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バンウォール F1 イギリス 1957年
ベアリング会社バンダーベル(VANDERVELL)社の創業者トニー バンダーベル(Tony Vandervell)はレースマニアでBRM(British Racing Motors)を支援していました。彼はフェラーリのレースカーを購入して改良し、自社のベアリングの商標であるシンウォール(THINWALL)を冠した「Thinwall Special」(シンウォール スペシャル)の名前でプライベーターでレースに参加するようになりました。1954年にはレースカー製作に乗り出し、バンダーベルとシンウォールを合成したバンウォールという名前を自社開発のレースカーに付けました。
最初のバンウォールは、バイクで有名なノートン社の4気筒2Lエンジンをクーパーのシャーシに搭載したもので、1954年に登場しました。当初は勝てませんでしたが、ロータス社のコーリン チャップマンの協力でシャーシを改良し、エンジンを2.5Lに拡大するなどして競争力を上げていきました。1956年のベルギー GPでは4位となり、結果を出しました。(実車画像→ バンウォール F1 1954)
1957年にスターリング モスがドライバーに加わり、イギリス GPで初勝利を挙げました。その後のペスカーラ GP、イタリア GPでも優勝し、フェラーリやマセラティを脅かす存在となりました。1958年にはスターリング モスとトニー ブルックスが共に3勝して、シリーズ11戦中6勝の成績でコンストラクターズ チャンピオンとなりました。ただこの頃に創業者トニー バンダーベルが健康を害したことで、レース活動は1958年限りとなりました。バンウォールの活躍はクーパー、BRM、ロータスなどのイギリス勢のF1マシンが台頭する先駆けとなりました。
ミニカーは1993年頃に発売されたブルム製です。1958年のイタリア GPでリタイアした #26(ドライバー S.モス)をモデル化しています。(優勝したのは#28 ドライバー T.ブルックス) 上記の実車参照画像と見比べると、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。ブルムはこれ以外にもバンウォール F1のミニカーを数車種モデル化していました。それ以外のバンウォール F1のミニカーはディンキー(英)の当時物、コーギーの当時物、ソリドの当時物、ポリトーイの当時物などがあり、当時の老舗ブランドが揃ってモデル化していることから、当時のバンウォール F1の人気が高かったことがわかります。当時物以外ではスパーク(レジン製)とTECNO MODEL(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プリンス (日産) スカイライン ALSI-1型 日本 1957年
プリンス自動車工業は1947年に「東京電気自動車」として創立され、最初は「たま」というブランドで電気自動車を製造していました。その後ガソリン自動車開発に進み、1952年から「プリンス自動車工業」という名前に改名しています。(平成の天皇が皇太子となられたことを記念してプリンスと命名) 同年に最初の車プリンス セダン AISH型とトラックAFTF型が発売されました。
プリンス セダンAISH型は4気筒1.5L(45HP)OHVエンジンを搭載する小型車で、4段変速で最高速110km/hの性能でした。4段コラムシフト、油圧ブレーキなど当時の国産車としては進んだ内容の車でした。AISH型はエンジンやボディが毎年改良され、1957年にはAISH-VI型まで発展しました。なおAISH型は平成の天皇(当時は皇太子)にマイカーとして1954年に献上されました。1956年には前輪独立懸架を採用したプリンス セダン スペシャル AMSH型が追加されました。
1957年にAMSH型をベースにしてスカイライン ALSI-1型が登場しました。プリンス セダンと同じ4気筒1.5L(60HP)エンジンで、4段変速で最高速125km/hは当時の国産車で最速でした。スカイライン ALSI-1型はエンジンのパワーアップ、1960年の4灯式ヘッドライトの採用などで2型-3型と発展し、1961年にはグロリア用の1.9L(70HP)エンジンを搭載した1900(BLSI型)が追加されました。また1962年にはミケロッティがデザインしたスタイリッシュなクーペ/コンバーチブル ボディを持つ高級スポーツカー スカイライン スポーツが発売されました。(実車画像→ プリンス スカイライン スポーツ) また商用車(バン/ピックアップ)の スカイウェイもありました。スカイライン ALSI-1型も1958年に平成の天皇(当時は皇太子)に納入されましたが、その車は1959年に発売されたグロリア用の1.9Lエンジンを搭載したプロトタイプだったとのことです。(スカイライン 1900としてモーターショーに展示された試作車) 1963年にスカイライン 2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2008年に発売された日産名車コレクションのプリンス スカイライン ALSI-1型(1/43 No.3)です。 メーカーはノレブでフロントグリルやテールフィンなどの細部が結構リアルで、実車の雰囲気をうまく再現しています。安価な雑誌付きのミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。初代スカイラインの当時物ミニカーはモデルペットがALSI-1型を、ミクロペットが4灯式(ALSI-2型)をモデル化しています。最近の物では、ファインモデル(アンチモニー製)のALSI-2型とBLSI型、トミカ リミッテドのALSI-1型、ハイストーリー(レジン製)のBLSI型などがあります。またスカイライン スポーツはモデルペットが当時物でモデル化していて、最近では京商とエブロもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ トヨペット コロナ ST10型 日本 1957年
当時の自動車の需要はタクシー用途が多く、小型タクシーでは日産のダットサン 110/210型が市場を握っていました。この日産小型車に対抗するために開発されたのがコロナで、初代ST10型は1957年に登場しました。タクシー用に開発されたトヨペット マスターのボディを流用したモノコックボディとクラウンの足回りを流用したシャシーにトヨペット SA型の4気筒1L(33HP)のS型エンジンを搭載していました。3段変速で最高速は90km/hの性能でした。ボディは丸みを帯びたやや古くさいデザインで、「ダルマ コロナ」と呼ばれました。
