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SUZUKI FRONTE 360 1967 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) No.48 1/43 72㎜
実車諸元 画像参照
スズキ フロンテ 360 日本 1967
現在のスズキ株式会社の始まりは1909年に創業した鈴木式織機製作所で、最初は木製織機を製作し自動織機に発展しその後精密機械を製作する会社となりました。同社は事業の多角化を図り1953年に補助エンジン付自転車「ダイヤモンドフリー」(2サイクル60㏄エンジン付)を開発して販売しました。さらにオートバイの開発を始め、1954年に社名を鈴木自動車工業に変更し、1955年にオートバイ「コレダ号」(2サイクル125㏄エンジン)を発売しました。同年にドイツの超小型車ロイトを参考にして四輪軽自動車スズライトを開発して発売しました。(実車画像→スズキ スズライト 1955)
スズライトは空冷2ストローク2気筒360㏄(16HP)エンジンを搭載した前輪駆動車で、4人乗りができる最初の四輪軽自動車でした。セダン/ライトバン/ピックアップ/デリバリーバンがありましたが、需要が少なく1957年にはライトバンのみとなりました。1959年に2代目 スズライト TLにモデルチェンジしました。スズライト TLは構造的には先代と同じで、タイヤが小型化され外観が目新しくなりました。スズライト TLも税金が安い商用車のライトバンだけでしたが、販売は好調でした。1962年にスズライト TLの乗用車仕様のスズライト フロンテ(フロンテ 初代)が登場しました。(実車画像→スズキ スズライト フロンテ 1962)
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1965年には水冷2サイクル3気筒785cc(41HP)エンジンを搭載したスズキ初の小型大衆車フロンテ 800が登場しました。(実車画像→スズキ フロンテ 800 1965) フロンテ 800も前輪駆動車でスタイリッシュなデザインで性能も良かったようですが、当時はトヨタ パブリカやマツダ ファミリアなどの手強いライバルがいてあまり売れなかったようです。フロンテ 800は1969年に生産中止となり、スズキは小型車から撤退し軽自動車に専念することになりました。 1967年にフロンテ 360(フロンテ 2代目)が登場しました。前輪駆動方式を止めて空冷2サイクル3気筒356㏄(25HP)エンジンをリアに搭載して後輪を駆動するRR方式に変わりました。小さいながらも当時流行りだったコークボトルラインを取り入れたスポーティなデザインとなっていました。1968年には当時のライバルであったホンダ N360の高性能版(36HP)に対抗して同じ36HPにパワーアップしたSSが追加されました。(SSの最高速は140㎞/hだったとのこと) フロンテ 2代目は性能の良さなどで人気が出てヒットし、1970年に3代目にモデルチェンジしました。なおフロンテ 2代目の商用バンは荷室を確保する為にエンジンを前に搭載したFR方式となっていました。 |
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SUZUKI CARRY VAN 1969 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (IXO HACHETTE) 146 1/43 71㎜
実車諸元 画像参照
スズキ キャリイ バン 日本 1969
スズキ株式会社の始まりは1909年に創業した鈴木式織機製作所で、自動織機、精密機械を製作する会社でした。同社は事業の多角化を図りオートバイの開発を始め、1954年に社名を鈴木自動車工業に変更しました。1955年にドイツの超小型車ロイトを参考にして四輪軽自動車スズライトを発売しました。スズライトは空冷2ストローク2気筒360㏄(16HP)エンジンを搭載した前輪駆動車で、4人乗りの四輪軽自動車でした。
スズライトの商用車として軽トラック スズライト キャリー 初代(FB型)が1961年に登場しました。空冷2ストローク2気筒360㏄(21HP)エンジンを搭載するセミキャブオーバーの後輪駆動車でした。1964年にはバンが追加され、低価格で信頼性の高い軽商用車として成功しました。1965年にエンジンや足回りを改良した2代目(L20型)にモデルチェンジしました。(実車画像→スズキ スズライト キャリー 初代)
