ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 1934 USA

DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON


RIO 45 1/43 135mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.6m 全幅約1.8m エンジン 変速機: DOHC 8気筒 6.9L スーパーチャージャー 320HP 3段変速
性能: 最高速250km/h  データーベースでデューセンバーグのミニカー検索

デューセンバーグ SJ トルペード フェートン アメリカ 1934年

 

 前述したように1926年にコード傘下となったデューセンバーグが1928年に発表したモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能は当時レーシングカーしか採用していなかったDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/h、コーチビルダーが特注ボディを架装して販売され、その価格は大衆車フォード T型の約40倍でした。この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。

 

 デューセンバーグ Jは1929年から始まった世界大恐慌の時代に成功しており、当時のユーザーはまだ不況とは無関係だったようです。このようなユーザーに向けてさらに高級な車が1932年に発表されました。スーパーチャージャーを追加して320HPにパワーアップし、最高速250km/hに性能を向上させたモデル SJでした。スーパーチャージャーの追加で排気管がボンネット右側面から取り出されるようになり迫力のある外観となっていました。1932年にデューセンバーグ創始者のフレッド デューセンバーグは、SJ プロトタイプで自動車事故を起こし後遺症で死亡しました。これと呼応するかのようにデューセンバーグを有するコード帝国もL29の販売不振から崩壊し始め、1937年にデューセンバーグ社は倒産しました。

 

 

 ミニカーは1971年頃に発売されたリオ製です。豪華な4シーターのトルペード フェートン (デュアル カウル フェートン)をモデル化しています。前述したデュアル カウル フェートンよりキャビンが小さくスポーティなデザインで、アメリカのコーチビルダーのブルン(BRUNN)が架装しました。ミニカーはこのスポーティなボディがうまく再現されていて、とても良く出来ています。ボンネットの上部を取り外すことができ、特徴的な排気管の付いたエンジンが再現されています。(なお実車のボンネットはこのように上部が外れることはありません) またシャーシなどの下回りのメカがリアルに再現されているのも、リオのクラシックカーの特長でした。幌を収納した色違いのバリエーション(型番46)もありました。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。フロントグリル上に付いたデューセンバードのマスコットは鳥のオブジェで「デューセンバード」と呼ばれています。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DUESENBERG SJ 1
DUESENBERG SJ 2

 以下はボンネット右側面の画像とボンネットを取り外したエンジンルームの画像とボディ下回りのシャーシの画像です。エンジンの排気管がボンネット側面から取り出されている構造がリアルに再現されています。さらにこの排気管は床下の排気管まで接続されています。床下にはシャーシ、エンジン/変速機、ドライブシャフト、サスペンションもリアルに再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ 3
DUESENBERG SJ 4

 以下は2006年に発売されたシグネチャー製のデューセンバーグ J フェートン 1934 (1/32 型番32110)の画像です。これも上記と同じコーチビルダー ブルンが架装した車のモデル化ですが、こちらはスーパーチャージャー付のSJではなくJです。(ボンネット横の排気管がありません) 上記SJと良く似たデザインですが、リアに外付けのトランクを背負っています。黒と緑の派手なツートンカラーは実車に準じたカラーリングです。(実車画像→ デューセンバーグ J フェートン 1934) シグネチャーのクラシックカーのシリーズは縮尺が1/32で1/43より一回り大きいです。サイズが大きい(全長153㎜)のですが、細部の仕上げは上記のリオ製と同じようなレベルとなっています。(サイズを無視すればリオ製並みの良い出来ばえであると言えます) シグネチャーのクラシックカー シリーズの特長はサイズと出来ばえのわりに安価なことで(当時の定価は2000-25000円ほど)、細かなパーツが多いクラシックカーを1/32という組付けが容易なサイズとしたことで低価格を実現しています。ボンネット/前ドアの開閉ギミックと前輪操舵(ステアリングホイールとは連動しない)ギミックが付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 5
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 6

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 7
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 8

以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と前輪操舵ギミックの画像です。ボンネットが実車同様に開くのは良いのですが、エンジンの出来ばえは1/32サイズとしてはやや物足らないレベルです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 9
DUESENBERG SJ TORPEDO PHAETON 10

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RILEY MPH 1934 UK

RILEY MPH
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RILEY MPH


MATCHBOX Y03-3 1/35 101mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.66m 全幅約1.46m エンジン 変速機: 6気筒 1.7L 56HP 4段変速
性能: 最高速145km/h  データーベースでライレーのミニカー検索

ライレー MPH イギリス 1934年

 

 1890年にウイリアム ライレーが「ライレー自転車会社」を設立し自転車製造を始め、1899年から自動車製造に進出しました。1906年には世界で初めて脱着可能なホイールを採用した4輪車を発表しました。その後ライレー社は自動車および自動車部品を製造する複数のグループ会社として発展しました。1920年代から1930年代にかけて4気筒/6気筒/8気筒エンジンを搭載するツーリングカーを発売しましたが、行き過ぎた車種展開によるコストアップがたたって経営が悪化し、1938年にモーリス社に併合されました。

