tで4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し、最高速75km/hの性能でした。
また24/32HPはフィアットとして初めてランドレー形式(幌付の密閉式客室)のボディを採用したそうです。当時の自動車メーカーはシャーシしか製作しておらず、ボディを架装するのは馬車時代からの伝統があるカロッツェリアの仕事でした。したがってこの時代はユーザーが自分好みのボディを個別に注文できたので、16/24HPで初めてランドレー形式のボディを採用したといってもフィアットの標準ボディだったわけではありません。24/32HPは1905年まで生産され、総生産台数は約400台でした。
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。これは24/32HPに半密閉型のリムジンタイプのボディを架装した車をモデル化しています。フィアットのロゴが付いたフロントグリル、ガラスの付いたウィンドーシールド、灯火類などの細部がリアルに再現されていてとても良い出来ばえです。ステアリングホイールの造形で、ホーン操作部とスカットル右横に付いたクラクション本体とを接続する管をコイルスプリングで表現しているのは面白いやり方です。床下部分ではサスペンション/ドライブシャフト/後輪駆動チェーンがリアルに再現されています。実際にこのようなカラーリングの車があったかどうかは?ですが、緑と赤のカラーリングが綺麗です。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分/後輪チェーン駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)