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1969年に4代目が登場しました。先代と同じ2ストローク2気筒360㏄(25HP)エンジンを搭載する後輪駆動車で、「韋駄天キャリー」のキャッチフレーズが付いていました。最大の特徴はイタルデザインのG.ジウジアーロがデザインしたスマートなボディでした。特にバンは当時の軽商用車としては抜群にセンスの良いスタイルでした。(ただしリアウィンドーにも傾斜が付いているので、荷物積載量的には不利でしたが) なお同時期に登場したフロント クーペもG.ジウジアーロがデザインしたプロトタイプがベースになっていて、実にかっこいい軽自動車でした。1970年にキャリーをベースにした電気自動車が開発され大阪万博で使用されました。1972年に5代目にモデルチェンジしました。(実車画像→スズキ キャリー1972) なお現在のキャリー 11代目は軽トラックのみで、軽ワンボックス(乗用/商用)はエブリイに名前が変わっています。 |
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SUZUKI JIMNY (LJ10) 1970 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) No.59 1/43 72㎜
実車諸元 画像参照
スズキ ジムニー LJ10型 日本 1970
軽自動車ながら本格派4輪駆動車のスズキ ジムニー 初代は1970年に登場しました。ジムニーが開発されたいきさつは、かつて軽オート3輪車を製造していたホープ自動車(後継社のホープ社は2016年に倒産)が開発した軽四輪駆動車「ホープスター ON型4WD」の製造権を、スズキの社長であった鈴木修氏が買い取ったことから始まりました。鈴木社長はホープスターの優れた悪路走破性能に着目し、実用車としての将来性を見抜いていたのです。
ホープスターをベースにして、自社部品を流用したコストダウンなどスズキ流の変更が行なわれてジムニーは商品化されました。ボディは頑丈なラダーフレーム構造で、サスペンションは全輪リジッドアクスル(固定車軸式)を採用した本格派4WDでした。(最新のジムニーも同じ構造です) エンジンは空冷2サイクル2気筒359cc(25HP)を搭載し、4段変速で駆動方式はパートタイム式4WDでした。タイヤは16インチの大径の物で、作業車として使えるように変速機にPTO(動力取出し機構)が組込まれていてウィンチが使えました。 ボディのデザインは当時の4WD車の定番であったジープを模していますが、軽自動車サイズにうまくまとめていました。本格派4四輪駆動車並みの機動性を備えた維持費が安い軽自動車 ジムニーは市場で高い評価を受けて商業的に大成功しました。
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初代 ジムニーは軽自動車規格変更への対応など改良が施され1982年まで生産されました。以下はその改良の簡単な概要です。
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SUZUKI ALTO 1979 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) 119 1/43 76㎜
実車諸元 画像参照
スズキ アルト 日本 1979
1979年にスズキ フロンテは5代目にモデルチェンジしました。先代はリアエンジン後輪駆動車でしたが、フロントエンジン前輪駆動車に変更して広い室内を実現しました。フロンテ 4代目と同時にフロンテの商用車としてアルトが登場しました。軽商用?(軽ボンネットバン)は物品税が非課税であったので、安価な軽商用?を2人乗りの軽乗用?として使うという商品企画に沿ってアルトが開発されました。価格47万円という当時として破格の低価格で売り出されたアルトは主に買い物や子供の送迎などに自動?を使う主婦層に受けて大ヒットし、ダイハツ ミラや三菱 ミニカなどが追従し軽ボンネットバンブームを引き起こしました。(なお当時トヨタの小型車スターレットは約82万円でした)
エンジンは安価な旧型の2サイクルエンジンで、リアサスペンションは低コストのリーフリジットでした。1981年には排ガス対策で4サイクル3気筒エンジンに変更されました。当初は4段変速だけでしたが、1980年には2段自動変速が設定されました。塗装処理したスチール製バンパー、ドア内張を省略した簡素な内装、簡易な折畳み式後席、手動式のウィンドーウォッシャーなど低価格化する為のコストダウンは徹底していました。また標準装備はヒーターのみで、それ以外は全てオプション設定でした。
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1981年には軽ボンネットバンの増加に対応して商用車にも物品税が課せられるようになったので、物品税が掛からない2シーター仕様が設定され47万円の価格を維持しました。(4シーターは49万となった) 1982年のマイナーチェンジで角形ヘッドライトを採用し、Lタイプ/Gタイプの上級グレードが設定されて少しだけ高級になりました。1983年にパートタイム4WD仕様スノーライナ(主に寒冷地の積雪対応)が設定されました。1984年にフロンテが6代目にモデルチェンジし、アルトも2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スズキ アルト 1984) |