 

 ライレー MPHは6気筒エンジン搭載のライレー 12/6のレーシングカーをベースにして1934年に製作された高性能スポーツカーでした。ライレー独自のツインカムOHV機構を採用した6気筒1.4L/1.6L/1.7L(56HP)エンジンを搭載し、最高速145km/hと高性能でした。性能もさることながら、その美しいスタイルも魅了的で、戦前のライレーとしては一番有名なモデルでした。ただし製作された台数は十数台と少なかったようです。

 

 

 ミニカーは1974年に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。1960年-1980年代に発売されたマッチボックスのクラシックカーは型番がYから始まるのでY シリーズと呼ばれ、それまで専門メーカーが作っていたマニアックなクラシックカーのミニカーを手ごろな値段で一般向けに提供したものでした。Yシリーズは本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでしたが、車種的には貴重なモデルがたくさんありました。このライレー MPHも量産ミニカーはこれしかないので、車種的には貴重です。派手なメタリック塗装と縮尺1/35の中途半端なサイズはいまひとつですが、プロポーションは良く、フロントグリルや室内なども値段相応できちんと作ってあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

RILEY MPH 1
RILEY MPH 2

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TATRA 77 1934 CZECH

TATRA 77
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TATRA 77


IXO MUS015 1/43 120㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.2m 全幅約1.65m エンジン 変速機: 空冷 V型8気筒 3L 60HP 3段変速
性能: 最高速150km/h   データーベースでタトラのミニカー検索

タトラ 77 チェコ 1934年

 

 タトラは馬車時代からの歴史があるチェコ(旧チェコスロバキア)の自動車メーカーで、現在は東欧の有力なトラックメーカです。戦前はハンス レドヴィンカ(Hans Ledwinka)という優れた技術者による独創的なデザインの車を多く発表しました。タトラの最初の車は1923年に登場したタトラ 11で、空冷水平対向2気筒1.1L(12HP)エンジンを搭載した小型車でした。非常にシンプルな構造のシャーシを持ち、軽量ゆえに高性能でした。この11の改良型12、トラック仕様13は当時のチェコスロバキアの道路環境に沿ったもので、大ヒットしました。またサスペンションなどをチューンした11 レース仕様車(スペシャル)はモータースポーツで活躍しました。(実車画像→ タトラ 11)

 

 小型車タトラ 11は空冷水平対向4気筒1.7Lエンジンを搭載した30に発展し、その後も52、54、57、75(1933年)と発展しました。また水冷6気筒1.9Lエンジンを搭載する中型車の17が登場し、その後70、80(V型12気筒6Lエンジン搭載)と発展しました。1934年に登場した77は全長5.2mの6人乗り大型車で、独特のリアエンドを持つ流線形ボディが特徴でした。このリアには後輪を駆動する空冷V型8気筒3Lエンジンが収められていて、リアウインドーの上にルーバーが切られたカバー(エアダクト的な物)が被さり、そのカバーには垂直尾翼のようなヒレまで付いていました。奇異なデザインに見えますが、このカバーが無ければ全体のフォルムは当時の最先端の流線型で、後のフォルクスワーゲン ビートルにも通じるデザインでした。タトラ 77は1935年には改良型の77aに変わり、最終的に1936年の87とその小型版の97に発展しました。(実車画像→ タトラ 87)

 

 

 ミニカーは2008年に発売されたイクソ製です。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.37として2006年頃に発売された物でしたが、これはその仕上げレベルを上げてイクソのカタログモデルとして2008年に発売された物です。独特の流線形ボディが良く再現されていて、ヒレの付いたリアカバー、そのエアダクト内にあるリアウインドー(最低限の後方視界用)、室内インパネなどの細部も良く再現されています。イクソは別ブランドのホワイトボックスでも同じ物を発売しています。タトラ 77の量産ミニカーはイクソ製しかありませんが、発展型のタトラ 87/97はヴィーキングの1/87、MODELCAR GROUPの1/18、BOS MODELS(レジン製)、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアカバー部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

TATRA 77 1
TATRA 77 2

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MERCEDES-BENZ 150 SPORT ROADSTER (W30) 1935 GERMANY

MERCEDES-BENZ 150 SPORT ROADSTER (W30)
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES-BENZ 150 SPORT ROADSTER (W30)


MERCEDES-BENZ COLLECTION ALTAYA (IXO) 17 1/43 99㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.2m 全幅約1.6m エンジン 変速機: 4気筒 1.5L 55HP 4段自動変速
性能: 最高速125km/h  データーベースでメルセデス ベンツ 150のミニカー検索

メルセデス ベンツ 150 スポーツ ロードスター (W30) ドイツ 1935年

 

