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フォード エドセル サイテーション コンバーチブル アメリカ 1958年
フォードは大衆車フォードと高級車リンカーンの間を埋めるブランドとして1938年にマーキュリーを設定しました。マーキュリーは1950年頃にはリンカーンに近い価格帯の車となりました。そこでGMの中級車(ビュイックやオールズモービル)に対抗する車でフォードとマーキュリーの間を埋める新しいブランドとしてエドセルが1958年に登場しました。エドセルという名前は創業者ヘンリー フォードの息子で2代目社長であったエドセル フォードの名前にちなんだもので、フォード家は名前を使うことには反対だったそうですが、新ブランド推進者の意向で押し切られたそうです。
エドセルはフォード/マーキュリー ブランドの車をベースにしてデザインを変える従来通りの手法で設計されました。エドセルにはセダンがグレード順にレンジャー/ペーサー/コルセア/サイテーション、ステーションワゴンがラウンドアップ/ヴィレジャー/バミューダの計7モデルがありました。エンジンは6気筒3.7L、V型8気筒4.8L/5.8L/6.7Lなどがあり、ステアリングホイール中央に配置された自動変速機の押ボタン式セレクター、回転ドラム式スピードメータ-、標準装備されたシートベルトなど先進的な技術が採用されていました。大々的なキャンペーンを経て登場したエドセルの初年度の販売台数は約6.3万台で、フォードの予想を大幅に下回りました。1959年のエドセルはフォードをベースにした低グレードのレンジャーとコルセア、レンジャーのワゴン ヴィレジャーだけとなり、販売台数は約4.5万台でした。1960年にはごく少数が生産されただけでエドセルは生産中止となりました。
販売不振でたったの2年間しか販売されず生産中止となったエドセルは、商業的な大失敗事例を象徴する代名詞となりました。エドセルの失敗の原因はマーケッティングの問題(ブランドの位置づけが不明確だった)、景気低迷による低価格車志向、デザインの奇抜さなどがいわれています。奇抜なデザインとはHORSE COLLAR(馬車馬の首輪)とあだ名された縦長ラジエターグリルのことです。この当時のアメリカ車のデザインは派手なものが多いのですが、エドセルのこのデザインは派手を通り越して奇抜で品が良くないです。車の売れ行きにはデザインの影響が大きいので、個人的にはこのデザインが一番の原因ではないかと思います。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製で、1950年代のアメリカ車をモデル化した1950年代シリーズの1台です。エドセルの最上級グレードのサイテーショのコンバーチブルをモデル化しています。この1950年代シリーズはヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風のミニカーなのですが、その作風が1950年代の古い車の雰囲気にうまくマッチしています。実車がでかいのでミニカーも大きく、実車に即したピンク/白のツートンカラーで仕上げられています。プロポーションが良く、エドセルの特徴である奇抜なフロントグリル造形や灯火類などの細部もうまく再現され良く出来ています。ボンネット/ドアが開閉し、エンジン/サスペンションや室内も結構リアルに再現されています。これ以外のエドセルのミニカーは同じフランクリン ミントの1/24、ダンバリー ミントのワゴン 1/24、ジク(SIKU)の当時物 1/60、ミニチャンプスのワゴン、ホワイトボックス(イクソ)、オックスフォードの1/76などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード サンダーバード アメリカ 1958年
サンダーバードの2代目が1958年に登場しました。ボディが一回り大型化され、2シーターから4シーター車に変わりました。デザインの特徴は当時のセダンとしては低い車高(1.34m)で、これを達成するために変速機とドライブシャフトを収める長いセンターコンソールが前後シートの間に設けれていました。ヒサシのついたような4灯式ヘッドライトは2灯式から4灯式に切り替わる過渡的なデザインで、GM ビュイックやクライスラー ニューヨーカーなど同時期のアメリカ車によくみられるデザインです。ハードトップとコンバーチブルがありました。