1959年のマイナーチェンジで4気筒1L(45HP)の新しいP型エンジンに変更しPT10型となり、最高速は105km/hに向上しました。また後席を拡大し、乗車定員が4名から5名に増加しました。なおコロナの商用車(2ドアのバン)はコロナラインという名前で発売されました。ST10型は急いで開発された為、ハードの詰めが甘く、当初搭載された古いエンジンによるパワー不足などもあってダットサンの小型車に対抗できませんでした。1960年にコロナ PT20型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1970年代に個人コレクターが起ち上げたブランドのリーンレプリカ製です。リーンレプリカは1/43のホワイトメタル製ミニカーで、初期の国産車を6車種モデル化していました。個人が私費を投じて製作していたのでコストがかけられず、ウィンドーや室内の造形は省略されて初期のビンテージミニカーのような素朴な造りです。ただそれまで一度もモデル化されていなかったコロナ ST10をモデル化したということに個人の思い入れが感じられます。(コレクター仲間として私も購入させていただきました) 材質の関係でやや厚ぼったい感じがしますが、実車の雰囲気が良く再現されていると思います。最近になって国産名車コレクションの1/43と1/24でもコロナ ST10がモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日野 ルノー 日本 1957年
日野自動車は現在は大型/中型トラックの製造メーカーですが、母体は1910年代に設立されたガス/電気器具を生産する東京瓦斯(がす)電気工業でした。同社は1918年に日本初の自動車生産を行いました。同社自動車部は1930年代に大型車生産を強化する国策で自動車工業と共同国産自動車と合併して東京自動車工業(後にヂーゼル自動車工業に改称)を設立しました。1942年にヂーゼル自動車工業の日野製造所が独立して日野重工業となり、戦車などの軍用車を生産しました。第2次大戦後に民需転換し、大型ディーゼルトラック/バス/ディーゼルエンジンを生産する日野産業となり、1948年に日野ヂーゼル工業に改称しました。その後1959年に日野自動車工業に改称し1966年にトヨタと業務提携し、1999年に工販合併により現在の日野自動車となりました。
日野ヂーゼル工業はフランスのルノーと技術提携して1953年からルノー 4CVのノックダウン生産を始めました。日野 ルノーは4気筒748cc(21HP)エンジンをリアに搭載した後輪駆動の4ドアセダンで、3段変速で最高速100m/hの性能でした。1958年には日本向けに改良されて国産化が完了し1963年に生産が終了しました。総生産台数は約35000台でした。日野 ルノーは操縦性に優れサイズが小さいので取り回しが楽なことからタクシーとして多く使われました。この車の国産化によって得られた技術を生かして、日野自動車は独自設計したコンテッサ 900を1961年に発売しました。
ミニカーは2008年に発売された国産名車コレクション製です。国産名車コレクションの初期物なので、メーカーはノレブです。ノレブは本家のルノー 4CVをモデル化していますから、それを流用していると思います。プロポーションが良く特徴のあるフロントの顔付きやモール類などの細部がうまく再現されていて、なかなか良く出来ています。鮮やかな青のカラーリングも綺麗です。ただしヘッドライトが黄色になっているのは、日野 ルノーの仕様ではないと思います。ノレブは自社ブランドでも型番513222でこれと同じ物を発売しています。これ以外の日野 ルノーのミニカーはインターアライド のコールドキャスト品、当時のヱスビー食品が新製品のガーリックパウダーの販促キャンペーン用として製作したガーリックカー(タクシー)をモデル化したインターアライド のコールドキャスト品、デアゴスティーニ(イクソ製)の世界のタクシーシリーズなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック ロードマスター アメリカ 1958年
ビュイックはGMではキャディラックに次ぐ高級車ブランドです。1958年のビュイックのフルサイズには下位グレードからスペシャル/センチュリー/スーパー/ロードマスター/スカイラーク(パーソナルクーペ)の5シリーズがありました。アメリカ車では1950年代後半に丸形2灯式ヘッドライトの4灯化が始まり、GMは1958年に全ブランドが一斉に4灯式ヘッドライトを採用しました。ビュイックも1957年から登場した第7世代が1958年に4灯式ヘッドライトを採用して、フロント周辺のデザインが大幅に変更されました。
1958年式のフロントグリルは水平基調になりヘッドライトにひさし(眉)がつき、そのひさしの縁がサイドのクロームのラインにつながっていました。リアサイドの派手なモールはリアの大きなテールフィンと一体化していました。フロントグリルの中央にはV字をあしらったエンブレム、左右のフェンダー上にも同じモチーフのエンブレムがあり、これは見た目からGunsight(銃の照準器)と呼ばれていたそうです。ロードマスターはV型8気筒6L(250-300HP)エンジンを搭載し、3段自動変速で最高速180km/h(250HP)の性能でした。1959年のモデルチェンジでロードマスターはエレクトラに名称変更されました。(実車画像→ ビュイック エレクトラ 1959)
ミニカーは1993年頃に発売されたビテス製です。最上級グレードのビュイック ロードマスター 2ドアハードトップをモデル化しています。ビテスは1950-1960年代のアメリカ車を10数種類モデル化していましたが、これはその1台です。この時代のアメリカ車は大きくて派手なデザインが魅力なのですが、このビュイックも派手なフロントグリル、テールフィンなど実車のイメージがうまく再現されていました。またグリル中央、左右フェンダー上のエンブレム、室内などの細部も良く再現されています。バリエーションでコンバーチブル仕様もありました。同時期のビュイックのミニカーはこのビテスの型を流用しているらしいマッチボックス、サンスターの1/18、ニューレイなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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