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SUZUKI JIMNY (SJ410) 1981 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) 309 1/43 78㎜
実車諸元 画像参照
スズキ ジムニー SJ410型 日本 1981
1981年にジムニーはモデルチェンジして2代目(SJ30)となりました。頑丈なラダーフレーム構造と全輪リジッドアクスル(固定車軸式)のサスペンションといった本格派4WDの基本構造は踏襲していました。ボディも基本的なデザインは同じですが、フロント周りの造形がやや乗用車的になりました。外観だけではなく後席が対面式から普通の前向きに変わり、サスペンションのリーフスプリングが少し柔らかくなるなど、操作性や居住性にも乗用車的な味付けがされました。3気筒539㏄エンジンは28HPにパワーアップされましたが、まだ先代と同じ2サイクルでした。これは悪路走行時に低速トルクが必要だった為、あえて4サイクルとはしなかったそうです。2サイクル特有の排気白煙と騒音は燃料制御と消音装置で軽減されていました。2サイクルエンジンを搭載したジムニー 2代目(SJ30)は1987年まで生産されました。(2サイクルエンジンを搭載する最後の国産4輪自動車でした)
1981年に4サイクル4気筒970㏄(50HP)エンジンを搭載するSJ410が輸出されるようになりました。輸出仕様にはジムニーではなくサムライ(SAMURAI)という名前が使われました。1982年にSJ410の国内版のジムニー 1000 SJ40が発売されました。これには国内初のピックアップ仕様がありました。1984年にカルタスの4気筒1.3L(70HP)エンジンを搭載したジムニー 1300 JA51が発売されました。この車には普通乗用車(5ナンバー)がありました。1993年にはJA51の後継車として4気筒1.3L(70HP)エンジンを搭載したジムニー シエラ JB31が発売され、1995年にJB31はJB32に変わりました。
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1986年に4サイクルエンジンを搭載したJA71に変更されました。エンジンは電子制御燃料噴射の3気筒543㏄ターボ(42HP)で、1987年にはインタークーラー仕様(52HP)が追加されました。パワーアップしたエンジンと5段変速機の採用で高速走行性能が向上しました。1990年に軽自動車規格の変更に対応して3気筒657㏄(55HP)インタークーラー付ターボエンジンを搭載したJA11に変更されました。JA11は1992年に3段自動変速機とパワーステアリングが追加され、エンジンも1995年には64HPとなりました。1995年に2代目としては最後の大幅なマイナーチェンジが行われJA12/JA22となりました。商用車(4ナンバー)中心の車種構成が乗用車(5ナンバー)中心に変わり、サスペンションにコイルスプリングを採用しオンロードでの安定性が向上しました。エンジンはJA12が3気筒657㏄ターボ(64HP)、JA22がDOHC 3気筒657㏄ターボ(64HP)を搭載していました。1998年にジムニー 3代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スズキ ジムニー JB23 1998) |
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![]() ![]() 以下は1993年に発売されたAHC(DOORKEY)製のスズキ サムライ 1992 (1/43 型番NR458)の画像です。輸出仕様のサムライ SJ413 ソフトトップ仕様をモデル化しているようです。AHC(DOORKEY)はオランダのメーカーであるAHC MODEL社(又はAR-GEE社)のブランドDOORKEY(ドアキー)です。1990年代に登場したDOORKEYブランドのミニカーは50種類ほどあり、日本車もトヨタや日産など10種類ほどがモデル化されていました。これも実車の雰囲気がうまく再現されていて、1990年代のミニカーとしてはまずまずの良い出来ばえです。ドア開閉ギミック付で、ソフトトップを外すこともできます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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SUZUKI CERVO 1982 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) 161 1/43 76㎜
実車諸元 画像参照
スズキ セルボ 日本 1982
