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アウディ 100S クーペ ドイツ 1970年
戦前に設立されたアウトウニオン社は第2次大戦中は軍用車両の生産を行いました。敗戦したドイツは東西に分断され、アウトウニオン社の主要な工場は東ドイツ側にあったので東ドイツの会社に統合されました。1947年に西ドイツのアウトウニオンの子会社が新生アウトウニオンを創立し、戦前のモデルをベースにしたDKW車を生産し始めました。1958年にダイムラー ベンツ社がそのアウトウニオン社を買収し、その後1964年にフォルクスワーゲン社がアウトウニオン社を傘下に収めました。
1965年にDKW F102の2ストロークエンジンを4ストロークに変更したアウトウニオン アウディ 75 (F103)が登場しました。(実車画像→アウトウニオン アウディ 75 1965) この車は後にアウトウニオンの名前が外れて、復活したアウディの最初のモデルとなりました。(この時点でDKWブランドは消滅しました) アウディ 75は4気筒1.7L(75HP)エンジンを縦置きする前輪駆動の中型セダンで、ワゴンのバリアントや高性能版のスーパー 90などが追加されました。1968年にはフォルクスワーゲン グループの最上級車としてアウディ 100が登場しました。(実車画像→ アウディ 100) アウディ 100は4気筒1.8L(100HP)エンジンを搭載した中型の前輪駆動車で、シンプルで品の良いデザインが特徴でした。当初はセダンだけでしたが、1970年に1.9L(115HP)エンジンを搭載するファーストバックのクーペが追加されました。アウディ 100は1975年に2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーはドイツのメルクリン製の当時物です。アウディ 100 クーペをモデル化しています。メルクリンは鉄道模型の老舗メーカーで、1950-1970年代にはダイキャスト製ミニカーも作っていました。フロントの造形は実車のイメージ通りですが、キャビン後部の形状が実車とは少し違う感じで、より低く伸びた感じになっています。これはメルクリン流のデフォルメなのだと思います。ホイールは当時の流行だった走らせることを重視したフリーホイールになっていました。ドア/ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、この開閉ギミックはヒンジ部に板バネを使うことで閉じたときの立付けが良くメリハリの効いた開閉動作を実現していました。メルクリンは型番1821で4ドアセダンもモデル化していました。これ以外のアウディ 100の当時物ミニカーはシュコーのセダンとクーペ 1/66、ジクのセダン 1/60などがありました。当時物以外ではミニチャンプスのセダンとクーペ、ヘルパのセダンとクーペ 1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 80 GL (B1) ドイツ 1972年
前述したように1965年に復活したアウディの最初のモデルはDKW F102をベースとしたアウディ 75 (F103)で、縦置きエンジンによる前輪駆動車でした。1972年に登場したアウディ 80はそのアウディ 75の後継車で、4気筒1.3L/1.5Lエンジンを縦置き搭載した前輪駆動の小型車でした。この車はフォルクスワーゲンが次世代の主力モデルとして開発し1973年に登場したフォルクスワーゲン パサートのベースとなった車でした。アウディ 80は一般的なノッチバック セダンでしたが、パサートはハッチバック セダンでした。
デザインはイタルデザインのG.ジウジアーロによるもので、シンプルな面構成でバランスの良いデザインでした。2ドア/4ドアセダンと5ドアワゴンがありました。エンジンは4気筒1.3L/1.5L(85HP)が搭載され、標準モデルは2灯式で上級グレードは4灯式ヘッドライトでした。1973年に1.6L(100HP)エンジン搭載の高性能版80GTが追加されました。1973年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。1977年のマイナーチェンジでヘッドライトが角形に変更されました。1978年に2代目(B2)にモデルチェンジしました。(実車画像→ アウディ 80 1978)
ミニカーは1973年に発売されたシュコー製の当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。その1/43のダイキャスト製ミニカーはこのアウディ 80あたりから始まったもので、フロントグリル全体をメッキしたプラスチックパーツで造形する当時のシュコー独特の作風は、斬新で目新しい出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、可動部の隙間は小さく動作はスムーズでドイツ流の緻密な作りになっていました。(なお初期の物は塗装の質が良くないものがありました) アウディ 80の当時物ミニカーはこれぐらいしかなく、当時物以外ではミニチャンプス、ブレキナの1/87、Bブラーゴの1/24などがあります。 以下はフロン/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 50 GL ドイツ 1974年
アウディ 50はフォルクスワーゲン ポロの姉妹車で、小型車クラスの市場調査用としてポロに先行して1974年に登場しました。アウディとしては前身のアウトウニオンが併合したNSUの小型車プリンツの後継車という位置づけでもありました。NSUのデザイナーによるシンプルな3ドアハッチバックはポロと同じデザインで、違いはアウディのエンブレムぐらいでした。当初は4気筒1.1L(50HP)エンジンを搭載し、4気筒895cc(40HP)エンジンを搭載するポロより車格が上で、値段もポロより高価でした。