エンジンはV型8気筒5.8L(300HP)で、後に新型のV型8気筒7L(350HP)が少数ながら設定されました。市場調査で初代は2シーター車ゆえに販売が伸び悩んでいることが判明し4シーター化されたのですが、この戦略は成功しました。総販売台数は約20万台と初代の4倍弱となり、高級パーソナルカー市場を拡大させる車となりました。1961年に3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーはフランクリンミント製で、1990年頃に発売されていた1/43のシリーズ物の一つです。フランクリンミントの1/43は、当時としては非常に精密なミニカーで、ドアやボンネットが開閉し、室内だけではなくエンジンやサスペンションなどもリアルに再現されています。壊れにくい金属製パーツを主体的に使っているので、作風が少しレトロな雰囲気になっています。フランクリンミントの精密ながらも昔懐かしい感じの作風が私は好きです。以下はリアの拡大画像/室内の拡大画像とよくできたエンジンやサスペンションの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マッセイ ファーガソン 780 コンバイン ハーベスター アメリカ 1958年
カナダのダニエル マッセイ(Daniel Massey)が設立した農機具工場は、麦の収穫機(バインダー)を開発し、1891年に同業のハリス社と合併しマッセイ ハリス社となりました。同社は1918年にトラクターを開発し世界的な農機会社となり、1938年に世界初の自走式収穫機(コンバイン)を開発しました。
北アイルランドのハリー ファーガソン(Harry Ferguson)は1930年代後半に近代的な農業用トラクターのファーガソン システム(鋤を後部に取付けたトラクターで、鋤が障害物に引掛かった際にトラクターの転倒を防ぐ油圧システム)を開発しました。ハリー ファーガソン社は1940年代にイギリスとアメリカでこのトラクターを大量生産しました。
マッセイ ファーガソン(Massey Ferguson Limited)社はコンバインを開発したマッセイ ハリス社とファーガソン システムを開発したハリー ファーガソン社が合併して1953年にできたアメリカの農業機械メーカーです。(当初はマッセイ ハリス ファーガソン社でした) 同社は様々な農業用機器を開発し、世界の市場で大きなシェアを持っていました。特にトラクターのシェアは世界一でした。1995年からアメリカの農業機械メーカーAGCOの傘下になっています。
コンバイン (ハーベスター)は穀物(麦/米/トウモロコシなど)の収穫(刈り取り)、脱穀、選別を行う自走式の農業機械です。日本でも最近では米を収穫するコンバインを見かけますが、このマッセイ ファーガソンのコンバインは1950年代のビンテージ物のコンバインです。実際にこのコンバインがどのような作業をするのかについては、コンバインが作業している動画がありますので、それをご覧ください。→ (実車のYoutube動画→ マッセイ ファーガソン 780 コンバイン)
ミニカーは1968年に発売されたコーギー製の当時物です。1958年に登場したマッセイ ファーガソンの780 コンバイン ハーベスターをモデル化しています。このミニカーは最初は1959年に発売されましたが、これはドライバーフィギュアを追加するなど変更された2nd仕様品です。実車動画と見比べると良くわかりますが、実車を忠実にモデル化していて細部までとても良く出来ています。ミニカーを前進させると先端にある刈り取り部が回転するギミックがついています。ギミック動作の動画→ (コンバインの刈り取り動作の動画) タイヤの回転を輪ゴムを介して刈り取り部に伝達している簡単な構造です。なお購入時に付いていたオリジナルの黄色の輪ゴムは既によれよれの状態でしたが、この動画を撮ったあとに寿命で切れてしまいました。刈り取り部にある黄色の丸ハンドル(実物にはありませんが)を回すことで刈り取り部を上下させることが出来ます。コーギーはこれ以外にマッセイ ファーガソンとフォードの農耕トラクターもモデル化しています。それらのミニカーはどちらかというと子供向けではなくマニア向けだったこともあって、当時のミニカーとしてはかなりリアルに出来ていました。これ以外のマッセイ ファーガソン コンバインのミニカーはオックスフォードが同じ780 コンバインを1/76でモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と刈り取り部の上下動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック 62 アメリカ 1959年