1970年にスズキ フロンテは3代目にモデルチェンジしました。(実車画像→スズキ フロンテ 1970) 先代の曲面を多用したデザインから直線的な2ボックスのデザインとなりました。エンジンは先代と同じ空冷2サイクル3気筒356㏄(31-36HP)で、1971年に水冷エンジンが追加されました。1971年にフロントをベースにした2シーターのスポーツカー フロンテ クーペが登場しました。(実車画像→スズキ フロンテ クーペ 1971)
フロンテ クーペの最大の特徴はそのデザインで、低い車高に低いノーズ、それに合わせた角形ヘッドライト、深く傾斜したフロントウィンドー/ファーストバックのスタイルは軽自動車ながらかっこよくセンスの良いデザインでした。これはイタル デザインのG.ジウジアーロが提案したプロトタイプのワンボックス車をベースにして、スズキのデザイナーがアレンジしたそうです。外観だけではなく室内もバケット式のシート、6連の丸形メーターが並ぶインパネ、温度計付きのオーバーヘッドコンソールとスポーツカーそのものでした。リアに搭載されたエンジンは2ストローク3気筒356㏄(37HP)で、最高速は130㎞/hを超えたそうで結構早かったようです。1972年に4人乗りの2+2が設定され2+2に人気が集まったので2シーターは廃止されました。1976年に排ガス規制が強化され軽自動車の排気量が550㏄に変更されたので、フロンテ クーペは生産中止となりました。
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1977年に軽自動車規格変更に対応した後継車のセルボが登場しました。ボディはひとまわり大きくなりましたが、基本的なデザインは踏襲されました。室内が広くなりリアシートが大きくなってリアウィンドーがハッチバック化されました。外観としてはヘッドライトが丸形に変更され、バンパーが大型化されました。エンジンは539㏄に拡大されましたが、排ガス対策で28HPとパワーダウンしました。先代はコアなスポーツカー志向でしたが、セルボは女性ユーザーをターゲットにしたおしゃれなクーペに路線変更しました。ただ内装は先代同様と中途半端で、当時の軽自動車の売れ筋はスズキ アルトに代表される軽ボンネットバンだったので、セルボはあまり売れませんでした。1982年にセルボ 2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→スズキ セルボ 1982年) |
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![]() ![]() スズキ フロンテ クーペのミニカーは→ データーベースでスズキ フロンテ クーペのミニカー検索 |
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SUZUKI MIGHTY BOY 1985 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) 140 1/43 78㎜
実車諸元 画像参照
スズキ マイティボーイ 日本 1985
スズキの軽トラック マイティボーイが1983年に登場しました。フロンテ クーペの後継車であったセルボ 2代目をベースにして後部に荷台を取り付けたピックアップトラックでした。(実車画像→ スズキ セルボ 1982) 商用トラックですが、アメリカのピックアップトラック(参照→フォード F-150)のような使い方をするスポーティな遊び車といったコンセプトの車でした。したがってセルボをベースにしたボディはスポーティなデザインではありました。室内は広くリクライニング可能なシートなどで、2人乗りとしての居住性は優れていました。ただしその分だけ荷台が小さいのでトラックとしての実用性はあまりありませんでした。
エンジンはセルボと同じ3気筒543㏄(28HP)で、後部が荷台になっていたので軽量で、そこそこスポーティに走ったようです。上級車には、前輪ディスクブレーキ、5段変速機、タコメータが装備されていました。1985年のマイナーチェンジで、ヘッドライトがセルボと同じ角形になりました。価格は45万円とアルト並みに安かったのですが、この車のコンセプトは理解されず売れなかったようです。「マー坊」という愛称があり独特のスタイルは一部の愛好家に人気がありました。1988年に後継車なしで生産中止となりました。
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ミニカーは2011年に発売された国産名車コレクション製で、メーカーはイクソと思われます。マイナーチェンジ後の1985年式をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、国産名車コレクションのなかでは良い出来ばえの部類に仕上がっています。これ以外のマイティボーイのミニカーでは初期型をアオシマ DISMがレジン製でモデル化しています。なおベースとなったセルボ 2代目はトミカがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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SUZUKI ALTO SLIDE SLIM 1988 JAPAN |
