Sorry Japanese Only
トヨタ パブリカ UP10型 日本 1961年
当時の通産省が検討していた国民車構想に沿って企画された小型車が1961年に登場したパブリカでした。車名はパブリックカー(Public car)からの造語で一般公募で選ばれました。軽量なフルモノコックボディに新開発のOHV強制空冷水平対向2気筒697cc(28HP)エンジン(U型)を搭載し、4段変速で最高速110km/hの性能でした。デザインは同時期のコロナ 2代目と良く似ていて、シンプルで良いデザインでした。
初期のパブリカはラジオ、ヒーターはもちろんフェンダーミラーすら無いという徹底した簡素化で38.9万円という低価格を達成していましたが、この実用一辺倒の仕様はあまり支持されませんでした。そこで1963年にラジオ、ヒーターなどを装備しクロームモール装飾を施したデラックス仕様(UP10D型)や、オープンカー仕様のコンバーチブルが追加され、人気を回復させました。1964年にはバンやトラックの商用車も設定されました。
1965年にパブリカをベースにした小型スポーツカーのスポーツ 800が登場しました。パブリカは1966年に排気量を800cc(36HP)に拡大し、ドライブトレーンや外観形状を変更する大幅な仕様変更が行われ、UP20型に変わりました。(実車画像→パブリカ UP20型) 販売価格を36万円に下げて当時の為替レート(1ドル=360円)では1000ドルになるため、1000ドルカーというキャッチフレーズで宣伝されました。1969年にパブリカ 2代目(KP30型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは2002年に発売されたエブロ製で、初期型のUP10型をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントの造形がなんとなく安っぽい感じのする初期型のイメージをうまく再現していて、非常に良い出来ばえです。室内も良く再現されていて、フェンダーミラーが付いていないのも実車どうりです。当時物ミニカーとしてはモデルペットのUP10型とダイヤペットのUP20型がありましたが、どちらもレア物です。最近の物では国産名車コレクションのセダンとコンバーチブル、トミカ リミッテド、コナミの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=966
三菱 500 日本 1961年
戦前に三菱 A型を製作した経験のあった三菱重工業は終戦後の財閥解体で東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業の3社に分離されました。東日本重工業はアメリカのカイザーナッシュ社と提携し、コンパクトカー ヘンリー Jのノックダウン生産を1950年から始めました。1953年に東日本重工業、中日本重工業は三菱日本重工業、新三菱重工業に車名変更し、1953年に新三菱重工業でウィリス ジープのノックダウン生産が始まりました。1954年にはヘンリーJの本国での生産中止によりノックダウン生産が終わりました。(実車画像→ カイザー ヘンリー J)
新三菱重工業は独自で自動車開発に着手し、水島自動車製作所(岡山県)が開発した軽3輪トラックのペット レオが1959年に発売されました。ペット レオは密閉式キャビンを採用し、4サイクル単気筒310cc(12HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速74km/hの性能で軽3輪車では最速でした。ペット レオは1962年まで生産されました。(実車画像→ 三菱 ペット レオ)
1960年に新三菱重工業(名古屋自動車製作)は乗用車の三菱 500を発売しました。全長3.14m全幅1.39mの4人乗り小型車で、ボディはドイツのゴッゴモビルを参考にしたそうです。空冷4サイクル2気筒OHV 493cc(21HP)エンジンをリアに搭載するRR車で、3段変速で最高速90km/hの性能でした。モノコック構造のボディに全輪独立懸架サスペンションと、技術的には非常に先進的な車でした。当時の価格は39万円で1961年にはエンジンを594cc(25HP)に拡大しました。ただあまり人気がなかったそうで、1962年にはコルト 600に切り替わりました。コルト 600は500のボディーを拡大したもので、基本構造はそのままだったようです。(実車画像→ 三菱 コルト 600)
ミニカーは2012年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはイクソで、実車の雰囲気がうまく再現されていてなかなか良い出来ばえです。この車がミニカーになったのはこれが初めてで、この車をモデル化したことは国産名車コレクションの面目躍如といったところでした。(初期の国産名車コレクションはレアな車種を選択していました) なお量産ミニカーではないですが、三菱 500にはこの車の愛好者クラブが作成した少量生産ミニカーがありました。たぶん世の中にはこのような愛好者によって製作されたあまり知られていないミニカーが結構あると思います。 軽3輪トラックのペット レオは京商が1/43のポリストーン製ミニカーを2000年に発売しています。またトミカ リミッテドもレオをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1029
三菱 ジープ J30型 日本 1961年
第2次大戦後アメリカ軍が日本で軍用車を調達する為に、ウィリス製ジープを当時の中日本重工業(三菱重工業の前身)に生産させることになったのが、三菱製ジープの始まりでした。この車は戦後の警察予備隊(現在の自衛隊)で使用する小型トラックとしても採用されることになり、1953年からウィリス ジープ CJ3A型のノックダウン生産が始まりました。当初は左ハンドルでしたが、その後ウィリス製エンジンを国産化するなどして1955年にジープは国産化されました。