 メルセデス ベンツ 150は前述した130Hをベースにして開発された2シーター クーペ/ロードスターで、ごく少数が1935年に生産されました。私が参考にしていた昔の書籍では、この車のシャーシは130Hと同じで後車軸より後ろにエンジンが配置されていると記載されていました。しかし今回この車についてWEBなどで調べたところ、エンジンがミドシップ配置されていたことが分かりました。(参照WEBサイト→ Mercedes-Benz 150 Sports Roadster) つまりこの車は世界初のエンジンをミッドシップ搭載したスポーツカーだったことになります。

 

 メルセデス ベンツ 130Hと同じエンジン配置にしてはリアシートの後ろのスペースが大きすぎるように思っていたのですが、ミドシップ配置であったことが分かり納得しました。またエンジンも排気量の拡大だけではなくバルブがサイドからオーバーヘッドに変更され55HPの高出力で、最高速125km/hとかなり本格的なスポーツカーを目指していたようです。ただこの当時に価格が130Hの倍もする2シーターの小型スポーツカーを買うような人はおらず、数台しか売れなかったようです。

 

 

 ミニカーはイクソ製で元々はミニカー付き雑誌「MERCEDES-BENZ COLLECTION」のNo.17として2007年頃に作られたミニカー(ボディカラーは赤)で、これはその色違いで当方はネットオークションで入手しました。これと同じものがイクソのミュージアム シリーズでは型番MUS018(ボディカラーは銀色で仕上げがレベルアップしている)で2009年に発売されています。独特なリアデザインのボディがうまく再現され、実車の雰囲気が良く再現されています。グリルの無いフロント、スリット/開口部のあるリアの造形、サイドのスペアタイヤなどの細部もリアルで、安価な雑誌付きミニカーながら良く出来ています。前述したメルセデス ベンツ 130H同様に150もこれが初めての量産ミニカーで、ベンツ車の歴史を知る上で貴重なミニカーです。(2023年現在でもこのイクソ製以外の150のミニカーはありません)  以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MERCEDES-BENZ 150 SPORT ROADSTER 1
MERCEDES-BENZ 150 SPORT ROADSTER 2

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AUTO UNION TYPE B 1935 GERMANY

AUTO UNION TYPE B
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AUTO UNION TYPE B


MINICHAMPS 5031300313 1/43 90㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.92m 全幅約1.69m エンジン 変速機: V型16気筒 4.95L スーパーチャージャー 375HP 5段変速
性能: 最高速290km/h  データーベースでアウトウニオン タイプ A-Dのミニカー検索

アウトウニオン タイプ B ドイツ 1935年

 

 アウトウニオンのレーシングカー タイプ Aは1935年にタイプ Bに変わりました。タイプ Bはエンジン排気量を4.4Lから5Lに拡大して295HPから375HPにパワーアップし、ホイールベースを伸ばしトレッドを広げて操縦性を向上させました。またリアサスペンションがリーフからトーションバーに変更されました。タイプ Aとタイプ Bの外観はほとんど同じに見えますが、タイプ Bはコクピット左側のえぐりが深く左右非対称になっていました。

 

 1935年のGPレースではメルセデス ベンツ W25が圧倒的に強かったので、アウトウニオンはあまり活躍できませんでした。主なレース結果は、ドライバー H.スタックがイタリア GPで優勝 ドイツ GPで2位でした。新しいドライバーとしてB.ローゼマイヤーが参入し、彼はスイス GPでは3位となり、シーズン最後のチェコスロバキア GP (マサリク サーキット)で初優勝しました。なおハイパワーエンジンをリアに搭載するアウトウニオン レーシングカーの操縦はきわめて難かしかったとのことです。

 

 

 ミニカーはミニチャンプス製で、前述したタイプ Aと同じくアウディの特注品で、1935年ドイツGPで2位となった車(ゼッケン #1)をモデル化しています。ミニカーの画像はアウディのWEBサイトから借用しました。同じ物がミニチャンプスの型番410351900で2015年に一般市販されています。これ以外のタイプ Bのミニカーとしては、コクピットやリアタイヤをカバーした流線形の速度記録車をミニチャンプスとブルムがモデル化しています。

 以下は1984年に発売されたブルム製のアウトウニオン タイプ B 速度記録車 #4 (1/43 型番R108)の画像です。1935年にドイツのアウトバーンで速度記録320.267km/hを達成した速度記録車をモデル化しているようですが、実際の速度記録車にはゼッケン #4が付いていないようなのでこれはテスト段階の車なのかもしれません。ボディ全体に空力対策の流線形カバーが付いていますが、後輪のカバーがないタイプもありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 1
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 3
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 4

 以下は1984年に発売された同じブルム製のアウトウニオン タイプ B 速度記録車 #3 (1/43 型番R107)の画像です。上記のバリエーションで、こちらはゼッケン #3で後輪のカバーがないタイプになっています。上記の#4とは前輪ホイールとボディ側面の排気管の取り出し部の形状が少し違っています。(左側面のゼッケンのデカールが剥がれて分かりにくいですが) このゼッケン #3も同時期に速度記録320km/hを達成したそうです。(実車画像→ アウトウニオン タイプ B 速度記録車 #3 1935 ) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 5
AUTO UNION TYPE B RECORD CAR 6


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