Sorry Japanese Only


ランチア フルビア イタリア 1963年
小型車ランチア アッピアの後継として、1963年に登場したのがフルビアでした。この時代のランチアは下位モデルからフルビア、フラビア、フラミニアがありました。フラビア同様の前輪駆動方式で、エンジンはランチア独自のV型4気筒エンジンをDOHC化した1.1L(58HP)、全輪ディスクブレーキの採用などこの車も進歩的な設計でした。ボディは上級車フラビアと同じような四角い箱型のセダンで、フロント周りもフラビアの後期型とほとんど同じでした。1965年にホイールベースを短縮したクーペが追加されました。エンジンは1.2L、1.3Lと排気量を拡大し、1972年まで生産されました。セダンの総生産台数は約19万台で、後継車はベータでした。
ザガートがデザインしたアルミニウム製の2シーターボディを載せたスポーツ(スポルト) ザガートが1967年に追加されました。角形ヘッドライトを組み込んだザガートらしいフロントグリルを持つ個性的なデザインの車でしたが、このクラスの車にもアルミニウム製ボディを採用したのは当時のランチアらしいところでした。V型4気筒1.2L(90HP)エンジンを搭載し最高速170km/hの性能でした。高価なアルミニウム製ボディは最初の700台だけで、すぐにスチール製に切り替わりました。セダン同様にエンジン排気量を1.3L、1.6Lと拡大し、1972年まで生産されました。総生産台数は約7000台でした。(実車画像→ ランチア フルビア スポーツ ザガート)
ミニカーは1964年に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーは実車パーツ製作が本業でしたが、1960-1970年代にはミニカー製作も手掛けていて、当時としてはレベルの高いミニカーを作っていました。このフルビアもフロント周りの造形や角ばったボディがうまく再現されていて、当時のミニカーとして良く出来ていました。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外のフルビア セダンの当時物ミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)がありました。当時物以外ではスターラインがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=715


トライアンフ 2000 MK I イギリス 1963年
1946年にトライアンフの自動車部門はスタンダード社に吸収合併されました。そのスタンダード社も1960年にレイランド社に吸収合併されました。スタンダード社の戦後の主力モデルであったバンガードの後継車として、1963年にトライアンフ 2000/2500が登場しました。ミケロッティのデザインによる斬新なスタイルの乗用車で、モノコックボディや全輪独立サスペンションなどを採用した進歩的な設計の車でした。直列6気筒2L(90HP)/2.5L(132HP)エンジンを搭載し、4段変速(3段AT)で最高速154km/h(2L)の性能でした。なおトライアンフ 2000/2500が登場した時点でスタンダード ブランドの車は消滅しました。
1969年のマイナーチェンジでフロントのデザインが変更されたMK IIとなりました。MK Iの総生産台数は約12万台でした。当初のトライアンフ 2000/2500のライバルはBMCのローバー P6で、4気筒エンジンを搭載したローバーに対して、トライアンフは6気筒エンジンで対抗していました。1968年にレイランド社はBMCと合併してBLMC(ブリティッシュ レイランド モーター カンパニー)となりましたが、ローバー P6の後継車であるローバー SD1が登場するまではローバーとトライアンフは併売されました。当時のBLMCはこんな具合に似たような車種が併売される効率の悪い経営をしていましたので破綻寸前となり、1975年に国有化されBL(ブリティッシュ レイランド)社となりました。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。60年前のビンテージミニカーですから素朴な作りですが、実車の雰囲気をうまく再現した味のあるミニカーでした。ボンネットとトランクが開閉するギミックが付いています。エンジンルームには簡単ですがエンジンがモールドされ、トランク内にはおまけとして大きな旅行鞄が付いていました。この独特のフロントグリルを持つ2000 MK Iの当時物ミニカーはこれだけでした。当時物以外では2013年にNEO(レジン製がMK Iをモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。


このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=823


ヴォクスホール ビバ (ヴィヴァ) HA イギリス 1963年
1963年に1Lクラスの小型車としてヴォクスホール ビバ HAが登場しました。ビバはその前年に発表されたGM傘下のオペルの小型車カデットに少し手を加えた兄弟車でした。4気筒1L(44HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速125km/hの性能でした。性能もデザインもカデットとほとんど同じでしたが、発表から1年も経たずに10万台が生産されて本家同様の大ヒット車になりました。1966年にHB、1970年にHCとモデルチェンジされました。
オペル カデットの成功でGMはグループ内の車種の国際的な共通化を進めるようになり、市場が大きく開発能力の高いオペルがGM ヨーロッパでは主導権を握ることとなりました。そんなわけで1970年以降はオペルとの共通化が進められ、ヴォクスホールの独自開発車はなくなりました。最近のヴォクスホールのラインアップにあるコルサ、アストラ、インシグニアなども全てオペルの兄弟車です。なお2017年にフランスのPSAグループ(プジョー/シトロエン連合)が、オペルとヴォクスホールをGMから買収してPSAグループの傘下としました。さらにPSAグループは2021年にフィアット クライスラー オートモービルズと経営統合し、ステランティス N.V.となりました。
ミニカーは1964年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。1960年代のミニカーですのでシンプルな作りですが、プロポーションなど押さえるところは手を抜かずきちんと作ってあり、当時としては良い出来ばえでした。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。なおディンキーは型番540でオペル カデットも作っていたのですが、全く別の型を起こしてこのビバを作っていました。その為同じ1/43ながらビバがカデットより大きなサイズとなっていました。ビバの当時物ミニカーはこれしかないようです。当時物以外ではバンガーズやオックスフォードなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=830