1959年に登場したキャディラック 7代目は、4灯式ヘッドライトが採用されるなど大幅なデザイン変更が行われました。特にこの7代目はテールフィンが史上最大の大きさになったことで有名なモデルでした。このテールフィンには2連の尖ったテールライトが付き、またリアのバンパーの両端はジェット機の排気口のような形状(ここも赤く光る)になっていて 、ここまでやるかといった派手なデザインでした。なお1959年式のGMのオールズモービル 98やビュイック エレクトラも大きなテールフィンを備えていました。(実車画像→ GM オールズモービル 98 1959、GM ビュイック エレクトラ 1959)
全長約5.7m全幅約2mの巨大な車ですが、現在では考えられないほどボンネットとトランクのスペースが大きいです。2/4ドアハードトップと2ドアコンバーチブルがあり、そのハードトップは細いピラーで大きく開放的な窓を持つ独特のデザインでした。パワーブレーキ、パワーステアリング、4段自動変速機、パワーウィンドウ、パワーシート、エアコン、電動格納式ソフトトップなどを既に装備していました。(実車動画→ GM キャディラック エルドラド 1959) 1961年に8代目にモデルチェンジしました。
ミニカーはビテス製で、1987年頃に発売されました。ビテスは1940-50年代のアメリカ車をいくつかモデル化していますが、そのアメリカ車シリーズの一台です。4灯式ヘッドライトの派手なフロントグリル、細いピラーのハードトップ、大きなテールフィンとそこに付いた尖ったテールライトなどがうまく再現されています。室内も大きなステアリングホイール、コラムシフトレバーやインパネが良く再現されています。バリエーションでコンバーチブルもありました。これ以外のキャディラック 6代目のミニカーは、ディンキーの当時物、マッチボックス ディンキーの1/43、フランクリン ミントの1/24と1/43、ダンバリー ミントの1/24、ブッシュの1/87、オートアートの1/18、マイストの1/18などたくさんあります。フロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM シボレー インパラ アメリカ 1959年
1958年にシボレー ベルエアの高級仕様としてインパラ スポーツパッケージ(インパラ初代 クーペとコンバーチブルのみ)が設定されました。1959年に登場したシボレー インパラ 2代目はベルエアよりも上級なシボレーの最上級車として設定され、4ドアセダン/ハードトップも追加されました。このインパラ 2代目の最大の特徴はリアの大きく派手なテールフィンで、後方から見るととても印象に残る車です。前述したシボレー ノマドの跡を継ぐ「Halo Model(客寄せパンダの意)」の役割があったこともうなずけます。エンジンは6気筒3.9Lとこの頃からGMの大衆車でも一般的になったV型8気筒4.6L/5.7L(250HP)が搭載されました。
派生車として1959年に登場したシボレー エルカミーノは荷台のあるピックアップながら、派手なテールフィンのデザインとなっていました。(実車画像→ シボレー エルカミーノ 1959) インパラは1960年のマイナーチェンジで、フロントとテールライトのデザインが変更されました。インパラ 2代目の総生産台数は約49万台で1961年に3代目にモデルチェンジしました。なおその頃には売り物だったテールフィンは飽きられていましたので、3代目ではその面影は残っていたものの大人しいデザインとなりました。(実車画像→ シボレー インパラ 1961)
ミニカーは1988年に発売されたビテス製のアメリカ車シリーズのひとつで、インパラ コンバーチブル 1959年式をモデル化しています。このシリーズはビテスとしては初期の物で、1950-1960年代のアメリカ車を10数車種ぐらいモデル化していました。(一部は少しリファインされて現在でも販売されています) いずれも当時としてはかなり良い出来ばえで、このインパラも特徴的なフロントとリアの造形が良く再現されていて赤いカラーリングが似合っています。これはコンバーチブルですが、バリエーションで幌を立てたもの、ハードトップ、ハードトップのレース仕様などが数種類あります。ビテス以外のインパラ 2代目のミニカーはコーギーの当時物、国産のミクロペットの当時物、ビテス系のカルツォ(QUARTZO)のレース仕様、ダンバリー ミントの1/24、レーシングチャンピオンやジョニーライトニングの1/64、スパーク(レジン製)など非常にたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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