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![]() DIAPET SV11 1/35 92㎜
実車諸元 画像参照
スズキ アルト スライドスリム 日本 1988
スズキ アルト 2代目が1984年に登場しました。初代同様に低価格でしたが、外観は初代に比べるとスタイリッシュになりました。3気筒550㏄エンジンを搭載する前輪駆動/4WD車でした。1985年に軽初の電子制御燃料噴射式インタークーラーターボエンジン搭載のアルト ターボが追加されました。同年に軽商用車初の5ドアが追加されました。1986年のマイナーチェンジでフロントの意匠が変更され、DOHC 3気筒エンジンが追加されました。1987年に車高の高いウォークスルーバンが追加され、DOHC 3気筒ターボ(64HP)エンジンを搭載する高性能版のアルトワークス (初代)が登場しました。(実車画像→ スズキ アルト 1984)
1988年にスズキ アルト 3代目が登場しました。3ドア/5ドアハッチバックのボディは先代よりも丸みのついたデザインとなり、回転ドライバーズシートと左右スライドドアを採用したスライドスリムが設定されました。高性能版のワークスは丸形2灯ヘッドライトとエアロパーツで差別化されたデザインとなりました。1989年の税制変更で物品税が廃止されたことで商用バン(4ナンバー)の税制上のメリットがなくなり、商用バンだったアルトに乗用車仕様(5ナンバー)が設定され、乗用車仕様だったフロンテはアルトに統合されて生産中止となりました。
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1990年のマイナーチェンジで軽自動車規格変更に対応して、前後バンパーが大型化して全長が長くなりエンジンが660㏄に変更されました。ワークスは商用バンから乗用車に変更され、スライドスリムは右ドアのみスライドドアに変更されました。1991年に荷室のハイルーフ化で荷室容量を拡大したハッスルが追加されました。1992年4WDのラリー仕様車 ワークス Rが追加されました。またこの世代からマツダのキャロル 2代目にプラットフォームを供給するようになりました。1994年にアルト 4代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スズキ アルト 1994) |
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![]() ![]() 以下は2007年に発売されたハイストーリー製のスズキ アルト ワークス RS-X (初代) 1987 (1/43 型番HS003B)の画像です。画像で見ただけですが、なかなか良く出来ているようです。アルト ワークスの1/43ミニカーが欲しいのですが、現時点では高価なレジン製しかないので購入していません。この画像はメーカーのWEBサイトのサンプル画像をお借りしました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() |
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SUZUKI CAPPUCCINO 1991 JAPAN |
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![]() EBBRO 43782 1/43 79㎜
実車諸元 画像参照
スズキ カプチーノ 日本 1991
軽の本格的スポーツカー カプチーノが1991年に登場します。小さいながらロングノーズ/ショートデッキの古典的なオープン 2シータースポーツカーのスタイルです。ルーフは取り外し可能で、フルオープンやタルガトップにもなります。ボディだけではなく仕様も本格派です。DOHC 3気筒657ccターボ(64HP)エンジンをフロントミドシップ搭載する後輪駆動車で、サスペンションは軽自動車初の4輪ダブルウィッシュボーン、4輪ディスクブレーキ、オプションでABSやトルセン式リミテッドスリップデフも装着できるなど とても軽自動車のスペックとは思えません。
さらに車体軽量化の為、ボディ各部にアルミニウム材を使用し、14インチアルミホイールを装着しています。居住性については見れば想像がつくと思いますので、敢えて書くこともないでしょう。肝心のスポーツカーとしての性能ですが、ホイールベースが短い後輪駆動車ということで、初心者向けではないですが楽しい車だったようです。1995年のマイナーチェンジでアルト ワークス用のオールアルミ製エンジンに換装され、3段自動変速が追加されました。バブルのたまものの楽しい車でしたが、バブル崩壊と軽自動車規格変更の為、1998年に一代限りで生産中止となりました。総生産台数は約26000台でした。