当初の三菱 ジープの型式はJ1型で、構造はジープと同じはしご形フレームにリーフリジッド サスペンションで、パートタイプの4輪駆動方式でした。その後国産化された時の型式はJ3型となりました。1957年にエンジンをディーゼル化(2.2L 61HP)して世界初のディーゼルエンジン搭載ジープ JC3型が登場しました。1961年には右ハンドル仕様のJ3R型が追加されました。
その後2ドア ステーションワゴンやロングホイールベースで6人乗りの4ドア ステーションワゴンなどの日本独自のバリエーションが追加され、三菱のジープは防衛庁以外にも販売されました。1982年に一般ユーザー向けのパジェロが登場したことで、ジープは車種が縮小されました。1996年に防衛庁向けジープがパジェロ 2代目をベースにした73式小型トラックに切り替わり、ジープは1998年に生産中止となりました。(実車画像→ 三菱 73式小型トラック)
ミニカーは2009年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはイクソで、4ドアステーションワゴンのJ30型をモデル化しています。全体的に実車の雰囲気がうまく再現されていて、フェンダーミラーや灯火類などの細部も良く再現されています。安価な雑誌付きミニカーとしては、申し分のない出来ばえでしょう。また三菱 ジープの乗用車タイプのミニカーはこれしかないので、車種的に貴重なミニカーでもあります。なお色違いの同じものがFIRST43でも販売されていますが、イクソ ブランドでは販売されていないようです。これ以外の三菱 ジープのミニカーとしては、トミカやトミカ ダンディのJ3R型、エイダイ グリップのJ52型などがありますが、すべてショートホイールベースをモデル化しています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1931
日産 ダットサン ブルーバード 311型 日本 1962年
ダットサン 211型の後継車の310型は、ブルーバードという名前で1959年に登場しました。(名前はメーテルリンクの童話「青い鳥」にちなんだものでした) 信頼性の高いトラックの低床式ラダーフレームにセミモノコックボディを載せた構成で、前輪独立懸架を採用したことで、乗用車としての乗り心地や操縦性を向上させていました。エンジンは211型を踏襲した4気筒988cc(34HP)/1.2L(43HP)が搭載され、3段変速で最高速111km/h(1.2L)の性能でした。
1960年のマイナーチェンジで311型となり、日本初のフルシンクロメッシュ変速機が採用され、日本初の5ドアエステートワゴンが追加されました。1961年のマイナーチェンジで312型となり、日本初の女性仕様車「ファンシーデラックス」(ウインカー作動時に鳴るオルゴール、サンバイザー組込みのバニティーミラー、傘立てなどを装備していた)が追加されました。1963年にブルーバード 410型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1962年に発売されたモデルペットの当時物で、311型をモデル化しているようです。60年以上も前のミニカーなので、ライトやフロントグリルが塗装処理された素朴な作りですが、プロポーションが良くシンプルな310型のスタイルをうまく再現していて当時のミニカーとしては良く出来ていました。当時物ではミクロペットもありましたが、滅多に見ることができないレア物です。当時物以外のミニカーとしてはトミカ リミッテドで1Lと1.2Lの2タイプがモデル化されており、国産/日産名車コレクション(ノレブ製)の1.2Lもあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=911
トヨタ トヨペット トヨエース PK20型 日本 1962年
1954年に4気筒1L(30HP)エンジンをシート下に配置するセミキャブオーバー方式の小型トラック トヨペット ライトトラック(SKB型)が登場しました。(実車画像→トヨペット ライトトラック) この小型トラックは1956年に公募によりトヨペット トヨエースと名前が付きました。トヨエースは1950年代に主流となっていた3輪トラック(オート3輪)に対して操縦性や居住性が優れていたので、瞬く間に3輪トラックを駆逐して大成功を収めました。
1959年にトヨエース 2代目(SK20)が登場しました。エンジン搭載位置を下げてコラムシフトを採用しベンチシートの3人乗りとなりました。運転席全体が前方に傾いて開く整備性の良いチルトキャブを採用していました。当初のエンジンはS型4気筒1L(33HP)でしたが、1959年にP型4気筒1L(45HP)に変わりました。そのS型エンジンを1.2Lに拡大した1.25t積み、1963年にR型1.5L(70HP)エンジンに変更した1.5t積みが追加されました。マイナーチェンジの度にフロントの意匠が変更され、最終型は丸型4灯式ヘッドライトが採用されました。1971年にトヨエース 3代目(Y10)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1962年に発売されたモデルペット製の当時物です。60年以上も昔に作られたものですが、かなり良い保存状態だったものをオークションで入手しました。モデルペットは朝日玩具が1959年から始めたブランドで、国産初のダイキャスト製ミニカーでした。モデルペットはいずれも出来が良く、このトヨエースも当時物としてはリアルな作風で良い出来ばえになっていました。型番101で幌無しの1959年式が作られていて、この幌が付いた型番102は1962年式でフロントグリルが変更されています。ドア開閉などのギミックはありませんが、幌を外すことができます。トヨエース 初代のミニカーはプラモデルメーカーのナガノが「MODEL LINE」というブランドでホワイトメタル製少量生産品を発売していました。トヨエース 2代目のミニカーはトミカ リミッテドの1/64、トミーテックの1/150、エブロなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1661
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.