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イスズ ベレット MX1600 日本 1969年
現在のいすゞ自動車はトラックとバスしか生産していませんが、1990年代までは乗用車も生産していました。(以後 いすゞをイスズと表記します) 1960年代の高性能なベレット 1600GT タイプ Rは人気があり、ツーリングカーレースに参戦していました。1969年には117 クーペ用のDOHC 4気筒1.6Lエンジンをミドシップ搭載した本格的なレーシングカー イスズ ベレット R6を開発して、1969年日本GPに参戦しました。(結果は周回数不足で未完走扱いでした) (実車画像→ イスズ ベレット R6)
1969年の東京モーターショーでミドシップエンジンの2シーター スポーツカー ベレット MX1600が公開されました。 (実車画像→ ベレット MX1600) レーシングカーのイスズ ベレット R6をベースにしていて、ボディはカロッツェリア ギアのデザインでした。直線的なエッジの効いたデザインで、リトラクタブルヘッドライトを採用していました。この車は量産化に向けてヘッドライトを丸形4灯式に変更するなど改良されたII型が、1970年の東京モーターショーで公開されました。結局この車は量産化されなかったのですが、もし市販されていたら日本初のミドシップ スポーツカーになっていました。
ミニカーは1972年に発売されたダイヤペット製の当時物です。1970年に公開されたベレット MX1600 II型をモデル化しています。プロポーションが良く、4灯式ヘッドライト、その上にあるボンネット上のスモールランプ(プラ製の別パーツ)、テールライトなど当時のダイアペットとしてはリアルな仕上げがされていました。フロント/リアカウル/ドアが開閉するギミック付きで、シート背後にミドシップ搭載したエンジンが再現されています。実車の知名度が低かったのであまり売れなかったようですが、この当時のダイヤペットの傑作ミニカーの一つと言えるでしょう。MX1600のミニカーは最近までこのダイヤペット製しかなかったのですが、2010年にCAMがレジン製でI型とII型の両方をモデル化しています。なおイスズ ベレット R6はエブロがレジン製(製造はスパークとのこと)でモデル化しています。 以下はダイヤペットのフロント/フロントパネルを開いた画像とリアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスズ BU06型 バス 東京都営バス 日本 1969年
戦前の川崎航空機工業が戦後に川崎産業と改称し、バス車体製造を始めたのがいすゞバス製造の始まりでした。1950年にいすゞ自動車と提携し、その後同業他社との合併などで社名は何度か変わっていますが、主要な国産バス製造メーカーでした。1995年にいすゞバス製造に社名変更し、1997年にはいすゞ自動車の100%子会社となりました。2003年に日野自動車といすゞ自動車のバス部門が統合されジェイ バスが発足し、現在いすゞバス製造はジェイ バスの宇都宮事業所になっています。
1960年代にはBU系大型バスが登場し、1960-1970年代に路線バスや観光バスとして使われました。特に川崎車体が架装した高速観光バスはその独特の?線型ボディとフロントウインドー形状の見た目から「オバQ バス」と呼ばれました 1980年にBU系の後継車のC系が登場しました。(「オバQ」を知らない人はWEBで検索してください) (実車画像→ BU系観光バス オバQ バス)
ミニカーは1973年に発売されたダイヤペット製の当時物です。BU06型の低床式都営バスをモデル化しています。箱には縮尺1/40と明記されていますが、ミニカーの寸法から逆算すると1/45から1/50ぐらいとなりますので、当サイトでは1/50ということにしています。当時の都バスのカラーリングや「ワンマン」などの各銘板が再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。折り戸ドア/リアスライドドア/リアパネルが開閉するギミック付きで、さらにボディを傾けることで前輪の操舵もできます。ボディ側面の青ラインや各銘板は紙のシールなのですが、このミニカーは保存状態が良いのできれいな状態です。(リアのナンバープレートは最初から付いていたオリジナルです) バリエーションとして大阪市営バス仕様(実在しないようですが)と幼稚園バス仕様もありました。 以下はフロントの拡大画像と折り戸ドア/リアスライドドア開閉ギミック動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スズキ キャリイ バン 日本 1969年
スズキ株式会社の始まりは1909年に創業した鈴木式織機製作所で、自動織機、精密機械を製作する会社でした。同社は事業の多角化を図りオートバイの開発を始め、1954年に社名を鈴木自動車工業に変更しました。1955年にドイツの超小型車ロイトを参考にして四輪軽自動車スズライトを発売しました。スズライトは空冷2ストローク2気筒360㏄(16HP)エンジンを搭載した前輪駆動車で、4人乗りの四輪軽自動車でした。
スズライトの商用車として軽トラック スズライト キャリー 初代(FB型)が1961年に登場しました。空冷2ストローク2気筒360㏄(21HP)エンジンを搭載するセミキャブオーバーの後輪駆動車でした。1964年にはバンが追加され、低価格で信頼性の高い軽商用車として成功しました。1965年にエンジンや足回りを改良した2代目(L20型)にモデルチェンジしました。(実車画像→スズキ スズライト キャリー 初代)
1966年に3代目(L30型)が登場し名前がキャリーに変更されました。(2代目(L20型)も1969年まで併売されました) 基本構造は先代をベースにしていましたが、キャブオーバーのデザインとなりました。1968年にバンが追加されました。(実車画像→スズキ キャリー1966)