ヒルマン インプ イギリス 1963年
ルーツ グループには前述したヒルマン ミンクスをベースにしたモデルしか在りませんでした。そのルーツ グループがBMCのミニに対応して開発した小型車がインプで1963年に登場しました。やや時代遅れながら、前輪駆動車に次いでスペース有効活用が可能なリアエンジン/後輪駆動方式を採用していました。4気筒875cc(39HP)エンジンをリアに搭載し、小型車ながら全輪独立懸架、4段変速で最高速120km/hとミニ同等の性能でした。なおリアウィンドーはハッチバックのように開きリアシート後部への荷物の出入れがやり易いようになっていました。ミニのような2ボックス スタイルではなく、リアに段差のある3ボックス スタイルは保守的なユーザーには好評だったようです。
ルーツグループ内の他ブランドの姉妹車として、スポーティなイメージのサンビーム インプ、上級サルーン的なイメージのシンガー シャモア(CHAMOIS)がありました。リアデザインを変更したクーペがヒルマン カルフォルニアン(シンガー クーペ)という名前で1966年に追加されました。インプは性能的にはミニと同等で、ミニよりも低価格だったので商業的に成功しました。ルーツグループは1967年にクライスラー ヨーロッパに統合されましたが、インプは1965年にMK II、1968年にMK IIIに発展し1976年まで生産されました。総生産台数は約50万台でした。RR方式の小型車とはいえ、走らせるとなかなかの操縦性だったらしく、モンテ カルロ ラリーに参戦するなどラリーで活躍しました。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。1960年代のミニカーですから素朴な作りでしたが、実車の雰囲気をうまく再現していました。小さなミニカーながら、フロントトランクとリアボンネットが開閉するギミック付で、エンジンもそこそこ再現されていました。バリエーションでモンテ カルロ ラリー仕様もありました。これ以外の当時物ミニカーとしてはコーギーもポリスやラリー仕様を出していましたので、この車は結構人気があったようです。当時物以外ではバンガーズとオックスフォードがモデル化しています。姉妹車のシンガー シャモア クーペをバンガーズがモデル化しています。 以下はフロント/トランク開閉の画像とリア/ボンネットを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=832


アストン マーチン DB5 イギリス 1963年
1963年にアストン マーチン DB4はDB5にモデルチェンジしました。DB4とDB5の外観上の違いはほとんどありません。このミニカーの画像ではヘッドライトにカバーが付いていて前述したDB4と違っていますが、ヘッドライト カバーはDB4のシリーズ4から既に採用されていました。DB5はDB4のDOHC 直列6気筒3.7Lエンジンが4L(282HP)まで拡大され、5段変速機が採用されて最高速は233km/hの性能でした。1964年にはエンジンを330HPまでパワーアップした高性能版ヴァンテージが追加されました。
DB5を世間に知らしめたのはなんといっても映画「007 ゴールドフィンガー」(1964年)でジェームス ボンドが操るボンドカーに採用されたことでした。フロントから飛び出すマシンガンや射出される助手席などの特殊な装備が搭載されたDB5 ボンドカーは映画のヒットとともに有名になりました。007映画ではアストン マーチン DB5はボンドのプライベートカーという設定で、それ以外にも「007 リビング デイライツ」(1987年)のアストン マーチン V8、「007 ダイ アナザー デイ」(2002年)のアストン マーチン V12 ヴァンキッシュ、「007 スペクター」(2015年)のアストン マーチン DB10など特殊装備付のアストン マーチンが登場していました。それらのボンドカーはほとんどがミニカーになっていて、アストン マーチンだけではなく全てのボンドカーをあつめた雑誌付きミニカーのシリーズ「The James Bond Car Collection」まであります。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。これは自動車100年を記念したビテスのミレニアム シリーズの一つで、型番V98029のDB5とフィギュア2体をセットにしたものでした。フィギュアは007のボンド(多分ピアース ブロスナンをモデル化しています)とホテルのポーターで、007シリーズにあやかったものでした。ミニカーはプロポーションが良く、ホイールや室内などの細部の仕上げもリアルで、レベルの高い出来ばえでした。ただボンドカーとしての特殊装備は付いていません。以下はフロント/リアの拡大画像とフィギュアを並べた画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)












このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=860
ページ « 前へ 1...134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 ...373 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2025 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.