ポロと同じ895ccエンジンや1.3Lエンジンも後に追加されましたが、値段が安いポロのほうが2倍以上多く売れました。フォルクスワーゲン グループとしてアウディ ブランドはもっと上級な車を担うことになったため、アウディ 50は1978年に生産中止となりました。総生産台数は約18万台でした。(同時期にポロは50万台が生産されました)
ミニカーは1970年代に発売されたシュコーの当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。これはアウディ 50をモデル化していますが、実車同様にフォルクスワーゲン ポロのグリルを変えて、アウディ 50に仕立てています。フロントグリルが黒塗装されていてやや見難いですが、グリルにはアウディのエンブレムがついてます。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きで、当時のミニカーとしては良く出来ていました。これ以外の当時物としては、ポリスティルの1/25がありました。当時物以外ではミニチャンプス、ヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 100 (C2) ドイツ 1976年
アウディ 100 2代目(C2)は1976年に登場しました。世界初の直列5気筒2.1L(115HP)エンジンを搭載した前輪駆動車で、フォルクスワーゲン グループの最高級車という性格がより明確にされた車でした。(世界初の5気筒エンジンは1974年にメルセデス ベンツがディーゼルエンジンで作っていました) 6ライト ウインドー(側面に3つ窓がある)のキャビンとシンプルな面構成の外観は派手ではないですが、高級車として上品なデザインでした。
2/4ドアセダンとアバントと称する5ドアハッチバックワゴンがあり、初代にあったクーペはなくなりました。前輪駆動車故の広い室内と優れた操縦安定性などは、メルセデス ベンツのコンパクト クラス(W123)を越えているとの評価を得ました。1980年にはターボ過給した2.2L(170HP)エンジンを搭載した上級モデルの200が追加されました。同年に直列5気筒2Lディーゼルエンジンも追加されました。200は北米ではアウディ 5000という名前で販売されました。1982年に100 3代目(C3)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1976年に販売されたガマ製の当時物です。ガマのブランドで売られたのですが、作風を見れば分かるように実際はシュコーが型を起こした物でした。(底板にはシュコー 301-639と表記されていました) シュコーは1976年頃に倒産してその後ガマに吸収されたので、その頃のシュコーのミニカーはこのようにガマのブランドで販売されたものがありました。実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。上述したアウディ 50のミニカーと同じボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きです。なおこのミニカーのように薄青に着色されたウインドスクリーンを使うのはその頃のガマのミニカーの特徴でした。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ UR クワトロ ドイツ 1980年
センターデフを使ったフルタイム4WD方式を採用したアウディ クワトロが1980年に登場しました。従来の4WDは悪路走破を目的としたパートタイム方式が一般的でしたが、道路状況に関係なく4輪を駆動するフルタイム4WD方式を採用したことは画期的なことでした。アウディ 80 2代目の2ドアをベースにした設計で、ハッチバッククーペのように見えますがリアエンドはトランクとなっていました。アウディ 200用の5気筒2.1Lエンジンをインタークーラー付ターボで過給して200HPにパワーアップし、5段変速で最高速222km/hの性能でした。
エンジンは1987年に2.2Lに拡大され、1989年にはDOHC化されて220HPまでパワーアップされました。1983年のマイナーチェンジでシリーズ2となり、ヘッドライトが4灯式から2灯式に変わりました。この車をベースにしたラリー車は1981年の世界ラリー選手権(WRC)第2戦スウェーデンで初優勝し、その後1982と1984年にメイクスチャンピオンとなりました。この成績はラリーにおけるフルタイム4WDの有効性を証明しました。何度かマイナーチェンジされて1991年に生産中止となり、総生産台数は約1.1万台でした。アウディにはクワトロという名前を使ったモデルがいくつもあるので、クワトロ 初代はUR-クワトロと呼んでいます。(Urとは独語でFirstの意)
ミニカーは1982年に発売されたコンラート製の当時物です。コンラートはドイツの老舗玩具メーカーで、現在はトラックや産機などのミニカーを発売していますが、1980年代には1/43のダイキャスト製ミニカーも発売していました。(参照WEBサイト→ CONRAD WEB SITE) 当時のコンラートのミニカーは同時期のシュコーと非常によく似た作風で、出来ばえも同等レベルでした。このクワトロも実車のイメージが良く再現されていて、前後のブリスターフェンダー形状やドアに付いているアウディのロゴなどの細部も当時としてはリアルな出来ばえでした。(ただしブリスターフェンダーにホイールアーチの膨らみが残っているのとフロントバンパーのウィンカーが無いのがいまひとつですが) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。バリエーションでラリー仕様もありました。これ以外の当時物ではこれと同じ型を流用しているガマのラリー仕様、ポリスティルの1/25、Bブラゴーの1/43と1/24、マッチボックスのラリー仕様、ソリドのラリー仕様などがありました。 当時物以外ではミニチャンプス、オートアートの1/18、ビテス、トロフューなどからたくさんモデル化されてます。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)