1969年にキャリー 4代目が登場しました。先代と同じ2ストローク2気筒360㏄(25HP)エンジンを搭載する後輪駆動車で、「韋駄天キャリー」のキャッチフレーズが付いていました。最大の特徴はイタルデザインのG.ジウジアーロがデザインしたスマートなボディでした。特にバンは当時の軽商用車としては抜群にセンスの良いスタイルでした。(ただしリアウィンドーにも傾斜が付いているので、荷物積載量的には不利でしたが) なお同時期に登場したフロント クーペもG.ジウジアーロがデザインしたプロトタイプがベースになっていて、実にかっこいい軽自動車でした。1970年にキャリーをベースにした電気自動車が開発され大阪万博で使用されました。1972年に5代目にモデルチェンジしました。(実車画像→スズキ キャリー1972) なお現在のキャリー 11代目(2013年発売)は軽トラックのみで、軽ワンボックス(乗用/商用)はエブリイに名前が変わっています。
ミニカーは2011年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製で、メーカーはイクソです。このような地味な商用車がモデル化されることは少ないのですが、G.ジウジアーロがデザインした特徴的なデザインでキャリー 4代目の知名度が高いことがモデル化された理由でしょう。横から見ると前後が分かり難い?個性的でセンスの良いボディがうまく再現され、とても良く出来ています。灯火類、アウターミラー、室内のインパネなどの細部も良く再現されています。2023年現在もキャリー 4代目のミニカーはこれしかありません。それ以外のキャリーのミニカーはトミカの7代目のトラック 1/55と10代目のトラック 1/55と11代目のトラック 1/55、懐かしの商用車コレクションの7代目のトラックなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 スカイライン 1800 C10型 日本 1970年
日産と合併後のプリンス初の新型車がスカイライン 3代目(C10)で、1968年に登場しました。先代のデザインを発展させたプリンス色の強いデザインで、サイドのサーフィンラインが特徴でした。エンジンも先代譲りの4気筒1.5L(G15型 88HP)で、3/4段変速で最高速160km/hの性能でした。サスペンションは前輪がマクファーソンストラット/コイルの独立懸架で後輪はリーフリジッドでした。当初は4ドアセダンとワゴン(バン)だけでした。
1968年にエンジンルームを拡大したロングノーズに日産の6気筒2L(L20型 105HP)エンジンを搭載し、後輪を独立懸架に変更した高性能版の2000GTが追加されました。1969年のマイナーチェンジで前後グリルが変更され、ローレルに採用された4気筒1.8L(G18型 100HP)エンジンが追加されました。さらに先代の2000GT-Bの後継車としてDOHC 6気筒2L(S20型 160HP)エンジンを搭載したGT-R 初代(PGC10型)が1969年に登場しました。この3代目から「愛のスカイライン」というCMコピーが使われ、C10型は「ハコスカ」の愛称で呼ばれています。1972年にスカイライン 4代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。ダイヤペットのスカイライン 3代目の最初のミニカーは、1970年に型番180で2000GTが発売されました。このミニカーはフロントグリルの意匠が2000GTながら、ロングノーズではなく1800のショートノーズとなっているというモデル化のミスがあり、発売して直ぐに販売中止となりました。その後型番180は前後のパネルを変えて、スカイライン 1800として型番225で発売されました。一般的に昔のミニカーは最上級グレードをモデル化するのですが、この中間グレードの1800がモデル化されたのはこのような経緯があったからでした。なおロングノーズの2000 GT-Rは型番201で1970年に発売されました。スカイライン 3代目の当時物ミニカーはダイヤペットしか無く、当時物以外ではアドバンスピリットのワゴン/バン、トミカ リミッテドの1800/2000セダンとバン、エブロの2000GT、ハイストーリー(レジン製)のバンなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 スカイライン 2000 GT-R KPGC10型 日本 1970年
1969年にプリンス スカイライン 2000GT-Bの後継車として、レーシングカーR380用エンジンをベースにしたDOHC 6気筒2L(S20型 160HP)エンジンを搭載した、スカイライン GT-R 初代(PGC10型)が登場しました。GT-Rはレースに出場することを前提として作られた特殊な車で、ラジオさえオプション品となっていました。スカイラインには1970年のマイナーチェンジでホイールベースを短縮した2ドアハードトップが追加され、その際にGT-Rは2ドアハードトップ(KPGC10型)に切り替わりました。GT-Rは1972年までの3年間でツーリングカーレースで49連勝する大記録を残しました。
スカイライン 3代目はその後もエンジンのパワーアップなどの改良が行われました。GT-Rをイメージリーダーとする販売戦略が当たり、スカイライン 3代目は高性能なファミリーカーとして大ヒットし、ブルーバードを凌ぐほどの人気車種となりました。1972年にスカイライン 4代目にモデルチェンジしました。GT-Rの販売台数はPGC10型が約800台、KPGC10型が約1200台でした。
ミニカーは2001年に発売されたエブロ製です。エブロらしい正確なプロポーションに加えてセンスの良い微妙なデフォルメが施されてかっこよく仕上げられています。フロントグリルや灯火類はリアルにできていて、彩色された室内もそこそこ良く再現されています。最近の高価で少量生産のレジン製を別にして、スカイライン GT-R(KPGC10)の1/43量産ミニカーではたぶん一番出来が良いと思います。(京商の1/43も同等レベルで出来が良いですが) スカイライン GT-R 初代の当時物ミニカーはダイヤペット、モデルペット、トミカなどがありました。当時物以外ではオートアートの1/18、京商の1/18と1/43、国産名車コレクション、トミカ リミッテド、エブロ、イグニッションモデル(レジン製)の1/12と1/18と1/43、アイドロン/VISION(レジン製)の1/43など、レース仕様も含めて約400点もあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)