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ミニカーはエブロ製で2006年に発売されました。小さいミニカーですが、かなり良い出来ばえです。特に実車同様に動作するリアウインドーが回転して収納されるギミックは秀逸です。これ以外では京商のJ-コレクション、ホットワークス(HOTWORKS)、国産名車コレクションの1/43と1/24、スパーク、ファースト43(国産名車コレクションの型流用?)などでモデル化されていて、人気があります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内/リアウインドー収納ギミックの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は2005年に発売されたインターアライド ホットワークスのカプチーノ(1/43 型番HW43002A)の画像です。ホットワークスは2004年頃に登場したダイキャスト製ミニカーのブランドで、スポーツカーがメインで1/64、1/43、1/24など約100種類ほどがありました。良い出来ばえで、交換して取り付けるハードトップと交換できるタイヤ/ホイールのセットが付いていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は2009年に発売された国産名車コレクションのカプチーノ(1/43 No.100)の画像です。ノレブ製で雑誌付きミニカーながら、かなり良い出来ばえです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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SUZUKI ESCUDO HARDTOP 1992 JAPAN |
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![]() JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) 197 1/43 87㎜
実車諸元 画像参照
スズキ エスクード ハードトップ 日本 1992
小型SUV車のスズキ エスクード 初代が1988年に登場しました。ラダーフレームのシャーシに副変速機付パートタイム式4WDを採用する本格的な4輪駆動車ながら、乗用車的内装を持ち町乗り用途にも使えるといったSUV車の先駆けとなった車でした。後に同じようなコンセプトのトヨタ RAV4やホンダ CR-Vが登場しました。当初は3ドアのハードトップとコンバーチブルのボディ構成で、1990年にホイールベースを伸ばした5ドアワゴンのエスクード ノマドが追加されました。(ノマドという名前は1996年に外れ、単に5ドアとなりました)
当初のエンジンは4気筒1.6L(82HP)でしたが、1994年のマイナーチェンジでスズキ初のDOHC V型6気筒2Lエンジンと4気筒2Lディーゼルターボエンジン(マツダ製)が追加され、スズキの国内最上級車となりました。1995年にカプチーノのSUV仕様的な派生車 X-90が登場しました。(北米輸出がメインだったようです 実車画像→スズキ X-90 1995) 1996年に4気筒2LエンジンとV型6気筒2.5Lエンジンが追加され、2.5Lエンジン搭載車はスズキ初の3ナンバー車となりました。国内ではマツダにプロシード レバンテとしてOEM供給され、北米ではサイドキック(SIDEKICK)や提携していたGMのジオ トラッカー(GEO TRACKER)として、欧州ではビターラ(VITARA)/グランド ビターラ(GRAND VITARA)の名前で販売され、世界的に高く評価されました。1997年に2代目、2005年に3代目、2015年に4代目とモデルチェンジしています。(実車画像→スズキ エスクード 2000)
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ミニカーは2013年に発売された国産名車コレクション製で、メーカーはイクソです。ブリスターフェンダーを持つ角ばったボディやフロントの造形がうまく再現されていて、このシリーズのなかでもかなり良い出来ばえとなっています。イクソはこれの型を流用してプレミアムX ブランドではハードトップとコンバーチブルを数種類ほど発売しています。エスクード 初代のミニカーはイタリアのBブラーゴの当時物 ビターラ、ハイストーリー(レジン製)、ネオ(レジン製)の ビターラ カブリオレ、DORLOPのビターラ 1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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